異世界帰り の ゆうしゃ と まおう が あらわれた !
樋渡乃すみか
Prologue
夢を見ている──
山麓。月明かりは針葉樹林の天井にほとんど遮られていた。冷たい山風が木々の隙間を吹き抜け、湿り気のある空気で鼻腔を満たす。ガサガサと鳴る葉音が、これ以上進むなと警告するかのようだった。
葉音を無視して進むと、開けた場所に出た。
終を迎えた大木が横たえられ、周囲には新緑の芽が伸び始めている。そんな生命の連環を見守るように、上空からは柔らかな月明かりが差し込んでいた。
蒼司は白い息を吐きながら、
「ここで一晩明かそう」
「承知しました」
答えたのは、恐ろしく美しい容貌の女だ。
切れ長の瞳と薄く微笑んだ唇が特徴的な彼女は、この世界の最大宗派であるセラフ教会が公認した聖女である。結界術と回復術の名手であり、女神の権能を宿す聖杖の使い手でもあった。アルシエルという名前だが、本人は愛称のアルシェと呼んでほしいらしい。
アルシエルは聖杖を抱きながら、そわそわと蒼司を上目遣いに見る。
「疲れたか?」
「い、いえ。ソウジさまこそ、お疲れではありませんか?」
「俺は大丈夫だよ。ありがとう」
「はいっ」
蒼司が肩を叩くと、アルシエルは頬を染める。
十人中十人が振り返る絶世の美貌を持つ彼女だが、男に向ける眼差しは極寒の冷たさと評判だった。出会った当初は蒼司もキツく睨まれていたものだ。とはいえ、コミュニケーションに難がある蒼司にも原因はあったのだが。
しかし、あるときから態度が軟化した。以来、アルシエルは積極的にコミュニケーションを取ってくれるようになり、いまや蒼司がもっとも信頼を置ける仲間になった。
「ふへへ、肩ぽんぽんってされちゃったぁ……」
蒼司が思い出に浸っていると、アルシエルが唇をもにゅもにゅと動かす。何某かつぶやいたが、蒼司には聞き取れなかった。
「なんて言ったんだ?」
「なっ!? な、ななっ、なにも言っておりません!」
アルシエルは必死に首を横に振る。
興味深げに観察していると、後方から二人の男が現れた。
髭面の筋肉ダルマのような大男と、年輪のような皺を刻んだ老爺。戦士のジルバと宮廷魔術師のロズウェルだ。
「ようやく休憩かよ! ったく、クタクタだぜ。腰がやられちまうわ」
「老人のワシを差し置いてよく言うわい」
ロズウェルの恨みがましい視線を無視して、ジルバはどっかりと大木に腰掛ける。
「そんなこと言って、二人とも息切れすらしてないだろ」
「鍛え方が違うからな! あ、この爺さんは別だぜ。ズリぃ魔術で飛んでやがるんだ」
「別にええじゃろが! のぅ、アルシェ様? 同じ魔術使いとして、この野蛮人に言ってやってくだされ」
「は? 貴方ごときがアルシェと呼ばないでください。不愉快なので、この世から消えていただけますか。一刻も、早く」
アルシエルは冷然と言い放つ。
ロズウェルは愕然として、開いた口が塞がらなかった。
「聖女サマは今日も聖女サマってこったなあ」
「ワシ、年長者なんじゃが……敬われるべきなんじゃが……」
「アルシエルは自分に正直だから」
蒼司に宥められ、ロズウェルはおいおいと泣き真似を始めた。顔を覆う手の隙間からアルシエルを盗み見ているが、当然彼女にも気づかれている。しかし、ロズウェルはバレていることも承知の上だ。余計タチが悪い。
そういうところが嫌われる所以だろう。
× × ×
夕食を終えると、蒼司は焚き火にあたりながら遠景を眺めた。
針葉樹林の森を抜けた先に、旅路の終着点──昏く古城が聳えている。
魔王を倒す。勝手な大義を押し付けられて、蒼司はここまで旅を続けてきた。旅路の終わりは何度も想像してきたが、正直なところ良い結果は期待していない。
『そなたが魔王を倒せば、この世界に平和が戻る! さすれば、そなたの元居た世界に帰る道も必ず見つかるであろう』
禿げた中年太りの王様はそう言った。
何も知らなければ、王の言葉を信じられたかもしれない。あるいは、嘘かもしれないとわかっていても、可能性に縋るくらいはしたかもしれない。
しかし、そうはならなかった。
王の言葉が虚飾に塗れているとすぐにわかったからだ。
嘘を見抜く。女神に授けられた
「──ソウジさまっ」
「……ん。アルシエルか。悪い、ぼーっとしてた」
「お気になさらず。明日は決戦ともなれば、ソウジさまも緊張されるのは当然のこと。でも、心配なさらないでくださいませ。不肖の身ではありますが、この命に代えてもソウジさまをお守りします。必ずや、
アルシエルが気炎を吐く。蒼司は微笑を唇に
彼女の言葉には、
「だな」
まずは魔王を討つ。
恨みはないが、相手が侵略戦争を仕掛けてきたのだ。蒼司に討つ理由がなくとも、魔王には死んでも仕方がない理由ならいくらでもある。
──けどそれは……。
蒼司が物憂げな表情になり、アルシエルがほうと息を吐く。
「おぅい! 二人揃って、酒も飲まねえで何やってんだ!」
しかし蒼司の思考は、ジルバの大声によって遮られた。邪魔をされたと言わんばかりにアルシエルが柳眉を吊り上げ、キッとジルバを睨む。
「あぁ? ソウジの犬っころが一丁前に俺様を睨んでやがる」
「ソウジ様の犬!?」
「なんでちょっと嬉しそうなんだテメエ。気味ワリぃな」
ジルバはわずかに怯みつつ、豪快に座り込んだ。
もわっと酒の匂いが漂う。おおかた、魔族の村からかっぱらった酒でロズウェルと酒盛りしていたのだろう。赤ら顔の髭面は、口の片端を吊り上げて、
「ようソウジ。そんなに明日が不安か? そんなにクヨクヨすんじゃねえよ。
ジルバもまた、嘘をついている。
彼に蒼司を守る気はない。そもそもジルバは戦士ではなく、王国の南一帯を拠点とする盗賊たちの頭領だ。魔王を倒した暁には貴族位を授与されるよう国王と密約を交わしている。国王がそんな口約束を守るとは思えないが。
「これジルバ! なんという口の利き方か!」
「チッ。うるせえジジイも来やがった」
「ソウジ殿が魔王を討てるようサポートすることがワシらの使命じゃぞ! ソウジ殿には必ずや魔王の首を取っていただき、
ロズウェルは、魔王討伐後に蒼司を暗殺するよう密命を帯びている。
以前に滞在した砂漠の街では、秘密裏に暗殺者を差し向けてきたこともある。もっとも、そのときは蒼司の毒耐性を調べるためだったようで、踊り子の手で蒼司を麻痺させてから、ロズウェルが解毒するというマッチポンプショーを仕掛けてきた。
が、聖剣を宿した蒼司に毒の類は一切通用しない。
様子見のためにわざと解毒せずに倒れたが、ロズウェルの画策よりもアルシエルの狼狽えっぷりのほうが問題だった。下手人は一族郎党根切りにすると言ってみたり、毒を吸い出すと言って人工呼吸をしようとしたり、大変だったのだ。
「ソウジ殿。明日は決戦じゃ。どうか最後くらいは、ワシの酒を呑んでくれまいか」
「酒は苦手なんだよ」
「そこをなんとかっ」
「控えなさいロズウェル! 明日は大事な決戦だというのに、ソウジ様に酒など!」
「末期の頼みじゃっ。この酒を酌み交わさんでは、
ロズウェルがしわくちゃの顔で訴える。
老人にそこまで言われては、さしものアルシエルも尻込みして口を
「……一杯だけなら」
「誠かっ! さあさ、呑みましょうぞソウジ殿!」
満面の笑みで酒盃を取りだすロズウェル。
表情だけ見れば好々爺だが、十中八九、毒が盛られている。
「この酒は一等上等な酒じゃ。ソウジ殿もきっと気に入る」
差し出された酒盃を受け取り、一口で飲み干す。
同時に火が回ったかのようにカッと喉が熱くなり、蒼司は思わず咽せ込んだ。
「この──そ、そうじさま!?」
脊髄反射で立ちあがろうとするアルシエルの肩を抑える。
「おや、大丈夫ですかなソウジ殿。少々酒精が強すぎたかの?」
「ケツの青いガキにゃ火酒は早すぎたんじゃねーか!」
「げほっ、ごほっ。……だから、酒は慣れてないんだよ。まだ喉が熱い。まるで
「ほっほっほ。酒が毒とは面白い。むしろワシには霊薬にも劣らぬ薬じゃがのぅ」
ロズウェルは好々爺の笑みを崩さず言った。
さすがに老獪だ。この程度のブラフに引っかかるほど馬鹿ではない。
「俺がまだ若造ってことだろ」
蒼司は何度か咳払いをしてから、
「……アルシエル。悪いけど水をくれ」
「はいっ。少々お待ちくださいっ」
と、アルシエルは蒼司の酒盃を半ばひったくるように受け取る。そのまま立ち上がったアルシエルを見上げて、蒼司は疑問符を浮かべる。
「ん? どこに行くんだ?」
「あのっ、えーと、そうっ。
「多少の汚れくらい構わないけど……」
「
アルシエルはぴゅーっと脱兎の如く場を立ち去る。
後に残された蒼司は、彼女の背中を見つめながら、
「洗いに行くって、どこに……?」
わざわざ嘘を吐いてまで、何をしに行ったのか。
「そこに気がつけぬようでは、ソウジ殿もまだまだじゃな」
「逆に何に気がついたんだよ」
ロズウェルはニンマリと笑った。
「ちっ。明日は決戦だってのに、イチャイチャしてんじゃねーよ。ソウジ
「ほんに羨ましいのぉ! 絶世の美貌じゃぞ!? かぁ〜っ、ワシがあと十年若けりゃのぅ!」
「手前ェは十年前もジジイだろうが」
「やかましいわい悪人面! いやぁ、ほんに羨ましいですなぁ〜!」
「止せよ二人とも。アルシエルはそんなこと望んでない」
相変わらず下世話な話が尽きない二人だ。
蒼司が呆れて溜め息を吐くと、ジルバとロズウェルが素っ頓狂な顔になって推し黙る。信じられないものを見たと言いたげな表情だ。
このパーティは薄氷の上に成り立っている。
魔王を倒すという共通項があるだけで、個々の目的はまったく違っている。魔王を倒せば、後は道を違えることになるのだ。けれど、蒼司はどうしたらいいのだろうか。現代に帰る道もわからず、
「蒼司さまっ。お待たせしましたーっ!」
遠くからアルシエルが駆けてくる。ジルバとロズウェルが悪どい笑みを浮かべている。
蒼司はなんとなく居心地の悪さを感じながら、アルシエルの持つ杯を受け取った。魔術で作られた水を飲み下すが、何の感覚もない。ああ、と蒼司は気がついた。
──そうだ。これは夢なのだ。
もう魔王との戦いは終わっている。旅の仲間たちとは、すでに道を違えた。
そうだ。いま見ているのは夢なのだ。だって、そうでなければおかしい。ジルバとロズウェルは、確かにこの手で
夢から醒める。現実に引き戻され、急速に意識が浮上する──
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