04_Forward: Silver Bullet - 05

 幸いというべきか、京都に到着したのは三時四十分を過ぎた頃だった。もしもこれより遅ければ面倒なことになっていたかもしれない。俺は駅前でタクシーを拾って、伏見方面にあるその研究センターへ向かう。

 雲行きは怪しい。徐々に遠くの空から暗くなっていく。俺の内心がそのまま空模様になったかのような錯覚を覚えたが、ウェザーニュースによれば幸いなことに夜中まで持ち堪えてはくれるらしかった。


「どうも、おおきに」


 クレジットカードで代金を支払ってタクシーを降りる。運転手の京都弁が妙に耳に残って、俺は過去の記憶を振り払う。

 国立ゲノム医療研究センターは、厚労省が肝煎で進めてきた官民ファンドの研究施設だ。無論病床も備えており、関西地域の特定機能病院のひとつとされていた。


 ロビーは大病院とはとても思えない。ホテルのロビーかと見紛うほどだ。高級志向というよりかは、病院の白い威圧感を和らげる意図があるのだろう。

 俺はロビーは無視して通過し、真反対側の研究職員専用口へ向かう。警備員に捜査手帳を提示して研究センター内へ入ると、先程の温かみがある内装とは異なった無機質な空間が俺の視界に飛び込んだ。



「神原信近博士の研究室はわかりますか」

「六階です。向こうの職員専用エレベーター使うてください」 警備員は廊下の奥を指差した。

「どうも」


 俺は軽く会釈して先を急ぐ。一階は会議室と臨床検査室があるが、それだけだ。本丸はこの上にある。エレベーターのそばに掲示されたフロアマップには、確かに六階──『ゲノムインプリンティング』という文字があった。


 六階全てがその研究に使われている。

 つまり日常的にここで動物の生殖細胞に対する様々な研究が行われ、その中にはヒトの細胞を扱うものもあるだろう。


 そうであれば、件の熾天使連続殺人事件の被害者──板取まひろ、神原綾佳の両名が原因不明に妊娠をさせられた、その答えも分かるような気がした。

 これも事実と俺の夢の中が曖昧で、お互いに混じり合っているせいだ。何も自分の記憶を信用できない。そう思いながらエレベーターを待つ。

 俺は滑り込んできたそれに乗り込んで、俺は『6』の四角いボタンを押した。向こう側からバタバタと音を立てて、勢いよく誰かが走ってくる──俺は『開』ボタンを長押しして、その音の主人を待つ。


「あ、ああ。すみません」


 彼は馬子であった。ぴょこんと芦毛の耳が頭から飛び出ており、少し皺の寄った白衣をドクタースクラブの上に着ている。尾毛は丁寧に編まれており、毛が散らないように気を配っているのが伺えた。


 記憶を手繰る。この男は、確か──夢にも出てきた。俺はこの人物を知っている。



「峯岸先生?」


 口から思わず声が漏れる。彼は片耳をこちらへ向けて俺へ振り返った。


「はい?」


 産婦人科医──峯岸亘みねぎしわたるはきょとんとした顔を俺へ向けた。


「ん……、ああ、そのバッジ。厚労省の人だったんですね。あの……どこかでお会いしましたっけ、すみません……」


 彼の視線は俺のスーツジャケットの襟に注がれている。螺旋捜査部のピンバッジがそこには刺さっていた。


「以前捜査協力で少しお話を聞かせていただいたかと思いますが」

「あ、ああ……そう、でしたね」


 嘘ではないだろう、と思われた。だがこの反応には少しばかり引っかかった。彼が俺を覚えていないとしても無理はない気はする──俺単体であれば。だが峯岸と会ったのはどう考えても椿と一緒だったはずだ。


「確か──その際は四宮先生も一緒でしたが、覚えておいでですか」


 一瞬彼の耳が背後へ思い切り引き倒された。表情も強張り、明らかに椿の話題を避けたがっている雰囲気が手に取るようにわかった。


「何階ですか」

「同じです」


 声が少し震えている。違和感は強まっていたが、俺は気にしない素振りで到着を待つ。しばらくすれば自動音声が六階を案内し、俺は廊下へ踏み出す。

 階の構造は一階と変わらない。エレベーターのそばにある柱に案内表示がある。俺はそれを眺めようと、


「か……神原先生を探してるんでしょ」


 背後から突然、峯岸が話しかける。上擦った声で俺の挙動を警戒しているのがありありとわかった。


「何故そう思うんですか?」

「厚労省の役人がわざわざここに来るとしたら、神原さん以外に用事ないだろ」

「四宮椿の研究成果を、神原先生が剽窃した可能性があります」

「そんな話あるわけないだろ。あの子は────」

「事実かどうか分からないから話を聞きに来たんです。それに、他にも色々伺いたいことはありますから」

「まさか娘さんのことをほじくり返す気か!?」

「……否定は、しません。犯人がわからないまま捜査が終わろうとしているので、俺としてはまだ……」

「まるで自分がどうにかできるような口ぶりだね」

「三日間で真犯人を見つけろと、上司に無理難題ふっかけられてるので。手段を選ぶ段階はとっくに過ぎました」


 脳裏に過ったのは、俺の腕の中で冷たくなっていく椿の姿だった。

 指先から熱が奪われて、俺の身体に残された手術痕が鈍痛を残す。思わず左手を握りこみ、俺はその真実の記憶をなぞる。

 心臓を穿った凶弾が、容赦なく彼女の命を奪ったあの日。俺が何もできず彼女を見送るしかなかったあの日。

 その結果がこれだ。なんの慰めにもならないとしても、せめて真犯人を見つけたかった。


「……、見つかるわけない。あの子が匙投げたんだろ?」

「いえ」 俺は短く答える。

「なら何で螺旋捜査官だけがここへ派遣されてくるんだよ」

「四宮先生は亡くなりました」

「……は、」


 峯岸は息を呑む。その音だけが嫌に大きく聞こえ、俺は畳み掛けるように口を開いた。


「俺は真相を知りたい。神原先生の居場所をご存知なら、教えていただけませんか」

「悪かった」


 峯岸は短く言った。どこか白々しい言葉だと感じたのは、俺がきっと彼に猜疑心を向けているせいだろう。


「あの人、いつも居室にはいないんだ。第三実験室の一画に、衝立で区切ったところがあって……、そこにいる」

「ありがとうございます」

「頼む」 峯岸は俺に向かって突然頭を下げた。

「いや、ちょ……ッ、あ、頭上げてください。急に何を」

「あの人の傷に塩塗り込むようなことだけは、しないでくれ。……娘さんが亡くなってから、ずっと……」

「分かっています。不安なら同席してくださっても構いません」


 彼が何を言わんとするかは察しがついた。娘──即ち、処女懐胎という症例における、一人目の患者だ。

 俺が夢の中で事件を追体験した時、神原綾佳は生きていた。つまり第一の殺人が起きるよりも前の出来事が引っ張り出されて、無理矢理繋ぎ合わされた。

 本来であれば、処女懐胎の後に死亡した板取まひろ──彼女の死は順序が逆だ。夢ではまひろが第一の被害者という位置付けであったが、あれはおそらく、俺に焼きついた強烈な記憶が再現されたということだろう。


 俺は必死に思考を巡らせる。この事件の真犯人を捕らえたいと思うのは、単なる身勝手だ。

 この事件はどうせ全てが秘匿される。解決しようと自己満足にすぎず、死者は決して蘇らない。


 それでも俺は明かしたかった。

 内側から激しく突き動かされる情動の正体が何なのかはわからない。それでも今は信じていたかった。これは復讐とか、そういう無為なことでは無いと。彼女の意思を代わりに背負って、俺が俺の意思で事件を明かそうとしているのだと。


 第三実験室の扉を開ける。内部はどこの大学の実験室にもありそうな雰囲気だった。白いドアを隔てて、真横にある細胞培養専用の部屋と繋がっているようだ。

 その実験室の一角に奇妙な衝立がある。衝立のそばにはダンボールがいくつか置かれ、その中には論文の紙束と専門書が無造作に放り込まれていた。


「信近さん」


 峯岸が衝立へ呼びかける。緩慢な動作でくたびれたカッターシャツに黒のスラックスを身につけた男が姿を現した。

 神原信近。熾天使連続殺人事件──その被害者となった少女、神原綾佳の父親。彼は俺の記憶とは随分違う表情をしていた。原因は明確である。


「……螺旋捜査官が、私に何の用件だ」

「お忙しいところ申し訳ありません」

「挨拶は不要だ。それで……」 神原は海色の瞳を峯岸へ向ける。「何故彼をここへ連れてきた?」

「あ……、その、椿ちゃ……四宮先生のことで」

「四宮?」

「匿名のタレコミがあったんです。あなたが四宮の研究成果を剽窃したのだと」

「随分と暇なんだな。螺旋捜査官というのは」


 神原は嘲笑するような口調でそう言って、居心地悪そうに腕を組んだ。


「本命はその話ではありません。あくまでそれは副次的な話に過ぎませんから」

「はぐらかすような言い方はやめておきたまえ。品位に欠けるぞ」

「では単刀直入に伺いますが」 俺は軽く神原を睨んだ。「今から十三年前に発生した『第四手術室の惨劇』──そのように呼ばれている事件について、何かご存知ではないですか」

「……何の話か分かりかねる」

「あなたは東医にいた頃、椿の指導教員だった。彼女の指導を担うことになったのが果たして偶然とは思えません」

「大体何故そんな昔の話を掘り返しているんだ」

「四宮椿が殺されたからですよ」


 俺の言葉に、神原はわずかだが動揺を見せた。何故彼女が、と言いたげな表情が目の奥に浮かぶ。

 数秒の沈黙に耐えかねて、神原は口を開く。


「……、なるほど。つまり、君は私を犯人だと疑っているのか」

「今はあらゆる事件関係者を疑っています」

「ならば嘴馬も疑っているんだろうな」

「何故嘴馬先生なんです」

「四宮はあれが連れてきた。サヴァン症候群なんだ、面倒を見てやって欲しい、そう言ってな」


 神原は近場の丸椅子へ腰を下ろす。


「まあ──確かに私は、いかにもだろうからな。生命を弄ぶ魔術師という連中と、同じ穴の狢だ……」

「あなたがキマイラを使う魔術師であることは存じています」

「手段も動機もあるから私を第一容疑者とした、か?」

「逆です。俺はあなたが犯人だとは思っていません」

「え……?」

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