第5話 義父と娘

 ジョセフはマリアベルに懐かれていない。


「あの、マリアベル。そこはもうちょっと優しい言葉遣い出来ないかな?」

「はぁ?寄生虫ってヒトの言葉が話せるのね」

「き、寄生虫って…。いや、まぁその通りだけど。それは享受するとして。喋り方だけは…」

「分かってるから!他の人の前じゃ、ちゃんとするから!」

「そか、それなら…まぁ…、良かった」


 こんな会話は何度も繰り返してきた。

 ジョセフも彼女に自分を父と思わせることを諦めていた。

 やはり、そんな器じゃない。父親がどういう存在か分からないからだ。


 ──それでも、マリアベルには生きて欲しい。


      □■□


 乙女ゲーム『マイプリンステイル〜黄金の世代〜』は全てのエンディングを履修済み。

 ただ、ゲーム実況の指示厨をしたいが為に攻略を漁っただけだから、感情移入なんて出来ていない。

 ジョセフの中の人はそんな男で、父親適正は皆無に等しい。


 だが、ジョセフ・マヨネーズという人間に焦点を合わせれば、これがジャストミートなのだから、人生とは分からない。

 彼はたったの三ヶ月で、体の主の精神と融合を果たせたのだ。


 これが大変喜ばしいこと…とはならない。


『人生って生まれた時から勝負が決まってるっしょ。どうせ、俺が頑張ったところで結果は高が知れている。もう、いいよ。ダラダラ生きよう。え?契約を結べば、侯爵家に婿入りが出来るって?マジラッキーじゃん。兄者達は一生懸命勉強してたけど、所詮は田舎貴族だっての。このラッキーでついに俺の時代が来たってことだよな!』


 ネザリア曰く、そんな理由でここにやってきたクズ人間だったらしい。

 この地に降りて来たクズ人間である彼と、クズジョセフの同調率は稀代の魔女ネザリアをしても驚愕だったという。


「死にぞこないのお前にとって、ボルネーゼはどうでも良いと?」

「い、いえ。そうじゃなくてです。私の予定通りに進んでいるという意味で申しただけで」


 この家にジョセフの居場所なんて最初からなかった。

 だがしかし、何もしなくてもお金が入ってくる上流階級である。

 食事は素晴らしいし、ベッドもふかふか。用意される服も目を見張るものばかりだ。

 ボルネーゼ家はこの国で王家の次に広い領地を持っていて、資産は王をも凌ぐと言われている。

 同化したジョセフ・マヨネーズは満足しているに違いない。


「予定通りでは困るのよ。分かっているとは思うけれど、マリアベルも必死なの。あの子に課せられた使命は困難極まるモノよ。貴方の知識をフル動員して、なんとしてもボルネーゼ家を守らなければならないわけ。…可能な限り、侯爵家以上の貴族の子供と婚約をさせなさい。貴方がヒーローと呼ぶ三人でも最悪構わない。婚約さえすれば、ボルネーゼの力でどうとでもなるのだから」


 知っているのは主人公ヒロインの運命ですが、——なんてセリフは口が裂けても言えなかった。

 既に未来は決まっているのでは、なんてのも絶対に言えない。


「その…。ロズウェル伯爵の娘キャロット、ラウ伯爵の娘レチューですが、マリアベルは…」

「ですが、は禁止です。お前を呼び寄せたのは私達です。使い魔の働きのみを期待しております。」


 海の青のような髪の淑女は、赤い唇を三日月の形にして、机に置いてあった茶封筒を今の夫にそっと指しだした。

 ジョセフが首を傾げていると、彼女は顎で開けてみろと指示をする。


「失礼します…。お金は今のところ必要ないのですが…」


 そこでジョセフの片眉が上がった。

 全ての文字を読み取るまでもない。


「ベコン・ペペロンチーノ…、それにこの顔。校章も。もしかしなくても教員免許…。まさか俺を…。わ、私にはそんな学はありません。ジョセフ・マヨネーズ時代も家に引きこもっていたので、大した知識も得ていません。そもそも…」

「必要な知識は母に教授してもらっている筈よね?」

「う…ぐ。た、確かにある程度の教養は得ています。ですが…」


 その瞬間、ジョセフの肩に痛みが走る。

 ロザリーと鞭、なんと相性が良いのだろうか、とボルネーゼの犬である彼は思う。

 三十代後半のロザリーは、二十前半にしか思えないほどに若く美しい。

 マリアベルのような幼さを残していない分、鞭との相性が良い。


 だが、今はそんな話をしていられない。

 そもそも、ボルネーゼ家が得意とする魔法は——


「闇魔法は校則で禁止されています。そして、それ故に」


 すると、歯向かう夫にもう一撃。


「闇魔法使用の罪でマリアベルは罰せられる。そうでしょうね。ボルネーゼを追い詰める為の校則としか思えないのだし」

「そうです。何度考えても、その為の校則としか思えないんです。でしたら!」


 ただ、それが仕置きとはならないと諦めたのか、彼女は舌打ちし、鞭を放り投げた。


「学則で禁止されているだけ。学外で使っただけならどうかしら。それに万が一にもベコン・ペペロンチーノはボルネーゼ家には繋がらない。それにペペロンチーノ伯爵も快諾してくださったそうよ。四百年年以上もの間、内務大臣を務めていた我が家を、お母様を侮らないことね」

「マジ…かよ?そ、その間、内務大臣の業務はどうするおつもりですか?」


 窓ガラスにピシッと亀裂が走る。

 力が衰えつつあるとは何だったのか。

 ジョセフの体など、容易く引き裂かれるに違いない。

 だから、妻の体に触れるなんて、怖くて出来るわけもない。


「アナタは役所で何もやっていないのでしょう?」

「はい?それは誤解です。ちゃんと、書類に判を押す簡単なお仕事を」

「先に私が目を通した書類のみ…ね。子爵家の五男に務まる筈もありませんし」

「え…、もも、もしかして五年間、ずっと?」

「えぇ、ずっと。だから何も心配せず学校の先生を頑張りなさい。そして我がボルネーゼ家の権威が失われぬよう、内側からしっかりとあの子を守るのです」

「そういえばそうでした。俺、じゃなくて私は正真正銘のヒモクズ人間でした」

「分かったなら、学校に行く準備をしなさい。…私は知っての通り忙しいので」


 彼女の姿が紫の煙の中に消えていく。

 これ以上話すことはないし、ジョセフが命令を聞くのも最初から決定している。

 昼間は王立大学校でベコン・ペペロンチーノとして立ち振る舞い、夜は父として娘を迎える。

 それが新たな任務らしい。確かにそれが一番の助けになるだろう。

 とは言え、


「あのババア…。最初からこれを考えていたのかよ」

「ジョセフ!」

「あ、し、失礼しました。マリアベルの助けになるかは分かりませんが…、いえ、必ず助けます。私はその為に呼ばれたのですから」


 この変身した姿も名前も、やはり知らない。

 教職員の出番は少ないが、家族よりは多く映る。

 それでもやはり、ゲームには登場しない知らないキャラなのだ。


     □■□


 突如始まったベコン・ペペロンチーノの一日は早い。

 プライドの高い娘・マリアベルに気付かれてはならない。

 彼女の中ては、もしかしたら1ミリくらい父は内務大臣として働いていると思っているかもしれない。

 自慢の父親が裏口入社をしていたなんて知っちゃいけない。


 だからマリアベルの起床時間より早く、ジョセフは仕事に出かける。

 五年前からそうだったということは、五年前からベコン・ペペロンチーノは用意されていた、ということだ。


「お母様、お早うございます。今日もボルネーゼ家の為に励んで参ります。」

「マリアベル、まだ始まったばかりよ。そんなに焦らなくても貴女なら…」


 大魔女の孫であり、魔女の娘でもある少女の表情が僅かに曇る。

 勿論、これは予想されていた展開だ。


「予想外の敵が現れましたので、私もうかうかしていられません」


 マリアベルにとって、初日から波瀾万丈の学園生活だった。

 庶民出身のリコが主席入学したという噂話が校内で流れていた。

 そしてあの王子と貴公子が庶民を気にかけていることも同時に語られていた。


「平民が?あくまで噂なのですよね…。それにその娘を気にかけている、というアピールに違いありません。気にする必要は」

「でも…、私の役目は」

「でも、今は落ち着きなさい。入学試験と学校の成績は関係ありませんよ。…もしくはギズモの男爵が、いえ王が余計なことをしたか」


 母は叱るどころか、慰める。

 でも、マリアベルは母親の本音が分からない。

 だったら父は?父親と話をするなら、帰宅後だ。

 でも、あれは父では——


「お母様、どうしてあのような者と再婚されたのですか。私はアレを気に入りません。マヨネーズ子爵家の五男がどのような者か、私は一度も聞いたことがありませんし、マヨネーズ領に一度も行ったことがないのですよ?お母様が決めたことにとやかく言うべきではないとは存じておりますが…」


 すると母はにっこりと微笑んで、冷徹な視線を玄関に送った。


「ボルネーゼは貴族の手本でなければならない。余計なことをする無能より、何もしない無能の方が重宝されるのですよ?」

「え…、そんな理由で?それは確かに帝王学で聞いたことがありますけれど。お母様は夫レベルでされているのですね。確かに…、権威を振りかざす男には見えませんし。力の使い方さえ知らないのかも」


 女系優位な家柄では、理想とも言える夫像に思える。

 だから、結局今回もマリアベルは渋々顔で納得するしかない。

 少女の眼からも祖母と母はクールすぎる。

 それ故に政敵もいる。


 その攻防によって、子が生まれにくいという呪いか業かを背負わされたとか。

 でなければ、とっくの昔に男児が生まれている。

 そうであれば、マリアベル自身が権威に執着する必要はない。


 ——そも、マリアベルは自分自身の父の死に際を見ていない。


 本当に病で死んだのかも分からない。

 そして、母は娘を思うが故に嘘をつく。

 ジョセフという存在が生まれた理由をマリアベルは知らない。


「結婚に恋愛感情は必要ない…。それを体現されているのですね。お母様は凄いです。でも、私は」

「マリアベル。キャロットちゃんとレチューちゃんが門のところで待っているのを忘れていませんか?」

「あ!そ、そうでした。それでは、お母様。今日もボルネーゼの威厳を得るために学校へ行ってきます」


 そして少女は庭園を歩き、門扉に向かう。

 母は青春真っ盛りの少女の後姿を見送る。

 学校の予定では同じ朝が三年続くが、預言者の言葉を信じればたったの一年しか続かない。

 ロザリーは娘の姿が見えなくなるのを確認して、溜め息を一つ吐く。

 貴族の鉄面皮は剥がれて、娘を憂う母の顔に戻って呟く。


「あの子は頑張っている。…アナタは未来を知っているのでしょう?私たちのマリアベルを頼みますよ」

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