第9話 都からの使者
「にしてもよかったっすね、仲直りできたみたいで」
いちど自宅に戻って毛皮鎧に着替えた後。里境を越えて山道を下っていると、葉黒が揶揄っぽく言った。
樹丸は眉をひそめたものの、葉黒の諫言に助けられたという自覚もあるため強く返すことができないので、淡々と答える。
「どうだろうな。いくらかは気を許してくれてるみたいだが、臆病な亀みたいにすぐ頭を引っ込める」
「先代の奥方も控えめな方でしたけど、都の女ってのは皆ああなんですかね。あんだけ強力な術を使えるのに、なんだってあんなに自己肯定感が低いんだか」
「嫁入りの身代わりにされるくらいだ、ロクな扱いはされてなかったんだろう」
軽く鼻を鳴らす。
気に入らないことは色々あるが、あえて構うつもりはなかった。目下のところ明らかなのは、都にとって鞠子は価値のない存在なはずだということで――彼女のためにわざわざ使者を寄越す意図がわからない。
「……あれがそうか」
枝葉の隙間から、嗅ぎ慣れない匂いが近づいてくる。焚き詰めたお香と、腹黒く澱んだ男の体臭。いかにも朝廷の人間らしい匂いだ。
予定にない訪問。
葉黒の報告では頭領の妻について話があるとのことだが、いったん嫁に寄越した後は放ったらかしにするものと思いこんでいたのに、どういう風に吹き回しだろうか。
訝しみつつも足を速めて、山の麓に陣取る一団の前へと姿を現る。
まず応対に当たっていた里の者が敬礼を取り、次いで黒い装束の訪問者たちが烏帽子を乗せた頭を下げた。
「待たせたな、都からの使者どの。“石清水の狼”が頭領、六代目樹丸だ」
「これはこれは。男山を守護せし聖獣の長よ、お目にかかれて光栄にございます」
慇懃に名乗ると、使者たちの中から一人が代表して進み出た。
「我らは神祇伯、藤原潔道さまより命を受けて罷り越しました」
「取り次ぎの者から聞いている。義父殿がなんの用だ?」
「はっ。そのことなのですが、少々込み入った内容でして……」
代表の使者は言葉を濁して、応対の者や樹丸の傍に控える葉黒を見た。懸念しているのは察したが、遠慮する気はないので「このまま話せ」と促す。
「こいつらは信頼してくれて大丈夫だ。そもそも、狼は鼻も耳もいいからな。隠し事なんて考えるな」
「は……ははっ。いらぬ気を回しました、お許しくだされ」
使者は一層に低頭しておずおずともう一歩進み出ると、至極言いにくそうにしながら声を落として、口を開いた。
「実は……先日そちらに嫁入りした娘なのですが、神祇伯さまの姫君とは別人だったと明らかになりまして」
「……は?」
絶句した。
一瞬、頭が空っぽになり、理解が追いつくにつれて疑問に埋め尽くされていく。
なぜ訊いてもないのに自白した? こちらは神祇伯を「義父」とまで呼んで、話を合わせているというのに。それに、「判明した」という言い回しをしているが、鞠子から聞いたところでは当の神祇伯が替え玉を指示したはずだ。
「……どういうことだ?」と、背後で葉黒が呟くのを耳が拾い、使者は驚きが浸透するのを待つように時間を開けて、こう続ける。
「経緯につきましては我らも調べている最中でして。ともかく、改めてちゃんとした嫁を差し上げますので、件の娘は引き取らせていただきたいという次第です」
「ふうん?」
伏し目がちな愛想笑いを見下ろして、樹丸は胡散臭そうに鼻をうごめかせた。
脳裏に、鞠子の姿が思い浮かぶ。
形代の才に恵まれていながら分不相応な小心者。いつもビクビクしていて、そのクセいざとなると身を捨てることに躊躇がない。根暗で危なっかしくて、花を渡して屋外の話をしてやるとほのかに笑ったりもして。
「……返すのは無理だな」
気づいたら、拒否の言葉が口をついていた。答えた後で、目の前の使者や後ろの葉黒の反応からなにか言い分が必要と思い当たって、少し考える。
「まり……彼女はすでに頭領の妻としての器を示している。能力でも人柄でもな。俺は存外に気に入ってるし、里の者も認めている。新しいのと取り換えてもらう必要はない」
「い、いや……我々としては、そういうわけにも……」
「契約に違反があった、なんて表沙汰になれば、そちらも困るだろう。このままにしておいた方が、互いに都合がいいんじゃないか?」
「そ、そういうわけには……」
使者の態度を見据えながら、思考を続ける。
やけに食い下がるが、どういう意図があるのか。なんと言えば穏便に追い返せるだろうか。
「本人の意向もあるから『絶対に』なんて言うつもりはないが、彼女は今体調を崩していてな。どちらにしても移動はできない。今日のところはお帰りいただこう」
「……っ。…………承知いたしました」
使者はなおも言い募ろうとしたが、樹丸に譲るつもりがないことは伝わったのだろう。悔しそうにしつつも、一礼して引き下がった。
「それでは、日を改めて再び参ります」
捨て台詞を残して、使者たちは船に乗り込んでいく。樹丸がその様子を眺めていると、そっと葉黒が身を寄せてきて小声で訊ねた。
「妙な展開になりましたけど、どうします?」
「まだ諦める気はなさそうだからな。とりあえず鞠子と話してみるが……あれのことだから、俺に遠慮して帰ると言い出しかねないのがなぁ」
困ったように髪をかきむしる樹丸に、葉黒は至極愉快そうに喉を鳴らす。
「ずいぶんと、気に入ってらっしゃるみたいで」
「ようやく会話がはずむようになってきたんだ。ここまできて手放すなんて…………む?」
樹丸の語尾を唐突に切り落としたのは、甲高い音だった。
使者たちを乗せた船が漕ぎ出された際に、いずれかの者が笛を吹いたのだ。力強い音は轟々と唸る宇治川にもかき消されることなく、山の頂上にまで届く勢いで響き渡る。
「なんだ今のは? あんな笛、今まで一度も……」
「聞いたことないっすね。まるで、なにかの合図……」
樹丸と葉黒は顔を見合わせ、そして男山を振り返った。
なんだか、嫌な予感がする。
「全員、里に戻るぞ!」
怒鳴りながら、駆け出した。
開かれた山道は無視して、十重二十重に生い茂る草木の中へと飛び込む。まったく整備されていないので通りづらい上に、ちょっとでも方向感覚を失うとたちどころに遭難しかねない雑木林だ。傾斜もどんどん急になり、今にも崩れそうな崖をよじ登って、一直線に突き進んだ樹丸は普通に下った場合の半分程度の時間で“石清水の狼”の里にまで帰還する。
……何事もない?
道がない方角から帰ってきた若頭領に、近くで野良仕事をしていた老人や手伝いの子どもが驚いているが、特に異常は感じられなかった。
しかし、言いようのない胸騒ぎに突き動かされて、鞠子の屋敷へと向かう。
畑の脇道を通り、
アジサイの咲く角を曲がって、
そして門の前に立った樹丸は、全身の毛が逆立つのを感じた。
……結界!?
門や塀や壁といったものは元から簡単な結界としての役割があるものだが、それを上塗りするように強い結界が張られていた。
乱れそうになる呼吸を強引に鎮めて、門をくぐる。すると、外からはまったく気づかなかった音や匂いが押し寄せてきた。
「……う、くぅ」
「だ、誰か……」
呻き声。
見れば、家人が一人残らず縛り上げられている。ホウキやハサミなんか転がっているのは、あり合わせの道具で反撃しようとした痕跡か。柱や床に大きな傷がついていたり、調度品や庭木がひっくり返されていたりと、大立ち回りがあったことがうかがえた。
「こいつは、ヒドいですね」
遅れて到着した葉黒が、荒らされた屋敷内に顔をしかめた。
クンクンと鼻を動かして、「死人は出てないのが救いか」と呟いているが、樹丸には聞こえていなかった。
縛られた家人には目もくれず、屋敷の奥へと上がり込む。
庭に面した一角。
つい先刻、鞠子と言葉を交わした場所には、なぎ倒された几帳とバラバラに散ったアジサイの花だけが落ちていた。
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