001


 早朝の駅。無人のホームに明るい発車メロディが鳴り響く。

 空調の効いた車内で、蒼司そうじは気怠く目蓋を持ち上げた。


 ボックスシートの対面に座る少女が蒼司に気づいて微笑みかける。透き通るような白金色プラチナブロンドの前髪がふわりと揺れた。


「おはようございます、蒼司さん。いい夢は見られましたか?」


 正直に言えば、あまり気持ちのいい夢ではない。

 が、異世界向こうでの思い出の中ではマシな部類だ。逡巡してから、蒼司は軽く顎を引いて首肯する。


「それはよかったです! どんな夢だったんですか?」

「あー……別に、面白い話じゃないぞ?」

「構いません! 蒼司さんの話が聞きたいんです!」


 蒼司はわずかに戸惑った。

 少女の純真な瞳は、「とっても気になります」と雄弁に語っていた。


 ──ヘンな感覚だ。


 こうもストレートに興味をぶつけられると、むず痒くなる。

 蒼司は眉間に皺を寄せていたが、続きを急かすような少女の表情に根負けして、夢の内容をゆっくり語り始めた。とんだ妄想癖と思われかねない内容だが、少女は茶化すこともなく耳を傾けていた。


 語り終えたのは、都合三回目の発車メロディが鳴り終える頃だった。


「──だから、夢というよりは記憶だな。ちょうど魔王城に入る前だ」

「魔王城と言われると、なんだかげーむみたいですね」

「確かにな。でも、実際に魔王の居城だったわけだし」

「それはそのとおりですね」


 と、少女が相槌を打つ。蒼司は肘杖を突いたまま遠い目になって、


「こうも平和に過ごしてると、向こうでの経験が夢だったんじゃないかと思えてくる」


 独り言のようにつぶやくと、ちょうど電車がホームを出発した。

 移りゆく景観は、びっくりするほど長閑のどかだ。早朝だからというより、車窓から望む風景が田圃や畑ばかりで目につくものが何もないからである。が、蒼司はこの景色が嫌いではなかった。田圃の水面が反射するきらきらした陽射しや、山間に覗かせた神社の鳥居には、都会では感じられない風情があった。


 蒼司が異世界に喚ばれたのは、こちらの世界でちょうど二週間前だった。ベッドから起き上がった瞬間に立ちくらみがして、気づけば静謐な湖畔に立っていた。女神を名乗る不審者から事態の説明を受け、二時間ほど愚痴を聞かされたのち、嘘を見抜く祝福ギフトとともに異世界に送られた。


 それから、蒼司は魔王を討つ勇者として生きてきた。

 王宮魔術師の老爺に連れられ、強制的に魔王討伐の旅に出た。道中で戦士と聖女に出会い、共に旅をした。幾度となく死にかけたし、死んだ方がマシではないかと思うことすらあった。三年掛けて魔王城に辿り着き、魔王との決戦を経て現代に戻ってきた。


「わたしにとっては、現代こちらでの平和な生活が夢みたいですよ」

「ならよかった。俺が勝手に連れてきたようなもんだったから」

「蒼司さんは選択肢をくれただけです。選んだのはわたしですよ」


 と、少女が唇を尖らせる。

 蒼司への気遣いに満ちた台詞。なんだか居た堪れず、蒼司は苦笑を浮かべた。


 電車が山間に入り、木漏れ日と木陰が交互に訪れる。

 まるで古ぼけた映写機がフィルムをゆっくり回し出すかのようだ。


「もしかしたら」と少女が顎に手を当てる。


異世界向こうでは、消えたわたしたちを探してるかもしれませんね」

「どうかな。相打ちになったと思われてるんじゃないか?」

「それはないです。蒼司さんがわたしに負けるなんて、誰も想像しませんよ」

「そうか? クロエ、、、の噂は、王都にいたときから聞いてたぞ。それに、勇者が魔王、、に負けるなんてのは、よくある話だ」


 ましてや、史上最高の魔術師と謳われたクロエが相手なら尚更だ。


 実際のところ、勇者ソウジ魔王クロエの決戦に勝敗は着いていない。もっともそれは、クロエに蒼司を殺す気がなく、蒼司もそれを見抜いていたからに他ならない。真っ向からぶつかり合えば、蒼司が勝てる確率は万に一つもないだろう。


 蒼司は冷静にシミュレーションしていたが、


「……そういうお話もあるのかもしれませんけど。でも、蒼司さんはわたしなんかに負けないんです。ぜったい」

「あ、ああ……ありがとう?」


 蒼司は眉間に皺を寄せたクロエの剣幕に押し負ける。

 目を丸くしていると、クロエが恥ずかしそうに俯いた。


「そ、それにですよ──わっ!?」


 外が暗くなる。すべての音がくぐもって、背もたれから伝わる振動が大きくなる。


「な、なんですか!? 転移魔術ですか!?」

「トンネルだよ。いま、電車が山を越えてるんだ」


 暗くなった車窓に蒼司とクロエの顔が映る。

 不意に、生傷も煤汚れもない、清潔に保たれた己の顔貌と目が合った。


 異世界向こうに喚ばれる前となんら変わらない、十七歳の高校生の顔立ちだ。女神の計らいで元の時間軸に戻してもらったが、精神的には二十歳であるからか、心身には乖離があるように感じられる。


 一瞬のフラッシュバック。

 電車はトンネルを抜け、飛び込んできた陽光に蒼司は目が眩んだ。


 クロエも同じで、紺碧こんぺきの瞳をぱちくりとしばたたかせている。互いに目を何度かまばたきしてから、顔を見合わせた。表情の動かない蒼司とは対照的に、クロエはぷっと噴き出して笑った。


「ふふっ……んくっ、あはははははっ!」


 腹を抱えるクロエ。笑うポイントがわからず、蒼司は顔を顰めて腕組みする。


 すると、笑い声のボリュームがさらに上がった。

 いまいち笑いのツボが掴めないが、とにかくクロエにはいまの状況がよほど面白いらしい。それとも、自分の顔に何かついているのだろうか。


「なにもついてませんよっ」

「なにもないのに笑ってたのか? 失礼な」

「ふふふっ。だって、蒼司さんが困った顔してるから!」


 妙な感覚だが、悪い気分ではなかった。

 ひとしきり笑うと、クロエは細指で涙を拭い取る。残っていた笑い声を吐き出すように肩を上下させてから、


「さっきの続きですけど。

 わたしはもう、魔王でもなんでもない“ただの”クロエなので! いちばん伝えたかったのは、蒼司さんに助けてもらって、この世界に来て、本当によかったと思ってるってことです!」


 花のかんばせがふわりと綻んだ。濡れたまなじりが、睫毛に乗っていた涙の粒が、差し込んだ木漏れ日を反射してきらきらと光った。


 蒼司は目を丸くし、わずかに間を置いてから微笑んだ。


「だな。クロエも俺も、もうなんの肩書きもない一般人だ」

「蒼司さんのおかげですっ」

「クロエのおかげだよ。転移魔術がなきゃ、こっちに帰ってこられなかった」

「そのわたしの命を救ってくれたんですから、やっぱり蒼司さんのおかげです」

「いやに強情だなぁ」 


 頑として譲らないクロエに蒼司は肩をすくめた。


 魔王と勇者、対極の存在だった二人が、いまや一つ屋根の下で生活を営んでいる。それもこれも、クロエがいたからだ。彼女がいなければ、再び現代の土を踏むことは叶わなかっただろう。恩義に報いるためにも、彼女の望みは叶えてあげたい。


『ここで育ったんです。お母さんとわたしの二人暮らしでした』


 二週間前の記憶が脳裏に過った。


 ──もう一度、あの世界に。


 そのためにも蒼司は探索者にならなければならない。

 遠景に見え始めた白亜の建造物。現世に在る異界──東京第一ダンジョンの外貌を眺めながら、蒼司は決意を新たにした。

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