05_Reverse: Black Swan

05_Reverse: Black Swan - 01

「これまで殺害された人物はいずれも、神秘に近づきすぎた者が殺されています」

「でも、綾佳お嬢様は……」


 雪島は何かを思い出しているのか、眉を落として困惑した表情を浮かべる。

 俺も、何故綾佳とまひろ、この二人の少女が被害者となったのか──それが疑問だった。だがそれは俺の見ていた夢に、真実の断片が潜んでいたのだ。


「神原さん。綾佳さんが処女懐胎したのは、からではありませんか?」

「……、……ッ…待て!」


 神原は腰を浮かせて叫ぶ。驚愕と恐怖が入り混じる表情に、俺の推理は正鵠を射ている──その確信を深める。


「まず、板取まひろさんは東医のICUに入っとったとき、魔女の仔を抱かされました。けどそれは偶然やなかった」

「偶然では無い? 一体何を根拠に」

「綾佳さんと、まひろさんの関係性です」


 神原はその言葉に目を見開く。

 全寮制の女子校という閉じた空間。傍から見れば姉妹のように仲が良い先輩と後輩。しかしそれは周囲から見た彼女らの印象であり、同時に──肉親である彼であれば、そこにある友人以上の気配に気づく。

 そして確かに、神原信近は証言したのだ。

『板取さん……まひろさんは、綾佳の後輩だった。だが、きっとそれだけの関係性ではない』、と。


「……率直に言って、二人とも亡くなってしまった今──処女懐胎事件の真相を全て明かすことは難しい。しかし綾佳さんが魔女であったなら、まひろさんの妊娠の説明がつきます」


 俺の言葉に神原は曖昧に視線を彷徨わせた。


「ただの推測ではないか。何の証拠もない」

「二人が死んだとき、彼女らの母体から出てきた〝魔女の仔〟は、黒い仔ヤギだった。それが答えやと思いますが」

「──ッ、」 神原は声を詰まらせた。「だから! 以前話したはずだ……天界魔教の司教が、」

「その司教というのが、綾佳さんなのではないんですか」

「ふざけたことを言うな!」 神原は俺の襟元を掴み上げる。「どいつもこいつも頭がおかしいんじゃないのか? 綾佳が、天使の口付けに選ばれたのも、天界魔教も……!! あの子が『お母様』と天使を崇めたのも、全部──全部……!! この身が魔女だからか!? 私のせいか!? なあ────」

「旦那様! どうかもう、」

「黙れ!」


 神原は乱暴に雪島を振り払う。体勢を崩して床に倒れた彼女を見ても彼は何も言わなかった。肩で荒く息をしながら俺の襟から手を離す。

 そして、無言で左手の内に黒い杖を顕現させた。


「そうか」


 血走った眼窩がこちらへ向けられる。

 俺は判断を誤った。


 魔女の仔に生まれながら、俺は何の力も持たない。本物の魔女相手では勝ち目がない。腰に装備した警棒へ意識を向ける。こいつを付け焼刃の逮捕術で制圧できるだろうか? 仮にできたとして、その先は?


「最初からさっさとこうしておけばよかったんだ。そうすれば綾佳が、あの子が、し、司教などと……そんな譫言を聞かされずに済んだ。あの子がそんな、そんなはずはない。たった一人の愛しい娘だ。あの子さえ戻ってくるなら、地位も名誉もいらない!」


 そう叫んで、鋭く尖った杖の先端を喉笛へ向ける。


「────やめろ!!」


 俺の声に一瞬彼の腕が止まる。だが俺の制止はただの言葉にすぎず、呪言としての効力を持つことはない。しかし次の瞬間、彼の腕を細い腕が必死に掴んだ。


「旦那様!! どうか、どうか……!! もうおやめください!! お嬢様は、魔女としてのお力を、天界魔教のためにお使いになった……それはもう、動きようのない事実です!!」

「離せ雪島!! そんなことがあるわけがない!! あの子は────」

「いいえ、いいえ……、ああっ」


 雪島は振るわれた右手にふらつき、俺は慌てて彼女を受け止める。額に浮かぶ玉汗が如何に細身の彼女に無茶をさせたかを物語っていた。

 神原はその右手で顔を覆い、「何故だ……、?」そう、何度も零す。

 彼にとって娘の綾佳は何にも代え難い存在だった。だがその娘は、彼の思いとは裏腹に────


「綾佳さんは、どこまでも天界魔教の敬虔な信者やった。母親と同じように。あなたはそれが信じ難かったのでしょう。己が魔女という事実を忌まわしく思うあなたにとって、魔女が上に立ち、他者を搾取し、そしてわけのわからんもんを崇めとるカルトに傾倒していくのは……そうとう凄まじい苦痛やったはずや」

「頼む」

「あんたはよく知っとるでしょうが、魔術における天使とは単純に、聖書などに描かれる天使だけを指す言葉やない。〝天外からの使徒〟の全般を天使と呼ぶ。天界魔教の崇拝対象はこの〝天外からの使徒〟たちのうち、特に熾天使──最も危険で、公安局側から見れば忌むべき存在を崇めとる」

「やめてくれ……」


 神原の声は弱弱しく震えていた。俺は少し落ち着きを取り戻した雪島の肩から手を離す。彼女は頭を抱え込み、一人掛けのソファで項垂れた彼の背に細い手をあてる。先程とは違って、もう振り払う気力もないらしかった。

 床に転がった黒い杖を俺は拾い上げる。黒檀から削りだされた、かなり質の良いものだ。丹念に磨き上げられ、美しい木目が光の反射で顔を覗かせる。


「神原綾佳は、己の意志で『天使の口付け』処女懐胎を──己の次代を抱いた」


 俺の言葉に神原はひゅ、と細く息を吸い込む。雪島が「それは、」と俺へ呼びかける。


「……その通りです。お嬢様はずっと、天界魔教の敬虔な信徒でした。お亡くなりになった奥様と同じで……、私はお嬢様が幼いころからお仕えしてきましたが、あの方は心底天界魔教を、熾天使を信じておられた。けれど、まひろ様に出会ってから……、」

「己の信じるものがおかしいと気づいたのですか」

「と、いうよりも……、己の信ずるものと、そうでないものの境界をはっきりと認識なさっているようでした」


 雪島は微かに瞼を震わせ、真実に触れるのが恐ろしい、そう言わんばかりに手元へ視線を向けた。


「私はそれが酷く恐ろしかった。お嬢様は己の持つ力の使い方を、誰よりもよくわかっていたわ。まひろ様はお嬢様の暗部を一切知らぬまま、お嬢様を慕っていらっしゃった……」

「まひろさんが話した綾佳さんの横顔は……、魔女としての側面を徹底的に隠し、『神原綾佳』という少女を演じた姿やった、わけか……」


 俺は考える。

 綾佳は、己が処女懐胎したことで隠す必要性がなくなったのだろう。己が被害者であるかのように装い、深い繋がりを得ていたまひろの魔力を辿って空間転移を行う。


 そうして綾佳は己の仔をまひろに抱かせた。


 愛した彼女と、同じ場所へ──誰にも邪魔されない、理想の楽園イアルの野へ行くために。


 雪島も、神原も──唇を真一文字に結んで黙りこむ。沈黙が肯定の意を雄弁に語り、俺は口を開きかけてまた閉じる。何も言うべきではないと思った。彼らが己の唇で、真実を紡ぐまでは。


「綾佳は……目に入れても痛くない、私の、たった一人の娘だ。私の、娘……」


 神原は己に言い聞かせるように、ぼろぼろ言葉を漏らしている。彼は項垂れたまま、己が目を背けてきた真実に打ちひしがれているように見えた。



「罰だ」



 俺は蚊の鳴くような声が空気を震わせたのを聞く。神原は間違いなく「罰だ」と、そう言った。俺はその言葉を反芻する。


「これは罰だ、きっと。そうだ。……、私が、あんな……、事象の遺伝子などに、思い至らなければ。神秘を明かせるかもしれないなどと驕り高ぶったから。私は妻を、綾佳を失い、そして────四宮をも、冥府へ突き落とした」

「椿のことは……」


 俺は必死に彼を擁護する言葉を探す。神原は椿を殺したわけではない。

 確かに彼は椿の肉体を、沖田つばきという少女を実験台にして、世界の理をひっくり返せることを証明してみせた。それを非人道的行為と非難したい気持ちはあったが、ある意味で──十一人も医療従事者が死んだことを無視はできないが──彼女を救った立場であって、彼女を殺した犯人ではない。


 医学特区という場所が大規模な仮構エーテルである、として。最初から幻想の上に成り立つ仮構ならば。


 ふとそう考えて、俺は気づく。


 椿は医学特区の外側に出られない。出るのならば螺旋捜査官による監視が必須だった。彼女の生体データは常に公安局のサーバーへ送られ、位置情報や日々の行動にさえケチがつく。

 その全て。俺は今まで、単純に『四宮椿』という人物が危険極まりない存在だからだと考えていた。


 医学特区が仮構であるのなら、質量がありながら現実から隔絶された場所と定義できる。


 生体データの蓄積が、『四宮椿』の生を保証していた。

 マイクロチップの位置情報が、彼女の存在を保証していた。

 俺たちの目が、彼女を人と定義していた。


 つまり────。



「椿の殺害は……、儀式魔術の一部……?」


 俺の呟きに神原は顔を勢いよくあげた。顔は青ざめ、恐怖で硬直し、そして唇が何かを俺に伝えようとわなわな震えている。


「ッ、い、市ノ瀬」


 神原は胸を押さえてふらふらと俺へ近づく。そして左手で指が食い込むほど力を込めて俺の肩を掴む。


「急げ。お前は、もう、真実の一端を──、私は」

「神原さん。……神原さん!?」

「旦那様!! どうなさったのです!? 旦那様!」


 俺は崩れ落ちる彼を抱きとめる。蒼白の顔面は紫色になりかけており、明らかに心臓がやられているのが分かった。俺は彼を床に横たえて、


「しっかりしろ! 雪島さん、救急車を──」

「よせ」 神原が俺の腕を引く。

「あんたには生きる義務がある! 第四手術室の惨劇に関して、全てを話す義務が!」

「無理だ。むり、なんだ」


 彼の声は掠れて聞き取るのに顔を鼻先まで寄せねばならないほどだった。


「これは、……、……これは、罰だ。わ、わた、しは……、」





 ────私は、イアルの野へ渡れない。



 俺の耳に、はっきりとその囁き声がこびりつく。

 肩を揺する。大声で呼びかける。どれも、もう無意味だった。


 神原信近は間違いなく、死んでいた。

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