04_Forward: Silver Bullet - 04

──数刻後

いとしま医学特区 中央行政区 厚生労働省〈先進医学研究管理監視公安事務局〉





 喪服に似た黒のスーツに、最近新調したはずの黒いビジネスシューズ。髪は適当に背後で括っただけだが、それで十分だった。

 以前髪をくくっていた赤い組紐はどこかへやってしまった。椿にやったような気もしたが、それも曖昧である。

 ジャケットの内ポケットへ手を突っ込む。スマホ以外に何かもうひとつ、四角の硬い感触があった。俺はそれを掴む。



「口紅……」


 男が持つには随分と赤い色。イヴ・サンローランの口紅。椿が持っていた真っ赤なそれが、俺の手元にある。

 夢でも彼女は俺に口紅を寄越した。『酷い顔色だ』、そう言って。

 ロビーには誰もいない。静まり返った白い空間の中に、俺の革靴の音だけが響く。

 中央行政区の中心部にあるこの建物には公安局の本部が入っている。俺は降りてきたエレベーターへ乗り込み、十七階のボタンを押す。ガラス張りのエレベーターには青い顔をした自分が映っていた。


 俺は手に握ったままだった口紅の存在を思い出す。

 金色の蓋を開けて、真っ赤なルージュを唇へ押し当てる。

 これで少しはマシな顔色に見えるはずやろ、そう思いながら。


 十七階に到着したことを案内音声が告げる。合成音声なのだろうが、それが余計に画一的な雰囲気を助長した。相変わらず公安局はどこまでも規則的かつ無菌的で、コードミスを許さない空気に支配されている。


 エレベーターホールから左側の廊下、その突き当り。そこに──いとしま医学特区を含めた、九州全域に派遣された螺旋捜査官たちを束ねる新たな螺旋監察官インサートがいる。

 九州圏の螺旋監察官は長らく不在だった。理由は知らない。だが、ここに来て新たに派遣されてくるということは、上は本格的に熾天使連続殺人事件を秘匿処理するつもりなのだろう。


 椿の死も、事件の真相も、全て拭い去れない夜の内へ。

 そうなる前に全ての真実を白日の下に晒さなければならない。俺はそう思いながら、銀色のドアノブが突き出た白いドアをノックした。



「はい」


 張りがあり、よく通る声だった。そこまで若さは感じない。そして同時に、この声には聞き覚えがあった。


「失礼します」


 俺は少し広い室内へ立ち入る。壁も、床も白いその監察官室には二人がいた。


「市ノ瀬君!? 何で!?」 大城が勢いよく振り返る。

「嘴馬先生から、外出許可を貰いましたので」


 大嘘だった。呪言で彼に行動を強制させたのだ。我ながら手段を選ばなくなったと思いながら、こちらをじっと見つめる群青色の男へ視線を向ける。


「……お久しぶりです。海堂さん」

「ああ。仔細は承知している。私に聞きたいことがあるのだろう」


 厳しい目つきの男──海堂霧雨かいどうきりうは、ジャケットのボタンを嵌め込みながら立ち上がった。俺同様に彼もまた、喪服のような黒を身に着けている。ネクタイピンの青いスワロフスキーだけが、彼の唯一の色彩だった。


「熾天使連続殺人事件に関することですが、宜しいですか」

「それは大城の方が詳しいな」


 海堂はいつも通り、突き放すように言った。


「大城──」

「あ、ああ。もちろん。……僕の権限で閲覧できるようにした。IDカードで認証が通るはずだ」

「ありがとうございます」


 俺は踵を返す。それならば同じフロアにある公文書保管庫、そこに置かれたパソコンで閲覧できるはずだ──少なくとも、消されていなければ。


「待て」


 背後から海堂が呼び止める。俺は軽く顔をそちらへ向けた。


「四宮椿の代わりのつもりか? もしそうならやめておけ。私情は思考を曇らせる」

「それは……そう、かもしれません」

「仮に真犯人が明かされても、この事件は闇に葬られる。お前の献身を知る者はおらず、民間人に至ってはこの事件が起きたことさえ知る由はないのだぞ」


 口にした本音は半分程度だった。この事件の真相を知りたいという気持ちはもちろんある。しかし、そのもう半分は───



「この事件の真実を明かしたい。それだけです」



 俺は海堂へ振り返って応じた。彼は眉根を寄せて気難しい表情を浮かべたまま、ゆっくりと口を開く。


「市ノ瀬。、お前の行動は真犯人を捕えるためなのだな?」

「いや……海堂君!」


 大城が諫めるような口調で、俺と海堂を交互にあわあわと見る。


「資料はともかく、捜査に参加させるのは立派な職務規定違反だ! 流石に看過できない──」

「承知している。だが状況が状況だ」 海堂はぽつりと呟いた。「天界魔教を一網打尽にするにはまたとない好機。お前にも分かるだろう。何のために私がここへ派遣されたと思っている」

「いや、それはそうだけどさあ……、それに彼、ついさっきまで入院患者だったんだよ!?」

「天界魔教と神榮会をまとめて潰したい。それが厚労省と警視庁公安部の考えですか」


 俺は海堂へ問うた。彼は無言のまま頷き、


「より正確に言えば、陰陽庁も絡んでいる。公にはなっていないが、サイロ内閣情報調査室も」

「……、市ノ瀬君。警視庁のマル暴に、鬼頭慶次きとうけいじって人がいるの、知ってる?」


 大城が言いづらそうに俺へ問いかけた。俺は短く「ええ、まあ」と答える。俺がICUで意識不明だったとき、彼は俺の夢に出てきた。俺を随分疑り深い視線で観察していた──それが印象に残っている。

 ただ、思い返せばそれはきっと現実にも起きたことなのだろう。夢は記憶の断片を繋ぎ合わせたものという側面がある。俺はそんなことを脳裏で考える。


「彼は長らく天界魔教を追っていた。けど、彼を以ってしてもあのカルトの内部には迫れていない。それに最悪なのは神榮会と繋がってしまったことだ……」

「早く何とかしないと海外へ逃げられるかもしれないから、上が焦ってるんですね。それに……天界魔教にとって本命だった、椿の殺害も達成されてしまったから」


 俺の言葉に、大城は露骨に顔色を悪くした。どうやら俺は当たりを引いたらしい。


「特に公安と内調は、天界魔教と神榮会が国家に重大な危害を加えかねない組織だと考えている。そして今回の熾天使連続殺人事件でそれが証明された。だから陰陽庁も大々的に動かして、両者を確実に消したい……そういうことでしょう」

「ああ」


 海堂は答える。


「お前の推理は正しい。私がここへ派遣されたのは、螺旋捜査官たちを協同させるためだ。本来ならばお前も捜査に入る義務を負うが、」

「俺は熾天使連続殺人事件の被害者四宮椿と近しい。職務規定に従えば、捜査には参加できません」

「その通りだ」


 海堂は目を伏せる。そして──ゆっくりと、切れ長の目を持ち上げて、俺を真っ直ぐに群青色の瞳で捉えた。



「……三日後に、サイロと公安が派遣されてくる」

「海堂君! 駄目だって!」


 大城が海堂の右肩を掴む。


「彼は本来どの捜査にも参加させちゃいけない人間なんだって、分かるだろ?!」


 だが海堂は首を横に振るだけで、大城の制止を聞かずに口を開いた。



「三日で真犯人を見つけ出せ。それが私のできる最大限の譲歩だ」



 俺は無言で踵を返し、執務室を後にする。これ以上彼らと喋っている暇はない。まずは熾天使連続殺人事件──その事実関係の確認。そして、椿の死について──俺が見ようとしなかった真実を認識する必要がある。

 まず行くべきは国立ゲノム医療研究センター。神原信近を探る必要がある。


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