第11話 神祇伯の務め

 父が乗って来たのは、自家用の牛車ではなかったらしい。

 ここ数日、どころか人生で最も豪華な牛車だ。

 座りやすく、揺れは少なく、風通しはいいのに外から姿を覗かれるような隙間はない。外見もまた美しく、漆の塗装や御簾の編みの繊細さといったら見事に尽きるし、車を曳く牛すらもどこか上品だ。


 そんな高級牛車に乗せられて、やって来たのは都の北端にして政事の中心地。帝のおわします御所である。


 洗練された装いの官吏がせわしなく働き詰めているのを御簾越しに眺めながら、車ごと敷地内の奥へと入っていくと、行き詰った一角に白布が張り巡らされていた。


 牛車から降ろされ、陣幕の内側へと案内された鞠子が見たのは、立派な石塔だった。

 穢塚にあったものよりも大きく、新しく、より精密で豪奢な装飾がなされた石塔だ。

 石塔の前では神職の装束を着た男女が祭壇を築き、祭具を並べたりサカキを飾ったり香を焚いたりしている。


「ここでは都を囲む大結界の定期補修をしておるのだそうだ」


 父は上機嫌に語って、隅っこに敷いてある茣蓙に座った。

 少し離れたところには、神職見習いらしい子どもが控えていた。水差しやら形代人形を盛った大皿やらを携えていて、関係者面して構える父を横目で気にしている。


「外界から穢れが入ってくるの完全を防ぐには、並大抵の干渉力では成り立たんでな。神祇伯様のように才ある者がこまめに儀式を行わなければ、たちどころに崩壊してしまうのだ」

「は、はい。存じ上げております」


 鞠子は浅く頷いて、父の隣に腰を下ろす。

 みそっかすとはいえ妻をやっていたので、知識としては知っていた。ただ、実際に儀式の場へ呼び出されたことなんてないし、他の妻が呼ばれたという話もない。もしあったなら、乳母がうんと怒り狂っていたはずだ。

 いまひとつ相手の思惑が掴めなかったが、訊ねることはできなかった。儀式の準備は見ているうちに完了して、いよいよ主役が入場する。


 神祇伯、藤原潔道。


 陣幕の切れ間から入ってきた中年男性は、鞠子が記憶しているよりも少し髭が伸びていて、横幅も広がっているようだった。まぶたや頬もあそこまで垂れてはいなかったと思う。

 数年ぶりに会いまみえた夫(元夫、と言うべきか)はチラと鞠子に横目をやって、祭壇の前まで歩いていく。

 その後ろには、小柄な娘が付き従っていた。

 巫女装束ではあるが、見事な長髪や歩き方は貴族のそれだ。まだ少女と呼べるくらいに小さい。あれが正妻の娘だという千代だろうか。神祇伯の面影がある顔つきは丸くふっくらとして、つぶらな瞳と小さな唇が愛らしい、当世流行りの美少女である。


 神祇伯と千代は横に並び、祭壇に向かって一礼。

 すると他の神職たちがその後ろに整列して、いくばくかの間を置いた後、祝詞の合唱が始まった。


 よく通る声が十重も合わさり、朗々と夏空に響き渡る。

 由緒正しき言霊に込められた霊力が祭壇によって増幅され、都の最北端に設置された石塔を起点として左右へ、天上へ、地中へと球状に広がっていき、はるか南端の羅城門にて結ばれる。

 劣化した結界表面の穢れを霧散させ、内側に溜まっている穢れがあれば外へと排出する。


 穢塚の封入する結界とは真逆の、穢れを追い出す術式だ。

 それも、都市一つという広大な範囲をすっぽり包み込むだけの大規模な結界術。無論のこと反動も非常に強く、祝詞を唱える神職たちは十人近くで分散しているというのに、急速に穢れが蓄積していくのを見て取ることができた。

 特に先頭に立つ神祇伯ともなれば、見るまでもなく確実に重篤な汚染を受けて――いない?


「え……?」


 鞠子は戸惑った。

 儀式に臨む誰もが黒ずんだ気配に蝕まれている中、神祇伯だけが身に着ける装束と同じ真っ白なままなのだ。

 どういうことか。後列の神職たちが遮蔽になって視線が通らないが、それでも目を凝らしていると程なくして見抜くことができた。


 神祇伯と千代が、紐で繋がれている。


 紐の正体は、鞠子でも想像はついた。

 おそらく、形代に用いるものだ。即席だったら髪の毛や体液なんかを経由して穢れを移すのだが、材料を選び時間をかけて術を込めながら編んだ紐を使えば、途中で焼き切れたりする危険も少なくなる。


 予想は間違っていないようで、隣の千代は既に姿が見えなくなるくらいの黒もやに覆われてしまっていた。神祇伯の腰に繋がった紐を通して、父親の受けた汚染をすべて引き受けているのだ。


「でも、あんなに穢れを負ったら……」


 つい数日前の自身が重なって見える。

 不安は的中し、祝詞の詠唱が終わるとともに千代はその場に崩れ落ちた。すかさず、神職見習いたちが駆け寄って汗を拭いたり水を飲ませたりと甲斐甲斐しく介抱する。


「おお我が妻よ。来てくれたこと、嬉しく思うぞ」


 苦しそうにしている千代には見向きもしないで、神祇伯がこちらに近寄ってきた。

 困惑させられるほど朗らかな笑顔で、鞠子の前に膝を着く。


「いやぁ此度はすまなかった。山の獣なんぞのところにやられて、さぞつらい思いをしたことだろう。私も心から悔やんでいる。この通りだ、許してくれるな?」

「え、えぇと……」

「お前がいなくなってから、どれほど大きな価値があったのかに気づいてな。慌てて都に呼び戻すようにと手を打ったのだ。こうして再び会えて、本当に良かった良かった」

「はぁ……」


 曖昧に相槌を打ちながら、鞠子が千代の容態と神祇伯の顔とを交互に見比べていると、神祇伯は手を差し出してきた。

 肉づきのいい、白くてモッチリとした手だ。


「さあ、ではさっそく頼もうかな」

「……はい?」

「形代だよ、形代。儀式をして穢れてしまったからな」

「穢れ……ですか?」


 首を傾げる。

 神祇伯の体を見る限り、穢れなんてほとんどない。当然だ、千代が倒れる限界まで吸い取ったのだから。術を必要としているのだとしたら、彼女の方だろう。

 しかし神祇伯は、圧のある笑顔のまませまってくる。


「ほら、よく見なさい。右肩のあたりにボンヤリと残っているだろう? これを取ってほしいのだ」

「え、それっぽっち……?」


 呆気に取られて口を滑らせたら、途端にたるんだ目尻が吊り上がった。


「なにを言うか!」

「ひっ!?」

「私はこれから、帝に儀式の成功をお伝えすることになっているのだ。かけまくもかしこき帝の御前に出るからには、ほんのわずかだろうと穢れを残すわけにはいかんだろう!」


 神祇伯は泡を飛ばす勢いで激高し喚き散らすが、鞠子が萎縮しているのに気づくとコホンと咳払い。改めて笑顔を作ると、猫なで声で、


「と、とにかくだ。他の妻が作った形代人形はどれも効き目が鈍くてな。どうやらお前の術でないと、穢れが残ってしまうようなのだ。ささ、早くやっておくれ」


 すり寄ってくる中年男は恐ろしくて仕方ないが、傍に座る父も祭壇の片づけを始めた神職たちも庇ってくれるはずもない。

「かしこまりました」と頷く以外に、鞠子が選べる返答は……と、その時。


「オオォォォォォォンン!!」


 すぐ近くから、雄々しい遠吠えが上がった。

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