1-4 卑劣な罠


 指定の日、逸る心音をウザったく思いながら森へ向かう。もう太陽は沈みかけていた。入口まで差し掛かると、さらにそれが大きくなり、果たして自分は無事にエマとの再会ができるのかどうか不安で仕方なくなった。

 だが幸い、彼女はまだここへ来ていないようだった。私は、未だばくばくとうるさい胸の奥を沈めるように付近の草むらに腰を下ろす。


 思えば、私は彼女にあのようなことをしたのにも関わらず、こうして和解の機会を与えてくれるだなんて、稀に見る聖人というやつだろうか。どうにせよ、彼女に感謝しなくてはならないのは確かだ。


 エマと久しぶりに交わす最初の言葉は何にしよう、と考え込んでいたために、背後から忍び寄る気配に気がつくことができなかった。突然背後から首に両腕を回される。しかもその腕力はあまりにも強い。


 私は、息が詰まる苦しみから逃れようと必死に背後の誰かに向かって両腕を振り上げ攻撃を試みるも、私の小柄な体型上、それはかなわなかった。幾度も死を夢見てきた私だが、まさかこのような形でそれを迎えるとは思いもしていなかった。

 どうせならば自分自身で自分を殺したかった。そんなふうに生に諦めかけていると、背後から愉快そうな声がした。


「苦しいのが嫌なら黙って俺たちに着いてきてもらおうか」


 途端、私の首を圧迫していた両腕の力はふっと解け、周囲に数人の男の姿が現れる。私は、その見覚えのある顔たちに愕然とした。急いで背後を振り返る。

 そこには、ついさっき目にした男たちよりも数段顔の整った男が下卑た笑みを浮かべていた。


「本当にエマがここに来ると思っちゃった?」


 イケメンは、目の前にいる人間が哀れで仕方ないというふうに鼻で笑った。


 その後、私は森に入っていく男たちに大人しく着いて行った。

 喪失感と言えばいいのか、虚しさと言えばいいのか、心の空洞に冷風が吹きすさぶようだった。それ故に刃向かう気力も湧いてこなかった。


 周囲を取り囲む男たちは、泣かない私を不思議そうに鑑賞している。もはや、その視線さえどうでもよかった。選択を間違えた自分の落ち度だ、そう思う他に、この痛烈な件によって生じてしまいそうな感情を抑えるすべがないのだった。

 実際、私は甘えてしまった。私をいつだって歓迎していない世界に、もしかしたら希望の光をくれるのではないか、なんていう甘い期待を募らせたのが悪かったのだ。


 自身の過ちを内省することに集中するあまり、これから自分が何をされるかなど考える由もなかった。連中に連れてこられたのは小屋だった。私は全身が冷えていくのを強烈に感じた。今これから自分がされることの想像がついたからだ。

 リーダー格のイケメンは、私を先に小屋の中に入るよう促した。私はそれに従うよりも前に、辺りに視線をやった。もう既に日は暮れ、森の中は暗い。逃げ出したら撒けるのではないか、そんな考えが浮かび上がった刹那。


 命令に従わない私に痺れを切らしたのか、イケメンが力強く私の背中を押して無理やり小屋の中へ入らせることで、私は逃げる術を失った。次々と男たちが入ってくる。最後に入ってきた男は扉を閉めると、それまで手に持っていたランプを床に置いた。

 男たちは相変わらずにやにやと厭らしい下卑た笑みを崩さない。

 イケメンが、そこに座れと床の中央を指さした。私は機械の心地で黙ってそれに従った。


「嫌がらないんだな」

「さすが狂人」


 男たちは、好き勝手に侮辱の言葉を吐きながら、私を取り囲んで座る。


「ヤる前にちょっと質問いい?」


 連中の一人が口を開いた。


「人の傷って美味しいの? どんな気持ちで舐めてたの?」


 私は沈黙を貫いた。もう何もかもどうでもよく感じて、ただ時が過ぎ去るのをじっと待っていた。無視を決め込む私に不満が募った男たちは次々と侮蔑の言葉を吐いてきた。そのどれもが今の私の心には届かなかった。ただ、ある一つの言葉を除いて。


「お前じゃあ人のことを愛することなんかできないよ」


 連中の一人のその言葉に、私の胸中は先程とは比にならないまでの薄暗くて冷たい感情で溢れた。そんなことはお前らなんかに言われなくとも自分でとっくに気が付いていた。

 それでも外界の住人に改めて言葉にされると、それが覆しようのない事実であることを痛感せざるを得ない。冷たい炎で炙られているような苦痛が、瞬く間に私の内側全域を覆う。


 そのような痛みにも耐え、相変わらず沈黙を貫いていると、痺れを切らしたイケメンが開始を宣言する。


「まぁまぁ、いざ始めたらなんか反応するかもしんないし、とりあえずもうヤっちゃうか」


 イケメンが平然とごく軽い調子で言い放つと、その手が私の服へ伸びてくる。

 ブラウスのボタンをぷちぷちと外していく最中ちらちらと私の表情を覗いてきたものの、彼の期待するような反応が見られないと、またもや侮辱の言葉を吐き出した。だが、その男たちの下品なセリフは耳に入ってこなかった。ある疑念が私の意識を乗っ取り、危機的状況にも関わらず、それに支配されてしまったのだ。


 いや、疑念というよりも、もっと正確な言葉があるはずだ。この無視できない違和感、どこか私の奥まった場所へ通じているようでいて、空の上の宇宙のようにはるか遠くに在るものを掴もうと無意味な奮闘を続けているような。

 ただ、そう感じることが恐怖を呼び覚ました。これから起こる悲劇へというよりも、身に覚えのない違和感に対する、これまで数度襲われることのあった本能めいた拒絶だった。

 それも、連中の中の一人の間抜けな声によりかき消された。


「あん?」


 他の男が、その疑問形の台詞に答えた。


「なんだよそんなとこ見て。せっかくこれからお楽しみだってのによ」


 その男の発言通り、間抜けな声の主は不思議そうに窓の方を見ていた。


「いや、今なんか見えたような気がして」

「見間違いじゃねえの。気になるようなら見てこいよ」

「じゃあちょっと一旦ストップお願いだわ」


 何やら窓の向こうに違和感を感じたという男は、確認するように扉から外へ少し頭を出した。やはり誰かに見られていたのか、男は、あっと驚きの声を出してから外へ出た。それを追う形でイケメンも外へ出ていった。小屋の中に残された他の二人は、気まづそうに私に視線をやった。


「お前さぁ、全然抵抗とかしないけど自尊心とかないわけ?」


 片方の男の言葉に、私は静かに返答する。


「選択を間違えた。ただそれだけのことだ」


 質問してきた男は、横にいる相方に、「どういう意味なのかまじで分からねぇんだけど」と心の底から不可解だといった表情で助けを求めた。相方は、それに対し苦笑いで首を横に振るだけだった。今の男二人に、私をここへ連れてくる時の高揚っぷりは見る影もない。

 気まづそうにしきりに辺りを見渡す男二人の沈黙との闘いは終わりを告げた。先程外へ出ていったイケメンともう一人が、誰か人を連れて小屋へ戻ってきたのだった。イケメンの後ろに隠れるようにして現れた人間の姿に、私は自然と大きく目を見開いた。


「なんかこいつがお願いしたいことがあるんだってよ」


 最初に外へ出た男が不機嫌そうに言った。そして横にいる例の人物に、早く言えと顎で促した。

 エマ・アムゼルは、恐る恐る口を開く。


「その、まさかあんたたちがこんなこと企んでたとは思わなくて、だから」


 弱々しくちいさな声で紡ぐ彼女に、割って入る者がいた。


「だからもうやめてくださいって? なんじゃそりゃ今更。元はと言えば、お前がこの人形女に変態行為を受けたって泣きついてきたのが事の発端だろ。こうなることくらい想像しろよ」


 エマは、その反論に怖気づき、一歩後退した。


「だって、俺らが注意してやるって、そう言ってた」

「うん。だからこういう形でちゃんと注意してあげてるんでしょ。人が嫌がることはしてはいけないんですよ〜って」


 イケメンが、飄々と答えた。まるで、自分たちは何も間違ったことなどしていないといったふうに。私は、そんな予想外の展開に、ただ男たちとエマへ交互に視線をやることしかできずにいる。

 ことの行き先が全く見えない中、それまでどことなく不満げだった連中の中の一人が、恐るべき提案を示した。


「考えてみればさ、友達の悪口言いふらしてその友達をこんな目に合わせてるのも悪いことだよね。なら、俺らがこの人形女へのおしおきを辞める代わりに、エマがその相手になるってのは?」

「確かに、せっかく俺らこんな森ん中まで来たってのにこのまま何もしないのは腑に落ちないもん」


 私はこの時ようやく理解した。こいつらは、ただ自分たちの欲望のためだけにくだらない正義もどきを振りかざしているだけなのだ。

 猿だ。まさに猿以下だ。憤りにも似た侮蔑の感情を覚える私とは打って変わり、エマは、逃げ場をなくした子羊のように、表情を凍らせて固まることしかできないようだった。


 そんな彼女にお構い無しに、男どもは、先程の下衆な提案に賛成し始め、やっと楽しい時間が帰ってきたことへの喜びだろう、それを隠せずににやにやと表情を醜く歪ませながら彼女に近づいていく。

 イケメンの腕が彼女へ伸びたところで、彼女は小屋の外へ逃げ出した。連中は、獲物を狩るゲームの始まりだとでもいうように、エマを追い暗闇の中へ消えていった。

 私はただ一人、ぽつんと小屋の中に残された。

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