第14話「すれ違う鼓動」

春は、思ったよりも早く深まっていった。


校庭の桜は満開をすぎ、緑色の葉が目立ち始めている。

新しい日常にも、少しずつ慣れ始めたはずなのに――

それぞれの心には、言葉にできない違和感や戸惑いが、静かに積もり始めていた。


詩音は、昼休みの教室でカセットテープを指先で転がしていた。


窓の外は、やさしい光が射している。

昨日は千紗と放課後の約束を交わして、心が少し軽くなった気がした。

でも、今日は朝から千紗が少しそっけなくて、

いつものように隣の席に座ってくれなかった。


(私、何か悪いことしたかな……)


不安な気持ちが、胸の奥でゆっくりと大きくなる。


千紗に声をかけようとしても、

「……ちょっと、委員会行かなきゃ」と、視線を合わせないまま教室を出て行った。


詩音は、言いかけた言葉を飲み込む。

自分の声が、また小さくなる。


千紗は、廊下の掲示板の前でひとり立ち止まっていた。


朝から、どうしても詩音の顔を真っ直ぐ見られなかった。

放課後の約束をしたのに、

それがなんだか特別すぎて、逆に距離ができてしまったような気がした。


(詩音ともっと近くなりたいのに、

いざとなると上手く話せなくなる……)


自分だけが焦っているみたいで、胸の奥がざわざわする。

詩音のことを考えるほど、気持ちが空回りしてしまう。


「……はぁ」


ため息をつき、手帳の端に小さな「がんばれ」と書いてみる。

だけど、その言葉さえ今はどこか遠く感じられた。


晴人は、バンドの部室でギターの弦を張り替えていた。


昨日、カセットに録音した自分の声を何度も聴き返している。

本音を吐き出したあとの夜は、少しだけ楽になった。

でも、バンドメンバーとの溝や、

“リーダーらしさ”を求める周囲の目は、

やっぱり晴人の心に重たくのしかかっていた。


部室の扉の向こうから、ケンジたちの笑い声が聞こえてくる。

自分も混ざればいいのに、今日はなぜか、その輪に加わる勇気が出なかった。


(みんなと本音で向き合いたい。

でも、嫌われたらどうしようって、怖くなる)


ギターの音が、空っぽの部室に静かに響く。

その音はどこか頼りなく、揺れていた。


放課後。


詩音はカセットレコーダーを胸ポケットにしまいながら、校舎の裏庭に向かって歩く。

千紗と「またここで」と約束した場所。

だけど、そこに千紗の姿はなかった。


しばらく待っていると、

遠くに千紗の後ろ姿が見えた。

声をかけようとして、一歩を踏み出す。


「千紗……」


千紗は気づかないふりをして、小さく手を振っただけで、

そのまま足早に曲がり角の向こうへと消えていった。


(なんで、こんなに距離ができてしまうんだろう)


詩音は、肩にかかったカセットの重みを感じながら、

その場に立ち尽くした。


千紗もまた、曲がり角の向こうで立ち止まり、

振り返ることができずにいた。


(ちゃんと顔を見て話したいのに、

自分の気持ちが追い越してしまって、

どうしても素直になれない)


携帯の画面に詩音からのメッセージが届いていたけれど、

返信を打つ指が震えて、結局そのままスマホをしまった。


晴人は、グラウンド脇のベンチに座って空を見上げていた。


バンドメンバーの笑い声、部活終わりの喧騒。

その中で、自分だけが少しだけ孤独だった。


(本当は、みんなと笑い合いたい。

でも、今はどうしても素直になれない)


誰かのために強がってきたけど、

自分の気持ちを伝える勇気は、まだどこにも見つからなかった。


三人は、それぞれ違う場所で、

言葉にならない思いを抱えていた。


すれ違いは、誰のせいでもない。

ただ、心の鼓動がそれぞれのリズムで鳴り響いているだけ。


だけど、その“微妙な距離”が、

三人の心をそっと締め付けていた。


*挿入歌(三人のハーモニー)

手を伸ばせば 届くはずなのに

言葉にすれば 壊れそうで

鼓動はすれ違うまま

君のことを考えるほど

遠ざかる気持ち

だけど、

この胸の音は 止められなくて

いつか、また重なる日まで

すれ違う鼓動を 信じていたい


夕焼けに染まる校舎。

三人の姿は、それぞれ違う場所にあった。


でも、心の奥底では、

“もう一度ちゃんと向き合いたい”

という、小さな希望が静かに生まれ始めていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る