第10話 黄金の世代マリアベル

 聖・ユニオン学園、通称王立大学校は貴族街から少し離れた場所にある。


 屋外での実践訓練も行う為に、歴史と伝統と格式のある街の立ち退きは流石に出来なかった。

 ただ、離れた場所に建てたことは、後に正解だったと言われる。

 貴族の邸宅の何処に居ても見える小高い丘の上に立つ学校は王の権威の象徴になった。


「体育館の裏も手入れが行き届いている…。ギズモ様の邸宅よりも…、こんなこと言ってはダメだけど…、ウチで育ててないお花も」


 少女の家は正門から出てすぐの所、でも今日は寄り道をする。

 だから、まだ学校の中に居た。

 貴族の半数以上を占める伯爵家の子供たちは貴族街から通っている。

 そんな理由もあって、授業は日の高いうちに終わる。

 流石に高貴な方のお子様に、夜道を一人で帰らせる訳にはいかない。


 因って、放課後と言っても午後三時前後である。


「えっと、リコです」

「知ってるわよ。同じクラスでしょう?」

「は、はい…。そうでした。それでフェルエ様、お話とは一体なんでしょう?」


 リコはフェルエ・ラザニアに、授業終わりに体育館裏に来いと直接言われた。

 少女の友人キュピイはフェルエの妹分たちの口車に乗せられたのか、ここにはいない。

 彼女も友人になった平民の少女が、何かをされると分かってはいたが、辺境伯絡みではどうにもできなかったらしい。


「話ねぇ。自分の胸に聞いてみたらどう?」


 赤毛、褐色の長身の女が言った。

 華奢というよりは引き締まった体、筋肉が程よくついた美しさ、それがフェルエである。

 父親が防衛大臣のゼミティリとはまた違う理由で、彼女の家もかなりの武闘派である。

 辺境伯という特殊な立場であり、イベリコ山から東の蛮族の被害に遭うのは彼らの領地である。

 だから王族も危険とは知りつつも、ラザニア伯に私兵を鍛える許可を与えている。

 ただ、最近は蛮族の侵攻がない為、私兵がラザニア辺境伯の私財をすり減らしている。

 というのも有名な話だ。


「えっと。もしかして殿下に頭を下げさせた…とか、ですか?あの…、それはその…」


 そう。その認識で本来は正しい。

 リコ自身、あれは流石に不味かったという自覚がある。

 そして、ちょっとだけ迷惑とも思っていた。

 あれこそ校門ではなく、ここでやってもらいたかった。

 校門でやればどうなるか、分からない人間が王子というのはどうかと思う。


 そこまで分かっているのだから、通常の進行速度では大袈裟な事にはならなかったかもしれない。


 だが、ベコンの憂いは残念ながら当たっていた。


「違う‼…完全に的外れじゃあないけれどね!」

「えっと…、アタシ。他にも何か」


 彼女の反応は予想以上のモノ、激昂とも呼べるモノだった。

 だから、圧が強すぎてリコはよろめいてしまう。

 故郷で軍隊は見たことがないが、軍隊とはこうでなければならないのだろう。

 なんて考える余裕もないほど、空気が張り詰める。

 牧歌的だったギズモ領に逃げ出したくなるほどだった。


「も、もしもお気に障ることがあれば直します。ですので…」


 親にも男爵にも、そんな形相をされたことはない。

 だから思いつく限りの謝罪をしようと考えた。

 何を怒っているか分からないから、先ずは平伏する。


「土下座で許してもらえると?」

「ち、違います‼でも、私は」


 でも、彼女は許してくれそうもない。

 他に考えられそうなのは成績。入学試験で高い点を取ってしまって、申し訳ありませんとでも言えばいいのか?

 それは謝罪と言えるのか?

 頑張って考える。でも、そうではなさそう。

 フェルエも成績を意識しているだろうけれど、授業態度がそう思わせない。


「私は悪くないって?今、そう言ったのかい?」


 言葉を濁しながら謝罪するが、その度にフェルエの眉間に皺が出来る。

 せっかくの綺麗な肌が心配になるほどに深く掘り刻まれていく。

 キュピイに助けを求めたいけれど、やはり彼女の姿は見えなかった。


「いえ、それは違います。私が悪いに決まってるんです。ただ、私には貴族の常識がなくて…」


 そしてこの言葉でフェルエの怒髪は遂に天を突く。

 とは言え、何も知らないリコにとっては余りに理不尽な理由だった。


「へぇ。庶民とは聞いていたが、庶民ってのはそんなに常識がなかったのかい。人様の前で男といちゃこらしていい。それが庶民の常識か‼」


 リコは目を剥いた。

 これこそ、彼女がブチ切れていた理由。


「平民の分際で不純異性交遊を堂々とされちゃ、あたしが困るんだ‼しかも‼あいつと‼」


 その瞬間、空気が熱くなる。

 イベント1でもイベント2でもない。これはイベント3。

 ゼミティリルートだけを選んだ時しか現れないイベントだ。


「だってあれは…」


 赤毛の女フェルエの髪が、本当に燃えているのではないかと思えるほどだ。

 怒髪天を文字通り実践する彼女の言葉の意味が、四月時点のリコには分からない。

 だって、ゼミティリと抱き合ったのだって元はと言えば——


「元々、フェルエさんが私に植物園での作業を」

「は?あたしのせい?人のせいにしたら、他所様の許嫁と抱き合ってよい、って風習が庶民にはあんのかい‼あたしはこれからどうしたらいいんだい!お父様とお母様になんて言えばいいんだよ!…本当はみんなを代表して抗議しようと思ってたんだけど。…事情が変わっちまったんだよ」


 リコの顔が恐怖に染まる。

 完全に不可抗力で、責められるべきは絶対に彼だ。


「ゼミティリ…様とフェルエ様は許嫁…だった…」

「んで‼あんたは庶民の分際で寝取ったってわけ‼」


 頭に血が上ったフェルエも落ち着いて考えたら分かることだが、今は怒りの矛先を彼女に向けてしまったのだ。

 その矛先が庶民なら、庶民を吊るし上げるしかない。


「私にはそんなつもりは」

「そういう話をしてんじゃないのよ‼みんなが見てたんだ‼」


 あれだって、そもそもゼミティリの暴走だ。

 そして、ゼミティリルートはそういう意味を持つ。

 

 因みに。


 いつかマリアベルがゼミティリの誘いを断った理由の一つがコレ。

 ゼミティリには幼い頃から決められた許嫁がいたから。

 親が決めた結婚相手を認めたくない、それが彼の行動の大きな要因である。

 それを行動で示してしまうある意味で情熱的な男がゼミティリである。

 

 とは言え、平民のリコは貴族同士の関係値など知らない。

 喧嘩をするほど仲が良いとは聞くが、喧嘩するほど許嫁なのだ、なんて言い回しは聞いたことがない。


「お前は害悪だ。ちょっとどころじゃなく火遊びが過ぎる。頭が良くて、ちょっと可愛いからって調子に乗りやがって。どうやったらお前が学校に居られなくなるかねぇ……」

「そんな、私は違い」

「違わないわね。あたしはお前の表情も声色も全部見ていたし聞いていた。あたしがどれだけ恥ずかしい思いをしたか…。そりゃ、王子様にさえ、おモテになるあんたには、分からないだろうよ。だけど、これだけは分かるよ。あんたは図に乗りすぎた。貴族の火遊びが好きなら、あたしの火遊びにも付き合って貰おうかねぇ!」


 血の気が引いて寒くなる筈が、どんどん熱くなる。

 魔術の授業で教わったばかりだ。

 魔法を使う時は空中に文字が浮かび上がるとか、その連想や心の揺れが要になるとか。

 でも、庶民出身のリコは才能はあれど、魔法はまだ使えない。


 だから…


「…そう…ですね」


 フェルエがこんなにも怒髪天を突いていたなんて、彼女には知り得なかったのだから準備も何もない。

 そして忘れてはならないのは、これがイベントであること。

 あの情報通のキュピイでさえ気付けない。

 フェルエとゼミティリの婚約は、そもそも高位の貴族しか知らないトップシークレットだったということだ。


 【火炎爆弾ファイアボム


 そして、リリアの周りの酸素が一気にプラズマ化した。


     □■□


 大変なことになってしまう五分前。

 マリアベル達三人が体育館の二階、階段状の観覧席になっている目的に辿り着いていた。


「ここなら堂々と見れるわね」


 紫色の髪を靡かせて、少女は体育館の中央に向き直った。

 因みに部活動をしている生徒も大勢いる。

 まだ、学校が始まったばかりだから、二階席にはどの部活に入ろうかと見学中の生徒もいる。


 ただ、マリアベルが見学するのはそちらではなく、後ろにある窓の下。


「確かに、ここまで来れば覗き見じゃないですね。寧ろ、堂々とした監視。内務大臣の御息女に相応しい善行です!」


 キャロットは目を輝かせて、マリアベルを崇め奉った。

 レチューはそんなキャロットを半眼で見つつ、二人に分からないように肩を竦めていた。


 衆人観衆の中で覗き行為をしている、なんて口が裂けても言えないですけど

 と、黄緑髪の少女の顔には書いているのだが。

 ただ、代案が見つからなかった。

 堂々と覗ける場所としては、ここ以外にはなかった。

 後は木や校舎の影から顔の半分を出して覗くくらい。

 だから、レチューも最終的には納得している。


「あれ、マリアベル様じゃない?」

「ほんとだ。部活見に来たのかな?」

「すげぇ、俺、初めて見たかも。やっぱ綺麗だなぁ。スタイルも抜群だし!」

「あんたがどれだけ逆立ちしても無理よ。侯爵令嬢様なのよ?天と地の差だわ!」


 流石は華があると、キャロットとレチューが肩を竦める。

 物凄く注目されているが、そのマリアベルは気にしていない。

 彼女にとっての人生は、人に見られることから始まっている。

 だから彼女は見られることを、なんとも思わない。

 高貴な人間は気高き行動を人に示さなければならない。

 だからこそ、主席入学出来なかったことが悔しくてたまらない。


「フェルエ、あの子は一対一で平民の子とおしゃべりしているのね」


 体育館の二階の窓から見下ろしている。

 気付かれてもおかしくないのに、二人はやけに話し込んでいる。


「殿下に頭を下げさせた話をしていますね。全く、立場を弁えぬ女ですよ、あの平民の娘は」

「レチュー、あんま喋っていると、あの二人に気付かれるわよー」


 キャロットとレチューも結局はしっかりと覗きをしている。

 そして盗み聞きも同時にしているのだが、やはりテーマはレオナルドの話。

 更にはマリアベルにとっても耳の痛い成績の話。

 それが暫く続いた後に、仕置きをするのかと思っていた。

 

 ——だが


「ゼミティリとそんなことが?…これは宜しくないわね。貴族にとって許嫁は絶対のもの…」

「マリアベル様、これは聞いていた話と違います。」

「今日のことみたいです。流石に不味いのでは…」


 婚姻による力関係のバランス調整、もしくはそれによる利権の独占、更には軍事力の拮抗。

 血統を重んじる貴族にとって、婚姻とは政治道具であるし、最大の武器は子をなすこと。

 かつて狙われたのはボルネーゼ家。

 連綿と続く政略結婚により、ボルネーゼは男子が生まれにくい家系となったとも言われる。

 彼女の母は体の弱い侯爵の男を押しつけられ、生まれたのがマリアベル。


「不味いどころではないわね。…あのゼミティリならやりそうなことだけど、責められるのは平民の彼女でしょうね」


 今は下級貴族の五男との再婚しており、いつそこをツッコまれるのか分からない状況。

 そんな、マリアベルには許嫁がいない。

 ボルネーゼの力を失わせるチャンスと見たのだろう。

 そしてお婆様の力が失われた時、一気に権力図が変わる。

 四百年、内務大臣を務めたボルネーゼ家には、それくらい敵が多い。


「許嫁。見つけるのって大変なんだから…」


 マリアベルにもそんな話はあった。

 だが、その誰もがボルネーゼには釣り合わぬ下級貴族、もしくは行き場を失った伯爵の末っ子。

 小さな頃から高貴な考えを植え付けられたマリアベルにとって、それは耐えらぬことだった。

 祖母と母が断っている、という体裁になっているが、実はマリアベルがそれら全てを断り続けていた。


「フェルエの様子がおかしいです。学校で手を出せば、ゼミティリまで不利な立場に置かれる筈。…ダメだわ。あの女、頭に血が上り過ぎてますね。」

「マリアベル様、ここは関わらずにいた方が得策です。思った以上に厄介なことになっています」


 友人二人が警鐘を鳴らす。

 体育館内は部活の声が鳴り響いているので、誰も気付いていない。

 けれど流石に真上から覗いていれば、フェルエの激しい怒りが伝わってくる。

 そして空気中にマナが視覚化され始めた。


「マリアベル様、何を!」


 部下二人が止める中、彼女は動く。

 マリアベルは民だけでなく貴族の手本となるようにと、育てられた。

 背の低いキャロットの手は届かない、だからレチューが彼女を必死に止める。


 それでも止まらない。


「あれは流石にやりすぎだわ。冷静さを欠き過ぎているし、何より今のフェルエには品がない。お前たちはここに留まりなさい。あの女、思ったよりも魔力が強い」

「マリアベル様‼」


 ——そして、侯爵令嬢マリアベルは二階の窓から飛び下りた。


 【氷の吹雪アイスストーム


 白銀の吹雪を纏いながら、少女は燃え盛る女目掛けて舞い降りる。

 吹雪が次々に蒸発していくが、凍えるような寒さに炎のプラズマがエネルギーを失っていく。

 それ尽く、フェルエ・ラザニアの魔力を凍りつくす。


 そうでなければならない。


 マリアベル・ボルネーゼも黄金の世代の一人なのだから。


「フェルエ、この子を焼き殺すつもり?洒落にならないし、何より品性に欠ける行為だわ」

「マリアベル…様?どうして…」


 フェルエは頭上より舞い降りる天使を見た。

 息をすることさえも憚られる美しき少女。

 彼女の怒りがどうでも良くなるくらいの宝石のような彼女。

 マリアベルの魔法は、彼女の頭を冷やし、リコの火傷を少しでも和らげるための強く優しい魔法。


「痛っ!」


 そして、品のない貴族の赤毛娘の額を指で弾いて、麗しの令嬢はこう言った。


「いい?ここでは何もなかった。…さっさと帰って、ゼミティリと直接話をしなさい。辺境伯家のお家騒動は、こんなものでは済まないわよ」

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