それから少し経ったある日、ナブから、放課後に兄が出るサッカー部の練習試合を見に行かないかと誘われた。

「うーん……、部活の練習試合なら別に行かなくてもいいかなあと思ってたんだけど……」


 兄は小学生の頃にサッカーを習い始めた。それを見たナブも一緒にやりたがり、それならとお試しで練習に参加したけど、体の弱いナブは翌日に熱を出してしまい、ナブの両親の反対もあってサッカーは諦めた。

「俺がナブの分までサッカーがんばるから、応援に来て」と兄に慰められ、それ以来、兄のサッカーの試合にはナブと応援に行っている。

それからナブは体を鍛えるために水泳を習い始めて、その応援には私と兄がいつも行っていた。


「見に行こうよ。翔くんからも、二年生になってようやくレギュラー獲れたから見に来てって言われてるんだよ」

実は、兄からもすでに誘われていたのだが、公式戦ならともかく練習試合なら行かなくてもいいんじゃないかとのらりくらりとかわしていたら、ナブに矛先が行ってしまったようだ。

「チカの好きなチョコチップクッキー作ってきたよ、食べながら応援しよう」

私の肩がピクリと動くのをナブは見逃さなかったようだ。

「さ、行こう」

「まったく、ナブにまで気を使わせて……」


ナブを使って私を懐柔させるのは、昔から兄がよく使っている手段だ。

ナブにいつも世話になっている身としては、彼に強く出られると断ることができないことを兄は知っているのだ。

しょうがないと渋々承諾した。


 練習試合は、放課後、学校の敷地内にあるサッカーグラウンドで行われる。

この高校のサッカー部はそれなりに強豪で、昨年の大会ではベスト8までいったらしい。そのせいか、サッカーグラウンドはきれいに整備されている。

グラウンドのすぐ横には土手があったので、私とナブは、グラウンドを見渡せる位置に並んで座った。


 ナブお手製のクッキーを食べながら試合前のウォーミングアップを眺めていると、頭上から声がした。

「妹ちゃんも翔太を見に来たの?」

声の主は折原先輩だ。なぜか私の隣に座った。

「妹さんの隣に座ると、常磐がうるさいぞ」今度は私の背後から別の声がした。間宮先輩だ。

「間宮先輩もサッカー部の応援ですか?」

私の問いかけに、さわやかな笑顔を見せる。

「サッカー部の練習試合で他校の生徒がたくさん来るというから、生徒会長として様子を見に来たんだ」

様子を見に来たと言う割には、私達のそばから動かない。


不思議に思っていると、グラウンドからこちらにむけて嬉しそうに両手を振っている兄が見えた。

片手を上げて応えるとさらに大きく振り返してくる。

「翔くん、チカが応援に来てくれてうれしそうだね」

ナブも兄に手を振る。視線を兄に向けたまま、私に話しかけてきた。

「私だけじゃなくて、みんなが応援に来てくれたことが嬉しいんだと思うよ」

多分、私一人だけだったらあそこまでは喜ばない。おそらく兄は、私やナブだけでなく、間宮先輩と折原先輩にも練習試合のことを話していたと思う。


「いや、あれは妹さんの威力だろ」間宮先輩が少し呆れたように言う。

「妹ちゃんにかっこいいところを見せると張り切ってたからな」折原先輩は楽しそうだ。


私は思わず深いため息が出る。

「兄はそんなこと言ってるんですか……。恥ずかしい」

私は先輩二人を振り返り謝罪する。

「兄がいつもすみません」

ちょうどいい機会なので話しておきたい。


「うちは父が海外に単身赴任中で、母は仕事で家を開けることが多いんです。そのせいか、兄は両親の分まで私を守ろうと頑張ってくれているんです。

昔、私が事故で怪我をしたことがあって、怪我自体は大したこと無かったんですが、それ以来あんな心配性になってしまって。大丈夫だから、といつも言ってるんですけど……」


そうなのだ、兄がああなってしまったのには原因がある。

その原因が私なので、私は兄の心配性に強く出れない。


兄にとって、間宮先輩と折原先輩が、恋愛感情を別にしても大切な友人であることは間違いない。そんな彼らに変な誤解はされたくない。

なんだかんだ言っても、私も兄が好きなのだ。


「兄のシスコンにドン引きされているかもしれませんが、ああなってしまったのには理由があるということはお二人には知っておいてほしくて。あれでもだいぶマシになったんですよ。一時期は一人での外出も禁止されてましたから」


申し訳なく言うと、折原先輩はニヤリと意地悪そうに笑って私の頭をわしゃわしゃかき回した。

「わ! なんですか!」

驚いて思わず声を上げると、遠くから

「折原、てめ、チカに触んな!」

兄の怒声が聞こえてくると、さらに私の頭をわしゃわしゃさせる。

「折原! 聞けよ!」

さらに叫ぶ兄に、おもしれーと楽しそうに笑う折原先輩。

「大丈夫、ちゃんとわかってるよ」間宮先輩が、折原先輩の手を剥がして、手ぐしで髪を整えてくれた。

「間宮先輩も! 何してんすか!」

二人が兄を見て笑っているのを見て、私の心配は杞憂だったことを感じた。


私の怪我が兄のシスコンの原因であることは、幼馴染であるナブはもちろん知っている。というか、兄の変わり様を側で見ていた一人だ。

あの時の事は、兄だけでなく親、ナブ、そして周囲にたくさん迷惑をかけたので、思い出すと少しヘコむ。

横を見ると、ナブが心配そうな顔でこちらを見ていた。

私が大丈夫と言う代わりに笑うと、すこしぎこちなく笑い返してくれた。


 グラウンドでは、菜月くんが兄に近づき、何かを話しかけた。

そのあと菜月くんはこちらを、というかおそらく私の周囲にいる人たちを睨みつけるように一瞥すると、兄の腕を引っ張り連れて行った。瞬間、周囲に冷たい風が吹いたような気がした。


 練習試合が始まっても、折原先輩と間宮先輩は私のそばを離れない。

なぜなんだと頭の中を疑問符が舞っていたが、やがてその理由がわかった。


兄である。

兄は試合中に何か活躍をすると、私とナブにアピールをしてくる。兄がサッカーを始めた頃からいつもそうだ。

もともとは、小さい頃に体が弱くてサッカーができなかったナブへの気遣いだったと思うけど、それがすっかり定着してしまったようだ。

満面の笑みで、褒めて褒めてと手を振ってくる兄を、私を除く三人は愛おしそうな顔で眺めている。


兄のアシストで菜月くんがシュートを決めると、兄は大喜びで菜月くんに抱きついた。

私の周囲は冷気が立ち込め、横を向くことができなかった。

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