2-(1) 不思議な出会い

 今日のように講義まで時間がだいぶある日は、散策なり彫刻を掘るなり絵を描くなりして暇を潰している。そこで、本日はどの方法を選ぼうかと軽く思案した結果、散歩に出ることにした。

 そんな感じでいつも通り林道を歩いていたら、普段とは違う場面に出くわした。


 いつも通り煩い野鳥の鳴き声から遠ざかるように舗装された道を一人歩いていると、前方の分かれ道に何やら人影があることに気がついた。その人物は小柄な体躯で、かなり年下の女の子であることがわかる。なぜすぐ近くまで接近するより前にそれらの情報を得ることができたかというと、その女の子が、身を乗り出すようにしてこっちの方を見ていたからだ。

 なんなんだ、そんなに見ず知らずの僕の方をじろじろ見て……まだ子供といえどもマナーがなってないんじゃないか、そんなことを考えながら、あくまでも表情には出さないようにしてその女の子を通り過ぎようとした矢先。


「ねぇ、わたしのこと、気にならないの?」


 最悪なことに、その女の子に話しかけられてしまった。応じたところで面倒なことになるだけだろう。そのまま何事も無かったかのようにスルーしようとした。というか、した。女の子に気がついていないふうを装って、そのまますたすたと歩を進める。

 しばらくして雑木林を出て、付近のベンチに腰掛ける。

 朝からなんか変な出来事に見舞われたな……。それにしても、あんな林の中で女の子が一人だけでいるなんて、珍しいこともあるもんだ。

 そんなことを考えながら額の汗を拭うと、背後から声がした。


「まさか、わたしのことが見えないの?」


 つい先程耳にしたものと同じ子供の声に、体が思い切りびくんっとはねた。まさか今までずっと後をつけてきていたのか、その瞬時に浮かんだほぼ確定であろう推測はあまりに怖いのに、無視をした罪悪感からか、ほぼ反射的に背後を振り返ってしまった。

 するとやはり、声の主である背後の子供は、先程林道の中で目にした女の子だった。


「いやごめん、まさか僕に話しかけてるだなんて思わなく、て……」


 その粗い言い訳は、途中で小さな音となって消えてしまった。

 それは、女の子の容貌に驚愕を覚えてのことだった。先程林の中で見た時は気付かないふりをした為に容姿にまで目がいかなかったが、こうも間近で見ると言葉を忘れる程の破壊力があった。

 女の子は、長いけれど艶のある綺麗な銀髪に、それと同じ銀色の目をしていた。銀髪碧眼ならともかく、ここまで銀色に愛された人物は見たことも聞いたこともない。それに何より、並の女の子よりも段違いで可憐で美しい。まさに美少女という言葉が似合う容貌だった。

 女の子は、未だ何も言えずにいる僕を見ながら、突拍子のない質問を問うてきた。


「ねぇ、わたしのこと知ってる?」

「え、あぁ……。ごめん、覚えてないな。どこかで会ったっけ?」


 咄嗟に返事をしたものの、その自分の発言に心の中で突っ込まざるを得ない。ここまでの美少女に会っていたら、忘れるはずないだろう。ということは、やはり相手の勘違いということだ。僕は、勘違いであることを自覚した女の子がすぐさまこの場を離れてくれることを願った。……だが、残念ながらそれは叶わなかった。


「そっか。なら、わたし、ちゃんと教えるね。わたしはカーヤって名前をつけてもらったの」


 女の子の独特な自己紹介に、教養ある者として一応自分も応える。


「そうなんだ。可愛い名前だね」


 なぜ見ず知らずの人間にいきなり名前を教えるのか、一般的な子供の考えることはわからない。もしかすると、この子は一般的に見ても変わっているのだろうか。所謂温室育ちの自分には、想像の余地もなかった。いつになれば去ってくれるのかと胸中で募らせていた不満も、次の女の子の言葉で遠くの彼方へ吹き飛んだ。


「ぱぱはぱぱって呼ぶね」


 この子は本当に何を考えているのか。そんなこと、赤の他人の僕に教えてどうする。まるで宇宙人と話しているような心地だった。


「そうなんだ。お父さんも喜ぶんじゃないかな」


 僕の愛想笑いももうじき限界を迎えそうだ。それでも、酷なことに女の子との会話は続く一方だった。それも、それまで以上のショックを僕に与えるかたちとなって。


「何言ってるの、ぱぱ。自分の気持ちもよくわからないの?」

「……え?」


 これまで辟易するような突拍子のない発言に加えて、さらにとんでもないことを言われてまるで頭の中に爆弾を落とされたようだった。

 僕がこの子の父親だって? ごっこ遊びでもいつの間にか始められてしまっていたのか。

 そう瞬時に思うも、その憶測には違和感を覚える。なんといったって、この子はごっこ遊びをするような年齢にはとても見えないのだ。

 もう何が何だかわからなくて、そんな僕に反して嬉しそうに目を輝かせる女の子のことを魂が抜けた心地でただただ見上げることしかできない。


「ぱぱ、あのね。わたしに本の読み方を教えて欲しいの」

「あぁそのごめん、実は僕これから学校が始まるから、今日はここまででいいかな?」


 このままでは延々とこの茶番に付き合わされてしまう、そんな予感から生じた焦りから発した僕の発言に、カーヤというらしい女の子はしばらく黙った。まさか不機嫌にでもなってしまったのか……。だとすると本当にどうすればいいんだ。

 そう困惑していると、カーヤは、すんなりと受け入れてくれたように、にこりと微笑んだ。その天使のような笑顔だけでこれまでの不満を忘れてしまう。全く、美少女というのはあらゆる場面で得だ。


「うん、わかった。じゃあ、また明日、あそこの分かれ道で待ってるね」


 鉄の塊で頭をぶつけたように目眩がした。まだこの子は付き合わせる気なのか……。いったいどうして、僕にこれ程までの執着を覚えているのか。はたまた気まぐれでしかないのか、どちらにせよこちらにとっては良い迷惑にも程がある。


「あの、ちょっと聞くんだけど、どうしてそこまで僕にこだわるのかな。遊ぶにはもっと楽しい相手がいるんじゃない。それに、知らないお兄さんなんかと二人きりで遊んだら、君の本当のお父さんとお母さんが心配するだろ」


 カーヤは、何を言われているのかわからないといったふうに黙りこくった。僕はため息を吐き、その場を離れようと腰を浮かせた。すると、小さな声で女の子が呟くのが聞こえた。


「まま……。会ってみたかったな」


 その呟きが耳に届くと、まるで僕の中の時が止まったかのような錯覚に陥った。

 つい先程の呟きから、カーヤは何らかの事情で母親に会ったことがないことが分かる。もしかしたらこの子はただ寂しいのかもしれない……気づけばそんなふうに同情めいた感情を覚えてしまった。自分も似たような境遇だからだろうか、その一瞬で、これまでウザったく感じていたカーヤのことが、少し身近に感じてしまったのだ。

 僕は気づけば、カーヤに問いを投げかけていた。


「君、僕をパパって呼んだけど……もしかして……、いいや、その、さっき言ってた本を読めるようになりたいっていうのは、本心なの?」


 考えてみれば、この子くらいの年齢の子がごっこ遊びをするという憶測は現実味が無さすぎる。もしかすると、この子はあまり学がなくて、本当に読書ができないのかもしれない。それを家族に頼まずに僕に縋るなんて、家庭事情だって複雑なのかもしれない……。

 想像すればする程、カーヤに特殊な思い入れができてしまいそうになる。それと同時に、相変わらず単純な自分に嫌気がさす。


「うん。ままはね、よく本を読んでたの。ぱぱから貰った本をとっても大事にしていたんだよ」

「そっか。キミは、ママみたいになりたいんだね。一つ質問なんだけど……どうして僕に頼もうと思ったの?」

「とってもいい匂いがするから。あのハヤシにあるお家を近くで見てから、やっぱりそうなんだって思ったの。あそこには、わたしが求めてるひとがいるって」


 カーヤはまるで、どこまでも広がる荒野に咲く一輪の花をようやく見つけたような、希望に溢れた声色で言葉を紡いだ。

 カーヤの言い方からすると、おそらく彼女は僕の住居に憧れを募らせていたのだろう。あの家は、一族の腫れ物である僕へ譲り渡されたものとはいっても、国内でも随一の名家が建てたものだ。

 本家や父兄の別荘と比べると力の入れようの差は歴然だが、庶民の住居、それもあまり裕福ではないとなると、あの家が思わず通いたくなる程豪華に見えてしまうのは仕方がないことなのかもしれない。となると、そこの住人にも同様な憧れが純粋な頭の中で膨れ上がるのもおかしなことでは無いだろう。


「そこまで言うなら、わかったよ。僕も本を読むのは昔から好きだしね。それと、ぱぱなんて呼び方じゃなくて、名前で呼んで」

「え……」

「ルーカス。それが僕の名前だ。今日はこれから学校が始まるけど、ちょうど明日は休日だ。そうだね、午後の二時に僕の家に来て貰えるかな。そうしたら、字や文章の読み方を教えてあげるよ」


 僕がそう提案すると、カーヤは歓喜から僕に抱きつこうとした。さすがに距離感を保つことまで怠ってしまっては面目が立たないような気がして、腕を伸ばすカーヤを慌てて止めた。その日のカーヤとの出来事は、それで終わった。


 カーヤと別れ一人になると、先程のことを思い返し悶えてしまいたくなる程の羞恥が襲った。

 自分は、今日会ったばかりのまだ年端もいかない女の子のお願いに対し、まるで僕が君の救世主だとでもいうように、彼女の理解者を気取るような心中で承諾してしまった。もしかしたらあの子は僕と似たような境遇なのかもしれない、なんてただの僕の孤独を拗らせた妄想でしかないのかもしれないにも関わらず! 無念ながら、僕は一度考え出すと止まらない性分なのだ。


 大学へ徒歩で向かう途中何度顔を両手で覆いたくなったかわからない。なんて自分は単純で要らぬ程のお人好しなのだろう、それにあの迅速な妄想力と浅はかな判断ときたら――もしも先程のカーヤの言動が気まぐれなもので、明日指定の時刻にあの子が来なかったらどうしよう。そんなくだらない不安がその日一日胸中の隅に漂い続けた。

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