03_Reverse: Deceit Ruby - 03
「しかし参りましたねえ。まさか板取まひろが死ぬとは」
「ほう? 板取まひろは天界魔教ではなく、神榮会と繋がっているのか」
「いやあ喋りすぎちゃいましたねえ。聞かなかったことにしてもらえませんか」
それだけ言い残して、彼は喫煙所を後にした。
しかし──板取まひろが神榮会と繋がっている? どういうことだ、と俺は混乱する頭で必死に状況を整理する。
俺は事件の発端が神原綾佳の妊娠だと考えていた。だが果たして本当にそうなのだろうか?
彼女は三ヶ月前に原因不明の処女懐胎をした。そして一ヶ月前──板取まひろが東医へ搬送され、手術を受ける。その際に彼女は魔女の仔を孕まされた。そしてそれを嘴馬遼士郎が目撃している。
だが、ここに来て板取まひろと神榮会の繋がりが浮上した。そしてこの処女懐胎事件以前──十二年前、東医では『第四手術室の惨劇』と呼ばれる熾天使降臨案件が発生している。
全ての起点が綾佳ではなく『第四手術室の惨劇』であるのなら──そこで死亡したはずの患者が狙われた、ということか?
処女懐胎という『事件』を意図的に起こし、『第四手術室の惨劇』で殺害された医療従事者の弔い合戦をする気なのか?
俺は思わず一点を見つめている彼女の名を呼んだ。あまりに落ち着き払っている椿が恐ろしかったのだ。
「復讐を企てているとでも言いたげだな。咲良」
「それは……けど実際、あり得る仮説やろうが」
「否定はしない。が、あの事件は徹底的に秘匿された。一般人は誰も知らない」
確かにそうかもしれないが、記憶を完全に消すことは不可能だ。おぼろげながらも覚えていた人物が、復讐の機会を窺っていた可能性も捨てきれない。
しかも処女懐胎という事件を起こすのに、わざわざ魔術師である神原家を選んだのだから、できる限り証拠の残らない方法で計画を立てている可能性もある。
「そういえば、峯岸先生が言っとったよな。まひろさんの父親は会社の役員か何かやって……」
「物は言いようとはまさにこのことだな。まあ証拠がない以上、なんとも言い難いが」
椿の視線はスマホの地図へ向いている。時刻はすでに夕方六時を示していた。
六時? 確かにそうだ──
いや、何かがおかしい。
何かがおかしい。そう確信したとき、椿の手元にあったスマホの画面が歪んだ。いや、より正確にいえば椿の腕周囲の空間ごと、まるで一枚の絵がぐしゃりと握りつぶされたように歪曲する。
俺は何かを見落としている。そんなひどい焦燥感に駆られて俺は思わず、
「椿。待てや」
「なんだ? 何か気づいたことでも?」
「なんで……鬼頭さんはあんな色々知っとるんや」
「あいつが真犯人だとでも?」
椿は俺を鼻で笑った。いつも通りの反応だ、と思う。彼女は大概俺を小莫迦にしている節があった。
「奴は元々警視庁の刑事だ」
「いつからや?」
俺の視界が点滅している。バクバクと激しさを増す鼓動に、背中を伝う冷や汗に、俺はもう己の内から湧き上がる恐怖を覆い隠すことさえできなくなっていた。
「いつから……? お前、会ったことはなかったのか? 警察病院にいたんだろう」
椿は呆れたように言った。
そうだ。彼女は正しい。
「あ、ああ、うん。……そうやな。俺の記憶違いかもしれん……」
彼女は正しい。そして同時にそれが、言いようのない恐怖の正体だと気づく。
遠くで規則正しいバイタル音が聞こえる。徐々に加速しているバイタル音が。そして甲高い音が響いて、バイタル危険域を知らせるアラートが響く。
誰かが死にかけている。
わからない。境界がぼやけて滲む。
怒号が聞こえる。悲鳴が音と混ざりあう。
椿の瞳がこちらを見た。次の瞬間、赤青の瞳を煌めかせ、
「────ああ、咲良。お前、夢を見ているな?」
夢? こいつは何を言っているんだ。だがそれを世迷いごとだとは思いきれず、俺は思わず目を擦る。
先程彼女の周辺に見えた歪みは無く、椿が手にしている赤いスマホには相変わらず健気な地図アプリが表示されたままだ。
恐怖で顔を強張らせている俺を見て、椿は軽く頭を振った。
「あ……?」
短く声を漏らしてデジタル時計で時刻を確認する。時刻は──十六時きっかりを示していた。きっと横の『1』を見落として、六時だと思い込んだだけだろう。
ぴくぴくと痙攣している瞼が忌々しかったが、きっと有り得ない出来事を経験して疲れているだけだ。
そう思い込まないと、激しい耳鳴りに意識が飲まれそうだった。
「椿」
「なんだ」
椿はふらりふらりと左右に揺れ動く、焦点の定まらない瞳を俺の方へ向ける。明らかにまひろの死にショックを受けて、精神的に参っているのがありありと分かった。
「送っていくから、今日はもう休め」
「お前、私の家の住所を、いや、そう、……そうだったな。そうだ……螺旋捜査官どもには、私のあらゆる情報が……公開、されている」
「おい、椿!?」
ゆら、と彼女の身体が傾く。俺は慌てて細い体躯を抱きとめる。
「少しばかり眩暈がしただけだ。行くぞ、咲良。峯岸に会わねば」
「いや、お前──んなこと言ったって……」
椿は手品のようにイヴ・サンローランの口紅を取り出して、乱暴に真っ白な唇に塗りつけた。
「そんなもの、これでいくらでも誤魔化せる」
向こうが透き通りそうなほど青白い肌に、燃えるような緋色が浮いている。
「私は私の責務を果たす。お前は黙って私の忠実なボズウェルでいろ」
***
峯岸亘は乱暴に居室へ押し入ってきた椿を見るなり、「ひん!」と情け無い声をあげて事務椅子ごと転がった。真っ青の顔に芦毛、そして白衣という出立だったせいで余計に顔色が悪く見える。
怯えを隠さない馬耳は後頭部にへばりついていた。峯岸は俺と椿を交互に見て、
「お、俺じゃない! 俺は殺してない!」
まるで椿が死神か何かにでも見えているらしい。俺は床で縮こまって震えている彼に近づいて、できる限り柔らかく声をかける。
「峯岸先生。落ち着いてください。何も俺たちはあなたを糾弾したいわけではありません」
「嘘つけッ!!」
峯岸は錯乱した様子で、乱暴に俺の手を振り払った。
「さっき刑事が来たんだよ! 俺を収賄容疑で逮捕するって言って! 椿ちゃんだろ!?」
「鬼頭め……余計なことを……」
椿はすでに立ち去った刑事の名を口にした。
あの食えない男なら逮捕状をちらつかせて証言を取る──そんな強引なこともやりかねない、なんとなく想像がつく。
「やつはサトリなのだ。奴の前で我々の心の声はダダ漏れ、隠し事は通用しない。残念ながら私は何もしていない」
「……そんなの、妖怪じゃん……」
峯岸は目尻に涙を溜めながら呟く。そこには諦観と呆れの色が交互に見え隠れしている。一方で多少の落ち着きは取り戻したようだった。
「板取まひろの両親の連絡先を知っているな」
「そりゃあ……知ってるけど、待ってよ。まさか会いに行くとか言わないよね!?」
「莫迦め、この状況だぞ? 情報を得るならまずは両親を当たらねば話になるまい」
「駄目だ! 絶対にやめろ!」
彼は耳をピンと立て、血相を変えて叫んだ。その声に椿はびくりと肩を震わせて、
「ぜ、ぜ、絶対やめろ! とにかく、絶対だ!!」
「……なんで、そこまで……あ、ちょっと!」
峯岸は俺を無視してふらふらと椿へ近づき、凄まじい力を込めて彼女の肩を掴む。
「分かった、分かったから落ち着け」
椿はされるがままに肩を引っ掴まれてがくがくと揺らされている。
「……、神原綾佳の経過はどうだ? 何か変わったことは?」
「いや……何も。もし何かあれば雪島さんから連絡が来る……」
峯岸の視線の先にあるスマホは沈黙したままだ。椿は軽く腕を組んで「だろうな」と零すに留め、平静さを失っている彼をつぶさに観察した。
十二年前に東医で起きた事件を、彼は知っているのだろうか。嘴馬の後輩であれば知らないかもしれない。だが聞いておくべきだろうという確信があった。
「峯岸先生」
「なんだよ……」
「十二年前に東医で起きた未解決事件をご存じですか?」
彼はその言葉に、徐々に顔を硬直させた。そして限界まで見開かれた目を俺に向けて、全身を震わせながら「知らない」──冷ややかな声で言う。
その様子からは必死に声を絞り出しているような印象を与えられて、俺は少し眉根を寄せて不機嫌な表情を作り、もう一度「峯岸先生?」と訝しむような声を出す。
「知らない。そ、それは……けど、第四手術室は……出るんだよ」
「出る? 出るって、何が出るんですか」
「──そんなの決まってるだろ!? 幽霊だよ!!」
「幽霊だと? 非科学的だな。有り得ない」
非科学の代表者があっけらかんと言う。椿の影からは不満げにカンブリアの触腕が時折飛び出ていた。
「有り得るんだよ! 俺は見たんだから。当直のとき見たんだ」
「いつの話だ?」
「い、一か月ぐらい前。胎盤剥離で緊急手術に入ったんだ……そ、そのとき、第四手術室の傍に立ってる黒い影を見たんだ!」
「まさか、その影って」 俺は嘴馬の発言を思い出す。「黒髪の女? 足元にヤギがおったんやないですか」
「そうだよ!」
峯岸は恐怖に身を任せて叫んだ。限界を超えた瞳から涙が零れ、彼は白衣の袖でがしがしと乱暴に目元を拭う。
「や、ヤギかはわかんないけど。でも確かに、なんか、そんな……そんな感じの影は、あった、と思う」
「つまり、嘴馬と峯岸、板取まひろに関わった双方が謎の黒髪の女、その影を目撃したわけだな。片方はICU、片方は──第四手術室の前で」
「でもおかしいんだよ。第四手術室には誰も近づかない。封鎖されてるから……用事がそもそも、ないっていうか」
前提として、東医の第四手術室は未解決事件の現場である上に、熾天使降臨案件という最上位の秘匿指定がなされている事件の現場である。
仮に〝本当に〟熾天使が降臨していた場合、そんなことになれば確実に現実歪曲が起き、普通の人間は精神を犯されて発狂してしまうだろう。そしてその汚染は〝神秘汚染〟として、現実を歪める感染源になり続ける。
当時、第四手術室では十一人が死んだらしい。彼らがどうやって死んだのかは不明だが、少なくともまともな死に方はしていない──俺はそんなことを思いながら椿を伺った。彼女の瞳は相変わらず鋭利な輝きを放っていたが、その奥には暗く澱んだ死の気配が纏わりついている。
現代において、病院は最も生死の境目が曖昧な場所だ。条件さえ整えば、魔術儀式を行うには適した環境と言えるだろう。
例えば────屍者蘇生。
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