第11話 模擬戦(1)


 模擬試験、当日。

 学院の闘技場、アリーナの空気は、まるで祝祭の前夜のように、熱気と好奇心で飽和していた。

 その視線のほとんど全ては、ひとりの少女に集約されている。


 リゼット・フォン・アルベイン。

 純金さながらの髪。四大貴族が筆頭、その名に恥じぬ完璧な立ち姿。

 彼女の勝利を疑う者など、この学院には一人として存在しない。

 教師陣にとって、彼女は学院の威信を体現する理想の生徒であり、その才能と努力、そして血筋のどれもが、輝かしい未来を約束するものだった。

 生徒たちの囁き声は、確信という名の鈍器。


「勝負にならない」

「あの出来損ないが、何分もつか。賭けてもいい」

「リゼット様にとっては準備運動くらいだろう」


 向けられる視線は、憐憫ですらない。

 これから始まる公開処刑を待つ観客の、冷たい愉悦がそこにあった。


 対するアリア・クレシオンに向けられるのは、嘲笑という名の泥だった。


『魔王に敗れた、勇者の娘』


 その烙印は、彼女の実力とは何の関係もないところで、絶対的な評価軸として機能している。

 教師たちにとっても、彼女は扱いに困る問題児でしかなかった。

 魔法の才能はなく、身体能力も平凡。

 そんな生徒に、なぜかあのユリウスが肩入れしている。

 その不可解さもまた、彼女への風当たりを強くする一因となっていた。

 不合理だった。

 だが、それがこの閉鎖された世界の現実だった。


 中央にどっしりと構える巨大な円形のバトルステージ。

 古代の遺跡からそのまま持ってきたかのような存在感を放ち、表面は分厚い石板でできている。

 よく見れば、ところどころに剣や魔法の痕らしき傷跡が刻まれているが、大きな損傷は見当たらない。

 この学院の教師たちが施した魔力回路の装飾により、並大抵の攻撃では、会場、そして取り囲む観客に干渉することはできない造りになっている。

 このフィールド内で、一対一の戦闘を行い、相手を場外に叩き出すか、あるいは「まいった」という降伏の意思表示を引き出せば勝利。

 ルールは単純だった。


 試合開始前、リゼットは、ステージの傍らにいるユリウスを真っ直ぐに見据えた。

 まるで世界の真理を語るかのような、堂々とした様子だった。


「ユリウス先生! この勝負、わたくしが勝った暁には、ふざけた個人指導はおやめいただき、真面目に、我々全ての生徒の模範となるような授業に取り組むことを、ここにお約束していただきたいのですわ!」


 リゼットの声には微塵の揺らぎもなく、


「断る」


 ユリウスの声にも揺らぎは無かった。「そんな約束はできない」


 しかし、簡単に引き下がるリゼットでは無かった。


「わたくしは、この学院を正したいのです。無気力な授業、そして個人的な特訓。それは真摯に研鑽を積む他の生徒への侮辱にほかなりません。どうしてわかってくださらないのですか?」


 いつものように、ユリウスは淡々と応える。


「授業は真面目にやっている。無気力かどうかは客観的な事実ではなく主観の問題だ。放課後の特訓は勤務時間外の話で、お前には何も関係のないことだ」


「なっ――」


 ユリウスはリゼットから視線を外し、アリアを一瞥する。

 少女は既に、二人の会話など耳に入っていないかのように、深く、静かに呼吸を繰り返していた。

 全身の神経を研ぎ澄まし、ただ開始の合図だけを待っている。

 その集中力は、尋常ではなかった。


 リゼットはユリウスの言葉に眉をひそめたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。


「よろしいでしょう。見ていただければ――すぐにわかるでしょうから」


 直前までの無駄なやり取り。

 それは、絶対的な自信からくる油断なのだろう。

 それでも、埋めがたい実力差があるのは事実だと、ユリウスは理解している。

 才能のある人間が、豊富な財力のもと、真摯に努力をしてきた結果が、目前で、対戦相手として、華やかな光を放って存在している。

 アリアは、それを相手にしなければならない。



 開始の合図が、アリーナに響き渡る。

 それと同時に、


「――――流星の如く、炎よ、我が意志のまま無数に降り注げ」


 リゼットの指先から、灼熱の奔流が解き放たれる。


「覚悟なさい!『炎の連撃』ファイア・アロー!」


 リゼットが発動した『炎の連撃』ファイア・アローは、単なる火炎弾の連射ではない。

 これは、圧縮した炎を連続生成し、指向性を持たせて射出する高位の攻撃魔法だ。

 一発一発が、半径数十センチの局所的な高熱と衝撃波を伴う。

 観客席から、既に勝敗は決したとばかりの安堵にも似たため息が漏れた。

 リゼットの魔力総量を考えれば、その判断は極めて合理的だった。


 だが、アリアは慌てない。

 ユリウスの指示通り、利き手の右腕を背中に回し、ただひたすらに、回避と防御に徹する。

 その動きは、まるで追い詰められた小動物のようでありながら、どこか必死の覚悟を秘めていた。


 リゼットの攻撃は、苛烈を極めた。

 炎の矢がアリアの左肩を狙い、爆ぜる。

 アリアは寸前で重心を移動させ、肩を僅かに掠めることで、直撃を避ける。

 だが、その衝撃波で体勢を崩しかけたところへ――灼熱の炎が右脚へ。

 彼女は咄嗟に身を翻し、わずか数センチの差で回避するが、その動作によって回避軌道が限定される。

 リゼットの有する、対人戦闘における経験則。

 アリアが次に踏み出すであろう地点を予測し、正確に狙いを定めた射出。

 これまでの指導者も優れていたのだろう。相手の身体動作から未来位置を予測する高度な戦術分析能力を示していた。

 アリアは、間一髪で真横に跳躍することで直撃を免れるが、この時点で既に、彼女の行動範囲はステージ中央に限定されつつあった。


 リゼットの魔力消費は膨大だが、彼女の生まれ持った魔力量と、熟練された魔力操作により、その連続性は一切途切れることがない。

 派手な爆発音と閃光。

 その光景だけを見れば、誰もが一方的な虐殺だと思うだろう。

 アリーナの床面では、『炎の連撃』ファイア・アローが着弾するたび、焦げ付いた痕跡が円形に拡大していた。


 観客席の生徒たちは、リゼットの圧倒的な魔法に完全に魅了されていた。


「すげぇ! あれがアルベイン公爵家の魔法か!」

「一発でも当たれば炭クズだぞ! 格が違いすぎる!」

「逃げ回るだけで精一杯だな」

「ほら見ろ、やっぱり勇者の娘なんて名ばかりだ」

「手も足も出ないじゃないか」


 熱狂的な歓声と、アリアへの嘲笑が渦を巻く。


 事実、アリアはただ、無様に逃げ惑っているようにしか見えない。

 その動きは、見る者によっては、恐怖に怯え、本能的に逃走するだけの獣のようにも映った。


 だが、その内実はまるで違う。

 アリアの瞳は、獲物を見据える獣のそれだった。

 彼女の持つ、『他者の力の源流を見抜く能力』勇者の娘の唯一の切り札が、防御という形でその真価を発揮している。

 魔力の流れ、エネルギーの収束点、リゼットの次の動作の起点を、彼女は見ていた。

 ユリウスとの特訓で、嫌というほど身体に叩き込まれた動き。

 衝撃波のデッドゾーンへ、呼吸のタイミングを合わせて、的確に身体を滑り込ませていく。

 

 その集中力は、普段のどこか抜けた彼女からは想像もできないほど、研ぎ澄まされていた。

 それは、わずか数ミリの誤差も許されない、綱渡りよりもなお精密な、究極の防御。

 一歩間違えれば、その身は黒焦げになる。

 アリアは恐怖で足が竦みそうになるのを、奥歯を噛み締めて堪える。

 ユリウスの言葉を、その教えを、ただまっすぐに信じている。


 ――50秒、経過。

 ユリウスが心の中でカウントを終えた、その瞬間。

 まるで今まで押さえつけられていたバネが解放されたかのような、爆発的な加速。 

 リゼットが、次なる大技の詠唱に入った、そのコンマ数秒の隙。

 アリアが、地を蹴った。

 リゼットの懐に潜り込み、がら空きになった胴体に、利き腕ではない方の拳を、深く、深くめり込ませる。

 ユリウスが教え込んだ、人体の急所を的確に穿つ一撃だった。


「ぐっ……!?」


 リゼットの詠唱が、苦悶の音と共に途切れた。

 その身体が、くの字に折れ曲がる。

 観客席が、どよめく。

 今まで嘲笑していた者たちが、息を呑む。


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