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リモコンひとつでお役御免を告げると、しゃかりきに稼働していたエアコンはぐう、と残念そうな声をあげて口を閉ざした。そんな声出すなよ、またすぐつけてやるから。私は落ちこむと無機物と話す。


早朝の仕業か、部屋を出ても身構えたほど暑くない。空は布を敷いたようにむらなく薄い水色で、雲はひとつもなかった。


着替えを適当に詰めたトートバッグを、右手でぶらぶら揺らして歩く。


タオルを首にひっかけただけの三崎が唐突に「神田川」を口ずさみだした。ちょっとそこまでサンダルの不規則な歩調にあわせて、あなたは、もぉう、忘れたかしら。


「きみこそほんまに令和の学生なんかねえ?」


私が茶々を入れても、三崎は気ままに歌い続ける。小さな、石鹸、カタカタ鳴ぁた。三崎の声が、雲のかわりに薄い空へとぷかぷか浮かんでいく。


一番を最後まで歌いきると、三崎は浮かんでいった声を追うように空を見上げてぼやいた。


「切ねえわ」


確かに神田川は切ない。身が擦りきれてなくなっちゃいそうなほど切ない。でもなぜだろう。悲壮感あふれるメロディや、歌詞のせいかな。夢のなかでシャンプーを抱きしめてくれたあの男なら、そのわけを知っているかもしれないと思う。


「なにがこんなに切ないんかね」


私の心を読んだように三崎が呟く。


「子どものころから、この曲の切なさの理由がわからんねん僕」


三崎はいくつのときにこの曲を知り、いくつのときにこの曲を切ないと思ったんだろう。今より幼い三崎を想像しようとするけどできない。だって私が三崎と出会ったとき、三崎はもう十八歳の三崎だったのだ。


私はあやふやに二番を引き継いだ。窓の、下には、かんだがぁわ。サビは同じ。ただ貴方のやさしさが恐かった。私も呟く。


「ただ貴方のやさしさが恐かった理由もわからんよな」

「な。ただ貴方のやさしさが恐かったってなんで恐いん」

「やさしさが恐いこととかある?」


聞くと三崎は、さあ、と苦笑いで首をかしげて言う。


「つーか神田川のこの人らどういう状況なん」

「二番の歌詞は心中前の趣があり……」

「えー?そうか?心中するやつがら一緒に銭湯とか行く?」

「銭湯行くのは一番やん。一番と二番のあいだでふたりになんかあったんやな、絶対」

「いやでも一番でもこわかぁた、言うてるから。すでに恐いんは恐いわけ」


私たちは薄い水色の空の下、延々と神田川について話す。話して解明される切なさなんてこの世にはないと知りながら。


なあ三崎。今この瞬間、神田川なんか歌いながら銭湯に向かって歩く大学生、私たち以外にいるかな。


聞こうとして、こういうことを聞く映画があったなと思い出す。有名なやつ。「アルマゲドン」だ。


地球を救うために宇宙へ発つA.J.と地球で待つしかないグレースの、最後の戯れのシーン。


草原に横たわるグレースの光る産毛がめちゃくちゃ綺麗で、そら世界も終わっちゃうわなっていうくらい綺麗で、もしかして小惑星はこのグレースの産毛の輝きめがけて地球に落ちようとしてんじゃないの?っていうくらい綺麗で、そんな綺麗な世界の終焉の縁でグレースが囁く。


ベイビー。今この瞬間、世界のどこかに私たちと同じことしてる人がいるのかな。


朝の五時過ぎ、隣を歩く三崎の白い肌、黒い髪、神様がくれた眠気眼。


ベイビー。今この瞬間、世界のどこかに私たちと同じように神田川なんか口ずさんで銭湯に行く、恋人同士でもないのにうっかりやっちゃった大学生がいるのかな。


私のベイビーじゃない三崎。アルマゲドンでも「そら残念」でらんまを読むだろう大学生。三崎のベイビーじゃない私。リアルを読んで泣いて自己嫌悪に苛まれる大学生。


アルマゲドンのA.J.とグレースになれない三崎と私。ムースとシャンプーにさえなれない三崎と私。神田川の切なさに手が届かない私たち。


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