第2話 オルソ村連続殺人事件A-1

 その日、オルソ村は奇妙な静寂の中で目覚めを迎えた。

 山から下りた朝靄が薄らと村を覆い、寝床に這い寄ってきた冷気が体の芯を冷やす。身震いをしながら瞼を持ち上げた村人たちは無意識で窓の外へ視線をやり、部屋に差し込む冷たい日差しに「ああ、朝か」と気怠い頭を揺り起こす。揺り起こして、ふと違和感を抱いた。

 やけに静かだ。

 それが、小さな農村であるオルソ村の、およそ三百人にも満たない住民たち全てが察知した違和感だ。目覚まし代りの小鳥の声が、木立を揺らす風の渡りが、バカみたいに早起きのノット爺さんが曳く台車の軋みが聞こえない。

 珍しい事もあったものだ、と誰もが妙な気持ちになった。ノット爺さんは、ノット爺さんが精悍な青年だった頃から、太陽が昇るのと同時に台車を曳いて山を越え、山脈伝いに伸びる街道沿いで旅人相手に乾物を売っている。晴れた日も、雨が降る日も、元気な日も、熱がある日も、昨日も、明日も、ノット爺さんは日の出と共に台車を曳く。五十年前からそうだし、爺さんのことだから死んで幽霊になった後も台車を曳いて行くのではないか。そう村人たちは面白おかしく噂をしていた。

 その音が聞こえない。五十年間で一度もなかったことだ。

 しかし、不審に感じた村人の大半が、この時点でノット爺さんにまつわる不審を無視した。そして残った僅かな村人のうちの八割が、時間ができたら様子を覗きに行くべきだろうかと悩みながら朝の身支度を終わらせた。そして最後に残った五人の村人たちは、起き抜けそのままに家を飛び出して道を駆け、ノット爺さんの家の前で鉢合わせる。彼らは顔を見合わせて自身の胸騒ぎが決して間違いでなかったことを互いに確認し、一斉にノット爺さんの名前を呼びながらドアを叩いた。しかし——しかしだ、中から返事はない。

 彼らは何度か声高に家主の名を呼んだが、一度も返答がない。焦りと心配に突き動かされて、すわ突入かという段になって、彼らの中の一人がこう言った。

「ノット爺さんは、合鍵を村の住人に預けていたはずだ」

 誰にだ? 残りの四人は当惑した。合鍵を預けるような相手がいたなんて初耳だ。ノット爺さんに血縁はいない。少なくともこの村には。だから、見当もつかなかった。

「あいつだよ、あいつ。村外れに住んでる変わり者の」

 皆まで言わずとも、その後に続く人名は誰もが予測し得るものだった。そして村人の大半がそうするように、彼らもまた、その顔を思い浮かべて鼻の上に皺を寄せる。なんでまたアイツなんだ、と誰もが目配せをし合った。しかし、もしアイツが合鍵を持っているのが本当なら、それを手にいれる必要がある。ノット爺さんに有事があったのだとしたら、事態は一刻を争うからだ。そうして五人のうち二人をノット爺さんの家に残し、足の速い三人の男たちが村の外れの採掘所にある、一軒の荒屋にやってきた。

「そういうわけだ、ソネット・ストア」

 玄関で仁王立ちをした中年の男が、しかつめらしくオレの名を呼んで話を締める。

 さて、つまるところ、実は今までの話は、起き抜けのオレの頭に暴力の如く叩き込まれた情報の嵐なのである。今朝のオルソ村はそのようにして平穏と不穏の間にいるのだと、オレを叩き起こした三人の男が、偉そうな口早で説明してくれたのだ。

「ソネット、爺さんの合鍵を持っているのは本当か?」

 そう問うた男の右手は既にこちらへ差し出されていて、オレは、彼のあまりの気の速さに目眩を起こしながら、その掌を見つめた。硬い皮膚に、山脈のような深い皺が隆起している。幹のように太い指、爪は浅黒く染まって、日頃から噂されている男の熱心な仕事ぶりを裏付けるようだ。

 ぼうっと見つめるオレに痺れを切らしたのか、掌の様相に違わぬ精悍な顔つきをした男——村の顔役で、名前をドウェインという——は、不愉快そうに数度喉を鳴らした後、今までよりも一層高圧的に、肩を怒らせて迫ってきた。

「君の持っている合鍵を、今すぐ我々に渡してくれないか。事態は一刻を争うのだ」

 彼の後ろに控えていた二人の男も、同意を示して頷いた。どちらも見覚えのある顔だ。サネスとライオット。どちらもオレと同年代で、それ故にドウェイン以上に縁遠い。

 彼らは一様に、有無を言わさぬような強い視線をオレに向けている。自分たちの意見は、どこからどうみても正しい形をしていると信じている者の目だ。自身の信念を強く信頼する者の視線は、鋭くて痛い。針山にでもなった気分だ。

 オレは玄関の脇に置いた小棚の引き出しを開けると、そこから一つ鍵を取り出す。

「確かに、ノットさんの合鍵はオレが預かっています」

 鳥の羽を模った飾りがぶら下がった、赤錆の浮く小さな鍵。彼らの求めるノットさん家の合鍵だ。オレがそれを取り出した瞬間、鍵を目掛けてドウェインの腕が図太く伸びる。鍵が己に差し出されて当然とばかりの彼の行動。しかし次の瞬間、彼の敬虔な己に対する信心は裏切られる。何故ならその掌を掠めるように、オレが鍵を掲げたからだ。

 まんまるに見開かれた三対の目が、少しだけ小気味良い。

 ……いや。と、オレは鋭い深呼吸で自制する。今は小さなことで溜飲を下げて喜んでいる場合じゃない。それよりも、もっと大切なことがあるのだ。

「これをあなた方に預けることはできません」

「おいおいおい、今は一刻を争うんだぞ。つべこべ言わずに鍵をこちらへ渡してくれ」

 オレの言葉に、ドウェインが唇を歪めた。

 彼の反感を買うのは分かっていたけれど、でも、どうしても譲れないのだ。

「ドウェインさんが言う通り、確かに今は緊急事態なんだと思う。けどこれは、オレがノットさんから責任を持って預かった鍵です。ノットさんの許しなしに、誰かに勝手に貸すことはできない。彼の家の鍵は、オレが開けます」


 人に嫌われる、という条件がある。

 まず、第一に——愛想が悪い。例えば挨拶の声が小さかったり、目が合った時に咄嗟に気づかないフリを選んでしまったりする。そうすると1アウト、「なにあいつ」ゲージが一段階溜まる。

 けれどこれは要因になっても致命傷にはならない。いくら愛想が悪くても、隣人に親切を心がけ、コミュニティの行事へ貢献していれば回復が可能だ。愛する善き隣人の誰かが、人々の耳元でこっそりこう囁いてくれる。「あの人、無愛想だけど悪い人じゃないのよ」

 なので、ここで第二条件——社交的じゃない。

 近所の行事ごとに顔を出さず、家の中で過ごすことが多ければ、その時間が長いほど「なにあいつ」ゲージが溜まっていく。「なにあいつ」というか「誰あいつ」になる。2アウト。

 そして、ついに第三条件——批判的な姿勢。

 「誰あいつ」に成り下がった無愛想な奴が、たまにコミュニティの雑談に引っ張り込まれてしまい、気を遣った誰かに意見を求められる。そうすると「誰あいつ」は、こう口にするのだ。「確かにそうかもしれないよ。けどさ……」はい、3アウト。これで全ての条件が揃い、めでたく人に嫌われるようになりました。

 ——それが、今のオレが置かれた立場だ。

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