第12話 誤算

 四月九日、明朝。

 卵白は名残惜しそうに殻の縁にしがみつくものの、徐々に重さは推移し、限界に達した途端、一気にぽつりと落ちる。

 ユワはカップの中に落ちた卵を見つめ、そして次に、その右手に握った卵の殻を見た。


「ふふ……」一人不気味に笑う。「ユワ、天才かも……」


 右手一つの中で奇麗に上下に分かれた殻を見て、ユワは一人、悦に浸っていた。

 彼女の左腕は包帯に巻かれ、首から吊ってある。


「んんっ……」ユワの背後で人の起き上がる声。「ほわぁ……いい匂いがする……」


 寝ぼけ眼に起き上がって、ユワの様子を覗きに来たのはシラベである。


「おはようユワちゃん、早いねえ……」

「ん? おはよ──」


 シラベはおもむろにユワの肩に顎を置いた。ユワ、ちょっとびっくり。くんくんとユワの頭を嗅いでいる。


「いい匂いがする……」

「さっき頭を洗ったから……」ユワは困惑しつつも溶き卵にほうれん草を放り込む。

「食べちゃお」

「は?」


 シラベはユワの頭に齧りついた。ユワの後頭部がはむはむされている。


「ふわふわの……卵焼き……」


 ユワは、巨大化したシラベに食べられる光景を想像して、そこそこ真に迫った恐れを抱いた。


「起きて」おたまをクイッと頭の横に振る。

「んあっ」シラベのおでこにクリーンヒット。「いてて……酷いよユワちゃん……」

「文字通りに手が足りないんだから」ユワはシラベを振り払ってジトっとした目元を浮かべ、おたまを向けた。「できてるお皿を運んでよね!」

「分かりました……」シラベはしょぼんと肩を小さくしてユワに従った。





 二人向かい合って座布団に座り、丸テーブルで朝ごはんを食べる。窓辺ではシリウスとマリア、そして時計のふれどーる──ミュゼが、まるで何か世間話でもしているかのよう。


「シラベさん」

「ん……?」シラベはもぐもぐとほっぺを膨らせて、祝祭に涙している。「なあに? 美味しいよ……?」

「美味しいのは別に良くて」


 こんなに美味しそうに食べられると流石に嬉しいのだが、ユワはそれを素直に顔に出すタイプの人間ではなかった。


「シラベさんは今日どうする? レンくんを倒しにいく?」

「え……どうしよっかな」シラベは腕を組んでむむっと脇の方を見る。「これまでなら普通に授業を受けに行くところだけど……」

「シラベさんが部屋を出たならもうその瞬間からレンくんは殺しに来るかなぁ。授業なんて受けてらんないよ」

「となるともうレンリさんと決着をつけるほかないね」シラベはあぐらをかいたままぐっと伸びをして背骨を鳴らした。「向こうから来てくれる分にはありがたいや。ユワちゃんはどうする?」

「もちろん、シラベさんが学校に行くなら着いてく」ユワは嘲りの笑みを浮かべた。「あの顔が良いだけの馬鹿が負けるところを見て、嗤ってやるんだからさ」





**





 四月二日。

 部屋に戻ったばかり、まだカバンも下ろさないうちに。


「レンくん、ちょっと話があるんだけど」


 カズラとナギが目立ったホームルームの後。バーベキューの前のタイミングで。


「やっぱりこれ、殺し合いだと思う」


 ユワは誰よりも早く彼女たちの置かれた状況を看破していた。





「なるほどね」レンリはテーブルから椅子を返して座っている。「ユワの話は分かったよ」


 顎のラインにかかる銀髪は刀剣の如く。濃いめのリップが妖しい雰囲気。瞳は溶けたばかりの金箔のようにきらびやかな光を返す。


「一番可愛い子以外死んじゃうってことだ」レンリは自分の前髪を摘むと、それを見つめ微笑んだ。「それはつまり、アタシが勝つってことだね」

「……レンくん」ベッドに腰掛けたユワは苦い顔で眉を寄せている。「もう一回言うねぇ? これね、殺し合いなの。殺し合いのゲーム。デスゲームなの。分かった? 分かる? 分かるよねぇ?」

「ふれどーるを使った殺し合い。一番メルドルらしい女の子が勝つ」

「そう! そう!」ユワは抱いていたクッションを二段階に分けて持ち上げる。

「ってことは」レンリはキラっと笑った。「一番可愛いアタシが勝つってことだ」

「ああ違うっ!」ユワが立ち上がると同時にクッションを床に叩きつけた。「違うんだってばあ!!」


 レンリは肩を縮め、目を落とす。


「怒らないでよ。可愛いお顔が台無しだよ」

「レンくんのせいでしょうが!!」


 ユワは顔を上げてレンリをビシリと指差す。しかしレンリの子犬のように可愛こぶったおぼこい表情を受けて、うっと声を上げた。

 顔が良すぎるのである。


「れっ……レンくんが一番可愛いよ!? けどね!? それだけじゃあ勝てないの!! レンくん死んじゃうの!!」

「一番可愛いのに……?」

「一番可愛いけど!!」

「それは嫌だな……」


 レンリは首を傾げてユワを見る。自分の可愛さを百も千も承知した上目遣いである。


「どうしたらいい?」


 ユワにクリーンヒット。鼻血を垂らしつつ。


「まっ……まずその! 何でも顔面で解決しようとする癖から直そっかぁ!?」

「どうして?」


 レンリはおもむろに立ち上がると、不意にぐいっとユワの腕を引いた。瞬く間に背中が壁に着けられる。吐息の温度も感じる至近距離。


「直接言わなくちゃ分からないの?」


 レンリの金の瞳は細く冷え切っていた。

 下らない、興味がない、視界にも入れたくない──そんな、いっそ嫌悪とすら取れる表情でもって、見下ろしている。

 ユワの背筋にゾクリと寒気。


「アタシを勝たせろって言ってんの」


 レンリが壁際から離れて、ユワはへたり込んだ。振り返るレンリは妖しい微笑みに戻っている。


「分かった?」

「ひゃ……」ユワは火照る自分を意識せずにはいられなかった。「ひゃい……」


 ユワには見えた。

 レンリが世界の中心に立って、全ての関心を欲しいままにする姿が。

 そうなるべき人間なのだ。そうに違いない。その一助の末端にでもなれるならば、これ以上光栄なことはない。


 決心。

 この人を勝たせよう。

 そのためならば──なんでもしよう。





**





 四月十日──校舎内。風の通り過ぎていった廊下で。


「ユワちゃん大丈夫!?」シラベはユワに駆け寄った。膝をついて金の剣を置き、肩に手を当てる。「傷は……」


 銃弾は頬を頬をかすめていた。顎を伝って、赤い体液が太ももに落ちる。

 レンリは辻斬りのように不意を突いてユワとシラべを襲撃した──訂正──『ユワを』襲撃した。シラベには目もくれず、ユワにだけ拳銃を乱射したのである。幸いにもシラベが咄嗟に気付いたのでユワはシリウスに庇われたが、そうでなければユワは死んでいた。

 そして今はもう、レンリは姿を消していた。かまいたちのように、ただ風の気配だけを残して去っていった。

 まったく同様の襲撃は、これで二回目。

 ユワは床に腰をついたまま、ただ呆然としていた。

 人は銃口を向けられると動けなくなってしまうものらしい。


「顔に傷……!」ユワの頬に手を当てつつ、シラベがハッと息をのむ。


 シラベの指先に力が入る。シラベがキレたのがユワには分かった。しかしシラベはそんな彼女の内心とは裏腹に、深呼吸を一つして、平静を装いつつ傍のミチルに尋ねる。


「なんで……レンリさんはユワちゃんを狙うのかな」


 冷たく、揺るぎない、凪いだ静けさ。

 シラベは静かに怒る人間らしい。


「分かりません……ユワさんはもうゲームを降りている」いま、二人の側にはミチルもいた。シラベのコールを受けて駆け付けたのである。「いずれ殺すつもりだとしても、優先的に狙うのはシラベちゃんのはず……」


 ミチルは割れた窓の外に目をやっていた。


「それにしても早い逃げ足ですわね。わたくしが駆けつける前には離脱している。やり方が徹底しています」


 シラベはふとまたユワに目を向けた。何かと見返すユワの頬を親指で撫でて、そっと微笑む。

 シラベがそうして初めて、ユワは自分が涙を流していることに気が付いた。気が付いてしまうと、もう止まらない。

 ユワは自分の胸に爪を突き立てた。吐く息が震えている。


「ユワ……」ユワはシラベの胸に頭を着く。「部屋に閉じ込もることにする……」

「うん」シラベは優しく抱き寄せた。「そうするのがいいよ」


 ユワはこの数日でシラベへの印象を改めた。

 呑気で、馬鹿で、無防備で、現実を知らなければ身の程も知らない。

 動じず、真っ直ぐで、包容力があり、臆面もなく遥かな夢を語る。

 それはユワたち常人には叶わないことだ。小賢しい人間にはできないことだ。

 彼女には彼女の才覚がある。





**





 四月三日。

 順調にクラスメイトを一人ずつ殺した二人は、人目に付かない裏路地で、周囲のふれどーるにファンサを返していた。


「だからね」ユワは何かを紹介するように右手を上げる。「きっとこれはあくまで、ユワたちが勝手に殺しあってるって体裁で行われてるんだよ。学園が強制したわけじゃないってスタンスなんだ」

「なんでそんな回りくどいことをする必要があるの?」レンリはツンと鼻を上げる。「アタシたちに殺人を慣れさせたいなら、素直に殺し合えって言えばいいのに」

「学園が殺し合いを強制してるだなんて知れたら流石にあんまりよろしくないんでしょ。そもそもふれどーるが殺しを好きって事実が国家レベルで隠蔽されてるわけだしさぁ」


 メルドルがメルヘンなステージで人を魅了する存在であること、それと同時に国外の敵と戦う英雄であること、それぞれは知られている。

 〝新人戦〟のようなメルドル同士が競い合う場面が放映される機会もある。とはいえ強調されるのは「勝敗」であり、「生死」ではない。まさか今ので死んだなんてことはありえないだろう、退場してしまっただけだろう、と視聴者が補完するような印象操作が行われている。教科書からメディア、SNSまで、何もかもを巻き込んだ情報の操作が行われている。

 すべて、メルドルに悪印象を持たせないために。


「ふうん。確かに、入学前にそんな話は聞いてなかったね」

「こんなことさせられるなんて知ってたらユワも入学しなかったよ」

「そうなの?」レンリはきょとんと首を傾げる。「ユワにはこんなに適正があるのに?」

「え?」聞き捨てならない。「ユワのことをそんな風に思ってたの?」

「それはそうでしょう。どこからどう見てもユワはこのデスゲームに適性があるよ」


「なっ……! ユワはこんなゲームだいっきら──」喰いかかったユワに、しかし。

「──そのおかげでアタシは勝てる」レンリは息を抜きつつ微笑みかけた。「ユワの才能のおかげでね」

「うっ……」ユワは頬を染めつつ顔を反らした。「別に……そんなの……」


 レンリは飴と鞭を計算でやっているのだろうとユワは気付いていた。けれどそうやって転がされることに、一種の楽しさも覚え始めていた。末期だった。


「一番可愛い女の子と、一番殺せる女の子。うん。やっぱりアタシたちなら、勝てるよ」

「──!?」


 レンリのこの言葉はユワにとって、昇天ものの歓びを抱かせるものだった。

 鼻血どころか卒倒までする。いきなり地面にばたり。


「えっ、ユワ?」さしものレンリとて慌てた様子で膝を着いた。「え、え!? 突然なに!? 大丈夫!?」


 ユワは薄れゆく意識の中で、新たなレンリの表情を見れたことにまた興奮して、間もなく気を失った。





**





 踏み込んだ木板が爆ぜる。火の粉が弾け、熱風が肌を掠める。濡れたハンカチ越しでも肺が燃えるように熱い。

 ガソリン臭い廊下に、崩れる柱を潜り抜け、火の柱にも突っ込んだ。足を止めたら死んでしまうのだから躊躇なんて無い。

 煙に巻かれてもうどこを走っているかなんて分からない。自分の手を引くシラベを信じて、置いて行かれないよう急ぐだけ。


 四月十二日の夕暮れに。

 学園寮の一棟が燃え落ちた。


 ユワとシラベは決死の思いで芝生広場に飛び出る。

 思い切り息を吸う──間もなく、ユワと、彼女の手を引いていたシラベの手が強張った。


「こ、れは──」

「──レンくん」


 祭囃子はズンチャンと。喧騒よりも軽やかで、風の音よりは賑やかだ。

 屋台では焼きそばを炒めていたり、綿菓子を巻いていたり。

 あるいは金魚は水面を飛び出して宙を泳ぐ。

 石畳のそこは、縁日の神社だった。

 三つ撃ちあがった花火を背に、翼を広げているのが──。


「おみごと」


 鼻筋の通った美貌。少年めいた涼しげな面影。

 背から延びる鴉翼は、漆黒と真紅。

 ミニ丈のアサガオの浴衣に、葬式に着ていくような古風な羽織は、いずれも空気を孕んで裾が波打っている。露わな細い足をなぞっていけば、両足に履くのは長い一本下駄。

 天狗鼻の仮面をはおでこに斜めにかけて。

 透き通る銀髪はそのままに、しかし毛先が赤く燃える。


「死なずに出てくるだなんて」


 きらきら、からから、と。風鈴が鳴り、風車が回る。火の粉を纏う風の出どころは彼女が左手に持ったうちわだ。右手にはいつもの拳銃。


「じゃあここで死んで、ね」


 レンリは躊躇なく発泡した。

 焼けた鉄の塊がユワの左腕の皮膚を破り、肉を裂き、骨にぶつかって、そこで止まった──幸運にも。


「ぐっ──!!」


 幸運だ。そうでなければ腕を貫通して身体まで届いていただろうから。


「ユワちゃん!?」


 ユワは悲鳴すら上げられなかった。ミュゼ──時計のふれどーるが慌てた様子で現れて、ユワの様子を窺う。


「よし」レンリは拳銃の硝煙を息で吹いたりなんてしている。「一つ進捗」


 ユワの隣に立つシラベは、普段の快活さとは真逆の重く暗い雰囲気を放っている。


「レンリさん」剣を握る右手に力が篭っている。「どうしてまだユワさんを撃つのかな。フレ数は見てるよね?」

「大した意味はないよ、アタシはそんなに難しいことは考えてない」レンリは妖しく微笑んでいる。「ユワのことを殺したいなって思ってるから、殺そうとしてるだけ。シンプルでいいでしょう?」


 レンリはユワをまた撃った。今度の射撃は金の剣に弾かれる。


「〝アクション〟──〝死を悼んで〟」


 もうシラベに言葉を交わす気は無くなったようだ。

 レンリはいつも通りの微笑を浮かべたままだが、その羽ばたきには内心の興奮が表れていた。


「おいで、シラベ。邪魔者が水を差しに来るまでは、遊んでいくよ!」





 追ってミチルが現れる頃にはレンリは姿を消していた。向こうの方では消防隊員に加えて、二年生数人もメルヘンを展開し火事に対応している。シラベは落ち着かない様子で火事の方とユワの方に交互に目をやっているが、ミチルは火事に目もくれず神妙な様子で、芝生の反対側、林の方をじっと見つめていた。


 ──あれ? なんだか……。


 当のユワは救急隊員によって担架に乗せられたところ。すぐに救急車に運び込まれる。

 フレアクト戦の疲労が見えるシラベよりも、ユワは更に消耗していた。左腕は今にも破裂せんばかりの痛みを訴えている。救急隊員はテキパキとした動作で包帯を巻き替えていくが、ユワはたびたび顔を力ませて痛みに耐えた。隊員が何も聞いてこないのは、学園の事情を知っているからだろう。

 寝かされたユワを覗き込むシラベは、うっうっと涙をこぼしていた。


「ユワちゃん……! 死なないで……!」

「シラベさん……」ユワは脂汗を浮かべている。「ユワ別に……死なないから……」

「ユワちゃんの料理の腕が失われちゃうだなんて、世界の損失だよっ!!」

「料理の腕は関係なく惜しんでほしかったかなぁ……!」


 シラベとは反対側に座っているのがミチルだ。扇子を口元にやってクスクスと上品に笑う。もう救急車は走り出して車内は揺れていた。


「病院に間に合わないならば、最悪、シラベちゃんがメルヘンすればよろしい」

「死なないってばぁ……!」ユワはついつい突っ込んで、燃えるような激痛に「ううっ」と呻いた。

「でも困ったね」シラベは腕を組んで思案顔。「レンリさんは徹底的にユワちゃん狙いっぽいよ。ユワちゃんレンリさんに嫌われるようなことしたの?」

「そんなことした覚え、ない……」


「あの、ちゅーっ! って詰め寄ってたのは? セクハラじゃない?」

「セクハラ……じゃないよ。女の子同士なんだから……」

「女の子同士だけど別にセクハラではあるよ……?」

「えっ……」


 ユワは衝撃を受けつつ、自分のことが価値観をアップデートできていないおじさんみたいにも思えて、ちょっと、いやかなり落ち込んだ。


「ふれどーるとの契約を解除したのが裏目に出ましたわね。これではユワさんが自衛できない。契約を解除したのはいつごろですか?」

「いつだろ……ミュゼ」ユワが名前を呼べば振り子時計のふれどーるが現れて、顔の針がくるくると回った。ユワは彼の示した数字を追うことができる。「四月八日の……十五時……」

「なるほど」ミチルは顎に扇子の先を当てている。「ふれどーるとの契約を破棄してしまうと、同じふれどーるであれ、他のふれどーるであれ、次の契約が可能になるまでしばらくの時間がかかってしまうらしいです。具体的には一週間ほど。つまり──十五日ごろまで、ユワさんは無力ですわね」

「詳しいね、ミチルちゃん」


 シラベが素直に褒めれば、ミチルは少し得意げな様子で笑った。


「誰かさんがそのつもりでいるので。少し調べて参りました」

「そっか……再契約、すればいいのか」ユワは枕元に立つミュゼを改めて見た。


 ミュゼはユワの肩に手を掛けている。短針と長針がそれぞれ左右下の方に傾いているのが、困り眉のよう。


「ともかくわたくしが言いたいのはですね、そろそろ攻勢に出てもいいのではないか、ということです。ユワさんのためにも、シラベちゃんが勝つためにも」

「攻勢に?」とシラベ。「レンリさんはどこにいるか分からないから、こうやって受け身になってるのに?」

「ええ。部屋にも戻っていませんね。となるともう取れる手段は一つだけ」


 ミチルはユワをただ見下ろす。その微笑みでもって、下に見る。


「……分かってる。やるよ」


 ユワは、はあぁ……と長く息を吐いた。

 覚悟を決める。


「ユワを餌にして、レンくんを釣ろう」





 ユワが提案した決戦の舞台は校舎内でも特に人気ひとけの少ない、隅っこの講堂だ。入学式と新入生歓迎会が行われた、あの大講堂である。何もイベントが無ければ人が訪れることはなく、日曜日ともなれば誰が見に来ることもあり得ない──そんなところに、ユワはふらりと現れることになる。

 夜の病室で、高熱と嘔吐感に苛まれつつ、しかしユワはベッドから身体を起こして計画立案を主導していた。


「ユワの調べによれば、あの講堂はリモコンのボタン一つで全部の窓を素早く閉めることができる。風さえ通る場所なら『神隠し』で瞬間移動できるレンくんを、不意を突いて捕まえることができる」ユワは両手の人差し指をそれぞれ立てた。次にその二本でばってんを作る。「そこを頭数で叩くんだ。隠れてたシラベさんとミチルさんが出てきてね」


「レンリさん程度、わたくし一人で赤子の手を捻るようなものですが……」ユワの脇で丸椅子にちょこんと座るミチルは、扇子を水平に上げて疑問を呈す。「しかしそれでは怪しまれるでしょう。なんの理由も無くユワさんが日曜日に大講堂を訪れる、なんてことがありえますか?」


「そこは……その」ユワは苦い顔をして目を逸らした。「気まぐれってことで、納得してもらえるんじゃ……ないかな。相手はレンくんだし……」

「わたくしとユワさんで認識に差があるようですね」ミチルは息をつく。「わたくしには、レンリさんは相当に頭の冴えた方に見えます。そうでなければ、部屋に閉じこもった人間を建物ごと炙り出すだなんて作戦を思いつきはしないでしょう。彼女は立派な知能犯。これくらいの小細工は見抜かれる気がしますわ」

「小細工……?」ユワは悔しさに歯を軋ませた。ぎりり。「ユワの作戦が……!?」

「そ、そこでそんなに悔しがりますの? わたくしは別に、レンリさんの方が一枚上手なのではと言いたかっただけですから……」


 ユワはぷいっとそっぽを向いた。唇を尖らせつつ窓辺の人物をチラと見る。


「シラベさんからは何かアイデアない?」

「私かぁ。そうだな」


 シラベは病室のカーテンを少し開けて、夜の街並みを見下ろしていた。


「罠が見え見えなのは仕方ないから……そうだね。罠だと分かってても、まあ別にいっかって思ってもらう、なんてどう?」

「どういうこと?」

「だからね」振り返ったシラベが持ち上げる手の上には、とんぼを模したふれどーるがいた。「あくまで待ち伏せしてるのはユワちゃんだけって思わせるんだ」


 シラベの話はこうだ。

 レンリはいつもミチルが駆け付ける前には離脱している。これはレンリに、ミチルが助けに来るタイミングが分かっているからではないか。レンリはミチルがある程度遠くにいるのを目視で確認して、シラベかユワからの連絡を受けたとしても駆け付けるのに時間がかかるときを狙って、襲撃してきているのである。

 逆に言うと、ユワに対してシラベとミチルが遠くにいると思わせておけば、レンリに多少のリスクは許容させることができる。

 ユワが罠を張っているにせよ、大したものではない、と誤認させればいい。





**





 四月六日。ユワとレンリは今日も今日とて一人ずつ殺した後、寄り道をして、オシャレなカフェでお茶してきた。ユワはもう満足気にほくほく顔。

 そんな帰り道で、しかし。レンリは何か考え込む様子でいた。


「うーん、やっぱり、美しくないな」

「何の話?」ユワはるんるんと楽しそうにレンリを覗く。「レンくんは美しいよ?」

「アタシは美しいし可愛いね。でもこのゲームは、なんだか美しくない」

「このゲーム、が?」


 レンリは細く滑らかな人差し指で、自身の前髪の縁をなぞった。


「アタシたちは『一番』を目指すんでしょう? なら、その予選もブロックごと一番だけを取るのが美しい形だと思わない? それでこそ、一番の素養がある人を選べる気がするんだけど」

「……相変わらず変なことを考えるよねぇ」ユワは呆れて見せる。「学園運営の都合があるでしょ? 出場枠だって決まってるわけだし」

「やりようはある気がするんだけどな」

「やりようって?」


「それは分からないけど」レンリは目を閉じて笑う。「アタシと似た美意識を持っている人が学園運営側にいたなら、この条件下でも実質一人しか勝てない形式を作るだろうになって」

「一人しか勝てない状況、ねぇ……」


 夕陽指す並木道にユワは立ち止まった。

 頭が音を立てて回転している。


「ん?」レンリが何かと振り返る。「どうかした?」

「まさか……」呟くユワの顔から熱が失われていく。「そんなわけ」


 レンリのこの発言だけで、ユワには思い当たった。


「枠は二つ……でも、実質一つ」


 その可能性はあり得る。


「もしも……」


 もしも、本来はそうだったならば。

 新米のメルドルに殺人を慣れさせるための、このゲームの──本来のデザインとして。

 『最初に殺す人間』に想定されているのが、『ルームメイト』だったならば。


「そう……」ユワは、ほっ、と胸を撫で下ろした。「それならユワはレンくんを殺してただろうな」

「え゛」レンリはギクリと音が聞こえそうなくらいに顔を歪めた。「アタシ、殺されちゃう?」

「ううん。その時が来たら、ユワは負けてあげる」


 ユワは胸を震わせつつ、はにかんだ。


「それで、レンくんの一番になる」





**





 四月十四日。

 入学式のときは見下ろしていた、大講堂フロア階──半月型のステージ。

 ミツルギ・ヒルギが上った舞台の中心には、いま。

 ホンジョ・レンリが立っていた。

 ユワの前にはミチルが、反対側の舞台袖にはシラベが居る。二方向からレンリを挟む形。

 全ての出入り口と窓が、ちょうど封鎖されたところ。


「来ましたわね、命知らず」ミチルはユワを庇うようにして扇子を横に構えている。うふふふふ、といつもより長く笑って。「わたくしに銃口を向けた狼藉を悔い改める時ですわ」

「ちょっと、ミチルちゃん!?」向こう側のシラベが少し慌てた様子で金の剣をぴしっと伸ばした。「レンリさんを裁くのは私だからね! 横取りしちゃだめだよ!」

「あらあら。気を付けます」


 レンリは未だに微笑みを崩さないでいる。その目は彼女自身の足元に向いていた。


「どうして……ミチルさんがここにいるのかな?」レンリは隠そうとしているが、困惑の気配は確かに滲んでいた。「アタシが見たシラベとミチルさんは……?」

「レンリさんが見たのは幻覚だよ!」シラベはどやっと鼻を高く上げた。「ね、ウスバネ」


 トンボのようなふれどーるが現れて、シラベの頭の上をくるくると旋回した。


「この子は空気を温めて、まるで本物みたいな幻覚を見せることができるんだ」

「ふうん。上手く誘い込まれたってこと」

「そういうこと」シラベは冷ややかに笑う。「年貢の収め時だね、レンリさん」


 レンリの右手にはいつもの拳銃が握られている。何度かユワにも向けられた、人を殺すのに十分な口径を持つハンドガン。

 レンリは最後に、ユワに視線を向けた。


「ユワ」


 ユワも見つめ返す。


「レンくん」


 レンリはふう、と息をついた。

 『疲れ』だった。


「酷いシナリオだった」レンリは苦笑い。

「そんなことないよ、レンくん」ユワは眼差しを真っ直ぐに返す。「これくらいは当然なんだ」


 ショウジョウ・ユワはこのゲームを嫌っていた。

 どうして年端も行かない女の子たちが殺し合う羽目になっているのか?

 運営のやり方も信じられなかった。

 百歩──千歩、万歩──譲って、殺し合いをさせるのは社会構造上どうしようもないのだとしても。それは大人が責任を取るべきだろう。騙すような形でステージに上がらせたくせに、生徒が勝手に殺し合っただけですだなんて、卑怯以外の何物でもない。

 しょうもない。

 だからこそユワはこれを『ゲーム』と呼んで馬鹿にしたのである。


 その冷めた視線によってこそ、彼女はこのゲームのルールを逆に活用するような裏技に——兵器の活用に——気付くことができた。

 そして、レンリへの熱い想いによってこそ、本気の本気で、勝利を目指したのだ。

 冷と熱。どちらが欠けても彼女はここまでやってこれなかった。


 ユワは自分が特別賢い人間だとは思っていない。自分以外の誰であっても、自分と同程度の推察は可能だっただろうと思っている。彼女とその他を分けたのは、ただただ、ゲームへ臨むその姿勢のみ。

 彼女以外の誰もがみな「本気」では無かったのだ。

 真に本気で、真剣に取り組んだならば、あらゆる事態を事前に想定して、考察していたはずである。それだけの自由な時間は十分に与えられていた。だというのに誰もかれも現実から逃避してしまっていた。もちろん多少は頭を使っていたのだろう。しかし──これから先どのようなシチュエーションが発生し得て、自分はどのように死に得るのか──そこまで具体的にシミュレーションし続けた人間はユワの他にいなかった。誰だってそんなことは想像したくないからだ。その感情はユワにもよく分かる。しかしそんなものは命に比べればあまりにも些細な問題ではないか?


 誰にだってできたはず。だから、彼女たちにも想像がつくはず。むしろこんな単純な狙いがバレていないはずがない。しかしこれこそが最もシンプルで簡単な策だ。無数に考えた中で、これが最も確実だった。

 ならば誤魔化すほかないだろう。血でも骨でも、命でも、何でも差し出して。衝撃的な演出と真に迫った命懸けで、煙に巻いて、脳の外に追いやらせる。

 そうでなければここには辿り着けなかった。

 ユワがシラベに取り入ったのはシラベの警戒を解くためではない。


 いま、ユワの目の前には。

 ミチルの扇子がある。


「初めからお前一人だけなんだ」


 ユワはなんてことはなく目の前の扇子に手を掛けて、引っ張った。


「ユワのターゲットは」


 想定よりもよっぽど小さな力で取り上げることができた。全く意識の外だったらしい。


「えっ……?」


 僅かに振り返るミチルの横顔は、素で驚いた様子だった。


「これがなきゃお前だって」ユワはトンっと後ろにステップを踏みつつ、扇子を後方高くに放り投げた。その口の端には含み笑いが浮かんでいる。「ただの女の子なんだからさぁ」


 大枠自体は事前に共有していた、とはいえ、レンリの了承も得られていないうちの強行だった。運が悪ければ何度だって死んでいた。

 そうしてユワはミチルの警戒を完全に解き、ここまでの接近を許すことに成功した。


 ユワの至上の喜びはレンリの勝利に殉死することである。

 けれどそれはまだ叶わない。

 その時はまだ、まだまだ先だ。

 最後の最後まで。

 最後の二人まで死ぬわけにはいかない。


 ──だって!

 だってレンくんは。

 ユワがいないと勝てないんだから!


「ウツセ・ミチル!! ここがお前の死に場所だ!!」ユワの笑みには隠しきれない高揚が滲んでいる。「これで、レンくんの──!」


 レンリは両手両腕全身でしっかりと拳銃を構えていた。

 口を横に結んで、眼差しも揺るぎなく。

 絶対に外しはしない、と。


「──の勝ちだ」


 引き金が引かれ、銃口に閃光が瞬くと同時に。

 銃弾は空気を切り裂き。

 ミチルの脳天に直撃した。





 視界が明滅したのは、突然に走った稲妻のせい。





 銃弾は外れなかった。ミチルのこめかみに直撃した。

 その銃弾は──しかし──今は彼女の足元に転がっている。

 ひしゃげた形で、ピリピリと電気を帯びて。


「……はあ」


 ミチルはまだ立っていた。

 依然、として。

 銃弾はミチルの額に当たった途端、稲妻を放つと共に勢いを失い、ポトン、と落下したのだった。


「えっ」


 ユワが零した声は純粋な驚きによるものだ。

 呆然としたまま、右手を持ち上げ、にわかにミチルを指差す。


「お前」


 ユワが何を言おうとしているのか、誰よりも早く気付いたのはレンリである。ゾッと血の気を引かせ、切羽詰まった様子で呼びかける。


「だっ──ダメだユワ!! それを言っちゃ──!」


 ユワは首を傾げてレンリを見返す。レンリが何に焦っているのか分からない。


 どうして?

 これでユワたちの勝ちでしょ?


「あ」シラベも何かに気付いたようだ。


 しかしユワには分からない。

 平時の彼女なら気付いたのかもしれない。けれど今のユワは違う。

 銃痕に起因した発熱で体温は38度あるし、左腕の狂ったような痛みは頭痛と苛立ちを引き起こす。本来ならば絶対安静の重体。

 判断を誤るには十分なダメージをユワは負っていた。


「ユワたちはルールを破らなかったのに」


 新入生歓迎会でヒルギがフレアクトしていたのは特例だろう。本来ならば校則違反である。

 だってこのステージは、れっきとした校舎施設内。


「コイツ」


 もちろん、直接言わなくたって、時間の問題ではあったが──。

 それを指摘したのは、この場の仕掛け人であったはずの、ユワだったのだ。


「校舎内でフレアクトしてる」





「ふふっ」


 ミチルは笑った。

 肩を落とすような仕草をしつつ、しかし、ふふ、ふふっ……と、身体のうちから湧き出すようにして、笑っていた。


「ああ……」


 彼女にも確かにあるのだ。

 殺人を楽しめる感性が。


「もう、殺すしかなくなりましたわね」



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