ドロップキック、再び

《ここまでの話》

喫茶Paradisoから姿を消した黒猫レヴナントを探していると、今度は飼い主のサキがいなくなった。

黒人の、声帯が無い、ろう者の霊能力者のおばあさん「ミセス・ウィークエンド」は、サキは生霊に憑かれていて、「向こうの世界」に連れて行かれたという。

“つながり”で出来たこの世界の裏側には、もうひとつの世界がある。

“つながり”を失ったものがたどり着く世界。

ツムギはケイと共にサキを追って、その世界を目指す。


主な登場人物

・ツムギ(私) 

Y市の高校一年生。新作ゲームにうつつを抜かし、年末の中間テストで散々な結果を残した。

・ケイ(長良 景子)

Y市の高校一年生。「私」のクラスメイト。くせ毛気味の黒髪ショートヘア。ちっこい。いつもやる気の無いジト目と平坦な声をしていて、何を考えているのか分かりづらい。“誤ったつながり”が見え、ミセス・ウィークエンドの下でアルバイトをしている。

・サキ

Y市の高校一年生。「私」たちのひとつ隣のクラス。良く下校時に二人に置いていかれる。長い金髪をポニーテールにしている。スラッとしていて、朗らかな笑顔と目の持ち主でクラスの人気者。喫茶店Paradisoの店主の娘で、忙しい時は店の手伝いをする。喫茶店で黒猫レヴナントを飼っている。絶賛、行方不明中。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 私は笑顔でサキちゃんと対面した。ケイも心なしかほっとした表情を浮かべている。

サキちゃんは案外けろっとした様子で、エスカレーターから上がってくる私たちに気がつくと、大きく手を振った。白と黒で構成されたモノクロの背景の中で、色彩を持って動く彼女が眩しく映った。

近くに寄って彼女を見ると、怪我もなく無事である事が分かった。顔色も良さそうだった。ここ数日の容態を思うと、尚の事安心だった。


 再会を喜ぶのもつかの間、ケイがスマホの画面をサキちゃんに向けた。この灰色の世界での注意点が書いてあるのだろう。サキちゃんはそれを一読すると、口を固く結んで、口元で人差し指を立ててみせた。

 私が三人のグループLINEに【無事で良かった!】と送ると、彼女もスマホを取り出してグループLINEにメッセージを送った。


【迎えに来てくれてありがとう】


 私はこの三人のグループLINEに向けて、【早く帰ろう】と送った。ケイが返事の代わりに例の三国志のスタンプ(「ウム!」とモブが言っているヤツ)を返した。

 サキちゃんが【オッケー!】と送ってきたのを確認すると、ケイが私たちを寄り合わせてひそひそ声で言った。

「それじゃあ、サキにもコイン渡すから。ツムギがやるのとおんなじようにして】


 少しあっけなかったな、と思った。普通こういった試練には苦難が伴うものだ。

 日常の裏に潜む、未知なる世界の冒険。

 その幕切れを迎えるにしては起伏に乏しかった。単にこの世界を訪れて、ちょっとお散歩して、そうしたら順当に目標を達成してしまった。

 これではもはや、散策だった。おでかけして帰ってきただけ。


 まあでも、これで良いのだろう。長くここに留まること自体が危険な事なのだ。

 私がそう思っていると、帰還用のコインを手渡そうとしたケイの手が止まった。

 彼女はコインを手に持ったまま、長い間サキちゃんと私を交互に見やった。それから上着のポケットにコインをしまい、彼女はLINEを通してこう伝えた。


【ごめん、トイレ行ってくる】


……まじかよ。

【この状況で?】と、私がLINEでクレームを入れると、ケイがそれを無視して離れていこうとする。


……随分余裕なものだ。私がやれやれと肩を落とすと、サキちゃんは楽しそうに笑った。すると突然肩を叩かれた。振り返るとケイがいた。

 彼女は私を真っ直ぐに見つめていた。何か言いたそうな、あるいは何かを言い忘れたような、そんな目つきだった。私が屈んでから小声で、「はやく行ってきなよ」と言うと、彼女は私の後ろにいるサキちゃんを一瞬見やってから同じく小声で言った。

「スマホから目を離さないで。何かあったら大声で呼んで」

 それから彼女は、あまり足を持ち上げない幽霊のような足取りで、早足気味にふらふらとこのフロアにあるトイレに向かっていった。


 ケイの姿が見えなくなってすぐ、私は何となく居心地の悪さを感じた。原因は分からない。きっとこの世界の無機質さにやられたのだろう。何処を見ても白と黒――きっと一日中ここにいたら参っちゃうだろうな。

 そう考えると、今まで抑えてきた不安が全身に広がった。気が緩んでいるようだった。私は気晴らしにサキちゃんに小声で話しかけた。

「もう大丈夫? 具合悪かったりしない?」

 私の心配を他所に、サキちゃんは満面の笑みでグーサインを出した。

――何となく変だなと思った。

 彼女が声を出さないでいるのは分かる。さっきケイから伝えられた注意点が彼女をそうさせているのだ。

 声をあげると「何か」に見つかるかもしれない――きっと自分の声が大きい事を自覚して、不注意で声量を見誤る恐れから、いっそ一言も話すまいと決めたのだろう。


 私が違和感を覚えたのは、サキちゃんの表情だった。彼女は確かに、事あるごとにオーバーな仕草やリアクションを取る。だからこういった大げさな笑いも、彼女との会話の中ではしばしば登場する。

 でも目の間のこの笑顔からは、いつもの彼女の表情から伝わる物とは何か別の物が感じられた。

――正確に言うと、「何も感じ取れない」事に引っかかりを感じた。私は違和感の正体を推し量ろうとした。深く考えてみたが、答えらしい答えにはたどり着かなかった。

 不確かな収まりの悪さ。サキちゃんは何かを隠している。私のひどくアテにならない直感がそう告げていた。


 私が彼女にそれを伝えられずにいると、右手に持ったスマホが震えた。画面を見るとケイからだった。三人のグループLINEではなく私個人に宛てたものだった。

 タップして内容を確認すると、画像が貼ってあった。ガタイの良い黒人が目を見開いて、驚きの表情をこちらに向けていた。下に彼女からのメッセージが添えられていた。


【画像でボケて】


 あいつは何をやっているんだ。サキちゃんが見つかった嬉しさのあまり、浮かれすぎて頭がおかしくなってしまったのか。

 私がそう思っていると、次に【※真面目にやってください】と送られてきたので、私は天を仰いで助けを求めた。いつもの通り、誰も助けてはくれなかった。

 私がため息をついてサキちゃんを見ると、彼女は微笑を浮かべて首を傾げた――その姿に、私はまたしても違和感を覚える。不信感と言い換えても良かった。私は自分の直感に従って、しばらく彼女を見続けた。


 いつものサキちゃん……のように見えた。金髪のポニーテール、好印象しか与えることを許されなかった罪深い顔つき――服装は以前にも見たことがあるものだった。

 薄いピンクがかったチェスターコートと白いタートルネックのニット、それから水色のロングスカートと白いスニーカー――私は言いようのない悪寒に襲われた。ある予感が頭を過った。

 その可能性を否定したくて、私が慌ててサキちゃんの顔を見ると、彼女は呑気そうに私を見つめ返してきた。


 私は覚悟を決めて、ケイにLINEする事にした。半分ヤケになってもいた。私がスマホを覗き込むと、先程のびっくりする黒人の画像と目が合った。

 この画像にふさわしいボケを考えなくてはならなかった。そうしなくては先に進めなかった。何故そうするかは重要ではない。ただひたすらに、どうボケるかを考えなくてはならなかった。


 私はもはやこの世のものとは思えない、ありえない程面白い、抱腹絶倒間違いなしと思われる一言を画像に添えて送ってやった。

 恥ずかしさを紛らわすために、サキちゃんに苦笑いすると、彼女も同じ様な表情を返してきた。一瞬、彼女の顔にノイズが走り、右半分が不自然に横に大きく伸びたように見えた。


 その時、フロアの隅の方から大きな音が聞こえた。静寂に包まれたこのビルを切り裂くような物凄い音。名前も聞いたことのないような怪鳥が、生涯の最後に上げる悲鳴のような鳴き声。

 私はこの声の正体を知っていた。サキちゃんもそうだった。彼女は目を見開いて、慌てふためいてグループLINEにこう送った。


【何があったの!? 大丈夫!?】


 それからサキちゃんはこうも送った。


【あの声、きっと何かあったんだよ! 見に行こうよ!】


 グループLINEに送られたそれは、私個人に向けられたものだった。


 私はまたサキちゃんを見た。いよいよ疑念は確信に変わった。私は後退りするようにサキちゃんと距離を取り、彼女の動向を窺った。困惑する彼女は一向に動き出さない私を見て、更に困惑を深めた。

 違う。あの怪鳥の鳴き声、あれはケイの笑い声だ。ツボに入った時に出る、マジの笑い声。本人が気にしているらしい個性の賜物。そしてその事は全部、サキちゃんも

 私はまた一歩後ずさりしながら険しい顔を作ってに指摘した。

「そのスニーカー。なんで履いてるの」

 彼女は靴を履かずに自室から消えた。裸足のハズだった。あるいは靴下くらいは履いているかも知れないが、靴を履いているのはおかしかった。


 私の問いかけに、サキちゃんは何を言うでもなく満面の笑みで応じた。さっき再会した時に見せたあの笑顔。だが今やそこから受ける印象は全くの別物だった。

 無邪気で人を惹きつけるくせに――違う。空っぽの笑み。

 上っ面だけの、見よう見真似でこしらえた贋作がそこにはあった。


 私の背筋が凍りついた。上手く息ができない。声を出そうと思ったが、上手くいかなかった。辛うじて出たのは意味を伴わない、言葉未満の強張った吐息だけだった。

 私はケイの言葉を思い出した。ケイが別行動を取ろうとした時、それはピンチの時だと。


 思いを巡らせている間にも、サキちゃんはゆっくりと私に近づいてくる。

 その分だけ私は後ろに身を引いて、何とか逃げるスペースを確保しようとした。

 大丈夫。対処は可能だ。私は身構えながら、目の前にいる“サキちゃんらしきモノ”を見据えた。


 が五歩目に差し掛かった瞬間、私の右肩を突風が通り過ぎた。誰かが近くを疾風のごとく駆けたのだ。

 目にも止まらぬ疾走。

 その風の「背中」は、すごくちっこかった。

 ケイだった。

 数日前に見た光景がフラッシュバックする。疾風はサキちゃん目がけて突進し、あの時と同じようにその勢いの全てを叩きつけた。

 ドロップキック。彼女の全体重を乗せた渾身の一撃。

 勢いよくが吹っ飛ばされる。きりもみ回転しながら宙を舞うその哀れな体は、着地と同時に見たこともない人物に変わった。見たことも無い「」に。

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