第六章《最後の灯火》

―老女・おたえの証言―

語り手:長屋の隣人・おたえ


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いやねぇ、まったく、あの二人には驚かされっぱなしさ。

あれはもう、秋が深まって、冬の匂いが漂い始めた頃だったかねぇ。


朝っぱらから、隣の部屋から聞こえてきたんだよ――ひどい咳が。

ゴホッ、ゴホッて、胸の底をかき回すような、そんな苦しそうな音でさ。


最初は風邪かと思ったけどね。若いもんだし、すぐ治るだろうとタカくくってた。

だけど、どうも違った。

昼になっても、夜になっても、咳は止まらないし、時おり呻くような声まで混じってきた。


なんだか、もう――死の匂いがしてたのよ。



心配になってさ、煮た団子でも持っていこうかと、戸口に近づいたの。

けど、手を伸ばしかけて……ふっと止まった。


戸の向こうの空気がね、じとぉっとしてて――重たくて、足がすくんじまったのさ。


あたしの耳には、かすかに布ずれの音が聞こえた。

どうやら秋彦が、琴音を抱えて、額に冷たい手拭いでも当ててるようだった。


まるで、親が病気の子を看病してるみたいだったよ。

でもね――あれは、親でも恋人でもない。

もっと、こう……なんて言うか、言葉にできない何かだった。



あの男、秋彦ってのはさ、もう何もかも捧げちまってるんだよ。

自分の食べるもんも、寝る時間もぜんぶ削って、ただ、あの子のそばにいるだけ。


何度か声をかけようと思ったけど、できなかった。

あの部屋の空気に、一歩でも入っちゃいけない気がしてさ。


夜中に見たんだよ。

琴音が苦しそうに喉を鳴らしてるときの顔。


あれはね――「死にたくない」顔じゃなかったよ。

もう、どうでもいいって顔。

ただ、目を閉じて、なにもかも終わらせたいような……


でも、秋彦は違った。

あの子は、まだ願ってた。琴音が生きててほしいって、必死に祈ってる顔だった。


その違いが、余計に痛かったのさ。



次の日さ、あたしゃまた団子を作って、こし餡のやつ。

あの子たち、甘いもんなんてずっと口にしてないだろうと思ってさ、せめての気持ちで、戸口にそっと置いたんだよ。


夕方になっても、翌日になっても、団子は手つかずで残ってた。

まるで時間が止まっちまったみたいに、冷たくなって、そこにあった。


戸の前で立ち尽くして、思わずね――こう呟いたんだ。


「せめて……ひと口くらい、食べとくれよ」


誰に言ったのか、自分でもわかんないさ。

でも、なんだか胸がぎゅうっとなって、手が震えちまって。


その場を離れられずに、しばらくじっとしてたよ。

戸の向こうからは、もう何の音も聞こえてこなかった。



そのとき思ったのさ――

あの部屋の中は、もう生きてるとか死んでるとか、そんな区別がないんだって。


ふたりは、ふたりで終わろうとしてる。

誰にも見せず、語らず、ただ静かに――そう、灯火が風に消えるみたいに。


そして、それは、

どうしようもなく悲しいのに、

どこか――ひどく美しかったんだよ。

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