これから

《ここまでの話》

黒猫レヴナントは無事見つかった。サキも無事、「灰色の世界」から帰ってくる。

あの長かった2週間は終わり、その後に迎えた冬休みも半分が過ぎようとしていた。


主な登場人物

・ツムギ(私) 

Y市の高校一年生。新作ゲームにうつつを抜かし、年末の中間テストで散々な結果を残した。

・ケイ(長良 景子)

Y市の高校一年生。「私」のクラスメイト。くせ毛気味の黒髪ショートヘア。ちっこい。いつもやる気の無いジト目と平坦な声をしていて、何を考えているのか分かりづらい。“誤ったつながり”が見え、ミセス・ウィークエンドの下でアルバイトをしている。最近クビになった。

・サキ

Y市の高校一年生。「私」たちのひとつ隣のクラス。良く下校時に二人に置いていかれる。長い金髪をポニーテールにしている。スラッとしていて、朗らかな笑顔と目の持ち主でクラスの人気者。喫茶店Paradisoの店主の娘で、忙しい時は店の手伝いをする。喫茶店で黒猫レヴナントを飼っている。最近まで生霊に取り憑かれていたが、無事、霊能力者「ミセス・ウィークエンド」の手で除霊された。

・ナナミ

ツムギの幼馴染。1年前にYC駅前ビルの火災事故に巻き込まれ、既に故人。読書が好きだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 時間はかかったが、私は何とか平常心を取り戻した。私はさっきまで、サキちゃんいわく、「耳まで真っ赤っ赤!」というゆでダコ状態だったらしい。

 その調理済みの海産物を、時間をかけて丁寧に元の状態に戻したのは、ケイとサキちゃんだった。

 彼女たちは様々な気の利いた言い回しを使い、あらゆる前向きな言葉を羅列して私が抱える恥じらいを全力で薄めにかかった。

 それは複雑なニュアンス表現というコースを辿り、繊細かつ慎重な言葉選びというカーブを経て、最後には単なる全肯定というゴール前のストレートでもって達成させられた。

「頑張れ!」

「やれば出来る子!」

「気配り大明神!」

 といった、およそ恥ずかしさに打ちひしがれている人間にかけられる言葉とは程遠いワードを浴びせられ続ける。

 その度に私は、新しい恥ずかしさを感じた。

――結局初めにあった羞恥心は、それによって押し流される形で消え去ったのだった。

 半ば無理やりゴキゲンにされた私がどこへ向かったのかは想像に難くない。私はここにいる誰よりも笑い、誰よりも食べる、精神的な酔っぱらいと化していた。


 サキちゃんの料理はどれも美味しかった。ペスカトーレ、ミックス・ピザ、ミニサンドイッチ、生ハムとチーズのサラダ、具だくさんのチキン・スープ――デザートのケーキすら前日に準備していた手作りの一品だった。

 食事が終わると、「お世話になりました!」とサキちゃんが声高に宣言した。

「二人があたしの為にしてくれた事は、最も大切な思い出としてあたしの胸の内に残るでしょう! 喜んで心のアルバムの先頭に飾らせて頂くと共に、一生涯の最大の教訓として、この幸せを胸に刻み続けましょう!」

 このかしこまった、どこか作り物じみた言い方には、最大限の譲歩があったように思う。彼女の精一杯の返礼の気持ちと、心の底から湧き上がる言いたい事のいくつかと、私たちへの気遣い――それらが渾然一体となって生まれた、ある種のおべっか。

 正にこの場において一番ふさわしい、適切な一言だった。私たち三人の関係性や、この12月に私たちに起こったハプニングの数々を振り返ると、このような冗談めかしたこそが、最もしかるべき着地点を示すのだ。

 笑い飛ばしてしまおう。それが答えだった。そして私もケイも、全く同意見だった。


 片付けが始まると、今度は私たちが働く番だった。皿洗いやゴミの片付け――それらは私とケイで行った。

 サキちゃんはキッチンに入った私たちの周りを、一定の周回軌道に沿ってウロウロしていた。そわそわするサキちゃんを見ていると、ちょっとかわいそうかとも思った。しかしこれは最低限のマナーなのだ。受け入れてもらうしかない。

 私がそのような旨の事を伝えると、サキちゃんは目を点にした。私は『食器の置き場所を聞かれたら答えるbot』の役割だけを彼女に与え、それ以外は大人しくしてもらった。


 ケイが私の隣でミックス・ピザの乗っていた大きな皿を洗いながら言った。

「ツムギ、結局何を手伝ったのさ?」

「えーと」

 私はパスタの入っていた皿から水気を拭き取っている所だった。食器洗いのラックにそれを注意深く収納しながら言った。

「野菜洗ったのと、野菜の皮剥いたのと、パスタの茹でた時間をサキちゃんに伝えたのと――」

 私が何か言葉を発するにつれて、ケイのジト目に力が籠もっていくのを感じた。それを見かねたのか、サキちゃんがカウンター越しに「現場管理のお仕事だよ」と口を開いた。

「衛生管理業務と、野菜を料理へ使うにあたっての有効化業務と、調理進行時間の管理業務! どれも重要なお仕事でしょ?」

……私は世の中に不必要な役職が増えていく理由が良く分かった。 


 後片付けが終わると、それからは雑多な遊びに時間を費やした。

 家から持ってきたSwitchでのスマブラ対戦(ケイが勝ち続けた)、ボードゲームのカタン(1時間半費やした末、ケイが勝った)。

 アプリ『雀魂』での三人麻雀(概ねケイが勝った)。

 カードゲームの『ito』(協力ルールで。これ以上ケイに勝たれるとムカつく、という私とサキちゃんの意見の一致から)。

――そうこうしている内に、あっという間に夜が来た。


 Y市では毎年、大晦日にカウントダウンイベントを開催している。場所はYC駅からほど近い、軍港。

 新年を迎えるとは花火が上がり、電飾で飾り立てられた、きらびやかな軍艦による“除夜の汽笛”が鳴る。恒例行事だ。私は行ったことがないけど。

 夕食である年越しそばをすすりながら私がそう言うと、ケイが「同じく」と乗っかってくる。

「地元の目玉スポットとか、イベントとかってさ。意外とジモト民は行かないもんだよね」

「確かに!」とサキちゃんがそばを箸で持ち上げながら深く頷いた。

「◯#! ☓$()△、*@~%□! だよね!」

 全然何言ってるのか分からなかった。をもちゃもちゃやってたせいだった。


 午後11時半、私たちはParadisoの入っている雑居ビルの屋上に移動した。新年をここで迎えようと、サキちゃんが提案したのだ。YC街で上がる花火は見えないだろうけど、きっと汽笛は聞こえるだろう、と。


 屋上はものすごく寒かった。風が強くなかったのは、せめてもの救いだった。

 ケイは私とは対角線の位置に陣取って、スマホとにらめっこしている。ひいきの動画配信者の配信を見ているらしい。

 私がその名前を聞くと、全く聞いたことのない名前が返ってきたので、それ以上の詮索は止めることにした。


 サキちゃんは遅れて屋上にやってきた。紙コップに砂糖たっぷりのカフェラテを作って持ってきてくれた。

「大丈夫! これ作ったのお父さんだから!」と、サキちゃんはそう言って私たちにそれを配った。

「だからお店の味と、スンブン変わりありません!」


 私はそれを飲みながら、眼下に広がる商店街のアーケードをぼんやり眺めた。コーヒーを啜る度、身体が芯まで温まるのを感じた。

 深夜だと言うのに人通りがそこそこあった。若い夫婦や私たちと同じ高校生らしき集団、家族連れ――まだ営業を続けていたチェーン店のドラッグストアの入口に、トラックが停まっている。

 運転手らしきお兄さんが、段ボール箱をいくつかトラックから降ろして店内に搬入している。レジカウンターにいた中年の女性が、何か言いながら彼と一緒に笑っていた。

 私は「大晦日にお疲れ様です」という、少し無責任な労いの言葉を心に浮かべて、カフェオレを啜った。

 

 に気がついたのは、それから少し経ってからだった。

 私は道路の真ん中あたり、ちょうど仲通り商店街の入口にあたる路地に、見知った顔がある事に気がついた。ミセス・ウィークエンドだった。


 彼女は例の、『ダークソウル』に出てくる、ソラールさんの太陽紋章が大きく描かれたあのセーターを着ていた。街頭に照らされてぼんやり浮かぶその色合いは、相変わらずサイケデリックなものだった。

 ミセス・ウィークエンドはその場でしばらく立ち止まっている。何やら辺りをしきりに窺っていた。誰かを待っているようだった。

 数分後にその待ち人が現れた。その女性には見覚えがあった。

 ニトリの店長さんだった。長いブロンドの巻き毛のお姉さん。ミセス・ウィークエンドのゲーム友達で、スタイル抜群の「ザ・働く女性」みたいなカッコよさの。


 二人は手話で二言三言会話をすると、すぐに仲通り商店街の奥へと消えていった。連れ添って歩く二人を見ていると、私の内側に妙な満足感が湧き出てきた。

「ありがとうございます。それから、さようなら」

 私は心の中でそう呟き、二人に祝福を送った。後ろにいるサキちゃん達には、何も言わなかった。


 午後11時40分。不思議なそわそわが全身を覆った。年末という特別感が生む魔力。


 午後11時45分。ケイはいつの間にか配信視聴を止めていた。代わりに夜空を見上げていた。私は急に思いついて声を上げた。

「そうだ。、ここで歌ってもらいましょう」

 誰に言うでもないような調子で、その提案は現実の空気を震わせた。どうやら二人にも伝わったらしく、サキちゃんの肩が驚いた猫のように上に飛び出した。ケイが「ナニソレ」とぼやいた。

「歌?」

「そ」と私は言った。

「さっきサキちゃんにお願いしたんだ。助けてあげたお礼は、一曲弾き語り、って」

 サキちゃんは割と大人しく「オッケイ」とだけ言い残して、ギクシャクした動きで階段を降りていった。


 数分後にアコースティック・ギターを持った彼女が帰ってきた。ケース付きで。

 サキちゃんは小さなお辞儀をひとつして、屋上に置いてあった小さなに座って、ギターをかき鳴らした。手元を見ると、私がプレゼントしたピックを握っている。


 いくつかのコード、あるいは一本ずつ弦を鳴らすサキちゃん。

 何か歯車が噛み合ったのか、打って変わって彼女は私たちに勝ち気な笑みを浮かべた。曲はすぐに始まった。


 ミスター・チルドレンの『ヒカリノアトリエ』だった。数年前の朝ドラのやつ。

……ぶっちゃけ、だった。ギターは心地良く響き続けた。歌声の音程やその表情がイマイチだった。

 これは相手が悪い、と思った。ミスチルの桜井が歌う、しかもかなり歌うのが難しい部類の曲――けど、と私は思った。

 優しい音色だった。柔らかいギターの音と、本人をそっくりそのまま体現したような歌声。この世界のどこにも存在しない、ここでだけ聴ける音――

 気がつけば、私は小さく身体を揺らしながら、囁き声でサキちゃんの歌声に合わせて歌っていた。


「いやあ、小っ恥ずかしいねコレ!」と、歌い終えたサキちゃんが顔を真赤にしながら言った。ケイが盛大な拍手を送り、私もそれに続いた。

 拍手が止むと、ケイがいつものダウナー口調でこう言った。

「お見事。こんな、カウントダウンイベントで歌ってもらった方が良かったんじゃね?」

 サキちゃんはケースにギターをしまいながら、思い切り両手をあらゆる方向に振り回して言った。

「冗談! ここでなきゃムリ!」

 私は思い切り笑った。


 スマホで時間を確認すると、11時54分だった。

「もう年が明けるよ」と私は二人に告げた。ケイがしみじみと言った。

「色んな事、あった一年だった」

 それを聞いたサキちゃんが大げさに頷いた。

「来年はどんな年になるんだろね!」

 私が「良い事ありますように」と言うと、ケイが「テスト期間と待望の新作ゲーム発売が被らない、とか?」とニヤけた。


 11時56分。サキちゃんがすのこ椅子に座りながら、レヴナントを抱き上げた。いつの間にか着いてきていたらしい。


 11時57分。私はミセス・ウィークエンドがいた場所を見下ろした。

 何かが変わる予感がした。何も変わらないものもある、という予感もした。私はその両方を合わせて、雲ひとつない冬の夜空に、深い深呼吸と一緒に吐き出した。


 11時58分。サキちゃんがおみくじの代わりにレヴナントに占ってもらう事を思いついた。

 私は座ったサキちゃんに近づいて、床にスマホを置いて中腰になる。

 それから「ぷらーんと」いう擬音がお似合いの状態で掲げられたレヴナントの目を覗き込んだ。

 ケイもフラフラとした足取りで寄ってくる。サキちゃんはにっこり笑って、私に「質問」を促す。


 レヴさんは何でも知っている。先を見通す力すらある。「ニャッ」が肯定で、「ニャァー」が否定。いつも同じ。決まったやり取り。

――レヴさんはいつだって正しいのだ。


 11時59分。私は訊ねた。

「レヴさん、レヴさん、明日は新年です。来年は素晴らしい年になりますか?」


 猫の回答と共に、汽笛の音が遠くから聞こえた。同時に、かすかな花火の炸裂音がその背後で鳴る。


 私たち三人は笑った。サキちゃんは高らかに。ケイはくつくつとニヤけるように。

 私は――私はどんなだろうか。


 三者三様の笑い声が、澄んだ12月の夜空に吸い込まれていく。

 その笑いは、新年を迎えた高揚感からでは無かった。もっと単純な事だった。


 あまりに分かりきったレヴさんの返事。

 それがとりわけ愉快に聞こえた。

 ただそれだけの事で、おおよそじゃなかった。



 END





参考資料

・Pat Metheny「From This Place」,2020年

・くるり「There is (always light)」,2014年

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灰色の街より kusyami @kusyami0

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