次なるミッション

 私たち三人の前に、ミセス・ウィークエンドが見計らったように姿を現した。彼女は昨日も持っていた藤の手提げバッグとは別に、大きな黒いトートバッグを肩に掛けている。それから今日も今日とて例のセーターだった。


――と思ったが、よく見たら微妙に違うもののようだ。

 ソラールの紋章である大きな太陽が胸に刺繍してあるのは同様だったが、模様がチェック柄だった。

 私はあのセーターがまさかの一点もので無かった驚きと、彼女の出現タイミングの良さへのちょっとした疑念を抱きつつ、とりあえず軽く会釈して彼女を迎える。ケイとサキちゃんも同じようにぺこりとやる。すると、ミセス・ウィークエンドは持ってきたトートバッグを肩から下ろして、ケイに手渡した。突然のことにケイは首を傾げて私たちを見やる。……が、残念なことに私たちも情報量は同じだったので、彼女と同じような仕草を返す。

 状況を飲み込めないでいる私たちを他所に、ミセス・ウィークエンドはタブレット端末を藤のバッグから取り出してグループLINEにメッセージを送ってきた。


【昨日はお疲れ様でした。これで逃げ出した黒猫を、ここに引き戻す準備が整いました。このおまじないの為に、カサゴの頭が必要だったんです。さて、次は猫に準備が出来たことを伝えてあげる必要があります。つまり、帰り道が分からなくなった彼に、道しるべを見せてあげるのです。

 どこで? イエス。その場所はN東公園。ここから少し遠いですが、バスで15分程の距離です。何を? イエス。その公園で帰り道を告げる目印を掲げるのです。

 その手段については、その小さなお友達にお渡ししたバッグの中を見れば、自ずと分かります。ただし、そのバッグのファスナーを開けるのは現地についてから! いいですね? 決してそれまでは中を覗かないこと! これはれっきとした、紛うこと無き呪術的な儀式になります。禁忌を犯した不届き者が、どうして目的を達成出来ましょう? どれだけの数の物語の主人公が、一時の気の迷いで選択した過ちの為に、大人が子ども達の枕元で囁くような、滋味溢れる教訓へと変わっていったでしょう?】


 ――長い文章だった。あらかじめ入力しておいたようだ。なんだか鼻にかかった言い回しで少しイラッっとしたが、どうやら私たちがすべき事はもう決まっているようだ。

 サキちゃんが鼻息を荒くして言った。

「ここまで来たら、最後までやらないとね!」

 ケイは大きなバッグを肩にかけ直しながら、「だね」と同意する。

「未だにあの占いは半信半疑だけど――ま、何もしないよりマシだし」

 ケイはそう言いながら、気合を入れるかのように黒のダウンジャケットのファスナーを一番上まで上げる。朝イチでいつも以上にダウナー気質が強い口調だったので、絶妙に抜けた感じになったが、それは言わないことにした。


 私たちが駅前のバスロータリーに向かおうとすると、ミセス・ウィークエンドがサキちゃんの肩を叩いた。出鼻をくじかれた私たちは止まって振り向く。サキちゃんが手話で何度か会話を交わして、その意図を聞いた。

 やがてサキちゃんは手話を中断し、慌てた様子で雑居ビルに入っていった。しばらくして彼女が戻ってきた時には、空気入れを携えていた。自転車のタイヤに空気を入れる際に使うポンプ式のやつ。それから少し遅れて、サキちゃんのお父さんが何かを抱えながらビルの階段を降りてくる。正方形の“すのこ椅子”だった。彼はそれをこの場に置き、役目が終わるとすぐに階上に姿を消してしまう。

 私とケイがサキちゃんを見やり、説明を要求した。彼女は申し訳無さそうな顔で笑った。

「えとね、何か空気入れと、“すのこ椅子”みたいなテッペンがスカスカしてる置物的な物が必要なんだってさ。うちにあったから持ってきた!」


……気がつけば大荷物だ。とりあえず空気入れはサキちゃんが持っていく事になった。“すのこ椅子”は私が持とうと思ったが、何故かケイが「自分が持っていく」と言って譲らなかったので、お言葉に甘えさせてもらう事にした。代わりに私は、さっきケイが渡された大きなトートバッグを肩に掛ける。そこまで重くなかったが、呪術道具が入ってると考えると、気が気じゃない。

……落としたりしたら、どうなるんだろう?

……考えたくもなかった。


 バスに揺られて十数分――私たちはN東公園にたどり着いた。三人ともここにくるのは始めてだった。住宅地にほど近い、大きな公園だった。私たちの高校の校庭の半分以上の広さはある。敷地のほとんどが草地の広場になっていて、小さい子が遊ぶような遊具は隅の方に少しだけ置いてある程度。のどかで良い雰囲気の公園だったが、私たち以外に誰もいなかったので、何となく物寂しく、どこか不穏な気配すらした。


 公園の端の方に東屋があるのを見つけた私たちは、とりあえずそこに荷物を置くことにした。屋根下には木製の長椅子と机が備えてあった。私が机の上に慎重な手つきでトートバッグを置くと、三人揃ってそれを覗き込んだ。

 いよいよ中身を確認する時だ。果たしてどのような呪術道具が入っているのか。何をさせられるのか――私たちは目を合わせて頷きあった。

 緊張の糸が張り詰め、空気が重くなる。私は震える手を抑えながら、その入口を塞ぐファスナーに手をかけた。

 中を見た私たちは思わず息を呑み、目を合わせあった。中身は複数あった。私はバッグの中に手を入れ、慎重かつ丁寧に、ひとつひとつ机の上に並べていく。


――1.5リットルのペットボトルが2つ。プラスチックストローがひとつ。鉄製のハンガーがひとつ。ゴム栓がふたつ。ステンレスのスコップ。ビニールテープ。カッター。はさみ。穴を開ける時に使うキリ。それから「説明書在中」と書かれた封筒。これで全部だった。


 封筒を開けると、A4サイズのペラ紙が三つ折りで入っていた。私がそれを広げると、その中にはさんであった、別の紙がひらりと地面に落ちた。私は慌てて説明書を机に置いて、それを拾い上げる。

 その小ぶりな紙にはただ一字だけ、大きく筆でと書かれていた。達筆だったが、よく見ると漢字が間違っている。最後の一画の後に余計な点みたいなものが付いていた。

 私がしばらくこの意味について考えていると、説明書を読んだらしいケイが私にそれを差し出して、最初の一文を指差した。私は声に出してそれを読み上げた。


「これは神聖なるとしての行為。迷い猫を家に帰すための目印をつける、霊的なプロセスです。あなたたちはペットボトルロケットを作って、真上に打ち上げる必要があります。作り方はこの説明書を見れば分かります。ネットで調べて私が書きました。

 打ち上げの際は、この説明書に同封した「妙」と書かれた紙をロケットの腹に貼り付けるのを忘れないこと。健闘を祈ります」


 私たちは停止した時間の中に放り込まれた。極めて電波状況のあやふやなwifiに接続を試みている時のような、永く虚ろな時間。その例に漏れず、私たちは永遠にも近い時を過ごした。


――どんな事があろうとも、人生は前に進む。好むと好まざるとに関わらず。この脱力と倦怠に満ちた空気を最初に振り払ったのは、ケイだった。彼女はただ一言、天を見上げてぼそりと言った。

「……始めましょうや」


 誰も反応しなかった。その代わりに説明書の読み込みと、制作作業が淡々と進んでいった。それが答えだった。私たちは暗黙の内にひとつの結論に至ったのだ。つまり、「なぜ」とか「どうして」といった余計な事は一切考えず、何よりもまず一旦、全てを終わらせてさっさと帰ってしまおう。考えるのはそれからにしよう。

 それが高校生3人分の頭脳が導き出した、このな儀式に対する付き合い方だった。

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