第2話 ヒロイン・リコの入学式
ユニオン歴468年12月。
つまりは入学前に遡る。
リコはギズモ男爵領の平民、花栽培小作夫婦の娘として生まれた。
ギズモ男爵フロストは王の直轄地から小さな領地を下賜された下級貴族だった。
小さな小さな領地で、小麦の栽培には適さず、花を栽培するくらいしか仕事がない。
お前は花でも育ていろと下賜されたと男爵自らが自虐しているほどだ。
「私に仕事…ですか?」
ただそれはあくまで男爵の事情で、リコにとってはどうでも良いことだった。
両親や村の皆と一緒に花を育てる生活は、恐らく多分幸せに違いない。
強いて不満を上げるなら、フロスト・ギズモが稀に見る教育熱心者だったことくらいだろう。
フロスト・ギズモ曰く、貴族が好む花を育てる為には、貴族と近しい価値観が必要、とのこと。
その男爵は少女とその家族を招いて、こんなことを言った。
「仕事というわけではない。リコは賢い子だから、中央の大学校入試を受けてはどうかと言っている」
「へ…?大…学校…ですか?リコを中央に…、ですが」
男爵でも貴族には違いない。領地の法律は彼自身である。
人の道を踏み外すなら教会が黙っていないけれど、ギズモ男爵はそんな男ではない。
だからって聖人君主然としている訳ではない。
ちゃんと人間的な部分も持ち合わせている。
「悪い話ではないだろう、ジョージ。リコに王立大学校の入学試験を受けさせてみないか?そこでは新たな政府を担う若者を育てているという話なのだ」
「その…、申し訳ありませんが、そのようなお金は。それに、あそこに通えるのは」
「特待生制度を利用すればいい。陛下は広く優秀な人間を集めたいらしいからな。優秀な生徒は学費免除だ。今年度は貴族以外からも募るという話だ。あぁ、勿論。生活費くらいは私が工面しよう」
男爵の言葉にリコと彼女の家族は息を呑んだ。
フロスト・ギズモは悪い男ではないが、それでも訝しんでしまう。
平民に対して、熱心に教育をしていたのはこの為だったのでは。
娘を政治利用されるのではないかと、両親も眉を顰める。
そして、この空気を嫌った男爵は柔和な笑みを浮かべた。
「そう構えなくていい。ギズモの将来の為。いいや!嘘は良くないな。実は金の為なんだ」
「お金の為…ですか。大学校ではお花の勉強も…」
「ジョージもエナも知らぬだろう。偶然にも、…リコは陛下の息子のレオナルド殿下と、いやそれだけでなく、有力領主の嫡子とも同じ世代なんだ。次代を担う有力者たちと級友になれる。そうなれば…、後は分かるな」
いや、もしかしたら下卑た笑みだったかもしれない。
ギズモ男爵の考えは恐ろしく浅はかなモノだった。
だからリコの母エナは領主と知りつつも半目で睨みつけた。
「もしかしてウチの子と大領主様を仲良くさせて、花を買ってもらうということですか?」
「そうだよ‼それ以外ないだろう?私の息子は世代じゃないし、有力貴族の子は男だし、何より勉強が大嫌いなんだ。そんな中でのこの物価高。パンとチーズを腹いっぱい食べたいだろう?ビールを浴びるほど飲みたいだろう?な?せめて、入学試験だけでも受けてはくれないか?な?な?」
善人とは思えないが、余りにも分かりやすい発想。即ち、お得意先を広げる為。
とは言え、領主に逆らえるわけもないし、娘を質に入れるという悪い話にも聞こえない。
問題は入学試験の結果だったのだが——
「ヨハン。アタシ、王都に行くかもしれないの。」
「へぇ、良かったじゃん。王子様とかが通ってる学校なんだろ?小作人の息子の俺なんかとは住んでる世界が違うんだろうな」
——その結果は見事に合格。
ギズモ男爵は単なる守銭奴ではなかったらしい。
リコの才能にはしっかりと気付ける良い大人だったらしい。
ただ、少女にとって辛い出来事もあった。
「ゴメンね。リコとは話しちゃいけないって言われてて…」
幼馴染の男の子だけでなく、女の子達からも距離を置かれた。
ギズモ領主のお金とは言え、そもそも領民の仕事ありきの領地のお金だ。
小さい領地の領民同士という平等はあっさりと崩れ落ちたから居づらくなった。
ただ、親友のアンネは自分の事のように喜んだ。
「リコが王子様と結婚したら、親友が王子様と結婚したんだよって、私は一生自慢できちゃうなぁ。それにリコが女王さまになったら、もっともっと優しい世界になる気がするのぉ」
「ありがとぅ…。アタシ、頑張るね」
朗々と語られるシンデレラストーリー。
物語に憧れる少女はキラキラ瞳で妄想をする。
そんなことは起きないと思いつつも、憧れがないと言えば嘘になる。
「そんなにうまく行くかなぁ……」
「いけるよぉ。だってリコちゃん、可愛いからぁ」
領主の命令である為、リコは王立大学校に入学することは決定である。
「お友達…くらいなら?」
「駄目だよ!リコちゃんは頭もいいし、器量も良いんだよ!高望みしようよ!絶対、絶対お城に呼んでね」
男爵からの命令も似たようなモノ、お金持ち貴族と仲良くなることだ。
「その前に勉強なんだよね…」
何せ、授業料を払うお金がギズモ領にはない。
だから彼女が目指すはトップ成績だ。
最優秀生徒になればギズモ領への援助金も期待できるらしい。
「お姫様の件はさておき。アタシが頑張れば、みんなの暮らしも良くなる。それじゃあ…、行ってくるね‼」
そして少女は大都会に向かう。
□■□
ユニオン歴469年、つまり同年の4月。
そして、入学式当日。
「みんな、来た…よ」
郷土に残した友人の言葉を思い出して、少女は学校の校舎を見上げた。
貴族の邸宅が立ち並ぶ街並みの中でも、ひと際輝いて見える王立大学校の校舎。
あんなに高い場所にどうして時計があるのか、と一晩考えたいくらい常識外れの建物だった。
「浮かれちゃダメだからね!先ずは勉強なんだから」
気負いもあるが、華やかな舞台への憧れもそれと同じくらい胸を弾ませる。
幼馴染の親友の言葉が今更ながら響く。
天空で鳴らされる鐘の音と、心臓のビートがリンクする。
リコは右手と右足を同時に動かしながら、天を突く中央の建物へ向かった。
内部はギズモ教会の聖堂に比率や質はさて置き似ていた。
空いていた席に腰を下ろした時、男爵から聞いていた人物を遂に見つけてしまう。
「あの髪って…」
隣ではなく、皆の視線の先に彼を見つけた。
壮大なホールの壇上に銀髪の青年が立っていた。
「レオナルド殿下…、変わらず素敵ですね」
「アナタ、変わらずってね。お会いしたのは三年以上前でしょ」
「それはそうですけど」
長身の銀髪青年、アレが我が国の王子様の一人らしい。
彼が入学生の主席合格者であり、本日の挨拶を務める学生であり、何よりユニオン王国の第三王子である。
「あの人が王子…さま。やっぱりアタシとは」
天井に配置されたステンドグラスのせいか、白銀の髪が神々しくキラキラと輝いている。
男爵からの細々と説明がなかったとしても、彼が王子様だと直感出来ただろう。
リコは無意識に集中していた。彼の言葉を一字一句逃さぬように。
「入学生代表、レオナルド・カストル・ユニオンです。本日は代表の挨拶という任を与えられましたこと、誠に光栄に思います。本校は皆さまご存知の通り、私の尊敬する曾祖父の代から続いている互いを高め合う場です。そして偉大なる父により、国政の要人を育成する場へ変わりつつあります。その一環として本年より——」
王子は朗々と学校の意味を語り、少女は息を呑んだ。
ギズモ男爵は商いの為に教育を行っていたが、ここでは国政の為に教育が行われている。
より良い社会の為に、貴族とは関係なく門戸を開くという話だ。
それを王家の人間が、継承権を持つ者が包み隠さずに語る。
「——現在の国を運営する大臣は皆、貴族院の議員。父はそのしがらみを変えたい。私も変えたい。ご承知の通り、我が国は大いなる食糧問題を抱えております。民は飢え苦しむが、貴族議員はどうであるか。変えなければならないのです。その大改革の一歩が、この王立大学校の変革なのです。私はここで多くを学び、より開かれた世界を実現させるつもりです」
ドクン!とリコの胸が跳ね上がる。
彼女の領主も物価高を嘆いていた。
それはユニオン王国全体に言えることだったらしい。
王子の話によれば、一部の貴族が独占しているかららしい。
拍手をしたい気持ちに駆られてしまい、パチパチと彼に拍手を送ってしまった。
「父の想像通り、今年は優秀な平民出身の生徒も迎えることが出来た。私も負けていられないな」
その時。周りの生徒の目がリコを貫いた。
大袈裟ではなく、死を連想させるほどの鋭い視線だ。
しかも、全周囲から平民の少女を串刺しにする。
「今、王子様と目が合った?それで皆…」
まだ国は変わっていない。
ここにいるのは全員貴族の子供か親戚である。
冷たい視線、痛い視線、嘲笑するような視線。
平民のお前には関係ない、と言葉にしなくても伝わる瞳の色。
彼らにとって、平民は愚かであり、貴族が上から教える存在である。
「王子様ぁ。父上の自慢話はいいからさっさと挨拶終わらせない?君の話、眠いんだけど?」
ここで鶴の一声。
とは言え、奇妙なことに生徒が座る席から発せられていた。
「な、なんだと?私はまだ半分も」
「ちょ…。マジかよ。折角教職員の方々が早めに切り上げてくれたのに。王子様だって長いお説教は嫌いって言ってたよね?」
「お説きょ…」
ただ、この青年の言葉が張り詰めた空気を霧散させた。
平民からの拍手なんて比じゃないレベルの不敬な発言。
二人の仲の良さが伝わるから、空気が柔和に変わったのだ。
リコは最初そう思った。けれど実は——
「イグリース様だわ。飛ぶ鳥を落とす勢いのポモドーロ侯爵様の長男の…」
「レオナルド様と竹馬の友という噂は本当でしたのね」
「マジかよ。イグリース様は勉強嫌いって噂はなんだったんだ?」
「嫌いってだけだぞ。天才すぎて勉強に身が入らないって俺は聞いてる」
「イケメンで才能持ちって、チートだろ」
などなど男女問わず、黄色い声が辺りから聞こえてくる。
そして壇上の王子様は半眼で不敬者を睨みながら、再び話し始める。
「コホン。イグリースに言われるとはな。私の話はこれで終わ…」
「ちょ、殿下!アレは言っとかないと!アレは!」
「あ。そ、そうだった。みんな、聞いて欲しい」
銀の髪の王子様と、金の髪の貴公子様。
何という組み合わせだろうか、とギズモ男爵の顔が浮かんでしまう。
ただ、煌びやかな金と銀の貴公子様の口から紡がれたのは
「先ほど教員より説明があったと思うが、校内での魔法の使用は禁止されている。そして今回は今まで以上に取り締まる予定だ」
校則の域を超えた話だ。
そもそも魔法の使用は教会から発行される免罪符がなければ、平民ならば罰を受ける。
貴族法にも魔法の使用に関する記載はあるらしい。
そして殿下が話したのは、この学校特有のとても恐ろしい内容だった。
「闇魔法は厳禁。人の心を操る闇魔法の校内での使用は、誰であろうと厳罰に処せされる。どれほど身分の高い者でも変わらない。例え、王の子である私でも処刑されることになっている」
王子は眉を顰めて皆に訴える。
普通に考えれば、王子が処刑されるとは考えにくいのだが
「中立な筈の教職員が操られちゃうと大変だからね。何せここは学校」
イグリースの合いの手に目を剥いた者も少なくはないだろう。
リディアもその一人で、確かにと目を剥いた。
魔法学、数術学、体術学と色々あるが、最終的に総合点で成績がつけられる。
「そっか。成績が全てにおいて重んじられるから…か」
学問を重んじるが故に、数字を容易く弄れる魔法は禁止して、使用者には厳罰が下される。
言われてみれば当然に感じられる学校内限定の法律。
そのイグリースは更に意味深な言葉を付け加える。
「特に今年は。…闇魔法の達人が生徒に居るから…。皆は操られないように気をつけないとね」
追い打ちの怖い話に、今度こそ総毛立つ。
リディアは心の何処かで関係ない話と思っていた。
第一、勉強熱心な男爵様も魔法の使用方法は教えていない。
でも。
「操られ…ると…どうなるんです?」
今の一言で無力な自分と繋がってしまう。
すると、大金持ちの貴公子は肩を竦めてこう言った。
「流石に処罰はされないよ。でも、何をさせられるか分からないでしょ?例えばカンニングの手伝い?もしかしたら非人道的なことまで…」
「ひ…」
「イグリース、そこまでだ。早く終われと言ったのはお前だろう。さて、今日より学友になるわけだが、私も不断の努力は欠かさないつもりだ。奇跡の世代の同朋諸君。一緒に頑張ろうじゃないか」
レオナルドが話を締めくくったところで入学の式は終わった。
後のことは、事前に配られたシラバスに乗っている。
リコは一旦、大きく息を吸い込んで、心を落ち着かせる。
そして自分用のスケジュールを確認しようとした。
その時──
「チッ…」
リコの耳に微かに届く音。
両親も、教会の先生も、領主様もやってはいけないと言っていた行為。
舌打ちのような音が聞こえた気がした。
「え?」
数秒後、青く美しく長い髪が目の前を通り過ぎていった。
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