大きな曲がり道を抜けて
私たちは再度、K駅前のバスロータリーで集まった。二人とも私の指示通り、ちゃんと着替えて来ていた。向かう先は海辺の磯なので、濡れるし汚れる。それに岩場は足元が不安定で危ないので、動きやすい格好で、と私は注文を出していた。あと帽子を欠かさずに、とも。
サキちゃんは無地の黒いニットキャップに水色のマウンテン・パーカー、それから色褪せた紺色のズボン。ケイは黒いキャップ、それからオーバーサイズ気味なフード付きウィンドブレーカーに黒のズボン(右膝の所が少し破けている)という出で立ち。釣り道具も持ってきていた。それを見て私は言った。
「二人とも、釣り竿あったんだね」
ケイが肩をすくめた。
「親に聞いたら、何年も前に家族釣りに行った時に買った竿があるっていうからさ。初心者用のやつ」
「長さはちょうど良さそうだし、問題なさそう」
けど――
「――まさか“抜き身”で持ってくるとは思わなかったよ」
私がそう言うと、彼女はまた肩をすくめて首を横に降った。そう、彼女は釣り竿をケースに入れず、そのまま握りしめて持ってきていたのだ。きっとケースが無かったのだろう。幸いリールは取り外して、背中のショルダーバッグの中に入れていたので、いつでも出来ます的な、臨戦態勢のまま電車に乗り込むという事故は未然に防げたようだ。私がそう思っていると、サキちゃんが威勢よく手を上げた。
「あたしのは、お父さんに借りてきたやつ!」
彼女はしっかりしたハードケースに釣り竿を入れていた。先端には『DAIWA』のロゴが記されている。ちょっとした好奇心でケースのファスナーを開けさせてもらい、型番を確認してみる。スマホで調べてみると、大体6万円くらいするロッドだった。
ガチのやつだった。二人には言わなかった。
そうこうしている内に、U町行きのバスがロータリーにやってきたので、私たちはそれに乗った。しばらく揺られて、途中の停留所である『燈火岬前』で降りると、潮風に前髪を乱される。私は帽子を深く被りなおして、二人の先に立って目的地に歩き出した。
バス停から釣り場までは10分ばかり歩かなくてはならない。海岸線に沿うようにして大きく緩やかに湾曲した下り道を、私たちはしばらく歩いた。しばらく進んでいくと、やがて道はすこしずつ細く狭い小径に姿を変えていく。さらに歩くと分かれ道。私は二人を誘導しながら、左の道を選んだ。私は歩きながらスマホで時間を確認した。現在15時6分。日没は16時30分頃。釣れる条件もそれなりに整っている。悪く無さそうだ。
燈火岬は小さな海岸だ。手前と奥に砂浜があって、中心が岩礁で構成されている。どの地帯もこぢんまりとしていて、岬の中心部の小高い丘に小さなお堂が建っている。海岸の入口にたどり着いた私たちは、何となく近くにある案内板を読んでみる。
『燈火岬はU町の西に位置し、かつてU町の港に出入りする船にとって灯台の役目を果たしていました。1648年に幕府の命により、この岬に小さなお堂が造られ、そこに灯される光は海上4海里(7.4km)を照らしたと言われています。元禄の時代から明治5年(1872年)に廃止されるまでの約220年間、一日も休まず海路を照らし、航路の安全を守ってきました。その後は風雨で崩壊してしまいましたが、昭和63年(1988年)に復元されました。』
――知らなかった。それは二人も同じだったらしく、私たちは揃いも揃ってここに来た目的を早くも忘れ、まるで観光ツアーでガイドさんの解説を受けたように、小さく感嘆の唸り声を上げていた。
ひとしきり旅行気分を味わった後、私たちは我に返ったように砂浜に降りていった。辺りには誰もいないようだ。私たちは手荷物を一旦、砂浜に降りる途中の小さな階段に置いた。
天気は良く、雨の心配はなさそうだった。時折吹く冬の乾いた風の中には潮気が香辛料のように溶け込んでいて、ぴりっとする香りがした。すぐ右手には岩礁が地続きで広がっている。突端の波打ち際は、釣り初心者には危なそう。私は自分の釣り竿の用意をしながら辺りを観察し、砂浜との境目にある、比較的平たくて大きな岩が多い箇所を指差して言った。
「二人はあの辺りの岩場から投げてよ。あそこなら滑って怪我したり、海に落っこちたりしなそう」
それからケイとサキちゃんの持ってきた釣り竿も、二人にやり方を教えながら準備した。特にサキちゃんの釣り竿はリール(シマノのバッチリしたやつ。多分8万円以上する!)も含めて“お高いの”だったので丁寧に取り扱った。二人は私の指示に従いながらおっかなびっくりリールを取り付け、竿のガイドにぎこちない動作で糸を通す。仕掛けを糸に繋ぐのは私の役目。仕掛けは私が持ってきていた。5gのジグヘッドを付けた2インチのワーム。私は取り付け方や、扱い上の注意点なんかを説明しながら作業をする――本当は釣りの楽しさを味わって欲しかったが、今回は事情が事情なのであくまで事務的に。
サキちゃんが目を輝かせたのは、私が投げ方や糸の巻き方なんかの実演をしている最中だった。
「今気づいたけど……もしかして、ベテランの釣り人?」
「そんな事ないよ。中学生の頃に、釣りにハマってた時期がちょっとあっただけ。土日とかに、お父さんと一緒に」
私は若干、浮つきながら手をひらひらしてそう言った。それを聞いたサキちゃんが結構な勢いで持て囃し始めたので、私は段々、調子が良くなる。あんまり浮ついてしまったものだから、あらぬ方向に仕掛けを投げてしまう。案の定、どうにも出来ないレベルの“根がかり”を海中で起こしてしまい、私は早くもワームをひとつ失ってしまった。
「……と、このように海底には岩やら海藻やら様々な障害物があり、仕掛けはしばしばそこに引っかかります。これを根がかりと言って、割とどうしようもないケースもありますが、失う事になっても気にしないでください。代わりの仕掛けはまだまだ用意してありますので」
私は自分の失態を覆い隠すように言葉を並べ立て、このレクチャーを終わらせにかかった。その後、あんまりにも私が体育座りでうずくまるのを止めないので、しばらくサキちゃんが慰めてくれた。ようやく立ち直って釣りが再開出来た頃には、もう日は落ちかけていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます