03_Reverse: Deceit Ruby - 04

 椿と視線がかちあう。全てを見透かされるような赤青の双眸が、俺の心臓を無理やり掴んだような感覚がした。

 こいつに真っ直ぐ見られると、自分の本質を触られているような気分になる。

 椿は満足したのか、目を瞬かせて峯岸へ視線を戻した。それとほぼ同時に、二日酔い直後に似た不快感は消え去る。



「峯岸──お前、嘴馬とそれについて話したか?」

「なんで? 話すわけないだろ。鼻で笑われて終わりだ」


 峯岸は首を横に振り、力なく項垂れた。


「一ヶ月前、嘴馬も同じ影を目撃している。板取まひろがICUに入っていた時だ」

「な、な、何、莫迦なこと」

「奇妙な符合だと思わんか?」

「俺が嘴馬さんと狂言をでっち上げてるって言いたいのかよ!?」


 峯岸は椿に詰め寄った。俺は右腕を遣って彼を制止する。苛立ちを隠すことなく、峯岸は頭を引っ掻いて続けた。


「君のせいだ」

「何だと……?」


 椿は目を僅かに見開く。そう言われるのは心外だというよりも、それを指摘されることに恐怖を覚えているような──そんな表情を貼り付けている。


「君がまひろさんを殺したようなもんだろ。大体嘴馬さんも嘴馬さんだ……何でこんな……」

「否定はしない。……まひろを救えなかったのは、紛れもない事実だ」

「……、いや、ごめん……悪かった。八つ当たりだ……いい年こいて、みっともない事を」


 峯岸はそう言って項垂れる。震える唇の隙間から細い息が零れて、


「と、とにかく、その。俺は、……まひろさんの、ことは……」

「わかっている。お前はこの一件において、どうせ何も出来やしなかった」


 椿は無慈悲に告げた。その声に峯岸は勢いよく顔を上げる。彼女の言葉が大脳新皮質にはっきりと焼き付いたのだろう──苦痛に満ちた表情が顔には浮かんでいた。


「──案ずるな。必ず私がこの事件を解体する」

「椿ちゃん」


 峯岸は耳を椿の方へ真っ直ぐに向け、何か言葉を紡ごうと顎を震わせた。しかし吐き出されるのは喘鳴ばかりで、結局何も言わずに唇を結ぶ。



「この事件は私が解かなければならない」



 その言葉は自分に言い聞かせているようでいて、存分に迷いが見え隠れしている。俺は彼女の方へゆっくり視線を動かした。

 椿は俺の視線に気づいていたのか、勢いよく身体を俺の方へ回転させる。


「板取まひろの母親に会うぞ。まずはそれからだ」

「ちょ、椿ちゃん!?」 峯岸は突き刺すように叫ぶ。「俺の話聞いてたかよ!?」

「聞いていた。だがお前がそこまで言うということは、必ず理由があるだろう。無意味にそんなことを言うとは思えない」


 椿の声に、峯岸は顔を青くして意識を狭めて凝視していた。


「だ、駄目だ!」

「峯岸先生……あの、なぜそこまで」

「だって……」 峯岸は頭を掻きむしって、「だ、だって。彼女は……、同じ、なんだ」

「同じ──というのは、どういうことです」


 俺はその声にわざとらしい猜疑心を滲ませて問いかける。縮こまって震える峯岸は信じ難いと自分でも思っているのか、声を震わせながら俺の疑問に答えた。



「同じ顔なんだ」



 その言葉の意味が分からず、頭がスパークしたのがわかった。

 同じ顔? それは娘のまひろと、母親が同じ顔をしている、という意味だろうか? 似ているという次元を超えて「同じ顔」というのであれば、それは明らかに奇妙な話──奇妙どころか、酷くおぞましい。

 頭の血管が軽く引っ張られ、視界が右巻きにうねるような幻覚を感じ取る。

 椿は厳しい顔のまま震えている峯岸を見下ろす。


「ま、まひろさんと母親は瓜二つどころじゃない。全く同じ顔をしてるんだ! ありえないだろ!? 母娘だぞ!? あ、あ、あんなの──」


 必死に抑え込んでいた恐怖が、不安が、心の堰を切って溢れ出す。必死に現実から逃げ出したいと全身が叫んでいるのがみてとれ、俺は彼の背を摩る。


「クローンだ。クローンだよ! う、う、うう」

「んなアホな。大体そんなこと」

「有り得ない、か?」


 椿は俺の言葉に冷たく言った。彼女は確かに『有り得ないなんてことは有り得ない』と言った。しかしクローン人間がこの世にいたためしはない。この世に生を受けたクローン羊のドリーは六年で死亡した。


「咲良。残念ながらクローンはコピー元よりも短命という根拠はどこにもなかった。ドリーが死んだのは感染症が原因だと考えられている」

「何も言っとらんやろうがちゃ」

「お前は思考が顔に出過ぎなんだ」


 椿はどこか腹立たしいと言わんばかりに息を鋭く吐く。そして顎に手を当ててぼそりと──漸くここまで来た、と呟く。

 何がここまで来たかちゃ、と口をへの字に曲げるが、彼女は俺の様子など歯牙にもかけずに凍り付くような視線を峯岸へ投げつけた。


「板取まひろの母親の職場は?」

「け、繋生会けいせいかい、天神総合病院」


 峯岸はもう無駄だと悟ったか、それとも椿の言葉が首元へ突きつけられた手術剪刀に思えているのか、声を震わせながら言った。


「そこの内科看護師らしい。父親はわかんない。会社の役員で、ずっと海外、としか」

「──いいだろう」


 椿は実に楽しそうな──それでいてシニカルな笑みを浮かべる。


「咲良。車を回せ。繋生会天神総合病院へ行くぞ」



***



「人間のクローンを生み出すのは、理論上可能だ。だが誰もやらない。費用がかかりすぎるからな」


 俺が運転する公用車の助手席に座った椿は、何の脈絡もなくそう呟いた。

 窓の外に遠く見える医学特区はLEDの白い光に照らされている。既に時刻は五時半を過ぎたと言うのに、昼間のように明るく輝いていた。無機質なガラスと白いアスファルト、街はまるで巨大な病院のようである。


 漂白された都市に視線を向ける椿の瞳は、見たことのない憂いを帯びている。

 この都市に住まう人々の背骨を、彼女はすっかり明かしているのだろう。

 遺伝子という生命体の設計図を読み解くこと。それこそが彼女の研究の根幹だ。


 それを研究していれば、一度は誰もが思うのではないだろうか。生命体の設計図を自在に書き換えられれば、人間の全てを──それどころか、〝生命とは何か〟という大きな問いにさえ、答えを出せるかもしれない、と。


 そしてその問いの答えに最も近づいているのは、俺の真横にいる〝医学における万能の天才〟だろう。

 俺はそんなことを思いながら、彼女が続きを話すのを待った。

 カーナビの上で車を示す三角形が、緩やかに高速道路を滑っている。


「分化済みの細胞を未分化状態まで巻き戻し、生殖細胞に変えることは実験室レベルで既に実例がある」

「鬼頭さんは神榮会しんえいかいと天界魔教に繋がりがあるっつったよな」


 俺はいけすかない刑事のことを思い出しながら続ける。そして、それを聞かされた椿はこう言っていた──『板取まひろは神榮会と繋がっている』と。

 俺にはまだ香港系マフィアとあの女子高生に一体どんな繋がりがあるのか、全く見通せずにいた。


「天界魔教が魔術結社であり、神榮会と結びついているなら──奴らが天界魔教へ資金を拠出しているということだろう。そうなるとカルト宗教の側面と魔術結社の側面が分離している、とも考えられる。実験設備を整えている可能性は捨てきれない。今はまだあらゆる可能性を検討せねばならん」

「峯岸先生は相当錯乱しとった。あの人の妄想っちゅう可能性も」

「無論あり得る」


 椿は俺の声に軽く顎を引いた。


「それを確かめるために、ここへ来たんだろう」


 眼前にあるのはアイボリー色の外装で覆われた総合病院である。建物の高い位置に『繋生会けいせいかい天神総合病院』という文字があった。福岡市の中心部、愛憎渦巻くネオンの街の傍に立つ、中規模の総合病院である。

 外来用の駐車場に車を停め、椿は当然のように降りて救急外来の傍にある守衛室へ向かう。俺は彼女の背を慌てて追い、守衛室のガラスを叩く。


「はい」


 少し草臥れた声で守衛が俺の方へ呼びかけた。


「厚生労働省の螺旋捜査官です。少々よろしいですか」

「螺旋捜査官……、ああ、先程ご連絡いただいた」


 俺は思わず振り返る。椿は肩をすくめてみせた。

 救急外来の待合は守衛室の冷たさとは随分異なり、木目調の温かな雰囲気である。若草色の椅子には何人か患者の家族と思われる人々がいたが、俺たちには一瞥もくれず祈るような面持ちでお互いを慮っていた。


 総合外来のロビーへ出て、エレベーターホールへ向かう。既に診療時間を終えいくつか明かりも落とされているせいか、余計に空間が広く感じられた。程なく降りてきたエレベーターに乗り込めば、椿は迷わず四階を押した。

 案内表示に目を向ければ、そこには内科の医局がある。


 椿は独り言つ。「同業とは──鬼が出るか蛇が出るか……」誰に聞かせるでもない言葉の後、到着音が箱に響く。エレベーターホールの真横にあるナースステーションを通り過ぎて、そのすぐ傍に医局はあった。


「あの」


 背後から若い声が響く。自信なさげに眉を下げた看護師が俺たちの方を見ていた。


「面会時間はとっくに過ぎていますが」

「申し訳ありません。厚生労働省の螺旋捜査官です。少々お伺いしたいことが」


 俺の声に彼女は微かに眉を顰め、「はあ」と探るような声を上げた。


「ここに板取あゆみという看護師がいるな」

「板取さんですか?」


 看護師はカウンターに置かれた勤怠表へ目線を向ける。


「今日は、当直ではないですね」

「なら彼女と親しい者はいるか? 誰でもいい」

「あの……あなたは? そちらはその……螺旋捜査官の方、ですよね」


 あからさまに警戒心を剥き出しにして看護師は言った。椿はその様子を特段気にもせず、どこか冷笑するような口調で、


「私は四宮椿。東都医科大学附属病院に所属する総合診療医だ。諸般の事情からこいつの捜査に手を貸している」


 と、虚構と真実のスレスレのような事を言ってのけた。

 ある意味で間違ってはいないのだが。


「はあ……」 看護師は猜疑心をぬぐえないのか、曖昧な返事を寄こした。「板取さん、だったら。その……、消化器外科の、東屋あずまや先生とは、有名ですが」

「有名?」


 看護師は椿の声に周囲を気にするようなそぶりを見せて、そろりとこちらへ近づく。そして蚊の鳴くような声で言った。


「なんか。不倫してるらしいんです。ふたり。旦那さんとうまくいってないらしくて。東屋先生も奥さんとそんな感じみたいで……、それで」

「その東屋とかいう外科医は今どこにいる」

「確か今日は当直だったと思います」


 看護師は渋々といった様子でPHSを取り出して耳へあてがった。


「こちらへいらっしゃるそうです。少しお待ちいただけますか」

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