少女人形との優雅なお茶会

文ノ字律丸

少女人形との優雅なお茶会



 設問:絶望とは?



 

 ダージリンの香りが真っ白な空間を漂っている。見渡せば十数メートルありそうな部屋にぽつんと丸テーブルが置かれていた。その上には白磁のティーポッドと、小さなスコーン。目の前に置かれたティーカップの中には飴色の液体がたっぷりと――


「紅茶は生気を吸うんです」


 俺と同じように椅子に座った少女が口を開いた。小さな口だった。薄く化粧をしているのか肌がほんのり白く、ほんのり赤い。口元だけは頬よりも念入りに赤が塗られている。大人っぽいような、大人っぽさを演出している子供のような不思議な雰囲気の少女。ゴシックな洋服を着ている。


 ――フランです。


 軽い自己紹介だった。その声はやはり幼い。甘ったるい、ちょうどソーサーの上に置かれた角砂糖を思わせる。耳に入り、舌に残って、サッと消えてしまう。上質なブラウンシュガー。


「落ち着く、なんて人もいますけど、あれは生気を吸われているんです」


 フランは持論を述べる。涼やかな顔で。

 そういえば、表情が切り替わったところを見たことがない。


「白い部屋は――意識を浮かび上がらせるんです。思っていなかった自分を。いえ、想いもしなかった自分を」

「不気味だな、この部屋も、君も」


 話を戻しましょう。フランは冷たく言う。


「生気とは、人が生きる活力です。紅茶を飲み続けることで、それを失い、やがて廃人になるでしょう」


 ――怖いことを言うね。


 大きな、『ビック・アイズ』を連想させるさせるかのような、深紅の瞳が俺を見据えて、撫でるかのように横に振られた。心地悪さを感じて紅茶を一口飲む。見た目ほど甘くはない。けれども、奥の方に渋みを感じる、やっぱり大人っぽい味だった。


「紅茶……はあまり飲まないけど。主にコーヒーかな、俺は。でさ、そういうのって気持ちをリフレッシュさせてくれるんだよ。朝とか飲んで、よし今日も一日がんばろう的な。それを活力って言うんじゃないのかい?」

「違います。活力とは生命のエネルギー。この紅茶にも、あなたにも、きっと星の運行にも」

 フランは厭世者と言えばいいのか、話していると疲れてしまう。


 ――そういえば、俺と君はいつから知り合いなんだい?


 俺は彼女を知らない。なのにお茶会に呼ばれ、いつのまにか二人きりで卓を囲んでいる。


「ここは未来なんです。あるいは過去。あなたはそんな場所に迷い込んだ。だだっ広い空間に、私とあなた。ならばやることはひとつしかありませんよね――そう、お茶会です」

「俺は、お茶会もしたことないよ?」

「本当に?」


 たしかに、昔、デートでそういうお店に入った。彼女に言われるがままだったけど。



 

 もしかしたら、あの時、何かが掛け違っていたら、俺は彼女と――――



 

 池袋駅を降りて、指定された場所に立っていた。

 交番が目の前だったので、なんとなく見ていた。制服姿の警察がせわしなく動いている。直近でなにか事件があったんだろうか。そんな気配を感じた。不穏だ。今日の占いも12位で、どこか不吉だったし。


「おまたせ」

「え、ああ」


 交番の中に気を取られて気づかなかった。

 横に立っていたのは、大学の一つ上の先輩で、今年の春から恋人になった東雲。出会いは同じサークルだったと思う。いつから明確にお互いがひかれあっていたのかは、俺には言語化できなかった。ただ、東雲はその記念日を覚えているらしい。

 今日がその日らしいのだが、俺にはどうもしっくりこない。


「なにその返事?」

 ――なんでもない。


 言ってしまった後、自分でもびっくりして、彼女のことを横目でうかがう。

 さっきの笑顔が消えて能面のように無表情になった後、また笑った。さっきとは角度が違う笑顔で。


「なにその返事ぃ~」


 茶化すように、さっきよりも明るい口調になっているのが痛々しかった。


「警官がさ、さっきから面白くて」

「そっち志望だったっけ?」

「ああいや、そういうわけじゃないんだけど」

「ふぅん。なにかあったのかな?」

「なにかあるよな」

「うん」


 昼間の池袋の空気がひどく落ち込むような、そんな沈黙が数秒降りる。これからデートだっていうのにどうしてこんな沈黙に浸らなくちゃいけないんだろう。ココアにパンを浸して食べる食べ方が、どこかの地方にはあるらしい。そんんなことを唐突に思いついて、切り替える。


「行くか」

 彼女の顔を覗き込みながら、言う。

「行こっか?」

 東雲はこちらの顔を見て、なにかをあきらめたのだろうか、全部諦めたようにしてニコッと笑った。


「行きたいところがあるんだ」


 彼女がそう言いだして、向かった先が紅茶の美味しい喫茶店だった。

 お菓子屋、おにぎり専門店、雑貨屋…そして喫茶店。長屋造りの横並びの端にそれはあり、真っ白な壁が特徴的だった。店名のアルファベットは黒。浮き出すようにして壁に設置されている。店内は清潔感を真っ先に感じて好印象だった。

 扉だけがアンティーク調――目を引いたがそれ以上には何も思わなかった。

 中に入ると、案内された窓側のカップルソファ席に深く沈み込む。

 前傾姿勢になってメニューを取って見る。東雲は、出されたレモン水を飲んでいた。


「どれがいいの?」

 聞くと、二秒置いてこっちを見た。――ん?


「だから……いや、ごめん。どれがいいのかなって。俺、わかんないから」

「とりあえずケーキセット?」

「じゃあそれで――」


 東雲が悪かったわけじゃないし、たぶん俺も悪くなかった。その日の天候とか、湿度とかが影響したんだろう。喫茶店のBGMの大きさも気になってしまったし、女性客しかいなくて気恥ずかしかったということもある。だから、誰が悪いということもないんだけど。

 それ以降、差しさわりのない会話の往復が数回行われただけだった。ケーキはおいしかった。

 それが、俺の中のお茶会の記憶――――




 もしかしたら、あの時、何かが掛け違っていたら、俺は彼女と――――




 紅茶をのどに流し込みながら、その渋みを味わう。

 その渋みの中に違和感を覚えるなにかがあったが、それすらも雰囲気に流されて嚥下されていった。

 フランがまっすぐにこちらを見ていた。その大きな瞳には何が映っているのか、見透かそうとしても無駄に思える。


「その東雲さんとは、もう二度と?」

「会ってない。俺は大学をやめちゃったしさ。今はメールなんて、個人的に使う人もいないだろ。全員、SNSだ」

「人間の世は激しく、移り気ですね」


 ――まるで自分が人間でないみたいだな。


「ええ、そうですよ。私は人形ですから」

「人形が紅茶を飲むのか」

「人形だから紅茶を飲むのです。これは一種のカンフル剤。我々はこれで元気を得ているのです」


 そう言いながら、フランはティーカップを傾ける。ごくりと液体が彼女の中に入っていく。のどが動いたのだ。まるで“人間”のように。優雅だった。一言で形容すれば、そうとしか言えない。だが、優雅とはなんだろう。

 彼女の中に俺は今、なにを見たんだ?


「気になりますか、私が?」

 ――そりゃ、目の前にいるから。

「それだけでなく」

「それだけでなく?」

「それだけでなく」


 目を伏せてから、考える間をおいて、フランは身を乗り出してきた。

 これがもし本当のお茶会だとしたら失礼に当たるくらい、子供が興味津々になり好奇心をとがらせるかのように。フランの目はキラキラしていた。まるで、俺に興味がわいていると暗に言っている。焦ってくる。いや違う、興味がわいてくる。彼女の全てに――色に、においに。

 体表がなぞられたかのように、粟立っていく。腰の部分が熱を持っていく。座りなおして気を紛らわせた。

 がぜん近づいてくるフラン。彼女との間に引力を感じた。


 のけぞっていた身体から生えた腕が、彼女の肩を捕まえる。自称人形と言うほどに細く軽い肩。だが、押し返してくる肉感は少女だ。手がずれていきそうな気配がした。

 彼女の中心に、布に、その胸に――

 やがて、唇が近づくような距離――彼女は言う。




「絶望とは?」




 それは質問というより設問だった。短い文章題が頭の中に生まれて、それに気を取られる。


「……え?」

 ――あなたが思う絶望とは、なんでしょう?

 定義を教えてくれ。

 ――それはあなたが考えるのです。

 考える?

 ――考察してください。

 そんなの無理だ。

 ――どうして?

 絶望したことがない。

 ――なら、これからしましょう。


 フランの吐息が耳元から離れていき、それを追いかけそうになって、俺はハッとする。少女に夢中になりそうになっていたことに気が付いて、バツが悪くなったのだ。かっこつけて座りなおす。半分以上大きくなっていた股間を隠すようにもぞもぞと、やはり座りなおす。

 それを見て、フランはにこっとした。笑っている表情が素敵だった。一瞬、大きく息を吸ってしまった。彼女の匂いが体中に広がる。紅茶のように甘い香りだ。


「性欲とは暴力なのです」

「違うよ」


 言葉が考えるよりも先に出た。まるで子供が自慰でも隠すように。


「いいえ、違いません。それは征服欲の一種。親の愛情も征服欲の一種。違うのは受け取り方だけです」

「じゃあ、愛は暴力なのか?」

「愛という言葉の範囲が大きすぎます」

「君が愛情って言ったんじゃないか!」

「受け取り方だと言いました。考えてください。言葉は魔法ではなく道具――そして、その道具は思っている以上に不便なものです。本質を理解しなさい」


 やはり疲れる。彼女と話していると。


「君は何が言いたいんだ?」

「平易に言うと、わかりやすく言うと、私に欲情したあなたは――」


 ――ひどく滑稽です。


 そう言われて気づく、さっきの笑みの意味を。

 そして、笑顔には種類があるのだと。


 この白い空間は、想いもしなかった自分を表に出す。

 彼女がさっき言っていた言葉を思い出したのは、俺が彼女を組み敷いていたからだ。

 彼女が優雅に傾けていたティーカップは紅茶をまき散らし床に倒れていた。それが目の端に映る。

 はだけた胸元には――小さく膨らんだ丘の裾野が見えた。もう少しずらせばきっと、頂上が見える。衣擦れの音が大きくなる。

 塊だった。その時の俺は。

 

「少女に欲情しましたか? 人形に欲情しましたか?」

「俺は、そんなに歪んでない」

「歪みととらえるから歪む。言葉とは、輪郭しかなぞらないのに、その形も定かではないのに、人間に与える影響が大きすぎる。楽しいものですね」

「……人形が知ったような口を利くなよ」

「楽しいでしょ、あなた。だって」


 ――笑ってる。


 俺が、こんな年端もいかない少女を組み敷いて、乱暴しようとしながら笑っている。

 滑稽だ。この笑顔の種類は。



「ぉぶっ…ごほっ…ひゅーごほごほっ」



 咳が出た。止めようとしても無駄だった。

 なんだこれ。のどの奥が熱い。痛い。痛い。痛い。


「遅行性の毒です。紅茶に混ぜました」

「おまっえ…ぐぉ…み、みず…水…!」

 痛い痛い痛い。水が欲しい。水をくれ――どこだ、どこにある。

「ここにはありませんよ。ここはただの白い部屋。外にあるのでは?」

 ――外?

 涙の中で見たその白い空間には、たしかに扉があった。

 あの喫茶店のアンティーク調の扉に似ている。


「ごほっ…ごほっ…」

 扉を開けると、そこは一軒家だった。

 玄関は小さいが、靴箱は大きく、その上は小物を置くスペースになっていて、小さなカエルが三体肩を寄せ合い、フクロウ二匹が寄り添っているそんな小物があった。結婚式の写真がある。涙目で視界がぼやけ――誰と誰なのかが見えない。

「み、水…」

 靴のまま上がり込み――見つけたドアを開ける――リビングだった。キレイなダイニングキッチンの奥には冷蔵庫が。壁にはクレヨンで落書きがされていて、それを隠すように写真が数枚飾られていた。家族写真だ。小さな子供が一人いるらしい。5、6歳の女の子のようだった。

「ママ~!」

「なにー?」

「髪ぃ」

「はいはい」

 女の子がお母さんを呼んで、髪を結ってもらっている。

「お昼どうしよっか?」

 キッチンから男性が出てきた。知らない人だった。

「外で食べよ。ほら、あの喫茶店」

 でも、母親には面影がある。

 

 

 

 もしかしたら、あの時、何かが掛け違っていたら、俺は彼女と――――

 俺はその時、『絶望』の意味に気が付いて――体から“力”が抜けた。

 

 

 

 ふと、何かの気配がして見てみたけれど、そこにはなにもいなかった。

「あれ、どうしてドアが…開けたっけ?」

 そんな疑問も、

「ママ、お人形さん」

 という娘の声に消されてしまう。

 些細な疑問や、小さな嫌なことなんてどこかに忘れてしまえる。

 そんな今が具現化したようだと思う。この子は。

「大事にするって約束したでしょ」

「えーうん、する。してたよ」

「じゃあ、自分の部屋に戻してきなさい」

「してくる~。こっち、おいでフランちゃん」

 走り去っていく娘と、その手に握られていたきれいな少女の人形――

 私はその姿に、あの日思い描いていた未来を重ねた。

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