それから

《ここまでの話》

黒猫レヴナントは無事見つかった。サキも無事、「灰色の世界」から帰ってくる。

あの長かった2週間は終わり、その後に迎えた冬休みも半分が過ぎようとしていた。


主な登場人物

・ツムギ(私) 

Y市の高校一年生。新作ゲームにうつつを抜かし、年末の中間テストで散々な結果を残した。

・ケイ(長良 景子)

Y市の高校一年生。「私」のクラスメイト。くせ毛気味の黒髪ショートヘア。ちっこい。いつもやる気の無いジト目と平坦な声をしていて、何を考えているのか分かりづらい。“誤ったつながり”が見え、ミセス・ウィークエンドの下でアルバイトをしている。最近クビになった。

・サキ

Y市の高校一年生。「私」たちのひとつ隣のクラス。良く下校時に二人に置いていかれる。長い金髪をポニーテールにしている。スラッとしていて、朗らかな笑顔と目の持ち主でクラスの人気者。喫茶店Paradisoの店主の娘で、忙しい時は店の手伝いをする。喫茶店で黒猫レヴナントを飼っている。最近まで生霊に取り憑かれていたが、無事、霊能力者「ミセス・ウィークエンド」の手で除霊された。

・ナナミ

ツムギの幼馴染。1年前にYC駅前ビルの火災事故に巻き込まれ、既に故人。読書が好きだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 私が改札前の広場で時間を潰していると、3分後にサキちゃんが現れた。

 午前11時――待ち合わせの時間ピッタリ。


 大晦日で混み合ったK駅の構内で、彼女は到着するなり私の姿を探し始めた。ちょうど電車がホームに着いた頃合いで、改札口には行列が出来上がっていた。

 サキちゃんは主にそっちの方に注目している……私は全然違う方にいた。

 私は「こっちこっち」と、小さく手を振って合図する。彼女はすぐにそれに気がつき、嬉しそうに肩の辺りで手をぶんぶん振ってこちらに近づいてくる。

「やっほ!」と、サキちゃんは私に短く挨拶した。

「おまたせ! いやぁ~人の数、凄いねえ~!」

 そう言って、手のひらをオデコに当てながら楽しそうにキョロキョロする。

「とてもトップクラスの転出超過の街とは思えないね!」

 私は首をかしげ、「そうなの?」と訊ねた。

「……というかソレ、どういう意味?」

「んとね、Y市って前は、他所に移り住む人たちが全国屈指の多さだったらしいよ」

「すごい勢いで人口減ってます、ってこと?」

 私がそう言うと、サキちゃんは得意げに人差し指をゆらゆらさせながら言った。

「そ! 10年前から5万人くらい減ってるらしいよ。昔のY市って42万人以上、人がいたんだって。今は38万人くらい? ――って言ってた!」

「へえ~」と私は感心する。

「詳しいね」

「いやあ、それほどでも無いんだなぁ、これが」

 サキちゃんは照れくさそうに笑った。どうやらもっと褒めて欲しそう。

 私が「よ! 物知り!」とか「文化人!」とか「社会派!」とか、自分でも良く分からない文言を並べると、その度にサキちゃんが片方の眉を絶妙な角度で上げて冗談めかした。


「――あれ。っていうか、ケイは?」

 サキちゃんが気がついた。

「まさか……」

 彼女は私にジト目を作って向けた。私はため息をつく。

「そのまさかだよ」

「マジか」

「寝坊ですね、コレは」

「まあ、ちょっと予想してたけどね!」

 サキちゃんは存外けろっとした様子でそう言い放った。私もそれには同意見だった。


 ケイとも約束はしていた。11時にここに集合。そういう事になっていた。で、時間になってもケイは、連絡ひとつ寄越さない。およそいつも通りだった。

 きっと数時間後に言い訳がやってきて、何だかんだこちらに合流するだろう。そう判断した私たちは、目的を果たす事を優先した。


 私たちは駅に併設された商業施設、「ウィングK街店」のデパ地下に向かった。そこでいくつか食材を買って、店を出た。


 年越しをParadisoで過ごす――ちょっとしたパーティもやる予定だ。

 発案者はもちろんサキちゃん。

「ほら、二人には凄く助けてもらったでしょ?」と、開催を決めた時、サキちゃんはParadisoの窓際の席でそう言った。

「だからそのお礼も兼ねて! ――あ、大丈夫だよ! 料理はあたしが作るし、なんと今回の会費は無料になっております!」

 そういう訳で私とケイはサキちゃんに改まって“お呼ばれ”する形で、あの時の苦労を労ってもらう事になった。


「ホント、ありがとね」

 サキちゃんがそのように切り出したのは、私たちがパンパンになったエコバックを両手に持ちながら、信号待ちをしている時だった。

「きっと教えてもらった事以外にも、たくさん助けてもらってたんだよね、あたし」

 サキちゃんは私に向けて申し訳無さそうに笑みを浮かべた。

「レヴがいなくなったのも、風邪っぽかったのも、変な異世界に連れてかれたのも、全部ツムギとケイが解決してくれた」

「一人忘れてるよ」と、私はいたずらっぽく言った。

「ミセス・ウィークエンド」

「そだった!」とサキちゃんはまた笑った。

「……あれから、おばあさんに連絡取った?」

「ううん、取ってない。取ろうとも思ってないしね」

 私が信号機に向かってそう言うと、サキちゃんは「そっか」と言ってうつむく。私は「多分、その方が良いんだよ」と付け足した。

「上手く言えないけど、そうだなぁ――私たちとミセス・ウィークエンドは関わるべきじゃなかったんだよ、きっと。もちろん悪い意味でじゃないよ?

 あのおばあさんと私たちは、本来出会うことのない人だったんじゃないかな、っていう意味。今回はたまたま偶然が重なって、そうなっただけ。だからこれで良いんだよ」


 信号が青に変わった。サキちゃんは立ち止まったままだった。私もそんな気分だった。

 やがて彼女は一言「そっか」と呟き、歩き出した。私もそうした。それから信号待ちの間ずっと気になっていた事を聞くことにした。

「ところでさ」

「なに?」

「なんでさっきから微妙に変顔、してるの」

「……してた?」

「してた」

「……ワカンナイや」

 ワカンナイらしい。


 ケイから連絡があったのは正午の事だった。

 年末で店じまい中のParadisoの,、いつもの窓際の席でサキちゃんと談笑している時、私のLINEに通話が掛かってきた。彼女の第一声は、予想通りちゃんと言い訳だった。

「結論からいうと――」とケイは語る。

「スマホの目覚ましのアラーム音量、いつの間にかゼロになってたじゃんね。そりゃあ気づかないでしょ。あと――」

 それからケイはいかに自分が起きようと努力したか、そしてそれがいかにして妨害されたのかについて喋りだした。


……ところで彼女の起き抜けの声は、控えめに言って酷かった。

 地獄の底から、そのふちを伝って聞こえる声。

 どこか南の見知らぬ土地で理不尽な契約を強いられ、その強制力に無理やり従わされて僅かばかりの賃金、過酷な労働環境でコーヒー豆の栽培を手伝わされる事になった、心身共にやつれきった人間の咆哮を聞いている気分になった。

 あまりに聞いていられなかったので、私は通話を切って【はやく来なさい】とだけメッセージを送っておいた。


 ちょうど良い頃合いだったので、サキちゃんは食事の支度に取りかかった。それには私も手伝ったが、何かに付けてサキちゃんはキッチンから私を追い出そうとした。

「あ~、このコンロね~、実は指紋認証式です。火、付けてる間、ずっと認証済みの人がつまみに触れてないと止まっちゃうんだ」

 とか。

「え~と、その"流し”はね~。これは内緒なんだけどさ、実はそれ、選ばれた家系の人だけが捻ることを許された伝説の蛇口なの。あたしと家族以外が触れると爆発する」

 とか。

「包丁とかヘラとかサエバシとか、ここにある調理器具は全て20kg以上あるよ。こういうとこでのワークアウトに余念が無いのが、我々家族の最も顕著な特徴のひとつです。

 のツムギお嬢ちゃんみたいのには、過ぎたおもちゃだぜ」

 とか。色々な虚言でもって私の手助けを阻止しようとする。

 その全てを無効化する事に成功した私は、見事手伝いの権利を勝ち取った。誇らしさで胸が一杯になる。


 さて、袖をまくって気合充分、という段になって私はあることに気がついた。

「ちょっと待って」

 私が深刻な顔でそう言うと、サキちゃんは「どしたの?」と返事をする。

 しばらく無言の時間が流れた。このことを言うべきかどうか迷った。火にかけた鍋の中の水が沸点に近づく音だけが、店内に広がっていく。

 意を決して私は重い口を開いて、自分の気付きを言葉にする。

「――今気づいた。私、ちゃんとした料理、ほぼ出来ないや」

……私には野菜の水洗い係と、ピーラーによる皮むきと、パスタの茹で時間のタイムキーパーの係だけが、サキちゃんの指示によって課せられた。


 サキちゃんが「――ありがとね」と仄めかしたのは、私が人参の皮むきをしている時だった。

 私はじゃがいもの皮の剥き加減のムラが気になってしまい、少しになっていたせいで、その意味が上手く把握できないでいた。

……まさかこんな雑用に対して、そんな意味深な言い方で感謝した訳じゃないよね?

「ドユコト?」と私が聞き返すと、サキちゃんはでへへ、みたいなちょっと気持ち悪い笑いを繰り出した。

「あの時のこと!」

 どうやら彼女は交差点での話の続きをしたいようだった。気持ちはありがたかったが、蒸し返す話でもないと考えていた私は、「気にしないで」と言った。

「前も言ったけど、私は大した事してないんだ、ほんと。何かこう、色々やってみたら、気がついたらああなってただけ」

「それでも、だよ」とサキちゃんが言った。

「どんなに感謝してもしきれないよ」

 ちょっと元気が無さそうだった。ああ、と私はようやく理解した。それから私は少し考えた。

 どうすれば良いだろう……うん、これがいい。

 私は彼女を無遠慮に突っつき回す、その後ろめたさや申し訳無さをキレイさっぱり拭うやり方を思いついた。

「じゃあさ。こういうのはどうかな?」と私はニヤニヤしながら提案する。

「私とケイに一曲、弾き語りのプレゼント」

 うええ、みたいな音がサキちゃんの喉からうっかりこぼれ落ちた。彼女は目をぎゅっとして、しばらく考え込んでいた。

 幾ばくかの時が流れ、観念したのか、サキちゃんは白状するような調子で答えた。

「……分かりましたよう」

「やった」

「誰にも聞かせたことなくて、めっちゃ恥いけど……あの、精一杯頑張らせて……頂きます……」

 なんか全然、別のキャラみたいな感じになった。これが見れただけでも充分だったが、ケイの分が“浮いて”しまうので、やはり弾き語りはいつか実行してもらう事にした。


 ケイがParadisoの重い扉を開けたのは、それから1時間後の事だった。

 自分の仕事を完遂した私は(これ以上出来ることが無かった、とも言う)、その時窓際の席で大人しくしていた。私はおっかなびっくりこちらにやってくる彼女のに向かって、心からの言葉を送った。

「遅く起きたにごきげんよう」


 彼女は入口の近くからキッチンのサキちゃんに向かって一度、私に向かって来て一度、深々と頭を下げ、それが済むと私の対面の席にゆっくり座って、再び礼をした。それからこう言った。

「本当にすまないと思っている」

 ケイのその言葉が、頭の中でジャック・バウアーの吹き替えの声と重なる。

 ピッタリのセリフだった。いつもいつも先に事を起こしてしまい、取り返しのつかない事態になってからようやく謝罪する――ケイの寝坊癖と、海外ドラマ『24』のジャック・バウアーの境遇は良く似ていた。

 というより、寝坊常習犯の心情にピッタリなのだろう。


 ともあれ、三人が揃った。私がそう思っていると、今までどこにいたのか全く不明だった黒猫のレヴナントが、足元で鳴き声を上げた。ケイが抱き上げると、珍しく大人しくされるがままに、喉を鳴らして居心地の良さを主張した。


 間もなく料理が出来上がった。レヴにはちょっと缶詰のウェットフードが振る舞われた。

 ケイがペスカトーレをもちゃもちゃやりながら「美味い」と呟いた。

「やるねェ。お宅が作ったのかい?」

 彼女は戸愚呂(弟)みたいな口調でそう言って、サキちゃんにジト目を向ける。サキちゃんがドヤ顔でサムズ・アップした。

「ツムギにも手伝ってもらったよ!」

 サキちゃんがそう言うと、今まさにフォークを口元に持っていこうとしたケイの手が止まった。ケイのジト目が私を捉えた。多分こう言いたいのだろう。食べても――

「食べてもデバフ、かかんないよね?」

――本当にその通りの台詞だった。私は笑顔で反論した。

「ご安心ください。私はそのパスタ、茹で時間を計っただけなので」

「ああ、良かった」とケイがわざとらしく言った。

「――なんて、そんなには悪く言わないよ。前、ガッコで貰った弁当、見かけはアレだったけどそこそこ美味しかったし」

 ケイがニヤつくと、サキちゃんが割って入った。

「ほう、ツムギの料理を食べたことがある?」

「大分前にね」

「どんなだった?」とサキちゃんは机に身を乗り出した。めっちゃ興味あるじゃんこの人。

 ケイがフレンチフライを食べながら、「一回だけさ――あれ7月くらいだっけか?」と言った。

「ツムギが自分で料理したって言って、ドヤ顔で弁当見せてきたんだよね。そん時かな。

 チラチラこっち見ながらさ、わたしの菓子パンの半分とおかず、交換しようってずっと言ってくるんだよ。

 すごいぐいぐい来るじゃん、って思ったけど、圧に負けて焼きそばパンの三分の一と交換したんだ。

 何だっけかな? 卵焼きとポテトサラダと、ハムとチーズ合わせたヤツだっけかな――どれも微妙にさ、色の様子がおかしいんだよね。でも味は良かった」

 普通に恥ずかしかった。っていうか――

「――私、そんな浮ついてた?」

「そりゃあ」とケイは即答する。サキちゃんがわざとらしく「きゃー」なんて言って騒ぎ立てた。

「それはねー、友達に食べてみて欲しかったんだよ、奥さん! 初めて作った料理をさ、かわいいわねえ」

「ねー」と、ケイが平たい声で同調して、二人は顔を合わせた。


 私は無言で立ち上がった。それからカウンター裏まで歩いていって、有線放送の機材を勝手に弄った。店内にBGMが流れ出す。

 いくつかチャンネルを回すと、ちょうどレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの『ゲリラ・ラジオ』が頭から流れていた。うるさければ何でも良かったのでそれにした。ダメ押しにボリュームを上げて、よりうるさくした。

 席に戻った私はうなだれて、両耳を両手で覆って目を強くつぶった。


 塞いだ耳越しに、謝る声と笑う声が半々で聞こえてきた。

 しかし私の耳にはもはやその言葉の意味する事が、辛うじて伝わるか伝わらないか程度にしか届かなかった。

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