04_Forward: Silver Bullet - 06
「神原先生、椿の研究成果の剽窃……そこに隠された真実について教えていただけませんか」
俺は彼の憂いを帯びた瞳を真っ直ぐに見据える。神原は伏せがちな瞼をゆっくり持ち上げ、無感情に俺の方を見つめた。
「彼女の成果が表には出ない、本当の理由を知っているか?」
「……いえ」
「そうだろうな。たかだか数か月、監視者と被監視者という間柄では仕方あるまい」
神原の言葉に反論できず、唇から漏れた細い息だけが零れる。
椿は自分のことについて多くを語るたちではなかった。寧ろ俺には何も言おうとしなかった。ただ──嘴馬だけは、椿と多くの事を共有していた。
「ファイヤーフライという製薬会社がある。近年勢いのあるバイオベンチャーだ。四宮製薬がかなりの額を出資していたが──」
「ファイヤー、フライ……」 俺はポツリとその単語を反芻した。「確か、生殖細胞バンクでしたか」
奇妙な符合だった。俺が見ていたあの夢の中でも、ファイヤーフライ──それが出てきたことを思う。確かに生殖細胞バンクではあったが、実態は不明。神榮会という香港マフィアとの関係性も考えられる。
四宮製薬は椿の伯父が社長を務めている。そして椿にとって後見人という立場でもあるらしい。
すなわち──探られては困る内情がある。そういう話だろう。
「そうだ。厚労省も一度査察へ入ったらしいが……知らなかったのか?」
神原が投げやりに言った。
「もう十分だろう、螺旋捜査官。私を犯人だと思っていないなら、これ以上の詮索は時間の浪費だぞ」
「──ファイヤーフライが椿の研究成果の大部分を掻っ攫っとった、違いますか」
「そうだと言ったら、君はどうする」
「あなたが椿の研究成果を剽窃したことに、筋が通ると思います」
俺は少し緊張で早まる鼓動を押さえつけ、言葉を続けた。
「ゲノムインプリンティングに関する一連の研究は、ファイヤーフライも、その背後にいる四宮製薬も、そして──その研究成果を喉から手が出るほど欲しがったやろう天界魔教も、簡単には触れられないものになりました。それがあなたの狙いだったのでは?」
「……その為に私が四宮君と取引して、研究成果を譲り受けた、と?」 神原は挑発するように言う。
「椿はこの研究に関して『どうでもいい』と言った。だからあなたはそれを是とみなして、世の中に公表したんでしょう」
主観だが──少なくとも、この男は出世欲があるようには見えない。
そもそも東医は最初から研究というよりも、臨床医を育成することに重点をおいている。俺はそれを考えながら続けた。
「『天使の口付け』とか言って、処女懐胎を神聖視していた天界魔教みたいなカルトからしてみれば、この技術は喉から手が出るほど欲しかったはずや……だからあなたはゲノムインプリンティングに関するこの研究成果を真っ先に世へ出した。それが研究倫理に叛く行為であっても、もっと大きな倫理の線引きを守るために」
「……ただ、若い才能が恐ろしかっただけだ」
「奥様が天界魔教の熱心な教徒と聞いています」
「何が言いたい」
神原は俺を睨みつける。だがその瞳の奥では激しい動揺が隠しきれないほどに滲んでいた。
「……人間に別種の哺乳類を妊娠させることは、不可能なはずです。しかし今回の事件ではその不可能なはずなことが起こった。魔女の仔を孕まされたんやと、嘴馬先生はおっしゃっていましたが────」
「やめろ!!」 神原は声を荒げる。「魔女……、魔女の、仔、なんて」
「それにあなたは魔術師でしょう」
「──ッ、」
唇を噛んで黙り込んだ神原は、恨めしそうに俺の方を睨みつける。そして乱暴に前髪を引っ掻き、やつれた表情で床に視線を落とした。
俺は少しつつきすぎたと後悔したが、時すでに遅かった。口にした言葉をひっこめることなど出来るはずもない。思わず神原から視線を外す。
「……、その話をするなら、ここではない方がいい」
神原はそう言って左手を振った。手の内に黒い杖が出現する。虚空から杖を呼び出した──ように見えた。確かにこの手の西洋魔術を使う魔術師は多くいるが、虚空に物体を収納するのは空間魔術の範疇である。
魔女の魔術。空間魔術はそのように呼ばれることがある。
本来であれば、魔女という幻想種だけが起こせるはずの奇跡──それが空間魔術だ。しかし稀にそれを扱える魔術師も存在している。
「あんた──」
「初めて見た、という顔だな」
神原はくるりと杖を指先で弄ぶ。影がずるりと伸びて、そこから定型を持たぬ影のような黒猫が現れる。契約妖精と思われた。
「信近さん、」 峯岸が神原の肩を掴む。神原は一瞥で二言を制し、肩から手を退けさせる。
「……人によっては不快感を覚えるやもしれん」
「何をする気です?」
「空間魔術の真髄を見せてやる」
神原はそう言って杖を二度振った。
ぶつ、と視界が途切れる。再び目を見開いたとき、俺は────
ここは。
しまった。俺がそう気づいたのは既に魔術を発動されてからだった。ここがどこなのか、俺は周囲を見回す。もし薔薇が咲いていたら見事な庭園だったことだろう。庭には薔薇の茂みがあるが、暫く手入れされていないのは明白だった。
完全に油断していた。俺は拳銃のホルスターに収められた鉄に触れる。如何に魔術的改竄が加えられたキマイラであろうと、脳と心臓がやられれば死ぬ。死霊魔術のような、死体を操る魔術が組み込まれていなければ、の話ではあるが。
こつ、と靴音が背後から響く。俺は反射的に拳銃を引き抜いて銃口を向ける。
神原信近は鬱陶しそうに、纏わりつく犬をいなしていた。敵意の色がない。それが酷く、気色悪かった。
「銃をおろしてくれ」
「ここ、は……」
俺は必死に記憶を手繰る。正しければ軽井沢のはずだ。百五十キロ程度は離れている場所に一瞬で? 人間の質量を二人分転移させるなど正気の沙汰ではない。俺は警戒を解かないまま彼に向き直る。
「あんた、何者なんですか」
「魔女の仔だ」
何を言われたのか理解できず、俺は情けなく「は?」と声を上げることしかできない。
神原は俺の様子に、どこか呆れたように鼻で笑った。そして犬の額を軽く撫でて、
「母を殺して生まれてきたんだ」
それだけを静かに言った。
「魔女の胎から産み落とされた。それだけだ」
「じゃあ、あんたが……天界魔教を憎悪するのは、」
「君も目撃したとおり、魔女は仔を産み落とすとき──必ず母体を殺す。まひろさんの死を目撃したのだろう?」
『せんせい。わたし、しぬのね』
今際にそう言い残して、魔女の仔を産み落とした少女を思う。俺は思わず顔を歪めた。
「それは……」
俺は己の背骨を思う。俺も同じ穴の狢だった。だが、俺は眼前の男と違って、魔女としては欠陥品だ。
俺は魔女の仔として生まれながら、魔女の力を何一つ持っていなかった。
「天界魔教は魔女教から分派したカルトだ。天使を崇めていると言いながら、その実態は魔女がやりたい放題している。……その結果が、これだ」
「神原さん。俺は……天界魔教が嘗て、『第四手術室の惨劇』に関与したのではないかと疑っています」
「冴えているな」
神原は嘲るように笑う。
「一つ確かなのは──魔術結社としての天界魔教が抱く目標が、真の熾天使を降臨させることにある、ということだ。魔術を噛んだ端くれの君にはつまらない話だろうが、」
そんな前置きをして神原は再び口を開く。
「天空や天外からの使者……それらもまた、魔術に於いては〝天使〟と呼称される。そのうち、神性を持つものを〝熾天使〟と格付けしているわけだが────」
「あの現場に降りてきたのは純粋な天使ではなく、過去の神性の残響、ということですか」
俺の言葉に神原は頷いた。一歩、一歩とこちらへ歩みを進めてくる男に、俺は一歩後ずさる。
「入るといい」
神原は警戒を解かない俺に憐れむような瞳を投げる。
「何も、君を害そうなどと考えてはいない。……、ただ、魔術の話をするならば。工房に招き入れるのが礼儀だと思っただけだ」
***
客間に通されれば、家政婦としてここに勤めているのだろう──灰色の髪を団子にまとめた、小柄な女性が俺の前に紅茶のティーカップを置いた。
様式の統一された室内はどこか現実感がない。小説の舞台に入り込んだかのような錯覚を覚え、俺は両手を握り合わせてみたり、肩にかかっている長髪の毛先を弄んだりしてみる。どれもこれも明確な触覚があるだけで、結局安心材料になってはくれない。
そもそも魔術師の工房という役目を担わされた屋敷にいる時点で、猛獣の檻に放り込まれているのと同義だ。そんなことを思いながら、俺はティーカップに手を伸ばす。
「あ……、申し訳ありません。お砂糖はご入用かしら」
家政婦──雪島未希が声を上げた。俺がICUで見ていた夢と殆ど違わない姿に、少しだけ安堵を覚える。少し頬がこけてやつれたように見えた。
俺は短く「いえ、お構いなく」と素っ気ない言葉を返す。
「あの……」
「はい」
「差し出がましいことをお伺いしますけれど」
雪島は眉を落とす。
「この事件の、犯人は、まだ捕まっていないのでしょうか」
そして少し強い口調で、そう問いかけた。俺は何も返す言葉が思いつかず、
「……申し訳ありません」
「いいえ。責めたいわけではありません。ただ、旦那様はずっと……綾佳お嬢様を殺したのは自分だと、ご自分を責めておいでで……その呵責から少しでも御心が楽になればと」
「実は、その。事件が少々複雑化していて──」
俺は誤魔化すように鼻に触れる。
「四宮先生……綾佳さんの診察を軽く請け負った女医ですが」
「まさか、彼女も何者かに……」
雪島はさっと左手で口元を覆う。
「ごめんなさい。私、酷いことを」
いいえ、と言いかけて、正面に神原が腰かけたのを見て口を噤む。雪島はもう一つのティーカップへ紅茶を注ぎ、角砂糖が入った小瓶を傍に置いた。
「下がるな。このまま市ノ瀬捜査官に協力してやれ」
「しかし私が話せることなど、たかが知れております」
「彼は十三年前の事件についても調べている」
その言葉に、雪島は表情を強張らせて身体を震わせた。何故その話をと言わんばかりに見開かれた瞳が俺へ向けられる。
第四手術室の惨劇に関して、彼女が何か知っている。神原はそれを暗に示した。だが何故? 嫌な予感を気取って、脳内でちかちかと赤い警告灯が光っているイメージが過る。
「東医で、医療事故が起こって……、まだ幼い女の子が亡くなったと聞いています」
雪島は震える声でそう言った。それは対外的に公表されている『第四手術室の惨劇』に関する情報だった。
その医療事故は第四手術室の設備が突如故障したことが原因、という風に触れ回られている。そしてその結果現在に至るまで、第四手術室は使用不可──封鎖されている。真相は闇へ葬られ、事実を知っているのは。
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