第3話 リコの様々な出会いの始まり

 リコは学生寮を借りることができない。

 学生寮は貴族向けに設計されており、賃貸料がべらぼうに高い。

 だから彼女は近くのおんぼろアパートで暮らしている。

 とは言え、生活費を出しているのは男爵だから、我が儘は言えない。


「建っていることが奇跡ってくらい、ボロボロ。でも、学校まではすぐ近くだし、ずっと欲しかった自分だけの部屋だし、埃っぽいけれど、掃除すればなんとかいけるよね」


 そんなこんなの一週間。

 新生活でバタバタしていたから、殆ど記憶がなかった。

 ただ思ったよりも適応能力があったらしく、バタバタは一週間ぴったりで終わった。

 周囲を見回す余裕も生まれていた。そこで彼女は気が付いた。


「クラスの誰も…、私と話をしてくれない」


 振り返るとこの一週間。

 彼女は一人で授業を受け、一人で勉強し、一人で帰宅していた。

 必死だったから特に気にしていなかったけれど、クラスの全員がそうだったわけではない。

 話し声は聞こえていたし、数人で集まっている場面も何度か目撃している。


「殿下があんなことを仰ったから…。なんて考えちゃ駄目!通わせて貰ってるだけで有り難いんだから」


 そもそも平民で初めての生徒なんだから、壁があって当然なのだ。

 自分から話しかけようかとも思ったが、流石に恐れ多くて喋ることができないし、何よりお貴族様の話題についていける気がしない。

 でも、リコにとって先ずは勉強だった。

 その次は、いや次が今のところ一番重要かもしれない。

 学業でも恋愛でもなく、生きる上で一番大事、一番幸せな時間が昼に用意されていた。

 

「今日も美味しい…。パンってこんなにふかふかだったんだ。チーズってこんなに濃厚だったんだ…。領主様がアタシに命じたのも分かっちゃうなぁ」


 なんとお昼の学生食堂は授業料に含まれていた。

 特待生の成績で入学したリコにとっては実質無料タダである。

 夕食分まで食べて食費を浮かす。

 それが彼女の生活スタイルで、苦にならない程に美味いものばかり。


「コホン」

「ひ」


 授業料に含まれるということは、他の生徒もいる。

 彼ら彼女らの目が怖いから、いつも急いで主菜を食べて、パンを二、三枚カバンにしまう。

 屋上で食べるという、少し淋しい学校生活だった。

 そんな一人パンですら唾液は嬉しそうに流れ出る。

 でも、今日は違ったらしい。


「アタシが頑張れば、このフカフカパンを皆に」

「リコは食べるのが大好きよねー」

「しま…」


 齧ったパンが跳ね上がる。

 空を舞うパン、たとえ落ちたとしてもリコは気にせず食べる。

 だが、飛んでいった方向が悪かった。

 とんでもない高度からの落下にふかふかパンが耐えられる筈もない。


 私の夕食が…


 なんて思った瞬間。空中からパンが消えた。

 そして隣にはいつの間にか桃色の髪の少女が座っていた。

 その桃色髪の少女は見覚えがあり、歯型もキッチリ残ったパンを差し出した。


「はい。リコの大好きなパンだよ」

「え…。今の…凄い。ありがとうございます‼アドバ様。キュピイ・リングイネ様!」

「すごーい!私の名前、覚えててくれたんだ」


 リコが目を丸くすると、キュピイも同じく目を見開いた。

 今が魔法、なんて考える間もなく、屈託のない笑みにリコは頬を染めた。


「はい。キュピイ様は私の隣の席ですから」

「それはそっか。…っていうか、リコ。私に様付け禁止ね。大したことない子爵の末娘なんだよ。様付けなんて逆に慣れてないんだから。それにぃ、私は貴女と友達になりたいってずっと思ってたの。噂だと、リコが主席入学なんでしょ?すごくない?」

「え…?そ、そうなんですか?」


 それがリコとキュピイの運命の出会い。

 彼女のおかげでリコの悩みは一つだけ減った、——かに思えた。

 だが、そんな彼女はいきなりこんなことを言う。


「あ、そうそう。ここに来た理由があったの。実はね、私。頼まれちゃったの。放課後…、多分四時頃かな?リコ、その時間に校門に来てくれないかな」


 子爵様のご令嬢からの突然の頼み事だ。と言っても、リコは貴族社会のパワーバランスを知らない。

 現時点のリコの価値観は『パンの柔らかさ』

 男爵様の家のパンより柔らかいパンを食べ慣れているから、多分リングイネ領の方が格上だ。

 そんな価値観だから即答した。


「分かりました。午後四時ですね」

「って、軽っ!駄目だよ、リコ。私が言うのもおかしいけど、貴族って何を考えてるか分からないんだからね」

「そ、そんなものなんですか…」


 リコ自身、他の生徒達から白い目を向けられている自覚はある。

 圧倒的多数を誇る伯爵家、そこからの伝達役が彼女かもしれない。

 とは言え、庶民のせいで領主様に迷惑はかけられないのも事実だ。


「まぁ、でも今回は大丈夫。リコを貶めるとかそういうのじゃないから。それにねぇ、私の為でもあるんだよ。だから、お・ね・が・い!」

「キュピイ様の為…。あ、えっとキュピイの為…ですか」

「ですかとかもダーメ。私も庶民と変わらないんだよぉ」

「それは…流石に」

「まぁ、少しずつ慣れていって。で、言ってくれる?私の為に!」

「も、勿論です。先ほどのパンの恩もありますし、キュピイの為に行きます。放課後ですね。分かりました」


 そこでゴーンゴーンと昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。


「うん!絶対大丈夫だからね!それじゃ次の授業で!」

「あ…」


 キュピイの桃色の髪が真一文字になったかと思うと、次の瞬間には遠くの方に背中だけが見えて、そして消えた。

 その行動は奇妙に映る。隣の席なんだから一緒に帰れば良い。

 でも、彼女がソレをしなかった


「アタシと一緒にいるのを見られたら不味いのかな。アタシってやっぱり場違いなんだよね…。帰りたい…かも」


 勿論、直ぐ近くの安アパートではなく、故郷へ。

 だから、午後の基礎的な授業は全く頭に入らなかった。

 馬車に揺られて王都に来た。自力で帰るのは難しいが、成績不振なら諦めもつく。


 なんてホームシックを感じていた放課後に、まさかのイベントが待っているのだった。


     □■□


「おーい。キュピイはいるかぁ?」


 最後の授業が終わって直ぐに、教室の外から男の声がした。

 リコが目を向けると、そこには水色の髪のやんちゃ坊主を思わせる短髪の男性が立っていた。


「あ、ベルちゃんだ!」

「ぬぁ!その呼び方は学校行ったら禁止っつったろ!子爵の末娘キュピイ・リングイネ‼‼」

「なぁに?バルサミコ伯爵の末息子の更に息子のベルガー・バルサミコ君。まさか学校デビューが成功するとでも思ったの?思い切って髪を切っちゃってるみたいだけど、似合ってないし。まさか、それ。自分で切ったの⁉」

「うるっさい!かっこいいだろうがよ!…ってか、待たせるわけにゃいかねぇから、とっとと連れてこい!」


 リコが目を白黒させてしまうやり取り。

 出てくる単語は違えども、年頃の少年と少女。ヨハンとかつての自分がなんとなく重なる。


 あれ?


 ヨハン少年の雰囲気を醸し出す青年の頬は、少しだけ赤く染まっていた。

 ベルガーは切り過ぎた髪の毛をどうにかできないか、と弄りながら背を向ける。

 そして、そのまま教室を出て行ってしまった。


「キュピイちゃん?」

「あぁ、ベルガーの奴?アイツは大丈夫。伯爵家とはいえ、親戚だし、領地もお隣さんだし。私とは幼馴染みたいなもんだから。大人しくて可愛らしい子だったのに、なんでデビューしようと思ったのかしら。…って、そんなことよりも!本当に待っているみたいだから、リコも急いで準備して!」

「え、あの人じゃなくて?」

「当たり前でしょ。なんでアイツが私の為になるの?」


 キュピイの焦り顔にリコは混乱していた。

 さっきまでお隣で無言だったのに、教室にはまだ生徒が残っているというのに、お昼のトーンで彼女は喋る。


「え?え?」

「いいから、早く!」


 少女は混乱と不安を隠しきれないまま、引き摺られるように連れて行かれた。

 先のベルガー・バルサミコは伯爵家の生まれだという。

 伯爵家のお孫さんでさえ、使いぱしりなのだ。

 この先に居る人物は、平民いや男爵をも容易く葬れる人物かもしれない。

 キュピイの信用してという顔だって、焦りで今は曇っている。


「入学早々。アタシ、何かやっちゃったの?もしかして校則違反…」

「だからー、大丈夫だって」


 アシメトリーにカットされた水色髪の青年を追いかけながら桃色少女は叫ぶ。

 そして恐怖に染まったまま、リコは目をひん剥いた。

 校門には、見たこともない煌びやかで豪奢な馬車が停まっていたのだ。

 純白に黄金の装飾が輝く馬車と、その刻印が間違いないと確信させる。


「うそ…」


 桃色ハーフツインテ―ルの少女の握力が強くなり、リコは意識を失いかける。

 その虚ろな意識の中で、彼女はどうにか跪いていた。

 ギズモ男爵に感謝すべき、体に染みついた平民所作のお陰であろう。


「キュピイ・リングイネ。これはどういうことだ?」

「わ、私に言われましても…。ね、リコちゃんってば」


 だが、キュピイの腕力はなかなかのもので、あっという間に地面とは別れを告げることになる。

 だが、リコも負けてはない。聞こえて来たのは、あの日壇上で聞いた声だった。

 ならば、もう一度平民所作の強制発動、とそこで。


「リコ、頼むからここでは跪かないでくれ…」


 カツカツと良い音を立てて、王子様が馬車から降りてきて、彼は少女の手を取って立ち上がらせてしまった。

 そして、彼女は目を剥いた。

 

「済まない。私の考えが至らぬばかりに、君に迷惑をかけたようだ」

「へ…。えと…えと…」


 庶民のリコは今日という日を決して忘れない。

 何故なら、王子様は自分を立ち上がらせて、そのまま頭を下げてしまったのだから。

 庶民が親に怒られて頭を下げるのとは、絶対の絶対に意味が違う。

 全ての貴族の頂点である王家、そのご子息が頭を下げている状況は、ただ混乱するばかりだった。


「わ、私は何もされていません。どうか、頭を上げてください。こ、…困ります」

「あぁ。君を困らせてしまった。どうか私を許して欲しい」


 レオナルドは真っ直ぐ過ぎる性格と、リコが置かれた現状が交錯する。

 助けを求めて、机の隣人の方を見るも…


「それじゃ、私はここでバルサミコ酢ぅぅ‼明日の予習しよー」

「ちょ。俺んちの名産で呼ぶんじゃねぇよ」


 と、二人は仲良く立ち去ってしまった。

 即ちここまでがキュピイの役目。

 王子がベルガーに頼み、ベルガーがキュピイに頼んでいたのが、ここまでの仕事だったらしい。

 …なんて冷静に考えることも出来ず、リコはただ立ち尽くした。


「レオナルドぉ。そういうのも迷惑って言うんだって」


 そしてイベントはまだ終わらない。


「あれ?え、えと…」

「イグリース。お前、また」

「ってか、リコちゃんは何も悪くないんだよ」

「へ?」

「王子様がやっちゃったってこと。王子様は考えなしなんだよねぇ。入学式であんな発言をされたら、リコちゃんがどうなるか、普通は分かるでしょ」


 ウェーブした金の髪、如何にもチャラそうな彼。

 この時のリコはまだ彼を知らない。

 そんなチャラ男がリコの手を取って、手の甲に口づけをした。


「ひ…」

「ちょ、お前」


 リコは彼の突飛な行動だけで老女になるまでの心拍数を使い果たした、かもしれない。

 優男はそれも計算の内だったのか、それともただの癖なのか。

 困惑中の少女に爽やかな笑みを向けた。

 

「俺の名はイグリース・ポモドーロ」

「ポモドーロ…って、えと」


 ギズモ男爵から名前だけは聞いている。

 次代を担う家柄リストのトップに位置している名家である。

 イグリースはリコの記憶を知ってか、金糸を掻き上げながら少しつまらなさそうな顔をした。


「畏まらなくていいから。侯爵って肩書だけど、大した家柄じゃないよ。んでクラスは違うけど、俺と君とは同級生だし」

「た…」

「た?」

「大してます!」

「大してます…って。そんな言い方ある?君、面白いね」


 入学式からたったの一週間後。

 これがリコと王子と貴公子が互いを認識した瞬間である。

 この後の会話をリコは殆ど覚えていない。

 聞き取れたのは


「レオナルドも悪気があったわけじゃないんだ。許してやってくれ」

「お前が俺の代わりに謝るな。リコ、私は余りにも世間知らずだった」


 頭を下げられたことくらい。

 次の記憶はふかふかしていないベッドにダイブした後まで飛ぶことになる。

 だからヒロイン・リコはさて置き。

 ふらつきながら帰っていく少女を見やり、彼はポツリと言った。


「やれやれ。これからどんな学生生活がやってくるのやら。レオナルド、感情的になってはいけないよ。君の為にも、彼女の為にも」

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