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水色の濃くなった空の下、野良猫が駆けていく小道にグリコの声が響く。
じゃんけんぽん、ちよこれいと。じゃんけんぽん、ぱいなつぷる。じゃんけんぽん、ちよこれいと。じゃんけんぽん、ぐりこ。
三崎は弱くて、私ばっかり進むはめになるから歩幅を徐々に狭くして進み、進むたび早く振り返らなければと焦る。でも、何度振り返っても三崎はちゃんとそこにいた。そこにいて私を見て笑っていた。
ついつい四連勝してしまい、これ以上離れたらもう声が届かなくなるんじゃないかと不安になったところで三崎が、
「いぬいー」
私の名前を大きな声で呼んだ。辺りはまだ静かで、大きな声なんて出さなくても声は届くはずなのに、私も三崎と同じように答える。
「なーにー」
バカップルめいて滑稽で、楽しくなってきて私たちは、どちらかともなく顔を歪めて笑いだす。なぜ笑うのかも正しくわからず、笑っていることがただ楽しくて笑う。笑顔は泣き顔と似てる。そんなこと知るか、いつもの私たちだ。
おばさんふたり組が誰かの家のピンポンを押すとき、さーちゃんがひとりでに苦悩しているとき、阿久津が女や経営者たちと騒いでいるとき、シャンプーが反転宝珠をつけて乱馬を殴っているとき、スコーピオン白鳥がリングの外でも戦っているとき、小惑星がグレースの輝く産毛めがけて落下しているとき、神田川のふたりが切なさのなかで抱きあっているとき、私たちはただ笑っている。それでいい。
それでいいのにいつだって、笑い声はいつかはやんで、残響になりやがて消えてしまう。
「ごめんな、エッチしちゃって」
三崎が声を張らなくても、ちゃんと届く。
「なんで。合意やん」
私の声もちゃんと届く。
「でも乾が僕としたくないって思ってたん、わかってたし」
「したくないなんて思ってへん」
「はは。そっか」
三崎は嬉しそうに、無邪気に笑う。なにが嬉しいねん。でも三崎が嬉しそうだと私も嬉しいから、いいか。変な気分だ。
「乾、えろかったなあ」
数メートル後ろの三崎が言った。
「そういうことを言うな」
「四回もいったもんな?」
「言うなあ」
「思い出すだけでしばらく抜ける」
「抜くなあ!」
「いや、まじめに。もっと早くやっとけばよかった」
馬鹿なことをなんだかしみじみと言うから、いろんなことが少しだけどうでもよくなる。抜かんでも。やればいいやん。やろうと思えばいつでもやれる。やれるようにしてみたらいい。
「早いも遅いもない」
「うん」
「これからどうするか、話そうよ」
あの部屋に戻って話そう。三崎はまた嬉しそうに笑って頷き、ひょろ長い脚でゆっくりこっちに歩いてくる。
そうだ三崎はいざとなれば、漫画の山を崩してテーブルに乗って私の涙を舐めるし、グリコを無視して歩いてくる。
私だってそうなれる。愚かで、浅はかで、そんな自分に夢や希望や、失望すら抱くことができなくても、誰かを尊敬することも軽蔑することもできなくても、きっと今、この瞬間からそうなれる。だって今ここで生きている。
柄にもなくそんなことを思う私のすぐ前で、三崎は音もなく立ち止まる。背をかがめて視線をあわせると、私を焦がすように微笑む。神様の好判断が生みだした。
私もきっと同じように微笑むと、三崎はゆっくり一度、私の微笑みごと掬いあげるようにキスをして、額をあわせたまま囁いた。
「乾、僕、大学やめたから」
遅れて瞬きの音がする。誰の?
え?と聞き返す私を、三崎はもう随分遠い位置から見下ろしている。三崎を追いかけながらゆっくり崩れていく私の微笑みの微動を、今この瞬間に本当に焼きつけておくような瞳で見つめている。
「……やめたって?」
「うん。前期いっぱいで」
「え……?え、なんで?」
「もう学費払えんから」
三崎は苦しそうでも悲しそうでもなく、ただの言葉をまっすぐ私に差しだした。
「どういうこと?」
「首まわらんなったってこと」
「ごめん、まじでわからん。どういうこと?」
三崎は唇の端を軽くあげて、なにか素敵なことを打ち明けるように答えた。
「貯金からっぽになった」
水色の空が、目の前の三崎が、まだ熱を持たないアスファルトが、酔ってふざけて撮った動画のようにぶれている。
「いや、貯金って。……親の金やろ?」
「や、僕の貯金でござい」
「なに、三崎、自分で学費払ってんの?」
「うぬ」
「生活費も?」
「うに」
「ちょっと変な喋り方やめて」
おどける三崎が、視界のなかでぶれすぎて形をなくす。
「三崎、まじめに」
強く言うと、ふは、と笑って頷いた。
「うん」
そんなわけない。そんなわけなかった。だって三崎はさーちゃんの堕胎費用まで出した。
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