03_Reverse: Deceit Ruby - 02
「十二年前に発生した殺人事件ですよ」
鬼頭は唐突に切りだして、唇に煙草を咥える。そして慣れた手つきで火を点けて、紫煙をもくもくと吐き出した。
椿がゆっくり、告解のように口を開く。
瞼の端がぴくぴくと痙攣している。何か強い違和感があったが、きっと俺の杞憂だろう。
「凄惨な交通事故が起きて、少女が運び込まれた。が、そこでアクシデントが起きた」
「……それが、第四手術室の惨劇?」
「いや。問題はその後だ」
鬼頭は背後に置かれていたパイプ椅子に腰かけて、再び煙草を口にあてがった。
「その時、高速道路でかなり派手な事故が起きてたんですよ。確か飲酒運転の車と、患者が乗っていた車が正面衝突した。で、一番近かった東医に搬送されたわけです」
「当時の執刀医って」
「
予想はしていた。だがそう言われると疑念が湧き上がってくる。
十二年前に発生した『第四手術室の惨劇』。そして今回死亡した板取まひろの外傷性心タンポナーデを完全に治療したのも、また彼。
いずれの事件にも嘴馬遼士郎という心臓外科医がいる。これは果たして偶然だろうか?
俺はどこか飄々とした雰囲気の彼を思い返す。嘴馬は嘘こそついていないのだろうが、語っていないことがきっと多くあるのだろう。
俺はそんなことを思いながら、椿の方をちらりと見遣る。相変わらず表情の読めない顔をしているが、その奥には強い焦燥が滲んでいるのが何となくわかった。
「あの事件は私の独断によるものだ。嘴馬は関係ない」
「独断?」
俺は椿に問いかける。だがその声が聞こえていないかのように、椿は無視して続けた。
「オペは成功した。嘴馬がいたからな」
「オペは、っつうことは……」
患者は術後に亡くなったということだろう。
しかし、仮にそうだとしても辻褄が合わない。椿は二十一歳──『第四手術室の惨劇』の現場にいたというのは──。俺は必死で思考を巡らせる。
そして、ふと思い至る。大城が何と言っていたのか。
椿は患者としてそこにいた。それが何を意味しているのか。
「まさか」
俺は嫌な予感に背筋を凍り付かせる。
『君さ、熾天使降臨案件って聞いたことある?』
十二年前、東医の第四手術室に熾天使が──本当に降臨した。
椿は一切感情が乗っていない口調で、
「そういうことだ」
椿は俺の表情を読み取り、静かに頷く。
パイプ椅子が軋む音だけが嫌に大きく聞こえて、俺は居心地の悪さにわざとらしく彼女から顔を逸らす。
無駄に長い髪が揺れて、こちらへ漂ってきていた紫煙が俺の動きでふわりと流された。
「だが──十二年前の事件と、今回の事件が繋がっているとは断言できない」
その言葉に鬼頭は薄く笑う。
魚が食いついたと言わんばかりの表情に、俺は嫌悪感を見出した。これから先を聞きたくないと言わんばかりに、耳鳴りが激しさを増す。
「鬼頭。貴様、何を知っている?」
「聞きたいのはこっちなんですがねえ」
「天界魔教だ」
その単語に鬼頭は少し目を見開き、そして細めた。何かを値踏みするように。
「板取まひろの知人に、神原綾佳という人物がいる。彼女の母親はそのカルトの熱心な信者らしい」
「それとこの事件に何の関係があるというんですかね」
「神原綾佳の妊娠だ。その後、板取まひろも同じように妊娠した」
「性犯罪か……」
鬼頭は考え込むように視線を下げて、スマホで何か資料を見ながら続ける。
「いや、特に捜査は行われていませんね。……しかし今回の
「……同意しよう」
椿の声はどこか空虚で掠れており、まひろの死を受け止めきれていないのがよく分かった。脳裏でフラッシュバックする凄惨な赤に、俺も思わず胃酸がせり上がってくる幻覚を感じる。
「さっきはああ言いましたがね、これは明らかに警察の手に負える話じゃないですよ」
「なら陰陽庁には俺から伝えます」
俺は必死に感覚を飲み下しながら言った。鬼頭は「そう?」と怪訝そうな表情をこちらに向けたが、すぐに元の表情に戻る。
「大城さんとちょいちょい話す機会があるんですがね」
何故この男から、俺の上司の名が出る? 俺は嫌な感覚に苛まれながら口を開いた。
「アンタ、何者です?」
鬼頭はスマホを触りながらそう言った。俺は努めて冷静に返す。
「イラつかせて何か喋らせようとしてるなら、悪手だと思いますよ」
「ははは! すいませんねえ、疑いすぎちゃうのは俺の悪い癖ですよ。で、なんでしたっけ? 天界魔教でしたか」
「いつまで咲良をつつきまわしているのだ。さっさと話せ」
椿はしびれを切らして苛立ちを隠さずにそう言った。その様子に鬼頭は頭を軽く横に振り、「はいはい」と短く応じて煙草の火を消した。
「最近かなり危険視されてましてね。信者が爆発的に増えてますし、それ以前に魔術結社ですから」
「いつから県警は魔術結社の情報も把握するようになった? 陰陽庁の管轄だろう」
「連絡役だけですよ。俺を含め、数人程度しか知りません」
鬼頭はもう一本煙草を取り出し、唇に咥えた。椿が「寄こせ」と一本要求する。
彼は箱とライターごと椿に手渡し、代わりに懐からメモ帳を取り出してページを繰った。
「そもそも天界魔教は欧州の魔女教に所縁を持つカルトです。魔女教自体はかなり歴史あるカルトで、本来は『魔女が信仰している宗教』だから『魔女教』という俗称で……要は、これといった名称があるわけではありませんでした」
「魔女教と呼称されるようになったカルトは、本来の信仰とは全く別物ということですね」
「理解が早くて助かりますよ。そしてさらにその魔女教から分派したのが、」
「天界魔教。天使を崇めるカルト宗教、か」
椿は煙草を咥えたまま、両手の指先を突き合わせて呟いた。
彼女の双眸は指先に注がれている。思考に潜るときの癖なのだろう──その椿を気にしているのか彼女の影が軽く波打って、カンブリアの複眼がきょろきょろと遠慮がちに覗いていた。
「その通りです。ただ……率直に言って、我々は天界魔教の魔術結社としての側面には詳しくありません」
鬼頭は前置きをして続ける。
「こいつらが多くの人を食い物にしているのは間違いありません。さらに最悪なのは、反社と繋がっている可能性が非常に高いということです」
反社会的勢力──すなわちマフィアやギャング、ヤクザなどの連中と魔術結社が繋がっているケースは非常に多い。
魔術を研究するにはどうしても金がかかる。魔術だけでは食っていけるわけがないのは当然のことだ。故に多くの者が反社会的勢力へ流れる。
「目星はついているのか?」
「
「港湾部に流入していると聞いています。麻薬取締部の話では、連中が麻薬を取引していて……税関も手を焼いていると」
俺はその名前に疑念を深める。
神榮会と天界魔教が繋がっているとして、双方の共通の利益がいまいち見えてこない。
それに以前、神榮会と天界魔教が繋がることは無かった。何かボタンがかけ変わっている──俺はそんなことを思いながら鬼頭の言葉を待つ。
「ともかく天界魔教はアンタらが思ってるよりも、ずっとヤバい連中ってことです」
「何故、神榮会と天界魔教が繋がったんです? 連中は全然違う組織やないですか」
「その指摘はごもっともです」
「……見返りに天界魔教から何かを得とる、っつうことですか」
「ええ。まあ、決定的な証拠は出てきていませんが」
鬼頭は一度言葉を切って、細い息を吐き出す。
「神榮会の主な収入源は、薬ではないんです」
「臓器の密売ですか?」
「なんだ、知っていたんですね」
流石に厚労省は把握済みでしたか、と言って俺へ視線を投げるが、やはり完全に疑いを払拭しているようには見えなかった。
「板取まひろと、天界魔教の繋がりを警察は把握しているのか?」
椿は鋭く問う。それは俺も疑問に思っていたことだった。
彼女は神原綾佳に「天使の口付けに選ばれた」という内容の電話を受けたという。スマホの通話履歴に音声が残っていないだろうか? だが個人の──しかも女子高校生のスマホに、常に録音されるような設定が入っているとは思い難い。
加えて問題はもう一つある。まひろの両親だ。峯岸に聞けば接触することが可能かもしれない。
しかし早く堕胎しろと言っても一向に進展が無かったうえに、娘が東医で死亡したとなれば。
(……峯岸先生ごと、東医を訴える可能性もあるか……)
神秘案件であれば、一般人は魔術によって処理され、事件が起きたという事実を残したまま、記憶の改竄が行われる。だが事件そのものを無かったことはできない。
「残念ながら、そちらはわかりません。ただ、天界魔教が入信者の狩場にしている場所なら知っています」
「狩場……」
「ここです」
鬼頭は地図アプリで示した住所を俺たちに見せた。
そこは博多駅から地下鉄で五分とかからない繁華街、あるいは歓楽街である。
飲み屋だけではなく、キャバクラやホストクラブなども軒を連ねており、酔っ払いが正気を失って彷徨いている夜の街。そばに立つ総合病院が哀れに思えた。
「中洲か。まあ妥当だな。どうせ神榮会の息がかかった店があるんだろう」
「そうです。そして先程、市ノ瀬さんが言ってくれましたが……」
「おや。違法な移植の斡旋まで請け負っているのか」
「なんでわかるんかちゃ」
「顔に書いてあるんだよ」
椿は幾許か調子を取り戻した様子で、
「なるほど──つまり
「鬼頭さん、あんたマル暴やったんですか」
「まあね」 鬼頭は短く答えて、「ところで嘴馬先生はどちらに?」
「今日は無理だ。ずっとオペに入っている」
鬼頭は残念そうに「そりゃあ仕方ないですね」と肩をすくめてみせた。
その様子に椿は何かを察して、唇の片方を吊り上げる。
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