もしも、この大木に首吊り縄がかけられており、これが何者かによる演出で、更には俺が誘い込まれたのだとして、他に出来ることは何か。こんなことを考え実行しようとすることが、仮想敵の掌の上で踊っている様に思え、少し腹立たしい。しかしこの怒りも、記憶がない現状を考えれば噛み潰せる些事だ。

 他に出来ることは、何か。長々と思考して見せたとて、そんなことは明白だった。

「いいのかい?」

「……何かあった時、俺を助けることは出来ますか?」

「そうだね、君の首が締め切られる前に助けることは勿論、その現実が君をさいなめば、それを忘れさせることが出来るね。」

 後は俺の胆気だけだ。キモ山さんとの同伴は、俺にとってかなり都合の良い状況と言える。これを仕組んだ存在を薄らと感じているものの、なら他に出来ることがあるのかと言えばそうではない。

「やります」

「分かった」

 キモ山さんは縄を持つと、位置を元に戻す。彼の首あたりに縄の輪が来ている。彼の非行に倣い縄を掴んで飛べば、輪に首を通すことが出来るだろう。

「僕はそばで見てるよ」

「……はい」

 縄の下に立つ。頭のすぐ上あたりに輪が垂れている。それを手に持ってみる。頑丈な縄だ。手で引き伸ばそうとしてもびくともしない。縄のかかる大枝もやはり動く気配はない。このまま飛べば、いとも容易く死ねるだろう。

 死。

 いや、キモ山さんがそれを阻止すると言ってくれた。あくまで俺は、自分の首吊り、という状況が記憶を呼び起こす鍵にならないか、検証をするだけだ。死んでたまるか。

 足元を見る。キモ山さんの悪行によって真っ二つに割られた松笠が転がっている。ん? 真っ二つに? 目を凝らしても、松笠の残骸が四つに、いや、六つ?

 蝉の声がやけに大きく聞こえる。頭が痛い。ああ、あの時の、縄を目にした時に似た不快感が。どんどんと松笠が小さくなり、俺の身長なんかよりも遠ざかっていく。

これでは駄目だ。俺は手にした縄を見るため、首を起こそうとする。首が起き上がり、そのまま後ろへ倒れていく。慌てて縄を持つ手を力む。身体にあまり力が入らない。手も、今にも縄から離れてしまいそうになる。縄を見る。縄がぐにゃりと歪み、二重に、三重に。おかしい、あんなにも頑丈そうな縄が、こんなにも簡単に歪んでたまるか。

 簡単だ。飛び、首に縄をかければいい。死ぬことはない。何せ、キモ山さんが助けてくれる。死なない。

 しかし、もし、キモ山さんが、助け損ねたら? 死ぬ。いや、きっと、死んだことすらキモ山さんは、何かに擦り付けられるだろう。死なない。なら、キモ山さんが、嘘を、吐いていたら? 俺を、助ける気など、なかったら? 死ぬ。いや、キモ山さんに嘘を吐くメリットがないだろう。死なない。なら、これを、仕組んだ畜生が、キモ山さんの、救助を、妨害したら? 死ぬ。

 死ぬ。

 死んでたまるか。

 死ぬ。

 死にたくない。

「死にたくない、死にたくない、死にたくない」

「大丈夫、死なないよ」

 前が見えない。俺の身体からは力が抜けきっているが、倒れてはいない。頭上からは優しい声が響いている。

「うーん、君は大変だねえ」

 頭が大きな手で撫でられる。どうやら、俺はキモ山さんに抱き抱えられているらしい。前が見えないのは、彼に胸板に顔が沈んでいるためだろう。徐々に、心臓が静まっていくのを感じる。少し顔のあたりが湿っぽい。涙が出ているのか。

「どうだい? 気分はマシになったかい?」

「は、い。ありがとう、ございます」

 頭で考えるよりも、言葉が滑らかに出て来ない。

「どういたしまして。酷な思いをさせてしまったね」

 実行を決めたのは俺だ。キモ山さんは何も悪くない。

「多分、もう、大丈夫です。自分で立てます」

「あはは、残念。またこのままベッドまで行こうと思ってたのに」

「せめて、家でだけにして下さい……」

 第三者の存在を感じている現状、あまり外で抱き上げられた様を晒したくない。キモ山さんは、数回俺の頭を撫でた後、俺の身体を支えて立ち上がらせた。身体に力を入れる。ふらつきはない。歩くことも出来そうだ。

 視線を上に送ると、枝に掛かっていた縄がなくなっていた。キモ山さんが処分したのだろうか。どうであれ、助かる。これ以上の醜態を晒すのはごめんだ。

「分かったことはあるかい?」

「……死が、怖い」

 そうだねえ、とキモ山さんは顎に手を当てる。

「キモ山さんは、何か分かりましたか?」

「……おおよそは」

 キモ山さんの返答に、思わず顔を注視する。次の言葉を待つが、キモ山さんは困り顔で、

「けれど、これを伝えていいものか」

「知りたいです」

 キモ山さんはむう、と唸ると、取り繕った――少なくとも俺にはそう見えた――笑顔をして、

「とりあえず、帰って落ち着こう」

 キモ山さんがこちらに手を差し伸べる。俺は頷き、その手を取り、キモ山さんと歩き出す。蝉の声は聞こえなくなっていた。

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