老婆は大いに語る
《ここまでの話》
黒猫レヴナントが喫茶Paradisoから姿を消した。
偶然出会った黒人の、声帯の無いろうあ者のおばあさん、「ミセス・ウィークエンド」の占いに従って、「私」たちは猫を探し始める。
魚釣り、ペットボトル・ロケットの打ち上げ、ニトリでのバグ技じみた行為――色々あった末、占いが示す「すべき事」はこれで完遂した。
黒猫は見つかるのか。そして端々で見え隠れする、ミセス・ウィークエンドの本当の姿とは。
主な登場人物
・私(語り手)
Y市の高校一年生。新作ゲームにうつつを抜かし、年末の中間テストで散々な結果を残した。
・ケイ(長良 景子)
Y市の高校一年生。「私」のクラスメイト。くせ毛気味の黒髪ショートヘア。ちっこい。いつもやる気の無いジト目と平坦な声をしていて、何を考えているのか分かりづらい。
・サキ
Y市の高校一年生。「私」たちのひとつ隣のクラス。良く下校時に二人に置いていかれる。長い金髪をポニーテールにしている。スラッとしていて、朗らかな笑顔と目の持ち主でクラスの人気者。喫茶店Paradisoの店主の娘で、忙しい時は店の手伝いをする。喫茶店で黒猫レヴナントを飼っている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
霊能力者。私はしばらくの間、その言葉を頭の中に浮かべてみた。しばらくそうしていると、数日前にスマホで調べていた様々な事が、その周囲を取り囲むように現れた――その単語の示す意味を補強しようと。
それらは大きなひとつの塊となる。ごちゃごちゃの塊。意味不明な、判別不能の情報の集合。これらに加えて、猫の失踪やサキちゃんの事まで巻き込み始める。収集がつかない。
ようするに考えるだけムダだった。私は、私の頭の中がそれに押しつぶされてしまう前に、ミセス・ウィークエンドの話を聞くことにした。
【霊能力者?】
私がLINEにメッセージを送ると、対面して座るミセス・ウィークエンドが深く頷いた。
【そうです。私は死んだ人間と会話が出来ます。
もっとも正確には、あなたや世間の人々が想像するようなやり方や原理ではないのですが、とにかく、ここはまず、分かりやすく霊能力者だと述べておきましょう】
【それってテレビで見たりするやつですか? ゲストのご先祖の霊を降ろして説教したり、事件解決の為に現場の隠された手がかりを透視したり、霊の力を借りて病気を治したりする、あの?】
私がそう書くと、ミセス・ウィークエンドは目を細めて笑った。
【まさに、そうです! 非常に課税額が安価なサナトリウムを経営したり、それはそれはありがたい力の籠もったアクセサリーを製造したりする、あの霊能力者です】
私は冗談を言ったつもりはなかった。が、何かが彼女のツボに入ったらしい。ミセス・ウィークエンドの笑いは止まらなかった。
やがてそれは大きな笑いへとエスカレートする。
音の無い爆笑。制御不能なそれに囚われた彼女は、首を右に左に振りながら、手を叩いて面白がった。
彼女が平静を取り戻すのに、それほど時間はかからなかった。
笑い終えたミセス・ウィークエンドは、急にスンとした感じになる。それから状況のリセットの為か、わざとらしい咳払いをした後にこう送ってきた。
【すみません、ちょっと“ツボ”でした。本当、馬鹿馬鹿しいですよね!
さて、そのような高名な人たちとは違って私は賢くはありませんが、とにかく、幽霊と交流出来るという意味では同じです。
彼らの能力の真偽の程はともかくとして、ね】
【それなら、あの噂も本当なんですか?】
【噂ですか? どの噂の事でしょうか? 候補が多すぎて見当がつきませんね】
私は少し後悔した。こんな事、聞かなければ良かった。突然切り出すにはやや繊細な話題だし、何より配慮にかけている――奇妙な事があまりに続きすぎたせいだ。
きっとこの落ち着きのない空間に、酔ってしまったのだろう。
非凡な人物を目の前にした特別感と、その雰囲気にアテられた人間が取る、分別のタガが外れた意思決定。高揚感に後押しされて出た、うかつな発言。
あまり褒められたものではない。
……でも、と私は思った。
こうなった今、それは前に進むために必要な対価なのだ。私は誤魔化すことも出来なかったし、もはやする必要も無い。私は思い切って彼女にこう訊ねる。
【街の人たちはあなたの事を、変な宗教の信者だとか、交差点で呪いの儀式をやった奇妙な人だとか言っています。
それでワタナベって人を呪い殺した、とも】
私のメッセージを読んだミセス・ウィークエンドは明らかに動揺していた。
手のひらで自分の右頬をしきりにこすり、目を瞬きながら視線をそこかしこへ遊ばせる。……そんな分かりやすいうろたえ方しなくても。
私はちょっと気の毒になった。
しばらくして彼女から返信がきた。
【“その噂”はあまり人に言いたくない事実が含まれています。ですが、良いでしょう。お話します。
あれは明らかに私の犯したミスでした。私がもう少し思慮深かったら起こらずに済んだ失敗です。
ちなみに変な宗教とやらは完全にデタラメです。
私はキリスト教徒ですが、両親や祖父母の信仰を、そのまま少しだけ薄めて受け継いだような凡庸な信者です。そんな人間はこの街にごまんといるでしょう。
あえて言うなら、私はネットゲームでは基本的にDPS信者です。これをあげつらって「変な」と評されるのは心外です。
つまり私が言いたいのは、それは事実が噂として広まる時にちょっと付け足された“尾ひれ”のひとつだと言うことです】
彼女は一旦文章を区切り、時間をかけて続きを打ち込む。やがてこのような話が、私のスマホ画面に映し出された。
【よろしい! それでは“告解”するとしましょうか。
もう20年も前の話でしょうか。この近所で当時パン屋を経営していたミセス・ワタナベが、どこから嗅ぎつけてきたやら、私が霊能力を持った人間だという事を知り、ある頼み事を持ちかけてきました。
それは夫の不貞行為――要するに浮気ですが――、その無分別な振る舞いに対する復讐をお願いしたいというものでした。】
更に話は続いた。
【どうもその夫も随分な人物だったようです。何せ、その浮気とやらもかれこれ5度目だったそうで。
とにかく、そうやって忍耐に明け暮れる日々に嫌気が差したミセス・ワタナベは、いっそ夫を霊的な力で殺して欲しいと、私に頼んだのです。
随分大胆な結論ですこと。まあ、彼女なりに考えた結果なのでしょうね。
離婚はまだ当時8才と4才だった我が子達に悪影響だし、病死や事故死なら保険も融通がききます】
文章が一旦、区切りを迎える。しばらくして、このような続きが送られてくる。
【当然、私は断りました。当時私は既に耳が聞こえませんでしたが、声帯はありましたもので。
こう言ってやりました。やるなら自分で斧なりナタなり、鋭利な調理器具なり持ち出して、あなたの手でひと思いにやっておやり、とね。
するとミセス・ワタナベは、断るなら私が霊能力者だと周囲に言いふらすというのです。かつて私がその力を使って妙なビジネスを起こし、人を騙して金を巻き上げていた悪党だと、ね】
私が読み進めている間に、ミセス・ウィークエンドが手元にあったシェイクを飲みながら、その先の文章をタブレットに打ち込んでいる。まだまだ話は続いた。
【こんな事も言われました。私には人を呪い殺す力さえ備わっていて、ネット上だけでなくこのY街でも、私が気に食わない人物に危害を加えたり、人を殺したりさえもしている、と。
ここまで想像を働かせられると、お手上げです。もはや何でもありですね。
しかし彼女にとっては、この時の駆け引きが全てだったのでしょう。鬱屈した人生と、その再生。次のステップに跳躍する為の絶好のチャンス。それが私だったのです。
そんな彼女でも近所では人格者として知られていたんですよ。この商店街でも会計帳簿を任される人物でした。もっとも、その事実にどのような意味があるのかは、今でも分かりませんけど】
私にもその意味は分からなかった。読み終わると、すぐにミセス・ウィークエンドが続きを繰り出す。
【私にも当時、10歳の娘がいました。その上、私は旦那を早くに亡くしていたし、耳も聞こえないしで、生きていくのに結構な苦労もしていました。彼に借金があったんですよ。その事実を私に隠して死んだんです。
海軍兵でした。彼とは故郷のテキサス州ダラスのヒルトン・ワース・ホテルで働いていた時に出会いました。ケネディ大統領暗殺のあった所ですよ。教科書にはまだ載ってないですかね? 素敵な土地ですよ。機会があれば是非いらしてください】
ミセス・ウィークエンドの物語は止まらなかった。
【結婚してすぐに夫は、ここ、日本のY市への異動を言い渡されました。
やれやれ! 当時は三年ばかりで帰るはずがね!
彼が死んだのは2年目、私たちの子どもが生まれてすぐのタイミングでした。
YC市街のバーで酔った客の喧嘩を止めようとして、仲裁している最中に床に落ちたピーナッツを踏んで、転んで頭を打ちました。
何ともシュールな最後です。ビール瓶で殴られたり、隠し持っていたナイフの脅威から人を守ってやられたり、そんなドラマチックな最後ですらなかった訳ですね!
でも、彼は彼の哲学に則って、死んだんです。誇りある最後だったと思わずにはいられませんね。】
私が顔を上げると、ミセス・ウィークエンドがわざとらしく肩を
メッセージの続きが間もなく送られてきた。
【さてそんな訳で年頃の娘を持つ中年の異邦人、それが私でした。
実はミセス・ワタナベが言っていた事は半分は当たっていました。
夫を亡くして5年ほど経った頃でしょうか。借金完済と同時に、貯金が底をつきてしまったのですよ。遺族年金と掛け持ちのパートで何とかやりくりしていた私には、あまりに困難な再出発と言えました。
しかもある日突然、聴覚を失ってしまいました。
ある日、起きたら突然、ですよ? 理不尽極まりない話です。
病院の検査でも原因は不明。お手上げです。
そういう事で、私は自分の仕事をひとつ増やす事にしました。およそ普通の人には出来ないビジネスを】
【それが、ミス・ウィークデイ?】と、私が先回りすると、彼女はニヤリと笑った。
【イエス、その通り。
私は知人の協力でウェブサイトを立ち上げました。
料金を払うと秘密のチャットルームに招待されて、会いたい死者と文章で会話が出来る、というオカルトなサイトでした。
文面にすると、まさに詐欺のようでしょう? でも私は誠実にやったつもりです。人に危害を加えるような頼みごとも山ほど来ましたが、全て断りました。誓っても良いですよ。
それはミセス・ワタナベに脅された日にも継続していた事業でした。どうやって私=ミセス・ウィークデイと結びつけたのかは分かりませんが、とにかく彼女は知っていたのです】
更に物語は続く。
【さて、ミセス・ワタナベの脅しが実行された場合、私の生活がどんなものに変貌するでしょうか? それは容易に想像出来ます。Y市もせまい地域ですからね。
きっと、悪意にさらされ続ける人生になるでしょう。私は職を失い、娘は言わずもがな。
散々悩んだ挙げ句、私はそうやってミセス・ワタナベの依頼を受けました】
私が文章を読み終え、キーボードをうち続けるミセス・ウィークエンドを見ると、少しかなしそうな顔をしていた。
【俗に“悪霊”とでも言いましょうか、そういった存在を彼女の夫に“誤ってつなげる”儀式を教え、彼女に実行させたのです。
その時、私は嘘を混ぜました。その“悪霊”はせいぜい風邪が長続きする、程度の効果しか発揮しない霊でした。
ある程度効果を実感させておいて、そのあと適当なタイミングでその“誤ったつながり”を解き、あとはうやむやにするつもりでした。
ですが彼女は儀式の際、私の教えたルールを破りました。
以前あなたにも言いましたね? このような儀式には手順と遵守すべきルールがあり、それは厳格に守られるべきだと。適切な手順、適切な量。すべては処方箋のように明確に定められています。彼女はそれを守らなかった。
なぜそうしたかは分かりません。追加された分量は、まさに彼女の恨みの大きさを物語るもの、とでも言うのでしょうかね。
その結果、彼女の夫に“誤ってつながった”のは想定していたより強力な、それこそ人を殺しかねない霊でした。
すぐに異変に気がついた私は、慌ててその“誤ったつながり”を断つ為に、交差点で儀式を行いました。それが当時、皆さんの見たものです。
なぜわざわざ交差点で?
このような不可思議な現象には、得てして「バグ技」のような不条理性が伴うものです。
良くある事です。アイテム増殖のバグ技に、どうしてこのNPCのイベントが関わっているのだろう? まあ、そんな感じです。
果たして儀式は成功し、そのタイミングで“悪霊”は去りました。ですが遅かったようでした。ミセス・ワタナベの夫は死にました。
儀式の直後、パン屋で出すサンドイッチに使うレタスが床に落ち、彼はそれに気が付かず踏んで、転んで頭を打ちました。私の夫と彼女の夫。両名、偶然の一致です。
そして私は急ごしらえの対抗策のせいで、“悪霊”が去ると同時に声を失いました。急いだあまり、私自身が霊を帰す儀式の一部手順を間違えたんです。皮肉なものですね。
まあ考えてみれば、当然の結果でしょう。なにせこれだけの事をしでかしたんです。その末路としては、こんなもので済んで良かったと、むしろ感謝すべきでしょう】
長い長い彼女の物語は終わりを迎えようとしていた。最後にミセス・ウィークエンドはこう結んだ。
【これがあなたの言う「噂」の一部始終です。
しかし、ミセス・ワタナベも狡賢いものですね! 本当に上手くいくとは思っていなかったのかもしれません。
その後ろめたさからでしょうか、あれ以来彼女は私を遠ざけました。わざわざ宗教団体の「設定」までこさえて、ね。
おかげで結局、私の娘にも、妙な宗教信者の家の子ではないかという、奇異の目を向けさせることにはなりました。
それに、稼ぎ頭だったウェブサイトも、結局は閉鎖してしまいました。もうコリゴリですよ。
まあまだマシな結果なのではないでしょうか? なにせ、もっとひどい結果もあり得たんですから。あるいは、あの悪霊に存在する“誤ったつながり”が、私や私の娘に“つながる”事だってあり得たのです】
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