第7話 反省

 樹丸が立ち去った後、鞠子は布団に倒れ込んで天井を見上げていた。

 最初は緊張もあって穢れによる苦しみを忘れていたが、いったん意識してしまうと汚染の重さはひどいもの。睡眠で回復した体力は樹丸とのやり取りだけですっかり使い果たし、今では起き上がれたのが嘘だったみたいに指一本すら動かせない。


「………………はぁ」


 ため息。

 脳裏によみがえるのは、樹丸の言葉だ。


 ……まさか、やりすぎだと叱られるなんて。


 都で乳母や父親から言い聞かされた妻の務めといえば、和歌を詠んだり香を焚いたりして優雅な女性だと思ってもらうこと。いつ訪ねてくるかも知れない夫を惹き寄せるため、少しでも魅力的に映るよう努力すること。

 風流とか要領といった事柄についてはどうにも疎い鞠子は、「足りない」「上手くやれない」と叱責されるばかりで、だけど今回は得意分野だからと意気込んだのに結局は空回ってしまった。


「いつも、わたしは……」


 穢れの影響もあって、気分は底なし沼のように暗鬱としている。

 自覚もなく溢れた涙が、目尻からこめかみへと流れていくのを感じる。


「……失礼します、鞠子さま」


 ひょこ、と。

 開きっぱなしになっていた戸から、人間の少女が顔を覗かせた。初日に紹介された侍女である。


「お目覚めになったみたいなので、お食事をお持ちしました」

「食事……」


 正直、今はなにも食べたくない。

 しかし追い返す気力も湧かないでいるうちに、侍女は膳を持って部屋へと入ってきた。長い髪の重さにも苦労する鞠子を介助して上体を起こさせると、漆の椀で湯気を立てる重湯を口元へと運ぶ。

 とろみのついた液体は乾いた舌に甘く沁みわたり、薬味の爽やかさと一緒に喉を滑り落ちた。


「薬師さまがお薬をくださいました。きっと楽になりますから、後で飲みましょう」

「……あり、がとう」


 優しい声に、また泣きそうになった。

 時間をかけて重湯を飲み干し、食後の丸薬のおそろしい苦さに打ち震え、そして再び布団に横たわる。

 熱と栄養を補給したおかげでささくれていた神経が緩んだ鞠子は、眠気がもたげてくるのを感じながら、ふと侍女を見上げた。

 そういえば、と訊きそびれていたことを口にする。


「あの、名前……どうして、わたしのを?」


 現れた時、侍女はたしかに「鞠子さま」と彼女の本名を口にした。つい聞き流してしまったが、考えてみれば鞠子は「千代」と神祇伯の娘の名前を使っていたのだ。唯一、鞠子の正体を知っていたのは樹丸だが……まさか、彼が言いふらしたというのか?


「大人が言ってました。鞠子さまってもともと来るはずだったお嫁さまとは別の人なんですよね? あたしはよく知らないですけど、なんだか複雑な事情だったみたいで」

「複雑、なのはそうですけど。……皆さん、怒ってらっしゃらないんですか?」

「怒る?」


 替え玉とバレてしまったら。

 嫁入りを命じられてからずっと戦々恐々していた鞠子の内心とは裏腹に、侍女は不思議そうに目を丸くしている。あまりにあっけらかんとした反応だ。


「怒んなきゃいけない感じの話だったんですか?」

「そ、それは……だって、わたし偽物だったのに」

「ああ、まあ確かに。でも鞠子さま、今の頭領が元気なのって、鞠子さまのおかげですよね。穢れをちょっとも残さないで吸い出すなんて、よっぽどの才能じゃないと無理だって感心されてましたよ。それに、自分が倒れるまで頑張れるような勇敢な人を”石清水の狼”は尊敬します」


 手放しの称賛だった。

 嘘を吐いたことなんて二の次だと言うように、侍女は鞠子に敬意を向ける。小さいわりにしっかりとした話し方をする侍女だ。ただの無邪気さではない筋の通ったものを感じさせる。


「頭領と一緒になってお役目を果たしたんですから、誰も文句は言いませんよ。いっそ鞠子さまが本当のお嫁さまになっちゃえばいいのに」

「いっ、いいえ、そんな……恐れ多いです」


 ここまで褒められっぱなしなんて経験したことのない鞠子は、どうしたらいいかわからなくて寝返りを打った。

 侍女から顔を背けて、ゴニョゴニョと口籠る。


「ぁ……あのお方も、わたしなんかお嫌でしょうし……」

「そうかなぁ。頭領ってば、鞠子さまがいつ目を覚ますかって、ずっと心配してたんですよ? けっこう気に入られてると思いますけど」


 侍女は励ますように言って、食べ終えた食器を持ち上げた。


 侍女と話している間は動揺して寝られそうになかったが、一人になるとすぐ睡魔に飲み込まれた。

 泥のように眠り、ときおり目覚めそうになってもまどろみの中に留まっているうちに再び眠ってを繰り返し、西向きの部屋にまで太陽が届くようになったころ。


「……ぅ……んん?」


 濡れた草花の匂いがして目蓋を開いてみると、部屋のすぐ外にいる樹丸と目が合った。

 朝には身に着けていた毛皮の鎧は脱いでおり、楽そうな単衣姿で胡坐をかいている。脚と同じように腕も組み、ついでに口も引き結んでいるが、どこか落ち着かない様子で黒狼の耳をしきりに動かしていた。


「あっ……これはこれは、えっと……」

「起きなくていい。あの後、動けなくなったんだろ。同じことになっても困る、安静にしておけ」


 布団から出ようとした鞠子を、樹丸は手で制止した。

 まだ穢れは残ったままなので、ありがたく横になったままで次の言葉を待つことにする……のだが、どうしたことか樹丸はなかなか『次』を発しようとしない。

 うつむきがちに視線を泳がせて、体の軸を左右にブレさせている。鞠子を叱りつけた迫力はどこへやらで、むしろ叱られる前の子どもみたいな様相であったが、やがて腹を括ったように鞠子へと身を乗り出して、


「今朝のことは、すまなかった」


 両の拳を床について、頭を下げた。


「あんたの気持ちも考えず、一方的に責めたてた。形代のおかげで穢れを残さず普段の仕事に戻れたのに、礼の一つも言ってなかった。大人げないにも程があると、側近にも言われてな。反省している、この通りだ」

「そんな……っ! もとはわたしが、その……ご期待に沿えなかっただけで……」

「いや、結果だけなら期待以上だったと言ってもいい。里のやつらも認めてる」


 恐縮する鞠子に、樹丸は首を横に振った。頑として、非は自分の方にあるのだとして曲げようとしない。


「ただ、その……なんだ。俺がピンピンしてるのに、あんたが一人で苦しんでるのを見るのが我慢ならなくて……そのクセ、心配してるとも言えなかったんで、つい八つ当たりしちまっただけだ」


 樹丸はひどく決まりが悪そうにしながら言い切ると、大仕事をしたかのように深くため息を吐いた。

 おそらく、今度は鞠子が返答するべきなのだろうが、なんと返せば良いのかまったく思いつかない。立場のある男性が叱責を撤回して、あまつさえ全面的に謝罪してくるなんて非常識の域であり、対応できる範疇を逸脱している。

 鞠子がオロオロと固まっているうちに、先に沈黙に耐えられなくなった樹丸が動いた。


「ところで、詫びというわけじゃないんだが……」


 そう言って、戸の陰から取り出したのは紫色の花だった。スラリとした茎を布に包んだのを、枕元に置く。


「これ……カキツバタ、ですか?」

「アヤメだな。水から離れたところに咲いていた。葉が魔除けになるから、傍に置いておくといい」


 樹丸は花を包んだ布を解こうとして、生けるための器がないことに思い当たった。うっかり毒づきそうになるが、鞠子に聞かせないようにと別の話を持ち出す。


「山の南側に沼地があってな。見回りで立ち寄ったらたくさん咲いていたから、一つもらってきた。で、その時にユリカモメが飛んできてな。もうとっくに北へ渡ったと思ってたんだが、群れから置き去りにされたのかもしれんと……」


 花を摘んだ際の情景語りを聞きながら、鞠子はそっと枕元のアヤメに手を伸ばした。

 高貴な花弁は瑞々しく、刀剣を思わせる葉には露が乗っていて、ついさっきまで地に根を張っていたような生命力が感じられる。

 また樹丸の語り口は散文的で、古典の引用や風雅を気取った言い回しがない分わかりやすく、その場に同席したように想像することができた。

 鞠子の乳母が聞いていたら、直接的な表現を粗野だと切り捨てそうだし、長々と話していないで三十一文字みそひともじにまとめろと言うだろう。

 もっとも、乳母に言われたところで樹丸が従うかは怪しいところだが。鞠子にとってみればこれくらいの方が馴染みやすくて好ましい。


 ……ふ、と。


 畏れ縮こまっていたところに親しみのある一面が触れられて、張り詰めていた心が緩む。

 その拍子に口元がほころんだのを、樹丸がジッと見ていたことに鞠子はついぞ気づかなかった。

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