002


 約十年前、突如として世界各地に孔が現れた。

 異界へと繋がるワームホール。魔物と財宝が眠る異界を、人々はダンジョンと呼んだ。


   × × ×


 摩天楼に囲まれ聳え立つ白亜の建造物。外構に窓の類は一切なく、唯一の出入り口は金属製の重扉があるのみだ。白い匣ホワイトボックスとも呼ばれる世界共通の構造は、この建造物が一目でダンジョンだと判別できるようにするためであり、また内に秘める危険を漏らさないためでもある。


 東京都港区──虎ノ門。奇しくも日本で初めてダンジョンが現れたのは、国の中枢となる省庁が集まるこの地だった。正式名称を東京第一ダンジョンといい、同敷地内に日本探索者協会の本部が置かれている。


 蒼司の目的は、この探索者協会にあった。


「検査、頑張ってくださいね!」

「受かるように努力するよ」

「蒼司さんならきっと大丈夫ですから。心配しないで!」

「俺としてはむしろそっちクロエが心配なんだが……」


 クロエはここから別行動だ。


 蒼司の姉と落ち合い、検査時間中はショッピングに出るらしい、、、らしい、、、というのは、クロエが東京まで同道することを蒼司も今朝になるまで知らなかったからだ。姉曰くサプライズらしいが、どうせ自分がクロエに会いたかっただけに決まっている。


 問題は、肝心の姉がこの場に到着していないことだった。

 十分前にメッセージアプリで「いまいけ」と返事が来て以降、連絡は途絶えている。打ち間違えているあたり、おおかた寝起きだったのだろう。


「姉貴もまだ来てないし……合流できるか?」

「はいっ。探索者協会の建物の前という話だったので、大丈夫かと!」


 蒼司は張り切るクロエを横目に見る。


 ハッキリ言って、クロエを一人にするのは心配だ。携帯を持っていない上に、彼女は非常に目立つ容貌をしている。蒼司の母に着せ替え人形にされ、ナチュラルメイクを施されたクロエは、芸能関係者と疑われてもおかしくない磨かれようだった。


「どうしました?」

「いや。なんでもないよ」


 不安はある。が、クロエの判断はできるかぎり尊重するのが蒼司の方針だ。

 いつかクロエが独り立ちしたいと思い立ったそのときに、彼女が一人でも──あるいは二人でも──生きていけるようにすること。それが、この世界に彼女を連れてきた蒼司の責任なのである。


 ぎゅっとこぶしを握るクロエ。蒼司は「うん」と軽く首肯した。


「姉貴には連絡を入れておく。クロエはここで待ってること。どこにも行かないように」

「ちゃんと待ってますっ」

「誰かに声を掛けられても?」

「ついていきません!」


 返答を聞いた蒼司が微苦笑を浮かべる。子供相手のような注意だが、大事なことだ。


 なにせクロエは、籠の鳥のように外の世界を知らずに生きてきた。

 きっといまだって、楽しくて仕方ないはずだ。初めて大空に舞い出た小鳥のように、あらゆるものが新鮮で、きらきらと光って見えるのだろう。しかし、籠の外にあるのは自由や楽しさだけではない。


「……少し過保護かな」


 蒼司が口中で小さくつぶやく。

 言いつけを反芻していたクロエには聞こえていない。蒼司はクロエの肩にぽんと手を置いて、


「それじゃ、行ってくるよ」

「はいっ。いってらっしゃい!」


 クロエに手を振り、蒼司は東京第一ダンジョンへと足を踏み入れた。

 空気が変わる。徹底的に日差しを嫌った内部はひやりと涼しく、今が酷暑の夏だということを忘れさせる。しかし、単に空調を効かせたにしては効きすぎなくらいの冷え込みだ。


 ──魔石の加工技術か?


 壁には薄く魔力反応があった。試しに壁の一部分に魔素を流すと、冷気が発せられた。

 現代の技術力に蒼司は驚嘆する。蒼司の知る限り、まだ現代に魔術、、の知識はないはずだ。にもかかわらず、この壁面一帯には冷却の魔術式が組み込まれている。


「案外、異世界向こうよりも技術の発展は早そうだ」


 長い回廊を歩き続けると、広々としたエントランスホールに出た。


 正面には受付カウンターが配置され、その後方には上下に向かう階段がある。向かって右側面には探索者向けのアイテムショップ、左側面にはカフェとレストランが併設されていた。存外におしゃれな様相だった。


 しかし何より目を惹くのは、人の多さだった。


 東京第一ダンジョンは、世界でもっとも探索者の活動人口が多いと言われている。東京の人口が桁違いに多いこともあるが、何よりここは、現在世界でもっとも深いとされるダンジョンなのだ。ダンジョンは深度によって攻略難度が変わるため、ここにはあらゆるレベル帯の探索者が集まるというわけだ。


 中には高レベル帯の探索者と知り合う目的で通い詰める者もいるらしいから驚きである。

 もっとも、近年ではダンジョン内での活動を配信するのが流行りであり、実力のある探索者の知名度は飛躍的に上がっている。ミーハーな探索者が出てくるのも仕方がないことだろう。


 蒼司が面食らっていると、


「こんにちは! 本日は探索者登録検査にお越しですか?」


 小柄な女性だ。ともすると蒼司より年下なのではと思わせる容貌だが、協会ギルドの制服に身を包み、案内スタッフと書かれた腕章をつけている。


「……そうです」

「よかったぁ。間が空いたから、一瞬間違えたかと思っちゃった!」

「すみません。あまりに人が多くて、驚いてしまって」

「そうですよねぇ。私も最初に配属されたときは驚いたなあ〜。

 あ、突然すみません。私、本日の探索者登録検査担当スタッフの春日野かすがの小鞠こまりといいます。お兄さんが最後の受検者なので、会場までご案内しますね!」


 愛想のいい笑顔で春日野が歩き出す。

 わざわざフルネームで名乗るあたり、真面目な人柄なのだろう。


「お兄さんはおひとりで来たんですか?」

「そうですね」

「へぇ〜! 夏休みだからか、グループで来る学生さんが多いんですよ! でもまあ、社会人にもなると一人行動のほうが楽ですよねぇ。友達と一緒だと、牛丼屋さんとか入りづらいし〜」


 受付カウンターに一礼して、春日野は上階への階段を上っていく。

 蒼司も彼女に倣って頭を下げつつも、受付に並んでいる探索者たちになんだか申し訳なくなった。


「お兄さんは会社勤めしながら、趣味で探索者って感じですか? 最近はそういう方も増えてきたんです! 喜ばしいかどうかは、わかりませんけど……」


 訂正する間もなく、春日野は独り言のように喋る。


「ちなみに今日の戦闘技能検査の担当官は、すっごく豪華ですよ! A級探索者の面々が揃い踏みなんです! みなさんとってもお強いので、胸を借りる気持ちでぶつかってくださいね! ていっても、実際に戦う相手は機械で、担当官の皆さんはそれを見守るだけなんですけど」


 探索者は、その実績に応じたランクがつけられる。

 最上位をA級として、最下位のFまでの六段階だ。日本の探索者人口がおよそ一千万人と言われている中で、A級探索者はわずか百名程度に留まっていることに鑑みれば、彼らは上澄みも上澄みである。春日野の興奮っぷりも理解できる。


 しかし、春日野は「はっ」と苦虫を噛み潰した渋面になり、


「斯波さんって方だけは、とぉっても胡散臭いんですよね。あの人に当たらないといいんですけど。……あ。調べればいいんだっ。今更ですけど、お兄さんのお名前聞いてもいいですか?」


 踊り場で立ち止まり、春日野は蒼司を振り返る。

 最後の受検者を待っていた割には、あまり急ぐ印象がないが、いいのだろうか。


たちばな蒼司そうじです」

「たちばなそうじさん、っと……えぇっ、十七歳!? 高校生!? 身長もあるし、すっごく落ち着いた感じだったから、てっきり社会人かと!」


 小さな悲鳴をあげて春日野が飛び上がる。信じられないという顔で壁際まで後退り、目を凝らしながら「本当に十七歳……!?」と呟いている。


 ──まあ、ある意味間違ってはないような……。


 と思いつつ、蒼司は首肯する。

 なぜか春日野は畏怖のこもった視線で蒼司を見つめながら、


「将来有望ですね……」

「よくわかりませんけど、ありがとうございます」

「そして戦闘技能検査の担当官は斯波さんでした……。いちいち胡散臭いので、ゼッタイに信用しないでくださいね。あ、でも魔力適性検査の担当官は私ですよ! よろしくお願いしますねっ」


 蒼司は戸惑いながら会釈する。春日野は満足そうににっこりと笑った。

 それから会場にたどり着くまでの間、蒼司は春日野のマシンガンのような質問攻めを喰らう羽目になった。

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