第4話

温泉旅館をあとにして、わたしたちは山道を下っていた。

車の中、叔父さんは上機嫌でハンドルを握っている。


「いや〜、やっぱり温泉って最高だな。疲れが取れる、っていうか、魂まで溶ける感じっていうか……」


「良かったね」


わたしは疲れたよ。だから今から寝るぞー!

車で揺られながら寝るのは気持ち良いんだよねー……


「んでさ、ミオ。ちょっと寄り道しない? この先に有名な旧トンネルがあるんだって」


「は?……寄り道って、どこ?」


「“旧白粉トンネル”。地元でも心霊スポットで有名らしい。昔、事故があって封鎖されたけど、歩けば途中まで行けるらしい!」


「えっ、それ絶対“出る”やつだよね?」


「ベタ中のベタ! だからこそ、素材としては最強!」


(ああ……またこのパターン……)


叔父さんは、嬉しそうにカーナビをタップする。


わたしは、半眼でため息をついた。


トンネルの入り口は、想像以上に“それっぽかった”。


半壊した柵。落ち葉だらけの舗装。

壁には黒ずんだ雨の跡と、色あせた落書き。

ガードレールのそばには、古びた花束がひとつ。


叔父さんはスマホを取り出して、さっそく撮影を始めた。


「うわ〜、このシミ、顔に見えるな! ほらミオ、見てみ?」


「……見えてるけど、そっちじゃなくて隣のやつが本物」


「え?」


叔父さんのすぐそば──壁の凹みから、顔だけが突き出ている。

皮膚は石みたいにひび割れて、目が、ぐりぐり動いてる。


叔父さんは気づかずにパシャパシャ撮り続けている。

わたしは、見なかったことにして視線を落とす。


“目を合わせない”

今まで何度も助けられてきた、わたしの中で最強のルール。


でも、この場所では、ちょっと効きが悪い気がする。


 

トンネルの中に入った瞬間、空気が変わった。


湿っていて、ぬるくて、でも冷たくて、息を吸うと肺の奥がざらつく。

声を出しても、音が跳ね返ってこない。

わたしの耳の奥で、誰かがこっそり笑っているような気配がした。


叔父さんは、「いい雰囲気だなあ〜」とスマホを掲げて歩き続ける。


「この奥、封鎖されてるって書いてあったけど、たぶんちょっとだけなら平気だよな。行ってみようか」


(ぜんぜん平気じゃないと思うけど)


 


そのとき、後ろから何かが──ぬるり、と近づいてきた。


振り向くと、そこにはいない。

でも気配だけが、ぴたりと背中に張りついている。


叔父さんのスマホが「パチッ」と音を立てて、真っ暗になった。


「……あれ? バッテリー残ってたのに……?」


(やっぱり……始まった)


わたしは息を詰める。


奥から、くすくすと笑い声が聞こえてくる。

子どもでも、女でも男でもない、ねじれた音程。

笑っているはずなのに、まったく楽しそうじゃない。


その声が一斉に──わたしたちを“歓迎するように”広がった。


「ミオ? なあ、今、誰か笑わなかった?」


「帰るよ。今すぐ。全速力で」


「……え、えっ?」


叔父さんの肩に、ふと黒い“手”がかかっていた。

わたしはそれを見ないようにして、彼の手をぐっと引いた。


「走って。質問はあとっ」


 


車に戻ってドアを閉めても、トンネルの奥から、

ねー!

ねー?

ねー!

ねー!

ねー?

あははー!


いくつもの声が追って来た。


叔父さんは顔面蒼白でエンジンをかけた。


「……今の、ミオの声じゃ」


わたしは頭を左右にブンブン振った。

なわけないでしょー!!



助手席で、叔父さんはぼそりと言った。


「……やっぱ、現場ってすごいな。創作意欲が爆発してきたぞ」


「やめてやめて。もうしばらくお化け禁止」


「え〜っ……」


バックミラーには、まだ誰かの顔が写っていたけど、わたしは見なかったことにした。


いつも通り、目を合わせない──それが、いちばん安全だから。


でも、また叔父さんの背中に何が貼り付けているのが、見える。

もう、形を保っていないナニカ。


うーん。またウチに住人が増えるのか──。

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