後篇

p7


浅く眠り、テレビの音で一度目覚めた。


テレビをつけた覚えはないからたぶん三崎がつけたんだろう、薄目をやると今流行りのドラマが流れていた。面白いくらいぬるいラブシーンだ。女優の腰に手をまわす俳優。どこかで見たことがあるなと思ったら、ついこないだ音楽番組でギターを弾いて歌っていた男だった。


「こいつバンドマンじゃなかったっけ」


毛布を顎まで手繰りよせて呟くと、隣で微睡む三崎が眠たげな声で言う。


「女優のほうも、もともとはグラビア」

「そうなん?」

「おっぱいを見ろ」

「確かにでかいなぁ。なにカップ?」

「えふ」

「すごーい詳しーい」


閉じかけていた目を完全に閉じて三崎は笑う。


「まーね」


褒めてへん。ドラマのふたりは爛々と輝く夜景を背に、おそろしく長いキスをしていた。フィクションのキスだ。ギターもおっぱいも過去も無用の、ただ乾いた皮膚が触れているだけの。


「なんで芸能人って最終は役者になりたがるんかな」

「そりゃ、濡れ場やれるから」


三崎らしい適当な言葉に、んなわけない、と答えながら目を閉じ、今度は深い眠りに沈んだ。


夢のなかでシャンプーが、さっき見たドラマのミュージシャンだか俳優だか何者なのか得体の知れないあの男にぎゅっと抱きしめられている。よく見ると男はとても優しい目をしているから、私は勝手にほっとする。あのラブコメの世界は崩壊してしまったけどでも、シャンプーよかったね。そう言ってあげたくなる。


きっとその男は金も名誉も才能も、ミュージシャンならきっと愛も持っている。物語の宿命なんか捨てな。乱馬もムースも忘れてこの男と幸せになればいいよ、シャンプーは。


そんなことを考えながら目を開けたら、スコーピオン白鳥の不敵な笑みに睨まれた。


そのまま視線をあげた先に、リアル十三巻を読んでいる三崎がいる。目を伏せればまたスコーピオン白鳥。十三巻の表紙だ。


腰椎を損傷して歩けなくなってもなお、日本一の悪役レスラーとしてリングに立った男。負けてもピースで笑った男。物語のなかで、少なくともふたりの人間の人生を変えた男。


私はリアルで泣いていいような人間じゃない。私はスコーピオン白鳥の戦いざまを見て人生を変えられない。リアルを十三巻まで読んで泣けない人間は死ねばいい、でも、ただ泣くだけの人間なんてもっと死ねばいい。


私の視線に気づいた三崎が乾いた瞳で私を見おろし、


「銭湯行こっか」


まるで恋人のように優しく囁いた。


「銭湯?」


声が細く掠れていた。部屋は眠る前と同様にキンキンで、寒い寒いと嘆いていたくせに三崎は、エアコンを切ることも温度を上げることもしなかったらしい。シャツとパンツだけで壁にもたれて胡坐をかいている。隣に横たわる私の裸体は、毛布でぐるぐる巻きにされていた。


「動物病院の裏にあるやつ」

「そんなんあったっけ。今何時?」

「五時過ぎ」

「夕方の?」

「あほ、朝じゃ」


ずいぶん寝たなと思ったけど、何時に寝たのか覚えていないから何時間寝たのかわからない。


「そんなんまだやってへんやろ?」

「あそこは五時からやってる」

「はやぁ。銭湯ってそういうもん?」

「知らんけど。行く?行かん?」

「行くけど、雪だるまって風呂入れんの?」


聞くと三崎は漫画を閉じて、優しくて情けなくて強いスコーピオン白鳥を私から遠ざけ、また泣いていたらしい私の涙をそっと拭う。


「雪だるまは置いていこな」


はは、と笑うと涙がこぼれる。雪だるまはお前なんよ、三崎。


ミクロネシア生まれの。雪の降らない島々の。


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