灰色の世界②

《ここまでの話》

喫茶Paradisoから姿を消した黒猫レヴナントを探していると、今度は飼い主のサキがいなくなった。

黒人の、声帯が無い、ろう者の霊能力者のおばあさん「ミセス・ウィークエンド」は、サキは生霊に憑かれていて、「向こうの世界」に連れて行かれたという。

“つながり”で出来たこの世界の裏側には、もうひとつの世界がある。

“つながり”を失ったものがたどり着く世界。

ツムギはケイと共にサキを追って、その世界を目指す。


主な登場人物

・ツムギ(私) 

Y市の高校一年生。新作ゲームにうつつを抜かし、年末の中間テストで散々な結果を残した。

・ケイ(長良 景子)

Y市の高校一年生。「私」のクラスメイト。くせ毛気味の黒髪ショートヘア。ちっこい。いつもやる気の無いジト目と平坦な声をしていて、何を考えているのか分かりづらい。“誤ったつながり”が見え、ミセス・ウィークエンドの下でアルバイトをしている。

・サキ

Y市の高校一年生。「私」たちのひとつ隣のクラス。良く下校時に二人に置いていかれる。長い金髪をポニーテールにしている。スラッとしていて、朗らかな笑顔と目の持ち主でクラスの人気者。喫茶店Paradisoの店主の娘で、忙しい時は店の手伝いをする。喫茶店で黒猫レヴナントを飼っている。絶賛、行方不明中。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 私は歩道橋上の広場にいた。背後を振り返ると、ついさっきまで私がいたはずの電話ボックスが無い。それはここのちょうど真下、歩道橋と歩道を繋ぐ為にハの字にかけられた二つの階段の下にある。

理由は分からないが、どうやら「あちらの世界」に移動した際に位置がずれたようだった。


 私が立っている所が、私の知っている世界と違うであろう事は明らかだった。私はその場に留まってゆっくりと辺りを観察した。

 私たちが時間を潰していた駅前のこの歩道橋広場――ほんの10分前まで私がいた場所。その奥にある改札口と大きな駅施設。地上には大きな車道が横たわっていて、Yの字に三方向に伸びている。歩道はアーケードの軒が続いている。そのうちのひとつにバーガーキングのロゴが見えた。

 どれも馴染み深い光景だった。幾度となく通った町並み。ついさっきまで見ていた風景。


 それは間違いなく、私のよく知っているYC駅前の景観だった。

――私の目に映った景色の一切から、色彩が抜け落ちているという一点を覗いて。


 どこを見ても同じだった。目の前の広場も、足元の道路も、駅も、バーガーキングのロゴも――その何もかもが白と黒のコントラストで表現されていた。頭上を見上げると、白一色に塗りたくられた空が広がっていた。

 まるで昔のゲームのようだ、と私は思った。マシンスペックの関係でどうしても色が付けられなかった時代の、ドット絵で作られたゲームの世界――そんな無機質で簡素な光景。


 私自身は色を保ったままだった。その事実がなおの事、不自然さを際立たせる。

 この世界に存在するものと私とを決定的に隔てる差異だった。それをまざまざと見せつけられているようで、落ち着かなかった。

 この世界においては、色を持って動く自分の方が異物なのだろう――そのような考えが私の胸に鋭く刺さり、焦燥感を煽った。


 周囲は恐ろしく静かだった。街の喧騒も車の走る音も、風の音でさえも聞こえなかった。

 下の広場にいたはずのストリート・ミュージシャンの歌声やギターの音も、当然のように存在しなかった。

 完全な無音。自分の立てる衣擦れの音や、靴が地面と擦れる音といった僅かな物音が不異様なほどに響いた。そして私は、この世界に動くものがどうやら私しかいないという事に気がついた。


 誰一人、存在しない世界。それにも関わらず、この世界は私たちの存在を仄めかしている。建造物という人間の営みの成果だけが、私を見下ろすようにそびえ立っていた。


 灰色の世界――それは境界の曖昧な世界でもあった。モノとモノの間にある線が、上手く認識出来なかった。どこからどこまでがその物体に帰属するラインなのか、その判断が付かない。

 それは私たちの生きる世界に対して、誰かが導き出したひとつの回答のようにも見えた。誰かの目に映る、私たちとは異なる解釈で見た世界。

 その人には世界がこう見えている――そのような異質な思想が、形を持って提示されているようだった。

 そんな事を考えていると、私は次第に胸騒ぎがしてきた。自分がひどく場違いな存在だという不安が少しずつ強くなる。

 間違っている、と私は実感した。ケイが言っていたことは本当だった。私はここにいるべきではなかった。

 それと同時に、奇妙な居心地の良さを感じている自分がいることにも気がついた。不思議な感覚だった。こんな気持になったのは初めてだった。

 それがどんな意味を持つのかは分からなかったし、ひとつずつ紐解いてみる気にもならなかった。

 私はこの相反するふたつの感覚を抱きながら、ケイの到着を心待ちにした。


 間もなくケイが音も無く現れた。

 目の前の何も無い空間に突然人が現れるさまに、私はびっくりしてしまう。

 しかしすぐに安堵がやってきて、私は息継ぎにも似た感覚で彼女の名前を呼ぼうとする。するとケイは人差し指を口元で立てて、沈黙を促した。


 私が疑問に思っていると、ケイがスマホを取り出して操作を始める。少しして、私のスマホが震えた。ケイが立てた人差し指を私のポケットに向ける。スマホを取り出すと、ケイからLINEが来ていた。


【言い忘れてた。ここでは無闇に声を上げないで。そんなに大きな声じゃなければ大丈夫だと思うけど】


 私がスマホの画面に釘付けになっていると、彼女は続きの文面を送ってきた。


に気づかれる】


?】


 私はケイにLINEを送った。それからこうも送った。


【というか、この世界スマホの電波届くんだね】


【そうみたい。理由は知らんけど。で、あいつらっていうのは「向こうの世界」にいる「」の事】


【ナニソレ】と苦い顔をケイに示しながら伝えると、既に彼女は画面に向かって次の文面を打ち込んでいる最中だった。


【あいつらを正式に示す言葉は無い。名前が付いてないってこと。正体も良く分からない。だからわたしたちは単に「」とか「」って呼んでる】


【どんなやつ?】


【見た目も個体によってバラバラ。大体のヤツは、みたいな姿。

 敵意とか害とかがあったり無かったり、それもマチマチ。この前会ったヤツはお菓子くれた。流石に食べなかったけど。

 まあ滅多に出くわさないから大丈夫だと思う。でも用心するに越したことない」


【危険かもしれないヤツってこと?】


【そう。色んな仮説がある。“つながり”を失った事が認められない「元人間」とか、この世界で生まれた生き物とか】


 “つながり“を失う――それは私たちの世界で死を意味する。ということは――


【死んだことが認められない人の成れの果て?】


【っていう仮説もあるってだけ。詳しいことはわたしにも、ミセス・ウィークエンドにも分からない。けどそういう事になってる】


 そうLINEを送ったケイは私を見て肩をすぼめた。私はLINEでまた質問を投げかける。


【じゃあ害のある「何か」に見つかったら、どうなるの?】


 返信が来るまですこし時間がかかった。ケイは適切な言葉を探すように、スマホの画面を凝視していた。やがてLINEが届いた。


【一度だけ見たことある。この「向こうの世界」に迷い込んだ人がいてさ。その人を助けに行った事があるんだけど。

 その人は「何か」に襲われて、"つながり”を奪われたんだ。「何か」も本来は白黒の姿なんだけど、その時色がついたんだ。わたしたちの世界の存在みたいに。つまり、どうなるかって言うと……分かるよね?】


 私はメッセージを送らなかった。その人の末路を聞く気にもなれない。もう充分だった。


【やっぱこのビル、あるね】


 何かを察したケイが話題を替えた。振り返って私に背中を見せ、視線を上に向けている。私がスマホを手に持ちながら同じように顔を上げると、YC駅前ビルがあった。

 一年前の火災で消失したはずの、四階建ての商業施設。

 まだ無くなってから一年しか経っていないというのに、私は懐かしさで胸が一杯になった。


 ここには色々な思い出がある。

 中学生の頃、当時の友達たちと二階の服屋で買い物をしたこと。

 一階のゲームセンターで遊んだこと。

 三階の100均で夏休みの自由研究に使う虫かごを買ったこと――どれも昨日の事のように思い出せた。


 そのビルの入口は一階と二階にある。一階から入る場合はゲームセンターとパチンコ店に挟まれた狭い通路を通っていく。

 二階からは、この大きな歩道橋から直接入ることが出来る。その入口は目の前。当時と何も変わらない、今は無き古い道。


 ケイが目線で合図するのをきっかけに、私たちはビルに向かっていった。ここにサキちゃんがいる。駆け出したくなる衝動を抑えながら、私は入口の大きな扉を押した。


 ビルの内部にも色の無い風景が広がっていた。

 見知った景色なのに、色がついていない――何だか新鮮な気分だった。

 そう思って辺りを観察していると、突然、私はこの光景に強い既視感を覚えた。私はどこかでこの景色を見たことがある。どこで見たのだろう?

 少し考えたが思い出せなかった。さして重要な事では無かったので、私はその事を棚上げして、隣にいるケイにLINEを送った。


【どこへ行けば良い?】


【それはわたしには分からない】


【え、どうすんの?】


【それはツムギが知ってる事だよ】


 私が思わず左にいるケイに顔を向けると、彼女のジト目がこちらを見ていた。目が合うと少ししてからケイが小さく頷いた。少し間を開けて、ケイが自分のスマホの画面をこちらに見せてきた。画面には文字が打ってあった。


【“紡ぐ”んだよ。カンでいいからさ】


 私は思い切り首を左右に振った。


【やり方分からないよ】


だよ。決して諦めるな、自分の感覚を信じろ】


 それは古いゲームに出てくるセリフだった。決して諦めるな、自分の感覚を信じろ――『スターフォックス64』の仲間キャラであるペッピーが、操作キャラであるフォックスに送る激励の言葉。

 こんな状況でそんな言葉を投げかけられるとは……そんな事思ってもいなかった。

 私はどこか間の抜けた感じになった。

 弛緩した空気の中で、ケイがニヤリと口角を上げた。仕方がないので、私は言われた通りに直感を信じてみることにした。


 目を閉じて意識を集中する。

――私の直感は最上階を示した。


【四階。レストランとかあるところ】


 私がスマホでそう宣言すると、ケイが返事を送った。


【間違いない?】


【多分】と私は送った。すぐに不安にかられた私は、【きっと】【恐らく】【だといいな】と連続でLINEを送り続けた。それを見たケイは急に真面目ぶって【なら急ごう】と送ってくる。


【今ミセス・ウィークエンドからも連絡あった。もう儀式、いつでも始めれるって。サキ、見つけたらこっちから連絡くれってさ。早く見つけないと】


 そういう訳で私たちは駆動音ひとつ立てずに動き続ける、一人分の幅しか無い小さなエスカレーターに乗って二階に上がった。二階には100均がある。


……そこにはサキちゃんがいた。

 彼女は階下からやってくる私たちを見つけると、満面の笑みを浮かべて手を振った。


 私の直感は割と簡単に外れた。

……一階でのやり取り、何だったんだアレ。


 サキちゃんの元気そうな姿を見た私の頭の中には、ペッピーおじさんのありがたいお言葉が空虚にこだましていた。

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