第6話 お叱り

 目を覚ました鞠子は、自分がどこにいるのか理解するのに時間を要した。


 まず寝床が違う。

 くるまっている布団も敷かれている畳も新品で、実家の使い古しよりもずっと上等だ。


 次に匂いが違う。

 部屋に吹き込んでくる涼やかな風は、草木と土に染まった山の香りがした。


 そして音が違う。

 堀川で材木を運ぶ労働者の喧騒の代わりに、聞こえてくるのは子どもが遊び回っていたり女たちが笑い合っていたりするのどかな日常だ。


「……そう。わたし、男山へお嫁に来たんだっけ」


 鉛のように重いまぶたを開いて起き上がると、そこは初めて樹丸と対峙した塗籠であった。もうすっかり日が上っているが、西向きの戸以外は壁で囲まれている部屋なので、まだ薄暗い。


「気がついたか」


 外から青年の声。

 半開きの戸の陰にいたのでわからなかったが、樹丸が廊下に立っていたようだ。鞠子は寝起きの頭でぼんやりとしていたが、「入るぞ」と断りを入れてから戸を開いた彼の表情を見て冷水を浴びた思いがした。

 形の良い鼻から眉にかけての線に、険しいシワ。明らかに、鞠子に対して強い不満を抱いている。


「一つ言っておきたいことがある」

「も、申し訳ありませんでした!」


 出方を待つこともせずに、両手と額を畳に擦りつけて平身低頭した。


「わたしの形代が不出来だったがために、とんだご迷惑を……」


 当然、樹丸の不興を買った理由はそれだと思った。

 穢れの量を軽んじて、髪の毛一本の繋がりで済まそうとしたために重大な事故を起こすところだった。もっと用心深くやっていれば、滞りなく封印のかけ直しを行えたはずである。

 しかもとっさのこととはいえ、直に相手の素肌を口に咥えるだなんてはしたないこと限りなく、己の大胆さに思い返しただけでも顔から火が出そうだ。


「……そうじゃないだろ」


 ところが、樹丸の声はむしろ冷ややかになった。

 降り注ぐ怒気が増して、ビクと体が強張る。平伏した視界の端に、毛皮鎧の身に着けた長い脚がドカと座を組むのが映る。


「結局穢れは治まったんだから、途中のことをとやかく言うつもりはない。問題はその後でぶっ倒れたことだ」

「そ、それは……?」

「あんた、自分の限界を無視して穢れを吸っただろ。一時は危険な状態だったと薬師が言っていたぞ」


 指摘されたことで、鞠子は遅まきながら自身の体調に意識を向けた。

 吐き気と倦怠感。手足は神経鈍く、胸を塗り固められたように息苦しい。全身を汚染した穢れはいまだに厄介な油汚れのごとくこびりついて弱まる様子もなかった。


「なんでそんなになるまで続けた。術の効果を抑えれば、そこまでボロボロになることもなかっただろう」


 樹丸の言う通り、ほどほどに抑えることは可能だったかもしれない。

 だが、手を抜くなんて鞠子にできただろうか。いつもとは桁違いに事態が深刻で焦っていたのを考慮しても、だ。与えられたお役目と、我が身の可愛さとを天秤にかけるなんて考えるまでもないのではないか。


「……あんたは、根本的に勘違いをしている」


 押し殺すような声で、樹丸は言った。


「俺たち“石清水の狼”は、たしかに人間とは違う。だけどな、自分の妻を使い捨ての形代人形にするほど人でなしじゃないぞ」

「そ、そんなつもりは……」


 侮辱と受け止められるなんて思ってもみなかった鞠子は、さらに縮こまった。

 胃がしくしくと、穢れによるのとはまた別の原因で痛くなってきた気がするが、有無を言わせない圧力を前にしては反論することもできず、黙って聞いているしかない。

 

「妻には夫を支えることを求めるように、夫には妻を守る義務がある。俺のために自分を粗末にされたら、俺が夫として無能だと言われたのと同じことだ」

「…………」

「ただの替え玉でしかないあんたに、頭領の妻がやれるのかは知らん。ただ、たとえ今回だけだとしても、あんたは『やる』と頷いたんだ。――だったら、ちゃんとやれ」


 話はそれだけだ、と。

 樹丸は一方的に言いたいことを言い尽くして、鞠子を置き去りに立ち去った。


「若、姫君とは話せましたか?」


 樹丸が屋敷から出ると、同じく毛皮鎧と太刀で武装した葉黒が門柱に背中を預けて待っていた。

 もう頭領を継いだというのに、この灰色髪の青年は幼少期からの呼び方を変えようとしないで、飄々と笑っている。


「なんなら、もうちょっとゆっくりしたっていいと思いますけど」

「これから見回りの任があるのに、のんびりできるか。さっさと行くぞ」


 軽口をいなして、歩きだす。


 山中の警邏は、頭領の仕事の一つだった。

 なにか異変がないか見て回るというだけではなく、縄張りを自分自身の目と鼻でもって知るためであり、縄張りの長であることを周囲に知らしめるためでもある。


「それで、姫君の具合はどうでした? 塚から出てきた時には、かなりヤバそうだったじゃないですか」


 山道へと入っていく樹丸に追従しながら、葉黒が訊ねた。


「まだ大分、穢れが残っていた。かなりつらいだろうに……ふざけたことをぬかすから、ちょっと説教してきた」

「説教って……」


 仏頂面で答えると、葉黒の笑みが少し色を変えた。

 阿呆を見るような、非難がましさを含んだ雰囲気をまとう。


「そりゃいくらなんでも殺生じゃないっすか?」

「あ?」

「だってあの子、もともと旦那がいたのに若の嫁にって差し出されたんでしょ? それだけでも大変なのに、いきなり穢塚に放り込まれて。ぶっ倒れたと思ったら、目覚めて早々に叱られるなんて……うちに来てから嫌なことばっかりですよ」

「む……」


 樹丸は返す言葉が見つからなくて、手近に枝を垂らしていた木の葉をクンクンと嗅ぎながら、どうにか言い訳を絞り出す。


「でもな……倒れるまで無茶するヤツには、厳しく言っておいた方が……」

「無理する気持ちもわかりますけでどね。狼の群れに囲まれて、替え玉だってバレちゃって、『ちょっとでも役に立つって照明しないと』ってな感じに考えちゃったとか」

「…………ぐ」


 あり得る、と考えてしまった。

 実際に鞠子がそう思っていたのかは不明だが、それを言うなら彼女に弁明の機会すら与えなかった樹丸の落ち度である。


「若は言葉が足りんからなぁ。言わなきゃなんないこととか、聞かなきゃなんないこととか、取りこぼしてんじゃないですか?」

「……」

「叱った直後で顔を合わせづらい……とかなら、いい口実を教えますよ」


 唸り声すら返せなくなった樹丸に、葉黒は揶揄するような声色で肩を叩いた。

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