第4話 転生者、俺。

 ユニオン歴469年、3月

 つまり同年の一か月前。


 年齢は三十代後半の男。

 薄めの鳶色の髪、細身の体に貧相な顔、少しでも威厳を出そうと生やした顎髭。

 築百年以上経って尚、荘厳さが失われない石造の屋敷。周囲を囲む塀は芸術の為か、防犯の為かとても刺々しい。

 そんなゴシックな建築の二階、とある書斎の窓際に男は立っていた。


「時系列はさて置き、やっと出番って遅くない?」

 

 男は窓枠の端から、愛娘と愛娘の友人の少女をチラリチラリと眺めていた。

 覗き見る姿がバレてしまうと、『パパ、気持ち悪い』と言われる。

 いや単に『キモイ』と言われるに違いない。

 父親が見ていることを、娘が気持ち悪いと言う。

 どうしてそうなるのか、男は理解できていない。

 と言うよりも先に——


「ゲーム内転生した後も、俺がキモいってことか?」


 彼は全てを知っている。

 彼は全てを見たことがある。

 だが、その手を染めたことはない。っていうか、やったことはない。

 だって、ここは


「乙女ゲームの世界だ。でも俺は実況を見ただけ、推しがやってるのを見ただけなんだけど…」


 そんな乙女ゲームに登場するキャラクターが、我が家の庭でお茶をしている。

 何故なのかと考えるには、五年の歳月を振り返る必要がある。

 なので男は既に考えることを諦めている。


「願ったことはある。結婚してないけど、婚期は逃したけど可愛い娘は欲しい。決して犯罪的な意味じゃなくて!それがなんと叶ってしまった。気持ち悪いかもしれないけれど、俺の娘ってめちゃくちゃ可愛い。一緒にいる女の子もめちゃ可愛いけど、俺の娘だけは別格。なんか輝いてない?贔屓目とかなくて!俺が生んだわけじゃ…、いや俺は生めないけど!俺の本当の娘じゃないって意味で…」


 元三十代後半で現在も似たような年齢の彼にとって、この世界は難しすぎる。

 好きなゲーム配信者がやっていたゲームだとしても、やはり意味が分からない。

 指示厨となる為に、攻略情報サイトは何度となく閲覧した乙女ゲームの世界。


「ゲーム内転生はなんとなく飲み込めた。だとしても、人選ミスだろ。育児経験なんてないんですけど⁉」


 殆どの人間なら経験しているだろうから、百歩譲って俺に落ち度があったとしよう。

 でも、貴族って何よ⁉

 作法とか、全然知らんし!ゲームにそんな描写なかったろ!…いや、あったけれども!それはジャパニーズのゲームならではのアレじゃん!似非西洋の似非中世で、王子様とお姫様、そしてお貴族様。


「流石にこれは俺、悪くない‼殆どの人間様は平民なんだよ!つーか、日本人だと英国貴族とか聞きかじった程度の知識しかないっての‼ 」


 この五年間、何度も自分に問い掛けた。

 とは言えだ。それさえも幸運だったとしよう。

 クリアまで知ってる世界だから、未来予知に匹敵する知識を持っている。

 これはとんでもないアドバンテージだ。


 ——ここまで来ても問題がある。


「そのゲームに俺は出て来ないし!確認できるのは文字だけなんだよ!」


 ただの設定しかない存在。文字列のみ確認される存在。

 そんな希薄な存在が、環境づくりをする為に五年を使った。

 愚痴を言う暇がないほど、やることが沢山あった。

 因みに、そんな彼が自我を持ったのも五年前だ。

 そして、その五年はプロローグですらない。


 理由は単純だ。このゲームは入学式から始まる。


「そして明日…、俺の娘がユニオン王立大学校に入学する。親として誇らしい生徒だ。でも彼女は──」


 流石に想像できるだろう。

 この男に与えられた役割、いや使命。

 前世からの記憶では想像も出来ない、重すぎる愛。


「マリアベル・ボルネーゼが『悪役令嬢』として学園を過ごす。…若くして生涯を終える」


 ゲームシナリオという未来予知によれば、マリアベル死後も世界は続く。

 そんな中、マリアベルはおろかボルネーゼ家の未来はない。

 学級裁判の結果、マリアベルは魔女として裁かれてしまう。

 魔女の一族は彼女と同じく焚刑に処される。


「俺は未来を変えられるのか…?」


 少女の視線を感じた男はスッとカーテンを閉めた。

 何事もなかった風に書斎に戻り、カレンダーに向かって溜息を吐く。

 そしてキュッと音を鳴らして、今日に斜線を入れてみる。

 五年間の斜線、過去四年分のカレンダーは仕舞っているから、視界に見えるのは三か月と少しだけ。

 それでも異様なほどの斜線で埋め尽くされたカレンダー。

 全て、娘を死なせない為の努力の線だ。


 コンコン


 直後、ノックの音が響いた。

 

「分かってます。直ぐに向かいますので」


 男はそのような返事をする。

 ドアの向こう側にいるのが侍従だったとしても、常に腰は低い。


「わぁ!今日はロジアンが作ったんじゃなくて、ママが作ったんでしょ!トマトの良い香り!美味しそう!」


 その日の夕食は、久々の母親の手料理だった。


「マリアベル。ママじゃなくてお母様でしょう?貴方からもちゃんと言ってやってください」


 男の妻の名はロザリー。

 貴族街のボルネーゼ邸宅では、最も貴族らしいのが彼女である。

 そしてロザリー・ボルネーゼはゲームに登場する。

 マリアベルの後ろで磔にされた姿で。

 女系一族という設定だったからか、夫は残念ながら他モブと見た目は変わらない。

 夫にはCVどころかセリフさえ用意されていない。

 実は再婚だったことさえ、語られなかったくらいだ。

 因みにその正体は、ど田舎に小さな領地を持つマヨネーズ子爵家の五男だったらしい。


「あ、あぁ。そうだぞ、マリアベル。明日から上流貴族に囲まれる生活が始まる。あの学校は学力、運動神経、魔力、そして品位を重んじている。いや、品位が一番重んじられていると言っても過言ではない。品位ゲージは会話の種類によって上昇するから、考えてから発言をするんだぞ。」


【マイプリンステイル〜黄金の世代〜】というゲームは、そんなシステムだった気がする。

 主人公以外に適応される保証もない。


「ふーん。で!こっちのスープもお母様が作ったのよね!良い匂い!」


 この娘の視線と声が冷たいのはいつものことだ。

 当時からマリアベルは、母親の再婚に反対していた。

 それでもこうやって暮らしているのは、爵位が男性のみに与えられることを学んだからだ。


「お父様にちゃんと返事をしたら、食べてもいいわよ」

「えぇ…。分かってます、お、お父…さ…ま」


 七年前にロザリーの夫ペペロ・ボルネーゼは他界した。

 正確には、そういう話になっているらしい。


 そもそもゲーム世界ってどこからが始まり?


 メタはさて置き。ユニオン国の法律のせいで領地をとりあげられかけた。

 そもそもボルネーゼ家では男児が生まれにくい。

 それはユニオン国の貴族社会において、かなりの痛手だ。

 逆に、ここまで維持できた歴史を称賛すべきである。


 なんて言っても、俺が転生した瞬間に世界が始まった説は否定できない。


「と、とにかく。ただでさえ華があるんだから、マリアベルは大人しく…な?」

「キモ…。じゃなくて、何度も言われなくとも分かっています!お母様、これでよろしいですか?」

「えぇ。ジョセフもそのくらいにしてやって」


 ジョセフ・マヨネーズがボルネーゼに婿入りする時も、諸侯貴族たちと揉めた。

 直前にキャラクター内転生をしたジョセフは、当時の様子をちゃんと覚えている。

 この国を数世紀に渡って、裏で操っていたボルネーゼ家はとにかく嫌われているのだ。

 侯爵位を賜われたのは、義母ネザリアの根回しのお陰であった。

 その完璧超人である義母はボルネーゼの地、即ち国の三分の一の広さを誇る北部領域の管理をしている。

 

「それからマリアベル。学校生活の意味は理解しているのよね。父親へのその態度さえ、品行方正を問われかねないわ」


 昔ながらの貴族制度で、今は誰も公爵位を賜っていない。

 その理由は割愛するが、大事なのはボルネーゼ家を含む侯爵家が実質権力を握っていることだ。

 因みにネザリア全盛期は、年始の挨拶は王がネザリアを訪ねていた。

 そんなボルネーゼ家が、一年後に根絶やしにされる。


「はい。お父様、お母様。私、マリアベルはボルネーゼ家の娘として恥じぬよう、精一杯の努力を致します。そして少なくとも侯爵家以上…、いえ必ずや王子様と婚姻いたします!」

「こ、婚姻…」


 ジョセフはズキンと胸の痛みを覚えた。

 愛すべき娘のウェディング姿がチラつく。

 とは言えボルネーゼ家が生き残るには、今のところそれしか考えられない。

 ゲームの世界観という理由で片付けても良いが、現状を考えれば本当にそれしかなかった。

 そも、ジョセフが持つのはゲームの知識だけ。

 国外に逃げるという道は、負けてもいないボルネーゼ家には選べるものではない。


「黄金の世代で言う所の、レオナルド王子かイグリースか」

「レオナルド王子はギリギリセーフだけど、イグリースって私。あんまり好きじゃないかも…」

「贅沢を言わないで。コレでも一応は務まっているのですよ、マリアベル。そもそも伯爵位でも問題ない筈です。」

「コレって私の事…か。た、確か軍務大臣の息子、それに金融王の息子も居た筈だが…」

「……。とにかく私、頑張ります。お母様。」


    □■□


 ユニオン歴469年入学式の日、別の目線。


 ユニオン王朝が誕生して469年が経つ。

 今上の王、ヨハネス十世は晩餐会やお茶会が重視される今の貴族社会を憂いていた。

 ユニオン王国は北、西、南の三方を海に囲まれた中規模の国で、残った東はイベリコ山という踏破困難な高山が塞いでいる。

 所謂半島であり、陸の孤島でもあるユニオン王国。

 冬季は海さえも閉ざされる我が国が、内向的になってしまうのは仕方がなかったのだろう。


「王が運営する大学校に庶民を入学させたのは、封建制度を破壊する為。いや、ボルネーゼ家を没落させるためだろうに」


 ジョセフは眉を顰めた。

 王は貴族制度の弱体化を狙っているという話だが、それはあの立派過ぎる学び舎が否定している。

 

「学校が晩餐会や舞踏会の代わりになっただけ。確かに入試の成績如何では平民も入学できるが。そもそも成績を決めるのは貴族なわけだ。…って、自分で言っててアレだけど、全部ゲームの設定だろ?」


 遠くに見える我が家の門扉で、少女二人に迎えられた愛娘の姿が見える。

 その様子を見ながら、父は溜息を一つ。


「主人公は平民出の心優しき少女、真面目で努力家の少女。主人公は学園生活で貴族による虐めに遭う。その中で王子様を含めた、五人の貴公子ヒーローに出会う。彼らは庶民の少女に惹かれていく。因みに主人公の名前が分からないタイプのゲームだ」


 マリアベルの立ち姿は、誰が見ても優雅としか言わないだろう。

 後ろ姿など完璧で、あれは彼女の努力の賜物。

 更には、彼女の祖母・ネザリア様の教育の賜物である。 


「悪役貴族令嬢のボスであるマリアベルは、その時のヒーロー達によって告発される。ヒーロー参戦により学校中の生徒が手のひらを返し、マリアベルは追い込まれる。その後の学級裁判で彼女は魔女として裁かれる。ボルネーゼ家も同じく異端者として裁かれる。磔刑および焚刑…」


 そこでもう一つ溜め息。


「って、酷くない?設定ベタだし、やり過ぎてない?国を挙げてもボルネーゼ潰ししたいだけじゃん!」


 コンコン


 今日もまたノックの音がした。

 脊髄反射的に男の表情が紳士のソレに変わる。

 これもネザリアの教育の賜物だ。


「失礼します、ジョセフ様。奥様がお呼びです。」

「あぁ、メルセスさんでしたか。分かりました。直ぐに行きます」


 ジョセフは大鏡の前で一度立ち止まって、自らの服装を確認する。

 何度か深呼吸をして、心を調節する。

 これら全てが、お義母様に教わったこと。

 しかも、ノックの音量さえも調教されている。


「鍵は掛かっていないから、お入りになってくださいませ。」

「失礼します。ロザリー様、如何されましたか?」


 すると、カチャリと後ろの扉が閉まる。

 廊下に誰かが居た、なんて考える必要はない。

 これは目の前の淑女の仕業である。

 同時に彼女が吸っていた煙管キセルから薄紫の煙が上がる。

 サイコキネシスくらいはやってのける彼女も、この国有数の魔女である。


「さて、ジョセフ。シンクロはうまくできているかしら?」

「問題ありません。五年間、お義母様の下で励みましたか…ら」


 目の前にいるのは妻だというのに、ジョセフの額から塩水が噴き出る。

 そもそも本当に妻?本当に結婚している?

 ジョセフには考える余地も、自由もないのだ。


「私の前で、母をお義母かあ様と呼ばないでくださる?お前に私の夫ヅラをされるだけでも不愉快なの」

「す…、すみません」


 ジョセフの転生には、ちゃんと裏がある。

 これはひょんなことで転生した話ではない。


「さて、ジョセフ。預言者が今日から始まるマリアベルの学校生活で、ボルネーゼ家は地獄に落ちると言いました」


 転生する前に、ボルネーゼに協力した預言者が居た。

 ジョセフがゲームの内容を話す前から、彼女たちは自分たちの運命を知っていた。


「…はい。順調に進めば、間違いなくそうなります。」


 ダン‼


 彼女の拳が窓側の白樺箪笥を打ち鳴らす。

 拳の心配をするべきか、タンスの心配をすべきかと迷う前に箪笥が爆散した。

 目が飛び出るほどに高価だろう箪笥の心配をする前に、ジョセフは凍り付く。

 

「順調とはどういう意味?私たちはそれを回避する為に、わざわざ高い金を払って、お前を降霊させたのよ」


 ただの転生ではない。

 こちらの事情で、彼は転生させられた。

 もしくは降霊した。だからこの体はこっちの世界の誰かだ。

 マヨネーズ家の五男と契約を交わし、彼はその身を捧げたという話だ。

 預言者は「この魂だ!」と叫び、ネザリアが異世界の魂を降霊させた。

 そして出来上がったのが、このジョセフ・ボルネーゼ。

 彼女の夫であり、マリアベルの義理の父親である。


 降霊してきた彼が真っ先に思ったのはコレだった。


 ——完全に人選ミスだろう!

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