p12


「おおきになんか、大学生は使わん」

「僕もう大学生ちゃうもん」


三崎が笑う。私も笑うべきなのに笑えない。


適当に楽しく。でも私は本当は、適当に楽しく生きている三崎を好きになったわけじゃなかった。だって雨の日のピザの宅配に躓くような人間が、適当に楽しく生きられるわけがない。親に頼ることを醜態として、それを自分の仲間にさえ許さないような人間が、毎日適当に楽しく生きられるわけがない。


それなのに毎日適当に楽しく生きようと努めている三崎を、私は好きになった。目もあてられないほどの健気だった。三崎は私と違う。ずっと知ってた。


三崎がなぜ、人に頭を下げるのが嫌いなのか聞けない。なぜ人に頭を下げないと奨学金すら借りられないのか聞けない。


買おうとしてた?自販機でジュースを買うみたいに、宝くじで大金の夢を買うみたいに、適当に楽しく生きることを自分のお金で買おうとしてた、ひとりで。


そんな三崎に気づこうと思えば気づけたはずなのに、気づかないことを選んで日々を過ごした私には聞けない。


「なあ、泣きやんで、乾」


三崎が私の頭上で、心底困ったような声をだす。泣けば困ってくれるなら、もっと早く泣けばよかった。もっと早くやればよかった。そんなわけないのに、そんな後悔しかできない。


「これからどうやって生きていくん」


こんなことしか聞けない。


「別に今までどおり生きてく」

「お金もないのに」

「失礼やなあほ、ちょっとくらいあるわ」

「からっぽって言ったやん」

「からっぽのほうがかっこいいやろ、そんくらい言わせろ」

「ぼけ。かっこつけんな」


別に三崎が大学をやめたって、それでも一緒に生きていこうよと言えばいい。言えばいいのに、私も三崎も言わないまま日常が迫ってくる。待ったって警報の鳴らないこの町で、当たり前に蝉が目覚めて、夏休みもクソもない大人たちが駅に向かってだらだら歩いていく。


「なあ、乾」

「いやや」

「神田川、なんであんな切ないんかな」


三崎が無垢な声で聞く。そんなことどうでもいい。目も喉も熱くてどうでもいい。


「知らん」

「なんでやさしさが恐かったんかな」

「知るか」

「な。僕も知らん。でもなんでやろうって、どうせ僕には一生わからんようなことを考えてるうちに終わる人生を、僕は生きますよ」


なんじゃそれ、と吐いた言葉が涙でぐしゃぐしゃになる。


「でもそうやって考えてるとき心のどっかに乾がいて、そういや僕、あの子のことめちゃくちゃ好きやったな、最後にやれたなって、思い出せたらロマンチックじゃないですか」

「ロマンチックなんか」


言葉が切れる。ロマンチックってなんやねん。なに?そんなもん。


「あったって食えへん」


滲んでしまった三崎が笑う。


「食わずに持っとくわ」


三崎の乾いた瞳は、私を未だにここに焼きつけようとしている。やめろ、こんなところに焼きつけてくれるな。こんなところに、ひとりで。


「い………」


行かんといて。セックスのあとには言えたことが言えない。きょとんとした三崎の顔。それから笑った三崎の顔。もういった、とふざけた声。勝手に思い出になっていく。死んでないのに。溶けてないのに。今ここにいるのに。


三崎はひっきりなしに泣く私の両手をとり、その手のひらを広げ、震える指先を見つめて大真面目に聞いた。


「悲しいかい」


神田川の女はなんて答えたんだろう。歌詞にはなかった。あれば答えられたのに。私は答えるすべを持たず、ただ涙に濡れていく私と三崎の指先を見つめていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る