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しかもそれはさーちゃんが、三崎と付き合う前の男に孕まされた子だ。


向こうの男はまだ高校生で親にも言えないしもちろんお金も払えないから、今週末実家に帰って自分の親に説明するつもりだと、ファミレスで泣きながら私たちに話したさーちゃんに三崎は、「ガキ堕ろすために親に泣きつくような人生でいいの?」と聞いて、「そんなん嫌やけど仕方ないやん」と咽び泣くさーちゃんに翌日ぽんと二十万用意した。


「堕ろすならこれで堕ろし」


あのときさーちゃんと三崎はまだ付き合ってもいなかった。さーちゃんは結局、親に黙ったままそのお金で中絶手術を受けて、その数か月後に三崎と付き合いはじめた。


一人暮らしの子たちは私もさーちゃんも含めてみんな、親が毎月の家賃を払っているアパートで親の仕送りを頼りに生活しながら、金がないないと嘆いてはバイトで稼いだ雀の涙の大抵を、遊びや夢に浪費していた。


仲間内で、三崎だけが金がないと言わなかった。かと言って阿久津みたいに謎の経営者たちとつるんで、臭い金を稼いでいるふうでもなかった。普通の居酒屋で普通にバイトをして、普通に私たちと遊んでいた。


「三崎の家って金持ち?」


さーちゃんが二十万を受けとったあとにこっそり聞いたら、「別に金持ちじゃないよ」まだ完璧な関西弁とは言い難い発音で三崎は言った。


「この歳にもなって親に醜態晒すなんて、想像だけでも可哀想やろ」


私は思った。可哀想だろうか、それは。


堕胎は褒められたことじゃないし、でもはっきりいって明日は我が身で、そんなことになる前に私も阿久津もそこらへんの同類もみんなみんなきっぱり死んだほうがいいと本気で思う。


でも、三崎の言う醜態は堕胎のことじゃなかった。親に頼ること泣きつくこと。


この歳にもなって、と三崎は言ったけど、あのとき三崎はまだ十八だった。私だってさーちゃんだって大学生になったばかりの十八歳だった。十八歳の三崎にとって、親に頼ることはすでにもう醜態だった。


そんな三崎が、なぜ親の金で大学に通っているなんて当たり前のように思えたんだろう、私は。


「奨学金は?申請したら?」


縋るように聞く私を三崎は、軽い笑みでいなす。


「保証人たてんのだるい」

「は?別にだるくないやんそんなん。誰か親戚とか」

「だるいよ」


冷たく言い放たれたその言葉があまりに綺麗な標準語で、息が止まった。


「僕、人に頭下げんのが世界でいちばん嫌いなの。そんなんするくらいなら死んだほうがまし」

「じゃあ保証会社とか、使えば」

「そこまでして大学通いたいわけじゃないしね」


なんで?待ってよ。


「もうじゅうぶん楽しんだ」

「……嘘や」

「嘘じゃない」

「嘘や。私らに付き合うのが嫌になったんやろ?親の金で大学通って親の金で生活してるだけのガキのくせに、大人ぶって酒飲んだりセックスしたり夢抱いたりしていきがってるような大学生、やってられへんなったんやろ?」

「違うよ」

「違くない」

「違うって」

「関西弁使って!」


思わず叫んだら三崎は、え?と目を丸くして首を傾げた。


「使ってへんた?」


淀みない関西弁で聞いてくる。三崎のくそぼけ。くそぼけくそぼけ、完璧な関西人になるって言ったのに。もうなりそうやったのに。今首を振ったら涙がこぼれるから頷けない。


「ちょっとは安心したら?」


涙を堪えて顔をしかめる私に、三崎はおどけた調子で言った。


「は……?なにに安心すんの」

「阿久津。ばれる前に僕が消えたら一旦めでたし」

「なんもめでたしじゃない」


こらこら、と三崎は苦笑いをこぼす。


「僕が殺されてもええんか」


よくない。よくないのに、なんでやったん。そんなこと言葉にならない。理由なんてない。言い聞かせる。あのときただなんとなくそういう雰囲気になって、セックスするのが正しい気がして、ずっとそうしたかったような気になっただけだ。


感傷的にも感情的にもなりたくない、セックスに意味なんて持ちたくない、なにに意地も意義も見出さない。


ただ適当に楽しくいたいだけ、若さを浪費したいだけ、親の金でキンキンに冷やされた部屋で溶けないガリガリくんを舐めてらんまを読んでいたいだけ、そんな無価値な自分に安心したくて、笑っていたくて、同じだと思っていた、三崎は私と同じだと思いこんでいた。


「泣くなよ乾、またしたくなる」


嘘だ。三崎にうっかりはない。三崎は私とセックスするために、それだけのために今日私の部屋に来た。


「なんで言ってくれへんたん」

「だから言ってるやん、今、乾にだけ」


無意味な涙が、ついにぼろぼろ溢れる。喉に詰まって変な声がでる。だからなんでそれをもっと早く教えてくれへんたん。


教えてくれたら。


教えてくれたら、A.J.とグレースになれなくても、ムースとシャンプーにさえなれなくても、なにかに。なれた?本当に?神田川の切なさにさえ手が届かない私たちで。


「ほんまに楽しかったよ、大学生」


私をやんわり抱きしめて三崎は言う。そんな後生みたいに。


「最後に乾とやれたし」


勝手に思い出にされる。勝手に過去にされる。三崎の胸のなかで首を振る。涙が飛び散って三崎のシャツを濡らす。嗚咽を漏らしてシャツにしがみつく私の頭を、三崎はセックスのあとと同じように優しく撫でて言った。


「どーもおおきに」


くそぼけ三崎。


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