第9話 全てはマリアベルの為

 ベコン・ペペロンチーノは驚愕していた。


「ゼミティリルート…」


 彼の机の上には植物学担当のオムレツ伯爵夫人からの報告書が広げられている。

 そこには授業の内容と実習への流れがメモ書きされていた。

 ただ、それはどうでも良い。

 目を引いたのは、ゼミティリがリリアを抱き寄せたという文言だ。


「いやいや、まだ4月だぞ。抱き合うイベントはゼミティリルートの中盤の筈…」


 そもそも、泥水から引き揚げたゼミティリがおかしい。

 どうして抱き合う展開になるのか。


「植物園のイベントは規定。でも、普通はそれで終わり。もしかして、好感度が上がる演出が隠されていたとか?」


 まるでRTA。そこまでの攻略は見ていない。

 立ちくらみさえ覚えるリコの攻略速度。

 そして、ゼミティリの行動。


 とは言え、ゼミティリは伯爵家生まれのヒーローで、マリアベルにとっての致命傷ではない。


 なんて、ゲームを知っていたら放っておいたに違いない。


「ゼミティリは四天王で一番、攻略難度が低い。それでもリコには何かがある、そう考えた方が良い。どうせ、リセットなんて存在しないんだろうし」


 一人目と二人目、レオナルドとイグリースは仕方がない。

 あの二人との出会いは、このゲームはこういう趣旨ですよ、という単純にイベントだ。

 そしてゼミティリとの出会いも同じ。

 だが、抱き合うイベント発生はパラメーターと運の要素が必要。

 リコのパラメーターはチートレベルに高いと言って良さそうだった。


「落ち着け、俺。報告書に踊らされ過ぎだ。それに植物園も単なる出会いイベントで、報告書で大袈裟に報告されてるだけかもしれない。…でも、抱きしめイベントが発生したと考えるなら…」


 ジョセフおよびベコンは未来視に匹敵する知識を持つ。

 だからこそ、ボルネーゼは裏の力を使ってゲームに登場しない人物をここに配置させた。

 そこまでは見事と言える。後はベコン・ペペロンチーノの努力次第。


「まだ、大丈夫だ。マリアベルは悪役にはなっていない。このまま何も起きないのも不味いのかもしれないけど。今はまず、マリアベルの無事が大事だ。彼女の露出は出来るだけ控えたい。露出さえなければ、抜け道を見つけ出せるかもしれない…。でも、これはどう動く?この場合はどうする?」


 この後、フェルエのイベントが発生する。


「フェルエがリコを呼び出したのは、レオナルドとイグリースの一件への釘差し。ただ、リコが脅される程度の言わば挨拶イベントだ」


 それは既に報告の通り。

 でも、同じイベントが起きるのか分からない。


「リコ。俺が知っている名前。ゲームのままなら、同じイベントが起きるだけ…だよな」


 そこが大いに迷わせる。

 ゲームなら、あるイベントが発生しなければ次のイベントは発生しない。

 イベント1を飛ばしてイベント2が発生したら、あれ、何の話?となる。

 ゲームの種類によれば、例えば『殺人事件』が起きた後に、平々凡々なイベントが起きて、そんな空気感でいいの?なんてのもあるかもしれないが、少なくともイベントシーンはフラグ順に発生する。


「ゼミティリ…。お前、なんで抱きしめた…」


 つまりゼミティリ抱きしめ後のハプニングイベントの扱いがどうなるか。

 しかも、そのイベントが少々厄介なのだ。

 男は椅子に座り、何杯目かも分からぬコーヒーを飲む。

 この『悪役令嬢が悪役にならない計画』は失敗が許されない。

 失敗したら、あの一家は間違いなく、自分を道連れにする。


「俺自身が動いて…、いやまだ早い?できるだけ、マリアベルの意志は尊重したいし。それにゲームには出てこない俺が動いてしまうと、イベントを知っているという俺の優位性が霞む可能性も…」


 そして彼は祈るような気持ちで、窓越しに娘がいるだろう校舎、座っているだろう教室を見つめた。

 彼の焦りを孕んだ眼差しは、決して娘には理解できないもの。

 この焦りが自分の為なのか、娘に対するものなのか。

 彼自身にも分かっていない。


「これって何が正解だ?プレイヤーじゃないけど、これって絶対に分岐点だ。セーブしたい。でも、セーブできない。マリアベルに、不用意な行動だけは避けるように伝える?でも…」


 男は時計を気にしながら、最新の報告書を手にする。

 次から次に報告書が上がってくる。それを片っ端から読んで情報と心の整理をしていく。

 ゼミティリのイベントが進んでいる以上、他のヒーローの動向も意識しなければならない。

 まだ、四月でステータス上げの時期だというのに忙しい。

 下手に動くのも怖い。

 マリアベルルートからではなく、偽教師ルートという聞いたこともないようなボルネーゼ潰しエンディングが待っているかもしれない。


「迂闊には連絡できない。俺は中世の拷問に耐える自信ないし。真っ先に喋る自信あるし…。そもそもこの学校ゲームはどうなって……。——!?」


 そこでベコンの愚痴が止まった。

 そして、最新の報告書を手に瞼を引ん剝いた。


「この報告は、——なんだ?どういうことだ?成程、これがいわゆる情報戦って奴か。ゼミティリが食いつきそうなネタ。王子様が頭を下げた事ももしかして…。繋がっているとして、…何のために?それに誰が?」


     □■□


 マリアベルは真面目に算術の授業を受けていた。

 だから、彼女にはリコとゼミティリの交流を越えたイベントが起きていた、なんて分からない。

 ジョセフが言い、ロザリーが説いたように、今はステータス上げを頑張っている。 

 そもそも、高レートのヒーローを落とすためには、学力上げが必須なのだ。


「マリアベル様は私に聞くまでもなく、算術がお得意のようですね。」

「当たり前です。殿下との婚姻ができなかったとしても、学年ナンバー1とナンバー2の婚姻ならば、ボルネーゼ家の箔が落ちるということはありませんの。勿論、狙いは王女になることですけれど」

「素敵です。マリアベル様なら、どの国にも引けを取らない王妃になれます!」


 レチューとキャロットが気を遣って勉学に励んでいるが、マリアベルは元々有能である。

 マリアベルという少女は、体の成長と共に魅力的な人物になっていった。

 そんな少女と共に学びあえる、これ程嬉しことはない。

 二人も憧れのマリアベルと共に在れることを嬉しく感じている。


「勉強も良いですが…」

「えぇ。もうすぐ時間ね」


 だが、二人には任務がある。

 ボルネーゼ家を守り抜くことが、彼女たちの身の安全に繋がる。

 家族の権威にまで繋がる。

 家族の為にも、マリアベルの歩く道の小石を取り除かなければならない。


 そして目下の小石は、リコという素朴な石である。


 だから、二人は心待ちにしている。


 ——今日の放課後、フェルエ・ラザニアが動くことを


 レチューとキャロットはお嬢様越しにアイコンタクトを送り、互いの決意を確認しあった。

 二人は勿論、この学校の見取り図くらいは頭に入れている。

 だから、マリアベルが行きたい場所なら、生徒立ち入り禁止エリアでなければ、迷わず連れて行くことができる。

 最短ルートも分かるし、人目に付かないルートも分かる。


 そして彼女の祖母直伝の闇魔法を使えば、もっと有利に事を動かせることも知っている。

 勿論、それは最後の手段だ。

 

「願わくば、二度と登校できないほどに、ソイツを精神的に追い込んで欲しいですね」

「えぇ。マリアベル様の為などとは、フェルエ自身も思っていないでしょうけれどもね」

「二人とも。滅多な事を言うモノではありませんよ」


 上手くいけば、多大な報酬が約束されている。

 そして上手くいかなければレチューとキャロットは……、考えるだけでも恐ろしい。


 カーン、カーン、カーン


 チャイムが鳴り、今日の最後の授業がついに終わる。

 目障りな小石を払いのけるチャンスがやって来る。

 そも預言者によれば、上手くいかなかった場合、国が崩壊する。

 それは逃げ場のないこの国では、世界滅亡と同義である。

 つまり、絶対に負けられない戦いなのだ。



「マリアベル様、如何なさいますか?」


 キャロットがいつもの上目遣いで、主人に今後の行動プランを聞く。

 レチューも体を傾げて、主人の言葉を待つ。

 すると少女はとても良い姿勢でこう言った。


「敵を知ることは大切なことでしょう。勿論、平民のあの子だけじゃないわ。辺境伯の娘がどれほどのものかは知っておくべきでしょうね。」

「それは素晴らしい考えです!」


 マリアベルはキャロットのキラキラした眼差しを訝しみながらも、静かに頷いた。

 レチューも、勿論感動している。

 預言者によれば、フェルエは取るに足らぬ存在と言われている。

 だが預言に固執するあまりに、辺境伯の娘に主導権を渡してしまっては意味がない。

 最後に輝くのはマリアベルでなければならない。


「でしたら、良い場所を知っております。あの場所なら体育館裏を一望できます。誰にも気付かれずに一言一句聞き取れる場所がございます。」


 レチューは片膝をついて主へ進言した。

 にこやかな顔だが、どこか影のある顔。

 学校とは戦場であり、既にどこかで煙が上がっているのだ。

 だが、そのやり方は主の気に召さなかった。


「ボルネーゼの威厳を考えれば、盗み見は避けたいですね。やはり堂々と。そうですね、誰の目からも見える場所から物見と行きましょう。」


 その言葉にキャロットとレチューは更に感激する。

 彼女こそが女王になるべき存在である。

 先ほどまで考えていた盗み見など、どれほど浅はかかを思い知らされる。

 ただ、キャロットは念のために、どこで見るつもりかを主人に問うた。

 そして主人は堂々と答えるのだ。


「体育館裏なのでしょう?でしたら、体育館の窓から見れば、すぐ真下ですわね!」


 二人は目を剥いたが、高貴なお嬢様は気にしない。

 それでこそ、女王の器というもの。


「名案です。」

「同じく。」


 そして彼女はお供二人を引き連れて、堂々とした姿勢で体育館に向かって歩いて行った。

 マリアベルと付き人二人は、その預言者が齎した最初のイベントが起きる、そう思って未来のお姫様を指定の場所に連れていく。

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