第3話 オルソ村連続殺人事件A-2

「こんな時に何を屁理屈捏ねとるんだ!」

 ドウェインの怒声で世界が揺れる。鼓膜を焼くような鋭い耳鳴りを、オレは奥歯を噛み締めて耐える。

「俺たちが必要なのは、お前じゃなくて合鍵なんだよ! 鍵だけだ!」

「だから……ノットさんに断りなく、勝手に渡すことは出来ないです」

 言い縋ったオレの言葉を、ドウェインは鼻で笑った。

「そのノット爺さんが、家の中で倒れているかもしれないんだ。そうじゃなければ、俺たちはわざわざこんなところに来ていない」

 ドウェインの後ろに控えていたサネスが、その言葉を聞いて蔑むように吹き出した。オレは強く拳を握りしめて、瞬間的に噴き上がる怒りを抑える。堪え性がオレの人生を良い方向に導いたことなど一度もないが、今はとにかくノットさんの合鍵を奪われないことが一番大切だ。厚ぼったく垂れた瞼の奥に隠された、ノットさんの思慮深い瞳を思い出す。そして、亀のように丸まった背でのったりのったりと荷台を曳く姿を思い出す。

「オレがノットさんの家まで鍵を持って行って、この手で鍵を開ける。それでいいじゃないですか」

 そう言うや否や、オレは有無を言わさず玄関を押し出ると、ノットさんの家へ向かって歩き始めた。きっとこのまま話していては相手に押し切られるし、なにより、ノットさんのことが心配なのはオレも同じだ。無駄口を叩いている間で少しでも早く、少しでも多く、ノットさんの家へ近づきたい。

「お前の足じゃ遅えし、待ってらんねぇって言ってんだよ。合鍵さえあれば家の扉は開くんだ。鍵を渡せ。そうすれば、お前と違って俊足のライオットが、ひとっ飛びで爺さんの家に持っていく」

 追いかけてきたドウェインが怒鳴り声を撒き散らした。

 初夏の日差しが岩肌に照り返って頬を焼く。眩さと熱気を久しぶりに受けた脳がくらくらして、オレの歩みはオレ自身が想像していたよりも随分とゆっくりだ。オレの家は採掘場で、ノットさんの家がある農場まではおよそ2キロの距離がある。下り勾配は急で、運動不足の俺の足では、きっと酷く時間がかかるだろう。そんなことは、分かっている。分かっているのだ。

「ヒーローにでもなりたいか?」

 ドウェインがそう吠えた。

「自分を中心に物事を回すチャンスだと、その狡猾な嗅覚で嗅ぎつけたか? だとしたら大間違いだぞ、お前のその身勝手さが、ノット爺さんを殺すことになる!」

 返事をする余裕はない。事ここに至っては、腹も立たなかった。

 ドウェイン——視野が狭窄した、村社会の怪物め。いいや、彼は自分が怪物であることに気づいていない、もっと悲しい生き物だ。ドウェインだけじゃない。村の人々はみんな村社会の怪物か、それに首を垂れるだけの従僕だ。誰かの急場であれば他の誰かの権利を虐げても仕方ないと考えている。優先されるべき何かが、完全な形を以ってこの世に君臨していると勘違いしている。

 ノットさんは、他でもないオレを選んで合鍵を預けた。

 距離にして2キロも離れた、村の両端に位置する関係のオレに。有事の際に間に合いませんよ、と合鍵を差し出された時に真っ先に進言したのはオレだった。隣家の人や、畑仲間の方がいいんじゃないですか、と。

 ノットさんは笑った。あの思慮深い光を灯した瞳を緩めて。そして——。

「馬鹿らしいですよ、ドウェイン」

 ノットさんとの古い記憶を無遠慮に破って声を張り上げたのは、ライオットだった。ドウェインの後ろから着いて来ていた彼は、先頭を歩いていたオレを足早に追い抜かすと、手に握られた合鍵を冷ややかな目で見る。

「こいつの屁理屈に構った結果、家の扉を蹴破った方が早かったなんて話になったら、あまりにもボクら、馬鹿みたいです。馬鹿なだけならまだしも、ここで言い争う間にノット爺さんが手遅れになったらどうです。それこそ本末転倒だ。今はこの変わり者の意思通り、鍵を持って一緒に来てもらうのが一番良い手なんじゃないですか」

「うぬ……」とドウェインが唸る。

「ボクがひとっ走りして、ノット爺さんの家にいる連中に事情を報告してきます。それで、もし家内に侵入できそうな箇所を見つけたら、そいつを待たずに中に入っておきますよ。どうです」

 それならば、とドウェインが頷く。頷くや否や、ライオットは駆け出した。

 四つ足の獣のような速さで傾斜を駆け下り、岩場から岩場へ飛ぶように移動する。その姿は瞬く間に小さくなって、あっという間に米粒ほどになって、そしてすっかりと視界から消えてしまった。呆気に取られたオレを見て、ドウェインが得意げに鼻を鳴らす。

「速いだろう。ライオットとお前は違う」

 サネスがくつくつと喉を鳴らして笑った。サネスはきっと、ライオスの足の速さだけを指してそう言ったのだろうが、それは間違っている。オレとライオットは違う。足の速さが違う、体格の大きさが違う、物を言う時の顔つきが違う……人としての出来が、違う。

 ——ヒーローにでもなりたいか? 

 ドウェインが苦し紛れに吐き捨てた言葉が、今になって胸を蝕む。

「知ってますよ」

 そう返すのが、オレの精一杯だった。


 ノットさんの農地はオルソ村の東にある、開けた平地の端にある。悠々と育った麦の青波が揺れる広大な畑の奥に、ノットさんが築いた家があって、それは立派な麦畑と比べれば不似合いなほど、控えめで細やかなものだった。オレがたどり着いた時、普段は誰も訪ねることのないその家の前には既に三人の男が集まっていて、遠目から見ても、彼ら全員が不満そうな目でオレを待ち構えているのが分かった。もちろん、先に到着していたライオットもその中に含まれている。

「遅い」

 開口一番にライオットが言った。

「中に入る算段は付かなかった。窓を割るか、扉を破るしかない」

 彼はオレの拳に握りしめられた合鍵を顎で示して、言外にさっさと開けろと促す。もちろんオレだってそのために来たのだ。言われなくても鍵は開ける。

 ノットさんから託された鍵を握りしめて、オレは玄関へ歩み寄る。ノット家の玄関を守る木製の扉はノットさんの性格を映し出すように、古色蒼然としながら手入れが行き届いていた。使い古された傷やシミこそ表面にあれども、扉そのものにガタ付きや腐りはなく、ノブや鍵穴を覆う金属も鈍た輝きを讃えている。

 鍵穴の周辺には、引っ掻き傷が幾重にも刻まれている。きっと、鍵を入れ損ねた際についた傷だろう。歳だったからな、とオレは、ノットさんの顔に刻まれた深い皺を思い出す。

 オレは握り拳を開くと、中に包まれていた合鍵を丁寧に摘み直した。託された年月は長けれど、実際に使うのはこれが初めてだ。鍵穴と見比べて合鍵の向きを合わせる。合鍵に纏わり付いた錆が、指先にザラリと擦れた。オレはそれを鍵穴に差し入れ——

「あの、こちらの家に何か御用でしょうか」

 誰もがその言葉に、呆気に取られて目を見張った。

 それは鈴の鳴るような、若い女性の声だった。ノットさんの玄関に木を取られていた男たちは、オレも含めて瞬時に声を辿り、一斉に背後を振り返る。

 そこに、一人の少女がいた。

 白い絹のワンピースを着た、小柄な女の子だ。歳の頃は十四、五というところだろうか。輝くような白い頬はまろみを帯びて、年相応の頼りなげな印象をうける。艶やかに流れる髪は長雨に濡れる紫陽花のようなピンク色で、彼女の楚々とした雰囲気に花を添えていた。

 見た事ない顔だ。オレは人付き合いが多い方ではないが、それでも、村で見かけたことはない。一度すれ違えば、絶対に忘れないだろう。そう断言できるほど、少女の見目は麗しかった。

 オレの推測を裏付けるように、ドウェインが躊躇いがちに少女の前に進み出る。

「ノット爺さんを訪ねて来たんだ。あんたは……」

 そこまで言って、彼は続く言葉を飲み込んだ。どうせ「見ない顔だ」とか、「村のものじゃない」だとか、碌でもない文句がぶら下がっていたのだろう。それを飲み込んだのは英断だ。自分よりも四十は下の女の子に投げかけるには、彼の言葉選びは乱暴すぎる。

 少女はドウェインの言葉を引き取って、聡明にも彼の望む答えを口にした。

「ご挨拶が遅くなってしまって申し訳ありません。私はミエーレ。遠方よりノットお爺さまを訪ねて参りまして、昨日からこちらに滞在しております。皆様はノットお爺さまのお知り合い……ですよね。ただいまお爺さまを呼んで参ります」

 ミエーレと名乗った少女はにっこりと笑って、屈託なく玄関扉へと駆け寄った。誰かが事情を説明するよりも早く、彼女はノブに手を掛ける。ガタン、と虚しい音を立てただけでびくともしない扉を目の当たりにして、彼女は驚いたように瞠目した。

「あら……鍵は開けて出たはずなのに。お爺さまったら私が出たのを気づかずに閉めちゃったのかしら」

 そうして彼女は、ドアを叩いてノットさんの名を呼ぶ。誰もが一瞬期待したが、もちろん返事はなかった。小首を傾げて不審そうにする彼女に、ドウェインが近寄って、事のあらましを手短に説明する。徐々に彼女の表情が曇って、瞳には焦りの色が浮かび始めた。

「大変、すぐに鍵を開けますわ」

 右手に提げていたバスケットに手を差し込んで底を探るが、焦りが指を振るわせているせいか、鍵は一向に彼女のバスケットから姿を現さない。「どこかしら」と彼女はバスケットを地面に置いて、ついには両手で中の荷物を開け始めた。

 その姿が見ていられなくなって、オレは思わず一度差し込んだ合鍵を引き抜くと、その場で高く掲げて声を張り上げた。

「オレが合鍵で開けますから、ミエーレさんは早く中へ」

 ——彼女の表情が、一瞬サッと翳った、気がした。なにか不愉快なことをしただろうか? とオレは一瞬、鍵を使うのを躊躇する。しかしオレがそれを声に出すよりも先に、彼女の口が小さく動く。「どうして」と、唇がそう象った。けれど彼女は直後、脳に浮かんだ疑念を振り払うように首を振る。そうして再度オレを見据えた瞳に既に翳りはなく、そこには覚悟の色が浮かんでいた。

「お願いします」

 言葉を受けてからのオレの行動は早かった。一度抜いた合鍵を再び差し入れて、躊躇いなく指を捻る。小さな手応えと共に、鍵はあっけなく開いた。焦る気持ちでドアノブに手をかけたオレは、ふと我に帰り、慌ててその手を離す。そして、振り向いた先で神妙な顔をしていたミエーレさんに場所を譲った。

「ミエーレさんが、どうぞ」

 彼女はオレの言葉に瞠目した後、戸惑いを露わにしながらも小さく頷いた。ドウェインを初めとした、オレとミエーレさんを取り巻いている男たちが、目配せしあっているのが分かる。どうせ格好付けやがってとか、そういう下らないことを符牒して嘲笑っているに違いない。

 ミエーレさんの小さくて白い手が、ドアノブを握る。彼女が軽く力を込めると、扉はさしたる抵抗も見せずに、音もなく開いた。開いた隙間から差し込んだ日差しに照らされて、舞った埃の粒がキラキラと光る。扉から家の中を覗き込んだオレは、家内の薄暗さに目を顰めた。電気がついていない。日光の届いていない奥の方はうっすらとした暗がりに覆われて、家具の影くらいしか咄嗟に判別ができなかった。それでも目を凝らしていれば、見えてくるものもあった。

 玄関を入ってすぐ、目の前には一人暮らしには十分なほどのダイニングテーブルが置かれており、すぐ近くにはキッチンがある。今風の言い方をすれば、ダイニングキッチンといったところだが、実際はそれほどおしゃれなものではなく、きっと手狭な家に一人暮らしをする最適解だったのだろうという趣だ。そしてダイニングキッチンの奥には扉が2つ。そのうちの1つはバスルームにつながっていることを、オレは知っている。そしてもう片方のドアは、開いている。そして、ドアの開いたその床。

 黒い液体が床一面に広がっている。あれはなんだ? 目を細めてみるが、その正体は一向に掴めない。水? 油? 雨漏りなんてこと……ないよな。ここしばらくは晴天続きだ。じゃあ一体、あれはなんだ? スンと鼻を鳴らしてみて、オレの鼻は初めてその匂いを認めた。鉄臭い。鉄錆の匂い。

 鉄の匂いのする液体の奥に、何かが落ちていた。

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怪物の親友 げんまえび @genmaebi

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