001
早朝の駅。無人のホームに明るい発車メロディが鳴り響く。
空調の効いた車内で、
ボックスシートの対面に座る少女が蒼司に気づいて微笑みかける。透き通るような
「おはようございます、蒼司さん。いい夢は見られましたか?」
正直に言えば、あまり気持ちのいい夢ではない。
が、
「それはよかったです! どんな夢だったんですか?」
「あー……別に、面白い話じゃないぞ?」
「構いません! 蒼司さんの話が聞きたいんです!」
蒼司はわずかに戸惑った。
少女の純真な瞳は、「とっても気になります」と雄弁に語っていた。
──ヘンな感覚だ。
こうもストレートに興味をぶつけられると、むず痒くなる。
蒼司は眉間に皺を寄せていたが、続きを急かすような少女の表情に根負けして、夢の内容をゆっくり語り始めた。とんだ妄想癖と思われかねない内容だが、少女は茶化すこともなく耳を傾けていた。
語り終えたのは、都合三回目の発車メロディが鳴り終える頃だった。
「──だから、夢というよりは記憶だな。ちょうど魔王城に入る前だ」
「魔王城と言われると、なんだかげーむみたいですね」
「確かにな。でも、実際に魔王の居城だったわけだし」
「それはそのとおりですね」
と、少女が相槌を打つ。蒼司は肘杖を突いたまま遠い目になって、
「こうも平和に過ごしてると、向こうでの経験が夢だったんじゃないかと思えてくる」
独り言のようにつぶやくと、ちょうど電車がホームを出発した。
移りゆく景観は、びっくりするほど
蒼司が異世界に喚ばれたのは、こちらの世界でちょうど二週間前だった。ベッドから起き上がった瞬間に立ちくらみがして、気づけば静謐な湖畔に立っていた。女神を名乗る不審者から事態の説明を受け、二時間ほど愚痴を聞かされたのち、嘘を見抜く
それから、蒼司は魔王を討つ勇者として生きてきた。
王宮魔術師の老爺に連れられ、強制的に魔王討伐の旅に出た。道中で戦士と聖女に出会い、共に旅をした。幾度となく死にかけたし、死んだ方がマシではないかと思うことすらあった。三年掛けて魔王城に辿り着き、魔王との決戦を経て現代に戻ってきた。
「わたしにとっては、
「ならよかった。俺が勝手に連れてきたようなもんだったから」
「蒼司さんは選択肢をくれただけです。選んだのはわたしですよ」
と、少女が唇を尖らせる。
蒼司への気遣いに満ちた台詞。なんだか居た堪れず、蒼司は苦笑を浮かべた。
電車が山間に入り、木漏れ日と木陰が交互に訪れる。
まるで古ぼけた映写機がフィルムをゆっくり回し出すかのようだ。
「もしかしたら」と少女が顎に手を当てる。
「
「どうかな。相打ちになったと思われてるんじゃないか?」
「それはないです。蒼司さんがわたしに負けるなんて、誰も想像しませんよ」
「そうか?
ましてや、史上最高の魔術師と謳われたクロエが相手なら尚更だ。
実際のところ、
蒼司は冷静にシミュレーションしていたが、
「……そういうお話もあるのかもしれませんけど。でも、蒼司さんはわたしなんかに負けないんです。ぜったい」
「あ、ああ……ありがとう?」
蒼司は眉間に皺を寄せたクロエの剣幕に押し負ける。
目を丸くしていると、クロエが恥ずかしそうに俯いた。
「そ、それにですよ──わっ!?」
外が暗くなる。すべての音がくぐもって、背もたれから伝わる振動が大きくなる。
「な、なんですか!? 転移魔術ですか!?」
「トンネルだよ。いま、電車が山を越えてるんだ」
暗くなった車窓に蒼司とクロエの顔が映る。
不意に、生傷も煤汚れもない、清潔に保たれた己の顔貌と目が合った。
一瞬のフラッシュバック。
電車はトンネルを抜け、飛び込んできた陽光に蒼司は目が眩んだ。
クロエも同じで、
「ふふっ……んくっ、あはははははっ!」
腹を抱えるクロエ。笑うポイントがわからず、蒼司は顔を顰めて腕組みする。
すると、笑い声のボリュームがさらに上がった。
いまいち笑いのツボが掴めないが、とにかくクロエにはいまの状況がよほど面白いらしい。それとも、自分の顔に何かついているのだろうか。
「なにもついてませんよっ」
「なにもないのに笑ってたのか? 失礼な」
「ふふふっ。だって、蒼司さんが困った顔してるから!」
妙な感覚だが、悪い気分ではなかった。
ひとしきり笑うと、クロエは細指で涙を拭い取る。残っていた笑い声を吐き出すように肩を上下させてから、
「さっきの続きですけど。
わたしはもう、魔王でもなんでもない“ただの”クロエなので! いちばん伝えたかったのは、蒼司さんに助けてもらって、この世界に来て、本当によかったと思ってるってことです!」
花のかんばせがふわりと綻んだ。濡れた
蒼司は目を丸くし、わずかに間を置いてから微笑んだ。
「だな。クロエも俺も、もうなんの肩書きもない一般人だ」
「蒼司さんのおかげですっ」
「クロエのおかげだよ。転移魔術がなきゃ、こっちに帰ってこられなかった」
「そのわたしの命を救ってくれたんですから、やっぱり蒼司さんのおかげです」
「いやに強情だなぁ」
頑として譲らないクロエに蒼司は肩をすくめた。
魔王と勇者、対極の存在だった二人が、いまや一つ屋根の下で生活を営んでいる。それもこれも、クロエがいたからだ。彼女がいなければ、再び現代の土を踏むことは叶わなかっただろう。恩義に報いるためにも、彼女の望みは叶えてあげたい。
『ここで育ったんです。お母さんとわたしの二人暮らしでした』
二週間前の記憶が脳裏に過った。
──もう一度、あの世界に。
そのためにも蒼司は探索者にならなければならない。
遠景に見え始めた白亜の建造物。現世に在る異界──東京第一ダンジョンの外貌を眺めながら、蒼司は決意を新たにした。
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