3-7

「それで、人はどうやって人を信じればいい? その方法は様々だ。口約束で信用するやつもいれば、きちんと書面で契約するやつもいる。相手の雰囲気や見た目で信用するやつもいれば、相手の過去や経歴を参照する奴もいる。相手を『信用』するにはなんらかの根拠がいるんだ」

「なるほどな。お前の言葉遊びのカラクリが分かってきたぞ。つまり『信用』には根拠が必要で、『信頼』には根拠が必要ないってことだろ? だから、お前はオイラー・キリエスを『信用』する何か根拠を持っているってことだな! 例えば、金! もしくは弱みとか!」


 どうやら物分かりはいいみたいだ。二つの言葉の定義についてはよく理解している。だが、これじゃあ……まだ半分。五○%だな。


「一つ聞くが、あんたは『信用』を『信用』しているか?」

「また言葉遊びか!」

「違うさ。仕方がない、あんたにはある哲学者の言葉を送ろう……『神は死んだ』ってな」


 天才的哲学者……フリードリヒ・ニーチェの言葉だ。

 彼の哲学は空虚なこの世界を浮き彫りにし、あらゆる根拠の無意味さを露呈させた。


「それは……どう意味だ?」

「噛み砕いて言うと、この世に絶対的なものはないってことだ」

「そんなわけないだろう! た、例えば! この剣は誰が見たって剣だろう!」


 看守は声を震わせながら腰に携えていた剣を抜いた。

 金属の冷たい光沢が、どうしようもない死の予感を感じさせる。


「いいや違うね。剣を知らない人が見たらどうだ、そいつから見ればただの尖った金属の塊だ。それにそれを人殺しの道具と解釈する奴もいれば、脅威から身を守る道具だと解釈するやつがいるかもしれない。つまり、人によって剣の解釈なんて違うんだよ。絶対的なものっていうのは、誰が見ても同じ解釈じゃなければ駄目だろ? いや正確には解釈の余地があっては駄目なんだ」

「…………」


 看守は何も言えずに立ち尽くしてしまっている。いかんいかん。本題はここではないのだ。

 彼が深刻なニヒリズムに陥る前に話を切り上げよう。


「話を戻そう。問題は『信用』を『信用』できるかってことだ。答えはNOだ。なぜならこの世に絶対的な根拠は存在しないから。どんなに信用に足る要素を集めたところで、一○○%にはならないだろう」

「ちくしょう! じゃあなんだ、『信用』も『信頼』も結局は根拠なんてないじゃないか!」

「ま、そういうことだな。結局はどちらも絶対的な根拠はない。『信用』には確率的に信じられるなにかがあり、『信頼』にはそれすらもないってことだよ」

「結局なにが言いたいんだ。お前はやつを『信用』しているんだろ? つまり、あいつが裏切らない確率が高いと踏んでいるわけか?」


 さて、だいぶ回り道をしてしまったが、ようやくこの話を着地させられそうだ。

 ただこういった込み入った話は、すぐに結論付けてしまうよりも、少し遠回りするくらいがよかったりする。


「思い出せ。俺はオイラーを『信頼』していると言ったんだぞ?」

「つまり、お前はやつを信じる根拠らしきものが一切ないということか……だから、裏切られても究極的にはどうでもいいってことなのか。なんだ、一種の自暴自棄か」

「まぁ、言っている意味はだいたいあっているが……絶望的にロマンスがないというか言い回しがマイナスだな。あんた、そんなんじゃ女にモテないぞ?」

「うるせー! ほっとけ! 結局、お前はどう転んでも構わないと思ってるんだろ!」


 ははは、ムキになってて可愛らしい奴だな。


「まぁ、ちょっと言葉のニュアンスを変えさせてくれや。『信用』は確率論をもとに相手を信じている状態。根拠らしきものがあるから、そこには一定の打算が働いている。一方の『信頼』は根拠なんて何もねぇ。ただ相手を信じるそれだけだ。そこには打算はない。言うなれば、祈り……なんだよ。『信頼』ってのはさ。俺はただあいつを信じてるだけなんだ。信じること自体が目的で、別に結果なんて求めてないんだよ。そりゃ悪く言えば、あんたの言うようにどう転んでもいいって思っていることになるのかもしれないけどさ」


 たまに信頼しているのに裏切られた、と嘆く人間がいるがそれはお門違いだ。

 信頼とは自分が勝手に相手にするものであって、相手がそれに答えなかったところでそれは相手の責任ではない。嘆くべきは絶望的に人を見る目がない自分自身だ。俺はまだ二十四の若造だが、人を見る目は他人よりはあると思っている。


「なんだ! 結局はお人好しってことかよ! 話を聞いて損したぜ!」

「まぁ、そうだな。結局はそうなるよ。だけど、一方で俺はこの件で絶望はしないってことさ。俺はオイラーのことを支配はできない。信じることしかできないのだから。絶望が入る余地なんてないんだよ。そりゃ、まぁもし裏切られたら多少は落ち込むけどな。けど、信じた相手が選んだ道ならそれを尊重するよ」

「それはあんたが信じた相手に裏切られたことがないから言えるんだ! 全部、綺麗事だ! ……なぁ、俺と賭けをしようぜ? オイラー・キリエスが裏切るか裏切らないか!」


 看守はどんどんとヒートアップしていく。

 おそらく、俺の持っている価値観を受け入れることができないのだろう。

 ……青いな。価値観に正解も不正解もないというのに。


「別に構わないが、俺は何を賭ければいいのさ」

「お前は何も賭けなくていいさ。敗北はすなわち、信じた相手に裏切られる痛みを味わうことなんだからなぁ!」

「大して面白くもない賭けだな。————別に命を賭けてもいいんだぜ?」


 俺にとって、人を信じるというのはそれくらいの覚悟がある。

 こいつになら殺されてもいい。それくらいの気持ちで相手のことを信じるのだ。


「ば、ばかやろう! こんなことに命なんて賭けるな! お人好しにも程がある!」


 賭けるのは俺の命だっていうのに看守の方が取り乱していた。

 悪ぶっているようだが、根は真面目で優しい人間であることがうかがえる。


「ははは。あんたの方こそお人好しだろ。あんたのこと気に入ったよ、よければ名前を教えてくれないか?」

「誰が教えるか!」


 こういうのって何ていうんだっけ……ツンデレ? 

 いや、違うのか。カエデがいればそういう話も聞けるんだがな。


「あ、じゃあ俺は命を賭ける。あんたは『名前』を賭けろ」

「別にそこまでして隠すものじゃねーよ! どう考えても釣り合わないだろ!」

「なら、それとプラスして一度だけ俺の悪事を見逃してくれないか?」


 どうせ命を賭けるなら、これくらい要求してもいいかもしれない。

 たぶん、この看守は負けたら約束を守るタイプだ。今のうちにこの約束をしておけば、どこかで役立つかもしれない。


「……なるほどな。いいぜ、仮にお前が脱走しても見逃してやるよ」

「おっけーい。それで賭けは成立だ」


 仮に——なんて表現するくらいだから、脱出するなんてこれっぽっちも思ってないだろう。悪事といっても、せいぜい看守の部屋から酒を盗む程度しか考えていないはずだ。それでも万が一にも脱出する可能性を考慮して、命を賭けることを容認したという感じだな。


「本当に命を賭けるんだな? 俺が手心を加えるなんて思うなよ?」

「くどい! 男が一度やると決めたんだ! 二言なんてない!」

「後悔させてやる。明日がお前の命日だ!」


 看守は監房の扉に鍵をかけ、看守室に向かって歩き出そうとする———が、その足が止まる。その表情はよく見えなかったが、どこか苛立っているようにも感じた。


「おい、どうした?」

「ロッキー・アルコット!」

「は?」

「お前の勝ちだよ!」


 アルコットと名乗った看守は、ドスドスと音を立てながら足早に去っていった。

 どうやら俺は賭けに勝ったようだ。つまり……!


「ほら! 入れ!」

 監房の扉が開け放たれる。同時にオイラーが看守二人によって放り投げられた。オイラーは受け身が取れず、顔面から地面に叩きつけられる。


「オイラー!」

「……ケータさん、心配おかけしました」

「そ、その傷! 一体何をされたんだ!」


 衣服の背中部分がボロボロになっており肌が露出している。そして、その肌には無数の傷、ミミズ腫れの跡、肉が避けて血が滲んでいる。

 アルコットから聞いていた話と違うぞ! 

 オイラーに対して、拷問は行われていないんじゃなかったのか!


「あはは、やっぱあの所長……まともな人間じゃないっすね。途中から数え忘れましたが……鞭打ちを受けてました」

「あの野郎……! 絶対にゆるさねぇ!!」


 自分が拷問を受けた時以上の怒りが湧いてくる。

 よくも、俺の仲間に手を出しやがったな! 俺についてきてくる仲間だけは傷つけさせない、そう決めていたのに!


「この間、ケータさんが言っていたことが分かりましたよ。自分以上に自分のことを心配してくれる人、怒ってくれる人がいると……救われますね」

「嬉しいことを言ってくれているが、まずはその傷をなんとかしないとだろう! くそ! エルシィのとこに連れて行きたいが……扉の鍵が……!」

「こんなの唾つけてれば治りますよ……」

「馬鹿野郎。俺みたいなこと言ってるんじゃねぇよ。簡単な応急処置しか出来ないが……ちょっと待ってろ」


 飲み水として部屋に常備している水で傷口を洗う。オイラーは苦痛で顔を歪ませるが、こればかりは耐えてもらうしかない。次に傷口を覆う布が必要だ。ガーゼのようなものはこんなところにはないので、自分の服の袖口で代用する。このまま使うのも不衛生なので、オイラーが盗んできた酒の残りを布に染み込ませ消毒する。あとは傷口に布を巻きつける。


「ケータさんってもしかして医者か何かっすか?」

「大したことはしてない。明日、すぐにエルシィに見てもらえ」

「ありがとうございます……!」


 さて、あとは……。まったく、野郎に対してやるのはどうかと思うが……。


「舌噛むなよ」

「ケータさん……? ってうわ! 何してるんすか! 別に歩けますよ!」


 俺はオイラーを抱きかかえていた。

 うん、まぁいわゆるお姫様抱っこだな。相手はお姫様じゃないが。


「怪我人なんだから無理すんな」

「あ、ありがとうございます……」

「守ってやれずに悪かったな」

「そ、そんなケータさんが謝ることじゃないですよ……!」


 オイラーを寝床まで運び終える。このまま寝かせてやりたいが、どうしても聞かなければならないことがあった。


「どうしてこんなことになったんだ?」

「実は所長の呼び出しがあって——————」

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