02_Forward: Dr. Sherlock - 04
「天界魔教が大規模な遺伝子実験の設備を保有しているとすればこちらでも可能だろうが、奴らは魔術結社だ。魔術に固執している連中がわざわざ、魔術を否定しかねないものを引き入れたがるとは思えない」
「……誰かから襲われた可能性も排除はできんやろうが」
「無論それも検討している。だがその反応を見る限り、そんなことは起きていない」
彼女の視線の先には難しい顔をしたままの信近がいる。好き放題なことを言っている俺たちに、これはいつ終わるんだといった具合で抗議の視線を投げているところだった。
俺は横にいる椿を窺う。彼女は何らかの発見をしたというよりも、納得しているような表情をずっと浮かべていた。神原綾佳も──板取まひろも、両者共に原因不明の処女懐胎をした。この情報がもたらされた時点で、二人には明確な繋がりがあったこと、それに天界魔教が関わっている可能性がある、というところまではすでに見通していたのだろう。
つまり。
「……わざわざ確認のためだけに軽井沢まで来たんか……」
時計の秒針は一時半を指そうかというところだった。俺は己のボンクラ具合を呪ったが、俺の様子など一切気に留めずに椿は続ける。
「やはり不可解だな。魔術を用いても、現代では処女懐胎を起こすことはできない。奴らは空間魔術以外不得手のはずだ」
空間魔術は物理法則全般を扱う魔術だ。目に見えないエネルギーや力を操作する。故に空間魔術は『魔女の魔術』と呼称されることがある。
しかし椿が指摘した通り、現代で処女懐胎を起こせる魔術や幻想種はほぼいない。科学が生命現象の解明へ着手し、多くが明かされつつある現代において、生命を取り巻く神秘は急速に薄まったからだ。
生物とは神が創造したものではなく、原始細胞から分化していった果てにあるもの。
人が考える葦であるのは、知恵の実を食べたからではなく、神経細胞を含め全身の細胞や微生物が情報伝達をするから──といった具合で。
「咲良。言いたいことがあるなら言ったらどうだ」
「……公安局は、処女懐胎によって生まれた胎児の実例を知っとる」
「ほう……?」
椿は器用に片眉を上げた。だがその反応はどこか演技じみていて、俺は両手を握り合わせる力を思わず強める。
「そしてそいつが普通にピンピンしとるのも把握済みや。……特にサバトは閉鎖空間に大勢が集まる。その中じゃ普通なら起き得んことが起きるけな……」
俺は言葉を窄めながら唇を噛む。その様子を黙って見ていた信近が唐突に口を開いた。
「信仰と集団の共通認識によって、大規模な
「正論だな」 椿は議論を愉しむような声を上げた。「だがそこで行われる魔術儀式が、既存の魔術理論に即していたら話は別だろう」
「まさか」
信近は勢いよく立ち上がる。椿は一度目を伏せて、窓に過ぎったゆらぎに唇を綻ばせた。
「あくまで仮説だがな。だがこの手の話は咲良──お前の方が詳しかろう」
「勝手に当てにすんなや」
俺はみっともなく抗議を示しつつ口を開いた。
「日本は土地柄的に魔術の発動に仮構展開という一押しがあれば比較的簡単に起動できる。まあ、神原先生には釈迦に説法でしょうけど」
「日本で召喚術を行うのは無理だ。この龍脈がそれを許容しないだろう」
信近は俺の言葉に応じる。
地球上に走っている龍脈は、魔術を使うための魔力を供給するエネルギー帯だ。日本は極めて強力かつ太い龍脈が列島の真下に通っており、これが現代でも神秘と幻想、そして現実が共存し得る理由そのものだった。
加えて信仰がそこかしこに存在するという日本人の考え方も影響しているだろう。幻想を支えるのは理論ではなく信仰だ。
「神秘や幻想なんて呼ぶまでもなくその辺に腐るほどいる。わざわざ呼ばねばならないとしたら、碌でもないものだけだ」
椿は吐き捨てるように言ったが、次の瞬間に目を見開き、手を叩いて信近を指差して叫んだ。
「成程。──だから天使なのか」
「は? どういうことや。天使って、」
椿は嬉々として続ける。あまりにも溌剌とした雰囲気なのが死ぬほど気色悪い。
俺は思わず困惑と呆れが入り混じったアホみたいな声を上げたが、彼女はそれに気づいてすらいないのか、
「ふ、ふふ......実に。実に興味深い」
「おい、四宮?」
「────面白い!」
彼女はそう言って勢いよく立ち上がる。
「普通ならその発想には至らない。この一連の症例を起こした犯人は常軌を逸している。動機が全く見えない」
「動機……」
信近が独りごつ。その声には強い憎悪が見え隠れしている。
「あなたは。……あなたは、犯人と呼べるものがいると確信しているのか? 綾佳を孕ませた者がいる、と?」
「ああ。だが魔術が使われた犯罪に方法を検討するのは無意味だぞ? どうとでもできるからな。故に動機だ。動機こそが犯人像に迫る手段になり得る──咲良!」
「うわびっくりした! なんなんかちゃ急に、でけえ声出しやがって」
「お前、螺旋捜査官として捜査協力を求めるのは医学特区の外でもできたな?」
「いや、まあ、それはできる……けど……」
俺はこの瞬間、彼女が何を考えているのかを察知した。
「いや! いかんぞ!?」
「まだ何も言っていないが」 椿は露骨に不機嫌そうな表情を浮かべた。
「言わんでもわかる。お前、神原先生を医学特区に引っ張っていく気やろうが」
椿は思い切り舌打ちをした。どうやら俺はあたりを引いたらしい。
***
──翌日 東都医科大学附属病院
八階 心臓血管外科教授室
「か、軽井沢に行ったぁ!?」
嘴馬遼士郎の横で素っ頓狂な声を上げたのは、すっかり白くなった芦毛の男だった。
頭から馬の耳が、腰からは丁寧に編まれた馬の尾が突き出ている。獣人のうち、
産婦人科部長──
「いやちょっと待ってくれよ。まさかとは思うけど、神原さんに会ったとか言わないよな」
「軽井沢に行く目的がそれ以外にあるわけがなかろう」
「嘘だろおい……」 峯岸はがっくりと項垂れ、「じゃあもう俺が、袖の下貰ってたこともバレてるじゃん……あーもうどうしようクビになっちゃうよ」
「ほう、袖の下とな」
椿の問い詰めるような口調に、峯岸は耳を前後左右にくるくる、目線を右往左往に彷徨わせてあからさまに焦り散らかしていた。
挙句の果てには俺へと縋るような視線を向けてくる。俺にはどうにもできない。
「具体的に教えてもらいたいものだな。金銭か、或いは……」
「どうせ酒だろ」
声を上げたのは、奥で不要になった論文の印刷をシュレッダーにかけていた嘴馬だった。呆れかえってものも言えないと深々息を吐きだし、
「お前、ワイン好きだもんな」
「嘴馬さん。いや。違うんですよ。そうじゃないっていうか」
「あの……峯岸先生はつまり、……ワイン欲しさに、特別に神原綾佳さんの診療を……東医と軽井沢を行ったり来たりして……」
俺は恐る恐る問いかける。峯岸は「ああそうだよ!」と投げやりに言った。
「毎回、良い赤ワインを貰ってたんだ。診療報酬とか旅費とは別に……それで、ついにワインセラーまで貰っちゃったから、もう引くに引けなくなって……」
「で、懇ろになっていたと」
「やめてよ椿ちゃん! いたいけな馬子を虐めないでよ!」
峯岸は椿の前で膝をついて懺悔の構えを取った。自業自得ではあるのだが、とんでもなく酷いことをしているような気分になってくる。
「〝処女懐胎〟なんて絶対おかしい。普通に病院へ行って普通に診察を受けるってわけにもいかないの、君ならわかるだろ!?」
「それについては同意する。が──」
椿は一度言葉を切って、ちらりと俺の方へ視線を投げた。
「板取まひろも同じではないか。お前、彼女の主治医だろう? 知っていることを洗いざらい話して、さっさと楽になったらどうだ」
「なんでこいつもちょっと尋問されてんの?」 嘴馬が俺に近づき耳打ちする。
「趣味なんじゃないですか。知りませんけど」
「う、う、うう~~ッ」
峯岸は分かりやすく葛藤しているのか唸っていた。しかし残念なことに、四宮椿という女は彼の葛藤を「無駄な足掻きだな」と一蹴し、一人掛けのソファへ勢いよく腰かける。そして長い脚を組み替え、レッドソールのハイヒールで彩られたつま先を軽く揺らした。
「峯岸先生。……その、堕胎手術をしてくれと、彼女の母親が言っていると
「それは、そう」
峯岸は辟易したように呟き、耳をぺしょりと頭に垂らした。
「嘴馬さん、椿ちゃんにカルテ見せたんですか?」
嘴馬は短く「ああ」とだけ答えた。それに満足したのか、峯岸は床に正座したまま椿を見上げる。
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