灰色の街より

《ここまでの話》

黒猫レヴナントは無事見つかった。サキも無事、「灰色の世界」から帰ってくる。

あの長かった2週間は終わり、その後に迎えた冬休みも半分が過ぎようとしていた。


主な登場人物

・ツムギ(私) 

Y市の高校一年生。新作ゲームにうつつを抜かし、年末の中間テストで散々な結果を残した。

・ケイ(長良 景子)

Y市の高校一年生。「私」のクラスメイト。くせ毛気味の黒髪ショートヘア。ちっこい。いつもやる気の無いジト目と平坦な声をしていて、何を考えているのか分かりづらい。“誤ったつながり”が見え、ミセス・ウィークエンドの下でアルバイトをしている。最近クビになった。

・サキ

Y市の高校一年生。「私」たちのひとつ隣のクラス。良く下校時に二人に置いていかれる。長い金髪をポニーテールにしている。スラッとしていて、朗らかな笑顔と目の持ち主でクラスの人気者。喫茶店Paradisoの店主の娘で、忙しい時は店の手伝いをする。喫茶店で黒猫レヴナントを飼っている。最近まで生霊に取り憑かれていたが、無事、霊能力者「ミセス・ウィークエンド」の手で除霊された。

・ナナミ

ツムギの幼馴染。1年前にYC駅前ビルの火災事故に巻き込まれ、既に故人。読書が好きだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「いやあ、申し訳ない。何だか懐かしい気分になっちゃって」

 ナナミのお父さんは、スーツのネクタイを緩めながら笑った。

「そういえば、ツムギちゃんは小さい頃からそんな感じだったね。

 そうそう、正にこんなだった!

 普段は大人しいのに、気持ちが高ぶると、こっちが予想だにしないリアクションを取るんだ――いや、本当に懐かしい。最後に君に会ったのは、いつだったっけ?」

「一年前です」と私は頬を指でかきながら言った。

「去年の10月の、えっと……葬式の時以来です」

 私が言い淀むと、ナナミのお父さんの表情が一転し、私からお墓に視線を移した。悲しそうに細めた目と固く結んだ唇が、彼が喪失した物の大きさを物語った。


 いたたまれなくなった私は、遠慮がちに場の空気を変えにかかった。

「お元気でしたか?」

 私がそう話しかけると、彼ははっとした様子でこちらを振り向き、「そうだね」と言った。まるで、たった今私の存在に気が付いたような素振りだった。

「元気にやってたよ、って言ったらちょっと嘘になるね。でも何とかやってこれたよ」

「どこにいたんですか?」

「実家の方に帰ってたんだ。青森県だよ」と、ナナミのお父さんは他人事を話すみたいに笑った。

「妻と死別して、娘とも――どうもここでは色々な事がありすぎた」

 どうやら噂は本当だったらしい。彼の話は続いた。

「僕にはどうしても時間が必要だったんだよ。分かるかな? 極力何も考えないで、気持ちをリセットして次に何をするべきか考える――その為の時間がね。

 準備期間さ。でもそれをここで過ごすのは、ちょっと僕には耐えられそうになかったんだ」

「そこでも歯医者さんを?」

「いいや。全然違う仕事さ」と、彼はその質問に優しい声音で答えた。

「向こうで兄がやっている事業の手伝いをさせて貰っていたんだ。人手不足だったし、幸い僕にでも出来そうな仕事があったんだ」

「どんな仕事なんですか?」

「何でもやったよ。お得意さんの御用聞きやら、勤怠管理やら、取引先の斡旋やら開拓やら――とにかくその他色々さ。フォークリフトだって動かしていた。免許も取らされたよ。人間その気になれば何にでもなれるものなんだね」

「何だか凄いですね、それ」と私は言った。

「今思えば、何でも良かったんだ。君だから言うけど、とにかくあの日から数カ月間の僕はひどい有様だったんだ。はっきり言って現実離れしていた。色々ややこしい病名なんかも付けられたし、いつこの世から消え失せてもおかしくなかった。

 こうしてまともに誰かと喋れるのだって、本当は結構な事なんだ」


「えっと、なんか、その、すみません」

 私はつい謝ってしまった。ナナミのお父さんは「いやいや! 君が謝る事じゃないよ」と助け舟を出した。

「僕もちょっと配慮が足りなかったかな。気にしなくて良いんだ。それにもう全部過去の事だよ」

「もう大丈夫なんですか?」

「見ての通りさ」と彼は腰に手をあてて思い切り笑ってみせた。

「ここに来たのも、まあ一つのケジメみたいなものさ」

「ケジメ?」

「そう。妻と娘に、自分はもう大丈夫だって言いに来たんだよ。

 これも君だから言うけど――」

 彼は躊躇いがちに言った。


「実は勇気が無くてナナミの納骨以来、墓参りも今日まで一度も来てなかったんだ。もう一度墓前に立ったら、今度こそ娘の死を認めなくちゃいけなくなる。その時きっと僕は耐えられないだろう。そう感じて逃げてきたんだ。

 ひどい父親だろう? 勝手な思い込みさ。でもあの時の僕にはそれが全てだったんだ。そういうのって、分かるかな?」

 私は何と言っていいか少し迷ったが、「分かります」と答えた。

「私も同じでしたから」

 私の少ない言葉に、彼は強く頷いた。彼は灰色の空を見上げながら続けた。

「正直に言って、ここに戻ってくるかずっと迷ってたんだ。墓参りに、という訳じゃないよ。またここに住もうかな、ってね」

「本当ですか?」

 私がそう聞くと、ナナミのお父さんは頷いた。

「なんて言っても、ここY市は妻と娘の故郷だからね。僕にはこの地で二人が静かに眠り続けているのを見届ける義務があるんだ。あ、これは君に分からなくても無理がないよ。これも勝手な思い込みなんだから――とにかく、またここで前と同じように歯医者でもやってみるよ。近い将来きっとね」

 私は「応援します」と言った。ななみのお父さんは照れ隠しなのか、頭をぽりぽりやって「ありがとう」と言った。


「はっきり言ってこの事を決心した時が一番堪えたよ。決めたのはついこないだなんだ。12月の頭くらいかな?

 半年近く僕の中で眠ってくれていた色々な病名達とも、おかげで悪戦苦闘する事になった。

 けどようやく決着がついた。住む場所も開業先も急いで手配したし、必要な手続きも勢いに任せて取りかかったよ。もうどうにでもなれ、ってね。春先には開業できるかなあ」

 彼は何やら、うきうきしていた。私は笑った。

「――うちのお父さんも言ってましたよ」

「なんて?」

「ナナミのお父さんがもし帰ってきたら、その時は今度こそYC街のあのバーに連れてってやる、って。それって何の事か分かります?」

 私の言葉を聞いたナナミのお父さんは、しばらく考え込んだ。宙に文章を浮かべて、ひとつひとつの単語をじっくり眺めているような様子だった。

 まるで彼だけが時間の流れから切り離され、止まっているように見えた。やがて彼の頭の中で何かが起こった。次の瞬間、彼の目から少量の涙が流れた。

 彼は私に断りを入れて背中を向け、また空を眺めだした。

 彼らにしか分からない、古い約束――

 きっと私の知らない物語が彼と私の父との間にあって、ナナミのお父さんはそれに打ちのめされているのだろう。

 私がしばらくそれを眺めていると、「分かるよ」という言葉が、震える背中から聞こえてきた。辛うじて現実の世界を震わせる、ひどく弱々しい一声。嗚咽にも似た言葉。気がつくと、ナナミのお父さんは泣いていた。


 嗚咽。すすり泣き――どこかで聞いた覚えがあった。私は少し考えて、思い至った。

 喫茶Paradisoから黒猫レヴナントが脱走し、ミセス・ウィークエンドの見せかけの占いに導かれて奔走したあの日々――その最後の指示が終わった日に見た夢、そこで聞いたすすり泣き。それにそっくりだった。


 サキちゃんに“誤ってつながった”霊は生霊だったと、そうミセス・ウィークエンドは言った。愛する者を突然失った、その悲しみに打ちひしがれる人間の生み出したもの――私はその正体がようやく分かった。

 同時にそれを否定したい気分に駆られた。私は彼の背中をじっと見つめた。胸の奥から形容しがたい複雑な感情がにじみ出るのを感じる。怒り、悲しみ、憎しみ、同情――あるいは全く別の何かだった。

 今にも誰かに飛びかかりそうになるそれを、私はすぐに落ち着かせようとした。


【“つながり”を紡ぐ才能があるんだってさ】

 頭の中でケイが言った。

……どうしてこのタイミングで、あの時の言葉が繰り返されたのだろう。未だにその意味も良く分かっていないのに。

――けれどそれを境に、私の心の内は元通りになった。


「取り乱しちゃって悪かったね」と、ナナミのお父さんが振り返って口を開いた。私が彼を心配――心の底からそうする事が出来た――すると、「もう大丈夫だよ」と彼は言った。私は訊ねた。

「ここに戻って来る事を決めたのはいつの事ですか?」

「はっきり覚えているよ」と、彼は言った。

「一大決心だったからね。今月の16日、日曜日に決めたんだ。正確にはその前日の15日の夜だけどね。行動に移したのは翌日さ」

「あんまりこういう事聞いていいのか分かりませんけど――その決断するのって怖くなかったんですか?」

「怖かったよ。震え上がるほど怖かった。どうすべきか12月に入ってからずっと考えていたんだ。

 その結論を下すのは簡単な事じゃなかった。さっきも言ったけど、また経営手法か何かみたいな病名も再発したよ。ここでは言えないような酷い言葉や自分勝手な妄想にも苛まれた。けど決め手があったんだ」

「決め手?」

 彼はゆっくり頷き、「こればっかりは恥ずかしくて、本当に君くらいにしか言えないから内緒にしていて欲しいんだけど」と前置きを入れた。

「夢の中に猫が現れたんだ。12月の頭から決断の前日に至るまでの毎晩、気がつくと夢の中で彼がちょこんと座っているんだ。

 黒猫だったよ。彼は自分をレヴナントと名乗った。ん? 彼がそう喋ったんじゃなかったかな? まあいいや。とにかく、いつの間にか僕は彼の名前を知っていた。

 猫にしては何だかすごい名前だと思わない?

 初日に出会った時、起きてすぐにその意味を調べたよ。西洋の妖怪みたいなもので、幽鬼とか死から蘇った者とか、物騒な単語が目に飛び込んできた。その内に、長い不在から戻る者という意味がある事を知った。

 それから僕は彼に興味を持った。これは明らかに啓示だと思ったんだ。何かが起こり、何かが変わろうとしている符号、そんな気がしたんだ。


 けど次第に、そんな事はどうでも良くなっていった。彼との時間は癒やしそのものだったんだ。平たく言うと、めっちゃ可愛くて夢中になってしまった。色々な反応を見たくなった。ちょっと無碍むげに扱ってみたり、思い切りかまってみたり――様々な反応が返ってきて、もうたまらなかった。

 ちょっと恥ずかしいっていうのは、そういう意味なんだ。

 で、猫に癒やされまくった僕は15日の夜、この決断を下すだけの元気を分けてもらった。


 僕は彼に救われた。あの黒猫はその日以来、すっかり夢に現れなくなった。不思議なもので、僕はもう彼と何をして遊んでいたかすら、そんなに思い出せないんだ」


……どうやらレヴナントは自分のやり方で決着をつけようとしたらしい。猫であるという事を最大限生かした、必殺の手法。

 その魔の手から逃れるのは容易いことではない。そして彼はやってのけた。もしかしたらミセス・ウィークエンドの儀式も必要無かったのかもしれない。


 程なくして私はナナミのお父さんと別れた。

「最後にお願いがあるんだ」と、別れ際に彼は言った。

「本当に変なお願いなんだけど、聞いてくれるかな?」

 私が頷くと、ナナミのお父さんはこう続けた。

「これからもナナミの友達でいて欲しいんだ――いや違うな、何か不穏な言い方だな。何だか不気味に聞こえるぞ、これじゃあ。そうだなあ――」

「言われなくても、ずっとそうですよ」と、私は笑った。

「ナナミの事は忘れません。おばあさんになって記憶が曖昧になった時は、ちょっと保証出来ませんけど」

 私がそう伝えると、彼は嬉しそうな顔をして「やっぱりここに来て良かった」と言った。

「少し見ないうちに、この街もずいぶんになった。今の僕には眩しいくらいだ」


 それから私たちは別れの挨拶を交わして、私はその場から立ち去った。

 遠くから振り返ると、彼はまだそこに立っていた。彼は優しい微笑みを浮かべて、自分の家族が眠るお墓をただじっと見つめていた。


 灰色の街――私の頭にそんな単語が浮かんだ。彼にとってはこのY市こそが、灰色の世界だったのだ。そしてそれは終わりを迎えた。全ては公平なのだ、と私は思った。


 私は自分の視界にナナミとナナミのお母さんと、ナナミのお父さんが入っている事に、奇妙な喜びを感じた。「ありがとう」と、私は誰に言うでもなく小さく呟いた。


 帰ったらこの事をお父さんとお母さんにも伝えよう、と思った。そうしたら今度は、お父さんが泣いてしまうのかな?

 私は胸の内に生まれた子供じみた悪戯心を温めながら、お泊まり会の支度をしに自宅へと戻っていった。

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