04_Forward: Silver Bullet - 02

「…………返す言葉もないよ」


 別になじるようなことを言いたいわけではなかったが、俺の言葉はどう考えても大城をなじっていた。俺は自分の無力さを棚に上げて、陰陽庁をつついている。それを認識するたびに、自分の幼稚さに嫌気がさした。


「だけど……、この事件はあまりにセンセーショナル過ぎた。秘匿して然るべきだよ」


 大城は悔しそうに両手を握り合わせる。


「最初の被害者である。そして……まあ、君には、釈迦に説法のようなものだろうけど」

「……意識が無い間、妙な夢を見すぎました」


 俺は素直に白状した。その言葉に、大城はかすかに目を見開く。表情を押し殺しているようにも思えて、俺は思わず顔を逸らした。


「正直、現実と夢の境界が今でも曖昧で──そう言われても、その……」

「なら、僕の方で、事件記録にアクセスできるようにしておく。ああ……でも頼むから下手な事は考えないでくれよ」

「分かっています。あくまで事実確認がしたいだけです」


 空虚な言葉が唇から漏れ出す。俺は白い掛布団を右手できつく握り、黙り込んだ俺を見計らって、大城は丸椅子から立ち上がる。


「僕は暫く、いとしまの庁舎にいるから。何かあったら連絡してくれ」

「いとしまに──ですか?」

「うん。新しい螺旋監察官が着任することになったからね。それの補佐を、って。やっとだよ……」


 そんなことを言って大城は病室の引き戸を開ける。出ていく直前にぺこり、と外へ頭を下げた──誰か人影がある。


 入れ替わるように入ってきたのは、一応主治医という位置づけになるのか、嘴馬遼士郎だった。先日よりは僅かにマシな顔色になっていたが、表情には強い疲労が隠しきれていない。


「お前の回復速度、ちょっと人外じみてるよ」


 嘴馬は誤魔化すようにふにゃりと笑った。茶化しと真剣さの間で言葉が揺れている。


「実際、そうですよ」 黙っておくつもりだった言葉がこぼれた。「半分人やないんで」

「冗談のつもりだったのに。当てちまったな。勘が良すぎるのも困りものだ」

「あの。熾天使連続殺人事件ってどれぐらい民間に報道されてたんですか」

「どうした? 急に」


 彼は露骨に顔を強張らせる。その話題が恐ろしいと顔に書かれていた。


「意識がない間、妙な夢を見ていました。その中では事件の要素が、こう……何というか、脳内で再構成されていた、というか」

「時系列がめちゃくちゃになってるのか」

「多分……そうだと、思います。それに正直、どこからが実際に起きたことだったか、それに──」


 というよりも、俺が自分の意思で曖昧にしているような気がした。俺は椿の死を完全に飲み下せてはいない。大城がやんわりと──強く制止したのはきっと、俺が彼女の弔い合戦を始めやしないかと恐々していたからだろう。


 止まる気はなかった。

『事件を明かせ』と後を託された以上、俺には義務があった。

 それだけではない。真犯人はきっとすぐそばにいる。ただの勘だと言われればそれまでだが、俺には確信があった。


 俺はこの事件の動機も、真相も知らない。椿はそれを明かしたが、その結果死んだ。

 手元のスマホには、未だに開けていない未読メッセージの通知があった。多くは仕事のものだが、それに混じってひとつ、椿からの短い連絡。


 何気ない話だ。彼女が遺伝子実験で使っていた酵素が切れたから、発注しておけ、というもの。


 もしもあの日、俺が彼女を引き留めていたら、何かが変わったのだろうか。


 彼女が何をした? そう叫んでいる内側の自分にも、何もできなかった自分の不甲斐なさにも、無性に腹が立っていた。


「咲良?」 嘴馬が俺の名を呼ぶ。

「いえ。……なんでもありません。つか、何かあったんですか」


 俺は強引に話題を変えた。嘴馬は困ったような笑顔を浮かべて、


「主治医が患者の容体を見に来るのは、普通のことだろ」

「この事件で死亡した患者にはあなたと接点があった。これも普通ですか」

「ちょっと待て。お前、俺があの事件の犯人だっつうのかよ」


 嘴馬は眉を寄せてこちらをじろりと睨む。俺はその様子にひとつの確信を抱いて口火を切った。


「この事件はおかしい。事件関係者全員に実行可能で、全員に動機がない。ならその全員と接点があっておかしくない立場の人間を疑うのは普通のことのはずや」

「その理屈はわかる。なら椿は? それに『全員に実行可能』っていうなら、椿も事件の容疑者に含まれるはずだ」

「それは、」 俺は迷いながらも呟く。「あいつの魔術の改竄が及ぶ範囲は生命現象でも、一時的な改竄だけです。それに本物の魔術師に師事しとらんから超がつく我流やし、人間を殺せるほどの力は無い。その場の落書きみたいなもんです」

「何にしても。俺は魔術師じゃない。俺を拘置所へ連れて行きたきゃ好きにしろよ。でもこの事件の犯行がいずれも魔術に依るものなら、俺には不可能だ」

「知っています。でも椿はんです。あいつの死に魔術師は関与しとらん」


 俺は困惑に揺れる嘴馬の瞳を見据えた。


「何、言って……」

「俺はこの事件の真相を暴きたい」


 嘴馬は目元を手で覆った。細いため息が溢れる。

 彼の中に、ひた隠しにしていた過去。そこには必ず真実へ至るための断片が眠っている。


 四宮椿は、第四手術室の惨劇と呼ばれる神秘案件における中心人物だ。

 そして今回引き起こされた熾天使連続殺人事件。椿は事件を解明する側として、その渦中へ身を投じている。少なくともいずれの事件にも接している嘴馬遼士郎が無関係だと言い切れる保証はない。


 俺は思う。

 この事件は────椿を殺害するために仕組まれたのではないか、と。


 椿を殺す動機はいくつか考えられる。だが、動機になり得る要素は少ない。

 そのうち最大のものが、眼前の男が真実を識るはずの事件──第四手術室の惨劇だった。


「この事件は『第四手術室の惨劇』と密接な関係があるはずです」

「やっぱり、……その話になるんだな」


 嘴馬は丸椅子に腰掛けて、軽く目を伏せた。痛みに耐えるように腕を組み、何も言わずに俺を促す。


「十一人も死んだんでしょう」


 俺は突き刺すような口調で続けた。


「けど誰もそれを知らん。ここまで徹底した秘匿がなされた理由は何なんですか? 熾天使降臨案件というのは──」


 嘴馬は何も答えず、視線を病室の壁に掛けられた淡い色合いの絵に向けていた。印象派チックな、ぼんやりした絵がそこにある。


「確かに、そうかもしれない。あれは……あの現場で十一人……いや、十二人の命と引き換えに、一人の命を救ったんだから」

「十二人?」


 生前の彼女は第四手術室の惨劇に関して、何も語ることはしなかった。

 俺もその一件は無意識に避けるようにしていた気がする。それに資料の一切が闇へ葬られ、まるで事件ごと無かったかのように扱われていた。


 椿の資料でさえ、開示されているのは微々たるものだ。

 真相を知っているものはいない。知っていても、固く口を閉ざしている。

 嘴馬はゆっくりと顔を持ち上げて、俺と視線を合わせた。


「十一人では」

「あの場で死んだ医療従事者は、な」

「けど椿は助かったはずでしょう」

「〝椿〟はな」


 その真意をはかりかねて、俺はたまらず「どういう意味です」と詰め寄る。嘴馬は自嘲気味に笑って、


「咲良。お前、椿が生まれながらに〝医学における万能の天才〟だったって思うか?」

「だってサヴァン症候群は先天的なもんで──」

「あいつが本当にサヴァン症候群だったなら良かったんだがな」

「煙に巻くような言い方すんなや」


 俺は彼の肩を掴んだ。嘴馬は俺の態度に顔を強張らせる。


「……、すみません」


 俺は反射的に肩から手を離した。第四手術室の惨劇という事件が如何に彼の心を深く抉ったのか、考えなくても容易に理解できたはずだ。


「いや……、いいんだ」


 嘴馬は悲愴な声音に、過去に置いてきた恐怖を隠さなかった。


「怖いんだよ。俺はあの日の出来事を細部まで覚えてる。皆、第四手術室には設備の問題があって、それで封鎖されてると思い込んでる。だけど実際は違う」

「十三年前に、実際に第四手術室で熾天使が降臨したからですか」

「その言い方は正確じゃない。あの時、俺たちは神秘を受肉させてしまった」


 俺は思わず言葉を失う。

 神秘を受肉させた? つまり──当時の第四手術室に神秘の遺物、ないしは神秘生命体の臓器が持ち込まれていたということになる。

 嘴馬は一つ、深く息を吐き出す。



「椿は十二人の命と引き換えに、手術台の上で再誕した」



 息が詰まる。黙ったままの俺に嘴馬は視線を投げる。俺が何も言わないのを見計らって、嘴馬は口を開いた。



「恐らくそれと同時に椿の肉体、そして彼女の背骨は改竄された」

「……、その時に、〝四宮椿〟という人格が生まれた?」

「多分。だけど誰があの場に神秘の遺物を持ち込んだのか──それは分からない」

「あんた以外に、その惨劇を目撃して……生き残った奴はいるんですか」

「いるよ」


 嘴馬は静かに言う。感情を必死に押し殺しているのが目に見えてわかった。


海堂霧雨かいどうきりう

「は? ……海堂さんが?」

「……知り合いか?」

「つくばにいた頃、厚労省で世話になっていました」

「なら俺が詳しく何か言わなくてもいいか」


 お前の方がよっぽどあいつの事知ってるかもな、と嘴馬は頬を緩める。


「でも海堂さんが医師免許持っとったなんて、聞いとらんですよ。それに……」

「あいつ、多分……、何か魔術で記憶弄られてんじゃねえかな」

「秘匿処理の事ですか」

「そう、それ。でも俺には何故か効かなかった。だから……」

「椿の指導医になって、あいつをこの医学特区に留め置いたんですね」

「……場所を変えよう。何か、温かいものでも飲むか?」


 嘴馬はそう言って立ち上がった。心なしか煙草を吸いたそうな顔をしている気がしたが、入院患者である俺の手前我慢しているらしい。

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