1-6 彼女の誕生

「ねえ聞いたかい。例の遺体にさ……銃痕があったらしいんだよ」

「例のって、あのアムゼルさんのお宅の子たちの? まさか、事故じゃなくて他殺だったってこと?」

「あるいは、集団自決とか。なんにせよ、あの事件には奇妙な点がいくつもある。まず、男三人に女の子一人なんていう組み合わせ自体おかしくないかい? しかもあんな森の中で。私はさあ、それを知った時、嫌にピンときちまったんだよ。エマちゃんは、そいつらに襲われてたんじゃないかって」

「何よそれ、もしもその予想が事実だったんだとしたら……酷い、酷すぎる。でも、そうなると、集団自決じゃなくて……」

「あんたの言いたいことは分かる。銃を撃った犯人は、襲われてたエマちゃんだとしか考えられない。実際、エマちゃんと思しき遺体だけ、銃痕の位置が違ったらしい。他の奴らは額を撃たれていたが、なぜかあの子だけは、脚……太ももだったってね。……うん? そうすると待てよ」

「わざわざ犯人まで自分を撃つかしら。それに、太ももって言ったら、大きな動脈が通ってる。仮に自殺しようとするなら、一瞬で死ねる頭とかにするんじゃないかしら。出血死なんて、辛くて苦しいだけじゃない」

「そう、そうなんだよなあ。後他に考えられることとしたら……男のうちの誰かが本当は嫌なのにも関わらず、他の二人に強制的に付き合わされて、自分も集団レイプに加担したっていう証拠を消すために、全員消そうとしたとか。そうこうしてる時に、他の男も抵抗から銃を取り出し撃ち合いになって、結果的に全員死亡、とか」

「うーん、確かにその説が今のところ一番有力かもだけど。でも、よくよく考えてみたら、そんなにみんなピストルを所持してるなんて異常じゃない? やっぱり、タイミング悪くやってきた殺人鬼の仕業って考えるのが自然なような気もするわ」

「今の時代、ピストルは買おうと思えば誰でも買えるからね。しかもあいつらは女の子一人を集団で襲うような不良グループだ。持っててもおかしくはないと、私は思うね。まあ、まだまだ明らかになってないことが多いだろうし、今こうして議論するのはちと早かったかもね。今後、真相が明らかになってくれれば、それが一番良いんだけどね……」


 そのやけに白熱した議論を耳にしたのは、街中でのことだった。

 ある夜の郊外に発生した森林火災は、町の住民らがこぞって騒ぎ立てるまでに赤く鮮烈に燃え広がった。だが幸運にも、翌日降った雨のおかげですぐに鎮火した。

 不幸中の幸いと言おうか、民家への被害は出なかった。だが、焼け爛れた森からは、四体の遺体が発見された。遺体の損傷は激しいもののそれらの黒い屍の正体は、ちょうどその夜から自宅に戻っていない四名の少年少女であることが判明した。そんな話を、街中の至る所で耳にした。


 幸い、燃える森から逃げる私の姿を目にした者はいないらしく、尋問などを受けることはいっさいなかった。

 偶然拾ったピストルにはまだ弾が残っており、私を落胆させることなくいつでも憧れを見せてくれる。本当なら一日中肌身離さず持ち歩きたいところだが、もしもバレたら非常に厄介だ。希望を奪われるリスクを考慮し、ピストルは、自室の机の引き戸の奥にしまった。


 許されざることに、私は、こんなにも死を身近に感じられる環境に置かれながら、安心を覚えると同時に、真逆の概念を求めていた。瀕死のエマの姿を思い出す度に、罪の意識に苛まれるが、その罪悪感を遥かに凌駕する昂りが胸の内を溶かしていく。あの時のエマは確かに美しかった。


 私の世界での彼女の在り方には軽蔑の念を抱くが、それでも、あの瞬間の彼女は、そうした気に入らない数多の記憶を忘れさせる程に魅力的だった。空の容器である私の心臓に、彼女は自身の生命を注ぎ込んでくれたのだから。


 今は亡きエマ。

 私の目の前で朽ち果てたエマ。

 男たちの気を引くために私を利用したエマ。

 ……そうだ、あいつは一方的に私に接近し、心を弄び、利用しようとし、最終的には裏切ったではないか。


 その事実を再認識した途端、エマへの切望は冷えて消失し、代わりに腹の奥からとめどない憎悪と悲しみという名の痛みが湧き出す。

 それでも、一度火がついてしまった心を冷却することなどかなわない。例え普通の人間でも、飢餓状態に目の前に豪勢な料理が置かれていたら、我慢はできないだろう。それと何も変わらない。


 何か、何か代わりになるモノが欲しい。生身の人間に再度手を出さないようにするには自分で発散することは不可欠だ。

 そうして思い至ったのが、空想である。人間は豊かな想像力を持っている故、頭の中でなら好き放題できる。この権利を有する点に関しては、人間に生まれて良かったと心底思うくらいだ。


 それから日常の最中、脳内では頻繁に喜劇が繰り返されていた。私の支配下に置かれた少女は、どことなくエマに似ており、その点には気が付かないよう努めた。

 だがそれでも何かが足りない。もっと私は、ふさわしい存在を心に宿していたような、そんな気がしてならないのだった。


 そんな休日のある日、ベッドの上で欲に蝕まれていると、なんとも可憐な少女が私の上に現れた。 霜のように白く柔らかな髪の間に、気高さと幼さを兼ね合わせた端正な相貌が浮かんでいる。

 そうだ、この愛らしい姿は、幼い頃に夢中になっていた童話に登場する天使の自分のイメージ像に酷似しているのだ。ベースとなった童話の中に出てくる天使に、自分の欲望を混ぜ合わせて完成したのが、この姿なのだ。

 空想の恋人は、全てを託すように覆いかぶさってきた。微塵も身動きせず、無垢な瞳を瞬かせて私からの行動を待っていた。

 その期待に応えるように、私は彼女の血肉を貪った。腹の奥の灼熱にまかせて、獣のように。


 そして、行為に走ってから初めて天使の顔をあおぎみた。彼女は、肉体的な苦痛に眉根を寄せながらも、聖母のような微笑みで私を見つめ返した。

 私たちは抱きしめあった。互いの肌の温もりを決して逃さないように、魂を一つにするように。

 そんなまどろみに包まれているうち、気がつけば私は眠ってしまっていた。目覚めたのはそれからだいたい二時間後だった。


 目が覚めた後、どうしてもあの白い肌に滴る赤い液体が頭に浮かび、それを払拭しようと試みるもなかなか脳内から消え去ってはくれない。そこで、気が散ることのないであろう家の中の掃除でもしようと思い至り、軽く洗顔した後に濡らした雑巾を持ち、まずは自分の部屋へ向かった。

 それから、居間、キッチン、シャワー室と攻略していった。そこで後に残されているのは母の部屋だ。実を言うともう一部屋あるのだが、そこはもう随分前から空き部屋となっている。それはひとまず、母の部屋となると些か入りにくい。抵抗感を覚えながらも、扉をそっと開け、室内に目をやる。


 咄嗟に目をひいたのは、机の上に整然と置かれた生花や、積み上げられた数々の本――の近くに飾られていた、一枚の写真だった。

 それはご丁寧にも写真立てに収納されており、二人の人間が写っているようだった。片方は母。遠目からでもわかる。だが、もう片方の人間は誰だか見当もつかない。そのことを認識した瞬間、ぞくりと全身の血の気がひいてくような悪寒に襲われる。あれは多分、男――男だ。では名前は、母との関係性は、そして私との関係性は――。

 全身が震え、どくどくと心臓が悲鳴をあげ、精一杯の拒絶反応を示す。なぜそんなにも自分が恐怖を覚えているのかわからず、それでも、私の中で拘束された魂が、尋常でない怯えの色を放つ。わからない、わからないからこそ私は、歩を進めた。

 このわからないという状況が恐ろしくて、少しでも安心できる事実が欲しかった。一歩、また一歩と写真へと近づく。次第にその男の相貌を目視できるようになった。そして私は、それまで覚えていた恐怖と焦燥が一気に消失し、ほっと息を吐いた。


 その男は、全く持って見ず知らずの人間であり、姿形だけで私を怯えさせる要素など持っていない。写真の中で二人とも幸せそうに微笑み密着している様子から、おそらくは母の恋人だろう。恋人の存在を実の娘に隠すなど、いかにも母らしい。掃除をすることもなく母の部屋を後にした。

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