或るワンドロイド
夕方 楽
全1話
人間嫌いの天才工学博士一宮二郎氏は、類のない犬好きだった。
博士は、結婚もせず、親しい友人もいなかったが、子犬の時から飼っている柴犬を溺愛し、こいつさえいれば自分には家族も友達も必要ない、と会う人ごとに吹聴していた。
博士は、発明にかけては常識外れの発想力で数々の特許をものにしていたが、それとは裏腹に普段の生活は極めて常識的で、毎日きっかり5時に研究所を退所すると、6時ちょうどに最寄り駅に到着する電車で帰宅し、いつも駅前広場に迎えに来ている愛犬ソラを抱擁すると、一緒に並んで家路を急ぐのだった。
その時代、犬をリードでつなぐのは動物虐待とみなされるようになっていて、高度にしつけられ、試験にパスした飼い犬はリード無しで屋外を自由に出歩けるようになっていたのだ。
休日となれば博士はソラを連れて近所の公園をゆっくり時間をかけて散歩し、天気の悪い日は横で寝そべるソラの丸い背中に手を置いて一日読書を楽しんだ。
しかしながらそんな日々は永遠には続かなかった。柴犬の寿命は長くて15歳前後で、いくら大事にされているソラといえども、その時を避けることはできなかった。
悲嘆にくれた博士はしばらく無為の日々を送っていたが、やがてあることを思いつき、それに全身全霊をもって取り組んだ。これまでに稼いだ莫大な特許料をすべてつぎこんで、ソラによく似た外見を持つ犬型アンドロイドを開発したのだ。
もちろん、博士の能力をもってすれば、アンドロイドに搭載されたAIにソラの脳をシミュレートさせることもできたが、それはあえてせずに真っ新のまま、子犬ベースから学習させることにした。それは博士なりのソラへの敬意だった。
博士はそのアンドロイドにワンと名付け、亡くなったソラにそそいだのと同じだけ、いや、それ以上の愛情を注ぎこんだ。なにしろ無限とさえ言われる高耐久性を持つレアメタルで構成され、太陽光をエネルギーとして活動し、不具合時にも自己修復する機能を持つワンにとって、寿命という概念は存在せず、したがって博士が今後喪失の悲しみに見舞われる恐れがなくなったからだった。
こうして博士は仕事をする気力も戻り、以前のように毎日研究所に出かけ、夕方ワンが駅前に博士を迎えに行くという生活が再開された。博士の姿を見つけると勢いよくシッポを振って博士のもとに駆け寄るワンの姿に、周りの人々は暖かい視線を向けた。
ところがある年の瀬、予期せぬ事態が発生した。新しい発明を急いでいた博士は、実験中に誤って化学爆発を起こしてしまい、その爆風をもろに受けて、帰らぬ人となってしまったのだった。
それとは知らぬワンは、これまでと同じように毎日6時に駅前に博士を迎えに行き、小一時間ほど待った後、とぼとぼと家に戻る生活を繰り返した。
見かねた人々が腰をかがめてワンの美しい宝石のような瞳を見つめながら、ご主人はもう帰ってこないんだよ、と教えたが、ワンには届かないようだった。
やがて春が来て夏が去り、秋を迎え再び冬がやって来た。ワンのAIは、木枯らしの吹きすさぶ駅前広場で自身の置かれた立場を分析し、物悲しい、低く長い鳴き声を出力したが、横殴りの冷たい風にかき消された。
そうして5年が過ぎ、10年が過ぎた。ワンは相変わらず帰らぬ主人の帰りを待ち続けた。駅前の古いビルは取り壊され、タワーマンションが何棟も空高くそびえ、ワンの前を多くの新しい住民たちが談笑しながら通り過ぎて行った。
いつしか50年が過ぎ、100年が過ぎた。一度大きな戦争があり、駅前は廃墟と化したが、ワンは正常に機能していた。自宅も全焼していたが、ワンは駅前から帰ってくると、博士と自分の寝室があったあたりで、毎晩体を丸めて寝た。
200年目に二度目の戦争が起こった。二つの大国の間の戦争が核戦争に発展し、世界中が巻き込まれて、人類はもちろん、ほとんどの生物は死滅した。それでもワンは、核爆発でほぼ更地同然となった誰もいないかつての駅前に毎日出かけて行った。
さらに数え切れないほどの年月が流れ、地表に充満していた放射性物質もほぼ消失したある晴れた日、一隻の宇宙船が地球に着陸した。異星人は、宇宙船からセンサーを突き出して慎重に地表の放射線量を計測した後、ゆっくりと地上に降り立った。
原野をたった一匹のろのろとシッポを垂れて歩くワンを見つけた異星人は、興味を持って観察した。どうやら危険な存在ではないと察知した彼らは、ワンを抱きかかえて宇宙船の中へ連れて帰った。
ワンに内蔵されたAIを解析した彼らは、ワンの置かれた状況を理解し、ワンの行動を理解しようとした。そしてこの惑星にかつて存在した生物の異種間での強い結びつきを発見し、その強固さは彼らの心を動かした。
異星人たちは、持参していた使い捨てのノート型バーチャルマシーンにワンのAIを移植し、その記憶域から一宮博士のイメージをワンから独立した領域に切り離して共存させ、互いに交流できるようにし、いずれ双方同時に活動を停止するようにタイマーを設定した。
そしてバーチャルマシーンを抱えて再び船外に降り立つと、かつて一宮博士とワンの寝室だったと思われる場所に、そっとマシーンを降ろした。
或るワンドロイド 夕方 楽 @yougotta
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます